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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
46/107

3-1

 『斧の反乱』と呼ばれる戦乱から一ヶ月が経過した。

 キャスパリーグ隊による襲撃以降はアクスフォード側の動きもなく、カムロート周辺は徐々に落ち着きを取り戻しつつある。


 しかし、それはあくまで表面的なものだ。

 公王ウォルテリスの死による政治的混乱は、まだ収まる気配を見せていない。

 なにしろ、一国の王が賊の奇襲を受けて暗殺されてしまったのだ。すぐさま城内には緘口令が敷かれたものの、その死に関しては多くの人間の知るところとなってしまっている。


 後に、ウォルテリスの崩御は病が原因であると公表された。

 これは政治的な判断によるものだった。馬鹿正直に賊に殺されたなどと発表してしまえば、国の面子に関わる。

 筋書きとしては賊の襲撃によって体調が悪化し、その数日後に息を引き取ったというものだ。


 そして、更にその数日後には、空となった王位を第一王子が継承すると決定された。

 すなわち、次期ログレス王国公王として、【緋色の王子プリンスオブカーマイン】ことドラク・マルゴンが選ばれたのである。


 ――ウォルテリスの死。新王マルゴンの即位。


 この二つの出来事によって勢力を増したのは、宰相モグホースの一派だ。

 モグホースは公王派の貴族を取り込み、黒近衛の規模を拡大させ、自らに対抗する貴族を危険分子として排除した。

 新王の叔父となった【白老侯ヘンウィン】を止められる者は、同じく叔父の立場にあるモンマス公ガルバリオンのみ。

 だからこそ、モグホースはガルバリオンが前線に出向いている間に自らの地盤を固めたのだ。


 また、戦争は終わりを告げたものの、戦の爪あとは未だに深く刻まれたままだ。

 王城を守る壁は第二層まで再建されたが、外縁の城郭は先日修築に取り掛かったばかり。

 激しい戦闘と機竜の墜落によって被害を受けた王城も、ようやく工事が一段落したところである。


 本格的な復興は、まだまだこれからだった。






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






「しっかし、大陸風って言うのかね? ここも随分と印象が変わっちまったな」


 そうぼやくのはシャツにズボン、刺繍を施されたマントルという格好をした金髪の青年である。


 ブランドル侯爵家の嫡子、ジェラード・ブランドル。

 アウロにとっては養成所の同期であり、数少ない友人と呼べる間柄の男だ。

 ドルゲラウ侵攻のため前線へ赴いていたジェラードも、つい最近になって他の貴族たちと共に王都へ帰還してきていた。とはいえ、あまり休む時間がなかったのか顔にはまだ疲労の色が見える。


「この内装は宰相殿の趣味だろう。城の修築資金を出しているのもあの男だったはずだ」


 言って、アウロは天井を支える白亜の柱を見上げた。

 こちらも赤みがかったチュニックにズボン、毛皮のマントルという正装である。


 今、二人がいるのは城内のエントランスだ。

 かつては石の要塞であった王城は、再建の際に大幅な改築が行われていた。

 石材がむき出しになっていた壁は石灰によって白く塗り固められ、ところどころに精緻なレリーフが施されている。床を覆っているのは磨き抜かれた大理石のパネル。それを照らすのは、黄金で作られた魔導式の燭台だ。


 真昼のように城内を満たす光を受け、ジェラードは目を細めた。


「どうも慣れないね。前の薄暗い穴倉が懐かしいぜ」

「ああ、今の城内は少々目に眩し過ぎる」


 牢獄のように陰鬱だった城内は、その全てが優雅で洗練された雰囲気に変わってしまっている。

 王の威光を示すという点では、こちらの方が良いのだろう。しかし、かつての王城を知っている者にとってはひどく違和感があるのも確かだった。


「あれ、二人とも。もう来てたのか」


 と、そこで左手の通路から赤銅色の髪を持った青年が姿を見せる。

 元ログレス王国第八王子――今は新王の王弟である、ドラク・ルシウスだ。


「奇遇だな。もしかして僕を待っていてくれたのかい?」

「あー、いや、そういう訳でもないんだが……」

「さっきそこで偶然、顔を合わせてな。少し話し込んでいたんだ」


 アウロの言葉に、ルシウスは「そうか」とやや残念そうに答えた。


 そもそも、アウロが王城にやって来たのはとある式典に参加するためだ。

 ルシウスやジェラードも同じだろう。他の貴族も、先ほどから続々と王の間に集結しつつある。

 アウロたちもその列に加わった。様変わりした城内を見物しながら、ついでにお互いの近況を報告し合う。


「そういえばジェラード、前線の方はどうなったんだい?」

「どう、つってもな」


 ルシウスの質問にジェラードは眉を寄せた。


「とりあえず、アクスフォード侯爵に付いてた貴族は侯爵自身を含め、ほとんどが投降したよ。行方が分かってないのは侯爵の片腕だったハーマン・ボールドウィンと娘のシルヴィア・アクスフォードくらいだ」

