2-24
『アウロさん! アウロさん! 大丈夫ですか!?』
ヘルム内に響く少女の声で、アウロは軽い脳震盪から目を覚ました。
すぐに左右を見渡して、自らの置かれた状況を確認する。
どうやらここはカムロートを囲う街壁の外らしい。
ダグラスの機竜とやり合っている内に、こんなところまで飛び出てしまったのだろう。街の中に墜落しなかったのは不幸中の幸いだ。
機体を見れば、胴体着陸を敢行した《ホーネット》はフレームがねじ曲がっていた。
が、泥がクッションになったおかげでアーマーは無傷だ。ガンランスとシールドも手放していない。
勿論、アウロ自身にも怪我はなかった。ただ激しい揺れのせいで、船酔いの十倍ひどい不快感が襲ってきているだけだ。
「ソフィアか。こちらに怪我はない。気分は吐きそうなほど悪いが」
『良かった……。あ、それと一つご報告が!』
「なんだ?」
『カムリちゃんがいなくなっちゃったんです! アウロさんが出撃してすぐ、なにか用事があるって言って!』
「ああ、あいつのことは気にしなくていい。それより、ナーシアは?」
『先ほど御本人に連絡を取りました。命に別状はありません。ただ、かなりの重傷を負っているようで……』
「無理もない」とアウロは呟いた。
なにしろ、ナーシアの乗っていた《ラムレイ》は右翼を根本から吹っ飛ばされたのだ。
あれではもう、真っ逆さまになって落ちるしかない。命を失わずに済んだのならむしろ僥倖である。
「へい、お兄さん! どこまで乗ってきます?」
と、そこで唐突に《ホーネット》の機首に一人の少女が降り立った。
言うまでもなくカムリだ。アウロは一旦、アーマーの通信装置を切った。
「早かったな」
「大急ぎで駆けつけて来たからね! あんまりグズグズしてたら、あの黒い機竜を見失っちゃうし」
「その通りだ。カムリ、行けるな?」
「もっちろん!」
カムリは《ホーネット》から飛び降りると、黒く濁った空めがけて片手を広げた。
直後、その体が黒いローブを残し、赤く輝く粒子となって拡散する。
やがてそれは《ホーネット》の左隣で、巨大なシルエットを形作った。
蜥蜴の頭部にしなやかな尾。ルビー色の翼を広げるその姿は、間違いなくドラゴンと呼ばれるものだ。
ただ今回はカムリも最初から甲冑を身に纏っていた。
翼は揚力を得るのに適した紡錘形となり、体の各所が真紅の装甲に覆われている。
機竜を模したその姿だが、本物と並べてみるとやはり違和感が拭えない。シドカムが骸装機と判断したのも当然だろう。
「んー、この感覚久しぶりだ。最近、ずっと人間の姿だったからなぁ」
「飛び方は忘れていないだろうな。今回は少しタフな戦いになるぞ。ダグラス・キャスパリーグはルシウスより遥かに強敵だ」
「そうなの? 機竜の強さって訳じゃなくて?」
「確かに、あのステルス機の性能もある。それでも、奴は単独で十機近い機竜を撃墜したんだ。――ダグラス・キャスパリーグは『エース』だ。恐らく、機竜乗りとしての腕前は俺より高い」
アウロは淡々とそんな台詞を口にしながら、《ホーネット》の上から飛び降りた。
次いでカムリの元に移動すると、胴体の側面からつき出たペダルを足がかりにして、形成されたばかりのシートに腰を下ろす。
途端、「うぐ」とカムリは小さくうめき声を上げた。やはりアーマーの重量は応えるらしい。
「主殿、なんか重くなってない……?」
「前回の《センチュリオン》は訓練仕様だったからな。今はブレードとマントが追加されている分、機体重量が増えている」
ちなみにアーマー用のマントは見た目こそただの布だが、実際は加工されたミスリルの繊維が縫い込まれているためかなり重い。
アウロはアーマーを鞍上に固定すると、赤いハーネスを両手で握りしめた。
既に《ホーネット》が墜落してから数分が経過している。相手はもう、遥か彼方に飛び去ってしまったことだろう。
「カムリ、奴を追うぞ。ダグラスは西へ消えた。昼に敵が来たのも西の方角からだ。恐らく、ラグネルの森に連中の拠点があるのだろう」
「らじゃ! でも、今から追いつけるかな?」
「分からん。ただ奴の機竜は運動性こそ高かったが、スピード自体は《ラムレイ》より下だ。お前の方が速い」
「勝算アリってことだね。それじゃあ、全力で行くよ!」
カムリは地面から胴体を浮かせると、そのまま泥道を加速していった。
やがて速度が一定値を越えたところで、機体が離陸を開始する。
既に一度経験済みであるためか、その動きはスムーズだ。
途中、横合いから突風が襲ってきたが、カムリの体はびくともしなかった。
その後、ゆるやかに上昇した機体は一分ほどの時間をかけて水平飛行に移った。
計器は高度5000フィート、速度110ノットを示している。
先ほどから氷の粒と化した雨が激しく装甲を打っているが、機動に問題はない。
後は敵機に追いつくまでの間、ひたすら空戦エネルギーを稼ぐだけだ。
【ねぇ、主殿。西ってこっちで合ってる?】
「ああ。といっても、ダグラスが正確に西の方角へ飛んで行ったかどうかは分からない。本部のレーダーが健在ならアーマーの計器と同期して……いや、それでもあのジャミング能力に遮断されてしまうか」
【レーダーに映らないってのは面倒だね。光学迷彩って言ったっけ?】
流石に飛行中は口を開く余裕がないのか、尋ねてくる声は念話によるものだ。
アウロは「そうだ」と答えたところで、ふと思い出した。
(……そういえば、ソフィアがあの機体について心当たりがあると言っていたな)
先程ハンガーで会った時は、急いでいて聞き損ねてしまったのだ。
だが今は余裕がある。ダグラスに追いつくまで、まだ数分は時間がかかるだろう。
アウロはしばし迷った後で言った。
「カムリ、悪いが少し機体のコントロールを任せた」
【ん、どうかしたの?】
「ソフィアに聞きたいことがあるんだ。積乱雲に突っ込むと危険だから、あまり高度を上げ過ぎるなよ」
【らじゃー!】
小気味良い返事だ。
アウロはハーネスから手を離すと、ヘルムの側面にあるスイッチを押した。
「ソフィア、聞こえるか?」
『あっ……アウロさん!? もう驚きましたよ! いきなり通信が切れちゃうんですから!』
「すまない。どうやら機材のトラブルが起きたらしい」
『うーん、墜落の衝撃でどこか壊れちゃったんでしょうか。ともかく、すぐに回収班を出します。アウロさん、今どこにいるんですか?』
「空だ」
アウロは目を細めた。
周囲は暗闇に包まれているものの、ここは間違いなく高度5000フィートの上空だ。
一方のソフィアは、『えっと……』と笑えないジョークを聞かされたかのような反応を示した。
『その、アウロさん墜落したんじゃ――』
「ああ。その後、再出撃した」
『じょっ、冗談ですよね!? 一度落ちた機竜で離陸するなんてそんな』
「ちなみに今、高度6000フィートを突破したところだ」
『な、なに考