「ん? シルヴィア嬢は行方不明なのか?」

「ドルゲラウが落ちる前に侯爵が逃したらしい。アルヴォンにいる【氷竜伯ブリザード】の爺さんが匿ったって噂もある」

「なるほど。ならば、前線もひとまずは落ち着いた訳か」


 「どうかね」とジェラードは肩をすくめ、


「モーン島の近辺にはまだアクスフォード派の残党がいる。なのに、俺やガルバリオン殿を始め、主力の大部分は王都に戻ってきちまった。一応、戦地にも人を残してはいるが――」

「そういえば、ロゼはどうしたんだい? 一緒に帰ってきたの?」

「いや、あいつは前線に残ったよ。領地の方もゴタゴタしてるみたいだし、しばらくこっちには戻ってこれんだろう」

「そうか……。なんだか心配だな。最後に会った時は随分と追い詰められてるように見えたから」

「ま、それでもロゼの奴は上手くやってるよ。あいつ自身、緒戦の小競り合いで三機の機甲竜騎士ドラグーンを落としてる。カラム・ブラッドレイの件があるとはいえ、ブラッドレイ家自体も王国にかなりの援助金を出してるし、領地を削減されることはなかろう」


 ジェラードの言い方はひどくドライだ。


 元々、ジェラード・ブランドルは腐っても侯爵家の人間である。

 家のために身を捧げることは当然であり、そこに疑問を挟む余地はない。

 木っ端貴族のアウロや、温室育ちのルシウスとは根本的に考え方が違うのだ。


「そういや、殿下とアウロもこっちで随分と活躍したらしいな。《エクリプス》を始め、十機近い機甲竜騎士(ドラグーン)を撃墜したんだって?」

「まぁな。と言っても、半分は共同撃墜だが」

「どちらにしろ十分な戦果だろうよ。特にあの【モーンの怪猫】を撃ち落としたのはでかいぞ」

「そうだね。僕や兄さんがやられた相手に勝っちゃうんだから、アウロはすごいよ」


 無邪気に微笑むルシウスの前で、アウロは「ああ……」とあいまいに頷いた。


 アウロがダグラスを撃墜してから、ほとんど丸一日後。

 王国の調査隊はラグネルの森の深部で、大破した《ブラックアニス》と灰と化した焼死体。そして、大量の血痕を発見した。

 機竜の墜落現場としては少々不可解である。だが、王国は最終的にこれらの状況証拠から一つの事実を断定した。


 ――すなわち反乱の首謀者の一人、ダグラス・キャスパリーグの死を、だ。


 王城を奇襲した賊は近衛騎士団の特務部隊に駆逐され、空から攻撃を仕掛けてきたダグラスも機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の迎撃を受けて敗死。

 かくしてモーンの乱以降、王都を騒がせ続けたキャスパリーグ隊は壊滅した……と、いうシナリオが用意されたのである。

 まるで王国側が圧勝したかのような脚本だが、大筋は間違っていない。


「殿下のことは分からんが、アウロは領地加増で間違いないな。ついでに子爵の位も授けられるんじゃないか?」

「まさか。そんなことがあり得るとでも? 俺は大半の貴族に嫌われているんだぞ」

「それはちょっと前までの話だろ。ナーシア殿下を庇い、ダグラス・キャスパリーグを倒したお前の評判はかなり良くなってる。そもそも、功績に見合った恩賞を与えなけりゃ評判を下げるのは王サマの方さ。玉座に就いたばかりの陛下にとってもそれは避けたいはずだ」


 「恐らく」とジェラードは口の端をつり上げ、


「今回の論功行賞はかなり気前のいい結果になるだろうよ。今から楽しみだぜ」

「……ジェラード、悪い顔をしてるよ」


 そう言って、ルシウスは苦笑を浮かべた。


 そもそも今日、彼らが王城へやって来たのは新王ドラク・マルゴンの即位式が行われるためだった。

 父の葬儀を終え、叔父であるガルバリオンの帰還を待ってからの戴冠だ。タイミングとしてはこれ以上のものはない。


「ん? 少し遅めに来たとはいえ、もうかなり人がいるな」


 玉座の間に辿り着いたジェラードは、熱気のこもった室内を覗きこんだ。


 既に広間は多くの貴族でごった返していた。

 ガルバリオンの任命式の時より、その人数は幾分か多い。

 なにしろ国内の貴族の大半がこの広間に集まっているのだ。心なしか、居並ぶ者たちの格好も前回より気合が入っているように思える。


「それじゃ、アウロ。また後でね」

「ああ。今度は宴会場で会おうぜ」


 アウロはそこで一旦、ルシウス、ジェラードと分かれた。

 男爵であるアウロの居場所は相変わらず部屋の隅っこである。


 城内と同じくまるごと再建された玉座の間は、床に赤と白のタイルが敷き詰められ、壁には金と銀の宝飾品が掛かった綺羅びやかな装いとなっていた。

 石椅子に毛皮を敷いただけだった玉座も、白木に大粒のルビーを埋め込んだ絢爛豪華なものに変わっている。

 アウロは頭の片隅で、この広間の改装に一体どれだけのソリダス金貨がつぎ込まれたのだろうか、と考えた。


(それにしても、たった一ヶ月でこうも様変わりするとは……)


 周囲を見回したアウロは、そこでふと自分に注がれる視線に気付いた。

 それも一つや二つではない。回りにいる人間の多くが、アウロのことを遠巻きに眺めながらひそひそと小声を交わし合っている。


「あれがケルノウンの私生児か。随分と若いな」

「確か今年で二十二のはずだ。まだ結婚もしていない」

「だが、あの男がダグラス・キャスパリーグを倒したのだろう?」

「うむ。立身栄達は確実だ。最近はルシウス殿下と深い関係にあるという噂も聞く」


 どうもダグラスとの一件で、アウロはそれなりに注目を受けているらしい。

 まるで秤に載せられ、検分される家畜の気分だ。周囲の打算的な評価に、思わずため息をこぼしたくなる。

 とはいえ、他の貴族たちもまだ方針を決めかねているのか、直接声をかけてくる者は――


「よう、アウロ殿」


 と、そこでふいに横合いから呼びかけられ、アウロは振り返った。


 目の前にいたのは、黒髪黒目の中年男だ。

 他の貴族たちとは違い、黒を貴重とした軽鎧を身に纏っている。

 アウロはその姿に見覚えがあった。この城内で一度顔を合わせているはずだ。


「貴殿は確か、近衛騎士団のベルン殿か」

「久しいな、アウロ・ギネヴィウス。あの赤い髪の娘は元気か?」


 ベルンはそう言って、口の端に笑みを浮かべた。


 近衛騎士団特務部隊――通称、『黒近衛』の隊長ベルン。

 自ら部隊を率い、キャスパリーグ隊を撃退した今回の戦乱の立役者だ。

 先代の騎士団長であったパルハノン・モンシリウスが更迭されたため、次に団長の座に就くのはこの男とも噂されている。なにしろ他にまともな功績を上げた人間が、騎士団内には誰一人としていないのだ。


「カムリなら相変わらずだ。ところで、今の近衛騎士団は色々と慌ただしいことになっているらしいな」

「まぁね。なにしろ、前回の襲撃で失態を犯した人間が多すぎた。団長殿が宴会の音頭を取ったのは確かだが、他の連中もそれに追従するばかりだったからな。これを機に無能どもの首をそっくり入れ替えているんだ」

「辛辣だな。ベルン殿は新たな騎士団長の最有力候補という噂だが」

「そいつはガセだぞ、アウロ殿。俺は生まれながらの貴族という訳ではない。汚れ仕事専門のドブネズミさ」


 アウロは尋ねた。「というと?」


「俺は元々、モグホースの旦那と組んでた傭兵なんだよ」


 ベルンは顎に生えた無精髭をぞりぞりとなぞり、


「商売には危険が付きものだ。売上を狙うハイエナどもにお帰り願うためには、荷馬車を守る傭兵を雇わなくてはならん。あの旦那とはもう十年以上の付き合いでね。いつの間にか、こんな面倒な仕事を押し付けられてしまった」

「冗談のような話だな。では、ベルン殿は宰相派の人間なのか?」

「一応、そうなるね。忠誠心なんてのは欠片もないが、勝ち馬に乗れるならそれが一番だ。それにモグホースの旦那にとっては、俺のような金で動く人間の方が信用できるんだろうよ」

「……なるほど」


 アウロは頷きつつも、脳内で自らの思考を纏めた。


 黒近衛がモグホースの言いなりになっているのは、隊長のベルンが宰相側の人間だからだ。

 万が一、ベルンが騎士団長となれば、近衛騎士団全体が【白老侯ヘンウィン】の手に掌握されてしまう。

 体制としてはもはや盤石だ。国内でモグホースの権勢に逆らえる者は、誰一人としていなくなるだろう。


「それとすまなかった、アウロ殿」


 そこでふいに、ベルンは真剣な表情で告げた。


「公王のことは任せて欲しい、などと大口を叩いた癖に結局は陛下を失ってしまった。俺の部隊がもう少し早く王城に辿り着いていれば、ここまで奴らの好きにはさせなかったものを」

「いや……貴殿に責任はない。ただ、一つだけ聞かせてくれないか?」

「なんだ?」

「公王を殺害したのは、本当にキャスパリーグ隊の連中なのか?」


 アウロは周囲に聞かれないよう、声を潜めて言った。


 それは公王の死を耳にした瞬間から、ずっと抱き続けてきた疑問だった。

 そもそも、アクスフォード侯爵やキャスパリーグ隊の側に、公王ウォルテリスを殺すメリットは薄い。

 むしろ、今回の一件で得をしているのは宰相であるモグホースだ。アウロはその腹心であろうベルンに、揺さぶりをかけるつもりだった。


「ふむ、そうだな。実は俺も少々疑問に思っていたんだ」


 が、ベルンはあっさりアウロの懸念を肯定すると、


「俺たちが王の居室に到着した時、陛下はベッドのすぐ脇に倒れていた。床に血が撒き散らされてたから、絶命しているのはすぐに分かったよ。ただ、その死体には少し妙な部分があった」

「というと?」

「陛下の胸には大穴が開いていたんだ。どうも、背中から馬鹿でかい槍みたいなので心臓を抉られたらしい」

「馬鹿でかい槍……?」


 機竜乗り(ドラグナー)のサガか。アウロは機甲竜騎士(ドラグーン)の主兵装であるガンランスを思い浮かべた。


「アーマー用の兵装か? 確か、《グレムリン》にはクローを装備した白兵戦仕様の機種があったはずだが」

「爪なら穴は一個じゃ済まない。一応、城内に配備されてた《ファランクス》がガンランスを持っていたがね。重騎士甲冑(ヘヴィナイトアーマー)用の兵装を、軽さがウリの《グレムリン》が振り回すってのは変だ」

「そうか、そうだな。ならば、何故――」

「一応、もう一つ考えられる可能性がある」


 ベルンは更に声の音量を下げ、


「実はな。俺たちが玉座の間に辿り着いた時、そこには先客がいたんだ」

「先客? 誰だ?」

「【鮮血の王子(ブラッディ・プリンス)】、ドラク・ガーグラーさ。第二王子――おっと、今は王弟か。とにかく、あの狂獣が賊の一部を倒したって話、知らないかい?」

「噂だけは聞いたことがある」

「どうも、ガーグラー殿は玉座の間で敵の迎撃に当たっていたらしい。単独で四機のアーマーと二十名近い兵士を返り討ちにしたそうだ」


 アウロはかすれた笑い声をこぼした。「冗談だろう?」


「いくらあの男でも生身でアーマーを破壊するのは無理だ。バイザーの一枚くらいなら素手で割れるかもしれんが」

「それでも十分、人間離れしてると思うがね。まぁ、お察しの通りガーグラー殿は宝物庫から武器を引っ張り出してきたんだよ。しかもあの男が機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の団長だった時に使っていた武器だ」

「魔槍〝ロンゴミニアト〟か。ならば、まだ納得も行く。しかもあれはかなり大型の槍だったはずだ」

「ちなみに、陛下の遺体には誰かと争った形跡がなかった。にも関わらず、背後の一刺しで殺されたってことは恐らく――」

「不意討ち……それもある程度、親しい間柄の人間によるものだな」


 少なくとも、キャスパリーグ隊の面々がウォルテリスを殺害した可能性は低そうだ。

 そもそも、彼らは王の居室に辿り着くことができなかった。その前にガーグラーと交戦し、皆殺しにされてしまったのだろう。

 となると、現状で最も怪しいのは第二王子ドラク・ガーグラーである。むしろ、他に容疑者がいないくらいだが――


「諸君、お待たせした」


 そこでふと、広間に老人の声が響く。

 アウロは思考を打ち切った。顔を上げ、玉座の間の中央に視線を注ぐ。


 任命式の時と同じく、まず貴族たちの前へと姿を現したのは宰相モグホースだった。

 服装も前と同じ大陸風のブリオーだ。ただ今回は即位式という晴れの舞台だからか、身に纏った装飾品の数が増えている。

 細くしなやかな白金の腕輪。瑪瑙のカメオを用いたブローチ。それを留める金の鎖。

 どれも一級の品物だが、不思議と派手な感じはしない。高価なアクセサリーも、品の良い老人の雰囲気によく似合っていた。


「む、式が始まるらしいな。新王のお目見えだ」


 ベルンは目を細めながら、興味深そうに呟いた。


 モグホースに次いで、玉座の間へと姿を現したのはかつての第一王子ドラク・マルゴンだ。

 その緋色に輝く髪から、【緋色の王子プリンス・オブ・カーマイン】の名で呼ばれていた男である。

 マルゴンは黄金の刺繍を施した絹の衣を身に付けていた。肩には綺羅星のように宝石を散りばめた金糸のマントを羽織り、頭には大粒のルビーをあしらった銀のサークレットを嵌めている。


 既に王者の装いとなったマルゴンだが、それでもどこか陰気な印象を受けるのは、本人の人相が悪いせいだろう。

 落ち窪んだ目。細く尖った顎。乾いてひび割れた肌と、はげかかった頭髪。

 齢三十三にして、既に老人のような雰囲気が漂っている。ただ、その赤黒い瞳だけは異様にぎらぎらした光を放っていた。


「よく集まってくれた、諸君」


 マルゴンは低く、だが、どこか不思議な響きを持つ声で一同に告げた。


「私は先王の、父の死という艱難辛苦を乗り越え、今日この日を迎えられたことを感慨深く思う。先王の崩御は全くの突然だった。あの方は自らの抱える重い病を、ずっとひた隠しにしていたのだ」


 まるで台本を前にしたかのような棒読みである。

 既にアウロを含め、ここにいる人間の大半は公王の死の真相について知っている。

 これはあくまで確認なのだ。表向き、公王は病によって命を喪ったということの。


「だが、いつまでも悲しみに暮れてはいられない。我々は先王の死を乗り越えなくてはならない。東の地では野蛮なサクス人どもが国境を侵犯する気配を見せている。今、我らは一致団結すべき時なのだ」

「その通りです」


 タイミング良く相槌を打ったのは、マルゴンの隣に控えたモグホースである。


「諸君、今日この日はログレス王国の歴史に新たな栄光の一ページを刻む日となるだろう。我らは王を喪った。しかし、今また新たな王を頂く時が来たのだ。新王、ドラク・マルゴン陛下をな」


 言って、モグホースは背後を振り返る。


 すると玉座の間の奥に続く通路から、大理石の台座を抱えた近衛兵たちが姿を現した。

 台座は一辺がおよそ人の背丈ほどもある巨大な代物だ。それを八人がかりで運んできた兵士たちは、冬にも関わらず全身汗だくになっている。

 ただ、アウロの目を引いたのは台座ではなく、その上に突き刺さった宝剣の方だった。


「ん? なんだ、あの剣は」


 元傭兵のベルンが怪訝そうに眉を寄せる。

 アウロは黄金色に輝く剣を、じっと見つめたまま言った。


「竜公剣〝カリバーン〟――この国の王権象徴具(レガリア)だ。王家の三宝の一つにも数えられている」

「へぇ。でも、なんで台座にぶっ刺さったまま出てくるのかね」

「新たな王が即位する場合、一つの儀式を行うんだ。竜王アルトリウスが残したとある逸話になぞらえてな」

「とある逸話?」


 尋ね返すベルンに、アウロは「見ていれば分かる」と答えた。


 兵士たちによって運び込まれた台座は、玉座の手前付近に安置された。

 マルゴンはちらりと隣に視線をやり、宰相モグホースはそれに深々と頷き返した。


「それでは選定の儀を始めましょう。さ、陛下」

「うむ」


 マルゴンはモグホースに促され、おもむろに台座の前へと歩み寄った。


 金の環をはめた腕が宝剣の柄を握る。

 一拍の間を置いた後で、マルゴンは台座から剣を抜き放ち、光を放つ刀身を自らの頭上へと掲げた。

 刹那、人々は新たな王の姿に息を呑む。その目に、かつてこの地に君臨したという赤き竜王の幻を描きながら。


「おお……」

「なんと美しい!」


 しばし、感嘆の声が広間を覆った。


 〝カリバーン〟の元となった剣には、『石より抜かれた剣』という二つ名がある。

 若き青年アルトリウスはこの剣を抜き、王位に就いた。そして、アルビオンの統一という覇業を成し遂げた。

 選定の儀はその逸話にあやかって行われているものだ。勿論、今となっては形だけの儀礼にすぎないのだが


「見よ、諸君! ここに新たな王が誕生した! アルトリウスの遺志と、カドルの血を引く赤き竜の王が! その名はドラク・マルゴン! さぁ、諸君! 新たな王の誕生を祝おうではないか!」


 モグホースは居並ぶ貴族たちを前に、高々と新王の即位を宣言した。

 一同はそれに拍手と歓声で答えた。アウロ自身も手の平を打ち鳴らし、祝福を贈る。

 隣に佇むベルンは調子に乗って指笛まで吹き鳴らしていた。うるさいことこの上ない。


「ありがとう、諸君」


 やがて宝剣を降ろしたマルゴンは、ようやく口元に薄い笑みを浮かべた。


「私は竜王アルトリウスと亡き父ウォルテリスの名に誓おう。この国を混迷から救い、栄光へと導くことを。だが、それには諸君らの協力が必要不可欠だ。どうか、先王と同じように私のことも支えて欲しい」


 決して大きくはないが、染み入るような音色を持った声である。

 広間に集った貴族たちは、しばし新王の言葉に聞き入った。


「しかし、諸君。覚えておいて欲しい。私は先王ほど優しくはない。王家に歯向かう者には断固たる対応を取るつもりだ。無論、良き臣下には礼を持って接しよう。だが、反逆者に情けはかけぬ」


 マルゴンは一転して低い声で告げた。

 豪奢な装束を身に付け、黄金の竜公剣を手にした男には、既に王者の風格が備わっているように思える。

 だが、アウロの目を引いたのはその隣に佇み、好々爺そのものの表情で新王を見守るモグホースだった。


 宰相モグホースはドラク・マルゴンの叔父に当たる。

 新王の即位を迎え、この男が今まで以上に政治に口を突っ込んでくるのは想像に難くない。

 マルゴンは結局のところお飾りだ。政治的実権を握っているのは、相変わらず宰相とその一派だった。


「さて、それでは陛下。そろそろ、王として最初の政務と参りましょうか」


 その後、場が落ち着いたところでモグホースは中空で両手を打ち鳴らした。


 すぐさまカリバーンの刺さっていた台座が、兵士たちの手で再び玉座の間の奥へと戻される。

 代わりに通路から運ばれてきたのは、棺を半分に縮めたくらいの大きさをした長方形の箱だ。

 それが合計で十六個。玉座とは距離を置いた位置にずらりと並べられた。

 モグホースが目で合図をすると、控えていた近衛兵たちが箱の鍵を開け、重そうな蓋を持ち上げる。


 途端、広間の中からどよめきが上がった。


 箱の中に入ってたのは、色とりどりの宝石。贅を凝らした金細工。貴金属によって作られた宝飾品。柄頭に大粒のルビーを嵌め込んだ剣。そして、箱から溢れ出るほどに山と積まれた銀貨の袋だ。

 思わず息を呑むアウロの隣で、ベルンが小さく口笛を吹いた。


「ほほお、あの金銀財宝。王城の宝物庫から出したものではないな。モグホースの旦那も奮発したもんだ」

「まさか、宰相の私物か? これほどの財を溜め込んでいたとは――」

「いやいや、まだほんの一部だろうよ。それに見た目ほど金はかかっていない。金貨の代わりに銀貨を使っているあたり、完全に水増しだね」

「銀貨で水増しをするなど初めて聞いたぞ」


 少なくとも、あの箱一つに50000サート近い銀貨が入っているのは間違いない。

 もはや最新型の機甲竜アームドドラゴンが一機買えてしまう。それが十六個。中隊一つ分である。


 ――カムリも言っていたはずだ。

 モグホースの権勢は、その財力に根差すところが大きいと。

 アウロはその意味を肌身で感じていた。


「宰相、始めてくれ」


 新王が玉座に腰を降ろすと、モグホースは一同を見渡して言った。


「それではこれより論功行賞を開始する。此度の戦では諸君らの働きによって、ブレア・アクスフォードら逆賊の軍を打ち破ることができた。その中でも特に戦功の厚かった者たちの栄誉を讃え、ここで表彰する」


 モグホースの告げた台詞に、居並ぶ人々はしんと押し黙った。


 みな、最初に名を呼ばれる者が誰なのかと注目しているのだ。

 この国の論功行賞においてはまず第一の功を上げた者が表彰され、最も厚い恩賞を受け取ることができる。

 しかもすぐ近くに宝箱が並んでいるのだから、貴族たちがそわそわし始めるのも無理はない。目の前に人参をぶら下げられた馬の如しだ。


「とはいえ、ここで名を呼ばれなかった者たちも気を悪くしないで欲しい。なにしろ、全員の名前を読み上げていては日が暮れてしまう。表彰されなかった者にも、追って正式に沙汰が――」

「【白老侯(ヘンウィン)】、前置きが長いぞ。皆の者も、自身の名が呼ばれるのを待ちわびているではないか」


 半笑いで諌めたのは、貴族たちの最前列に立った赤髪の大男である。


 【モンマスの獅子】ことガルバリオン。

 こちらも立場的には王の叔父御だ。


 軍司令官であるガルバリオンは前線から帰還した後、配下の兵と共にこの式典に参加していた。

 政治的な実権はモグホースに握られているものの、王国内での勢力は決して引けを取らない。宰相の演説に横槍を入れたのは、軽い牽制といったところだろう。


「そうですな。では、早速本題に移ると致しましょう」


 モグホースは一度だけ咳払いし、懐から取り出した羊皮紙を広げる。

 明るいブルーの瞳が、そこに書かれた名前を確認した。


(……さて)


 アウロは沈黙の中、読み上げられるであろう名を予測する。


 普通、戦の第一功として名を呼ばれるのは軍の最高司令官だ。

 今回の場合、モンマス公ガルバリオンがそれに当たる。

 とはいえ、前線での戦いは小競り合いに終始し、結局はアクスフォード側の降伏で決着してしまった。ガルバリオン自身も、特別目立った功績を上げている訳ではない。


 となると、次に候補となるのは王都で敵の迎撃に当たった機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の団長、ドラク・ナーシアだ。

 こちらは自ら戦闘に立って、敵将カラム・ブラッドレイを撃破し、王都にまで迫った侵攻部隊を退けている。

 ただ、その後の夜襲でダグラスに《ラムレイ》ごと撃墜されてしまった。王が死亡していることを鑑みると、これは手酷い失態である。


 他に候補として上がるのはナーシアと共に戦ったルシウス。

 部隊を連れて王城になだれ込み、敵兵を駆逐したベルン辺りだろうか。


 少なくとも、アウロの名が呼ばれることはない。

 確かにダグラスを討った功績は大きいが、なにしろ彼自身が王家の嫌われ者だ。

 その上、第一功には格というものがある。アウロの位はあくまで男爵。最下級の貴族が、第一功として表彰された例は皆無だった。


「この者は――」


 モグホースは諸侯を見渡し、


「今回の戦において素晴らしい功績を上げている。まず、卑しき敵の部隊が王都に奇襲をかけてきた際、先頭に立ってこれを迎え撃ち、あの《エクリプス》をも含む八騎の機甲竜騎士(ドラグーン)を撃墜した」


 一拍の間を置いて、【白老侯】は再び口を開く。


「次いで、夜間起きた戦闘では、いち早く城内に駆けつけて賊の侵攻を押しとどめ、空に上がっては、戦乱の首謀者の一人である【モーンの怪猫】をも撃ち落とした。更に遡って見ると、賊が養成所に襲撃をかけた際も、単独で十五機の騎士甲冑(ナイトアーマー)に立ち向かい、この内三機を撃破している」


 アウロは、滔々と垂れ流される台詞にしばし呆然とした。


 アウロ・ギネヴィウスという男は、如何なる局面でも冷静さを保つだけの精神力を持っている。

 ただ、それが発揮されるのは自身に災厄が振りかかる場合のみだ。突発的な幸運に対しては、頭の中が真っ白になってしまう。

 今のアウロは正にその状態だった。思考が途切れ、ただ、「何故」という言葉だけが頭の中をループしている。


 そんなアウロを前に、モグホースは紙面から顔を上げ、告げた。


「――以上の戦功を持って、これより名を読み上げる者を此度の戦乱の第一功とする」


 一息置き、


「ステラの息子アウロ・ギネヴィウス、王の御前へ」

「……はっ」


 辛うじて返答しただけでも上出来である。


 アウロは全身を硬直させたまま、玉座の前へと移動した。

 周囲の反応を見ている余裕などない。ざわつく室内の中、ふわふわと浮き上がりそうになる足を前に出すだけで精一杯だ。

 やがて、アウロは新王マルゴンから5フィートほどの距離を置いて、タイルの上へと膝をついた。


「アウロ・ギネヴィウスよ」


 マルゴンの低い声が頭上から降り注ぐ。


「そなたは此度の戦乱において、王国の敵を数多く討ち果たした。その栄誉と功績を讃え、私から幾つかの贈り物を授ける。受け取ってくれるな?」

「……はっ、ありがたく」


 ガチガチに凝り固まった声である。とても自分のものとは思えない。

 だが、思考の方はようやく冷静さを取り戻してきた。

 これは夢ではない。現実だ。アウロ・ギネヴィウスはなんらかの要因で、戦の第一功に選ばれたのだ。


 顔を上げると、マルゴンの紅色に沈んだ瞳と目が合った。そこからはなんの感情も読み取れない。

 ただ、モグホースのよく通る声だけが広間に淡々と響いた。


「ステラの息子アウロには新たに30000エーカーの領地と、銀150000サート。宝飾品四点、魔具二点を与え、ケルノウン伯爵に封ずる」


 その言葉にアウロは再び耳を疑った。


 どれも破格の恩賞だが、特に大きいのが土地と爵位だ。

 30000エーカーと言えば、今までのアウロが保有していた領土の三十倍である。しかも、それが新たに加増されるという。

 爵位にいたっては二階級特進だ。周囲の貴族たちが一斉にどよめくのを、アウロは他人ごとのように感じていた。


「また、王国及び各貴族から、ダグラス・キャスパリーグの首にかけられていた賞金300000サート。――そして、特別勲章としてオリハルコンのトルクを授ける」


 そこで白い絹の衣を身に付けた少女が、両手に銀の台座を抱えたまま広間へとやってきた。

 台座の上には、美しい装飾の施された首輪が乗せられていた。素材は金属だが、宝石のように赤く透き通っている。

 オリハルコン。ミスリルやアダマント鋼を上回る、この世で最も硬く、高価な金属だ。


「ああ、待て」


 と、ふいにマルゴンは神官らしき少女を呼び止める。


「折角だ。アウロ・ギネヴィウスよ、この勲章は私の手で直々にそなたの首にかけてやろう」


 言って、新王は玉座から立ち上がった。


 マルゴンは人形のように固まる少女の元へ歩み寄ると、銀の台座から無造作にトルクを取り上げた。

 次いでアウロの眼前に立ち、両手で首輪の留め具を外す。

 前側の開かれた環は、どこか奴隷を縛る枷に似ていた。


「……あのいけ好かない餓鬼が、よくぞここまで這い上がってきたものだ。だが、今回の件については素直に褒めてやるぞ。お前が賊と相討ちになっていれば、それが最高の結末だったのだがな」


 マルゴンは他の誰にも聞こえない位置で、嫌味ったらしい台詞を囁いた。

 が、アウロはその罵倒にむしろ安堵してしまった。こういうのが自分の予想していた役回りなのだ。


 黙り込む私生児を見てどう思ったか。マルゴンは軽く腰を屈めると、アウロの首へとトルクを回した。

 頭の後ろでカチリと音が鳴り、金属の留め具が留められる。

 マルゴンは嘲るような笑みを浮かべて言った。


「よく似合っているぞ、ギネヴィウス」

「はっ。ありがとうございます、陛下」


 冷静さを取り戻したアウロにとって、マルゴンの嘲笑などそよ風程度にしか感じない。

 おおかた、こちらの首に首輪をかけてご主人様気分に浸っているのだろう。子供の嫌がらせと同じである。


 アウロは床から立ち上がると、胸を張ったまま諸侯の列へと戻った。

 ただし、今度は最後列ではない。伯爵級の貴族たちが並ぶ前列に近い場所だ。

 すぐ傍には、にやにやと笑みを浮かべているジェラードの姿があった。


「やったな、アウロ」

「ああ」


 声をかけてくるジェラードに、アウロは小さく頷き返した。


 不思議な気分だった。

 アウロは今まで誰にも認められず、日陰者としての人生を歩んできた。

 それがこの場では、戦の第一功を上げた英雄として人々の注目を浴びている。ひどく慣れない感覚だ。


 だが、アウロの心は落ち着いていた。


 最初からアウロは地位や功績にこだわっていなかった。

 領地も、金銭も、あるに越したことはない。

 しかし、自分の目的は他にあるのだ。


(ようやく、一歩前へ進んだ)


 アウロは人知れず、ぐっと拳を握り締める。


 自分が掲げるアルビオン統一という夢。

 そこまでの道のりはまだ遠く、険しく、果てしない。

 それでも今日この日、アウロははっきりと一歩前に進んだ。


 例えどれだけ理想が遠くとも、その事実だけは決して揺るぐことはなかった。

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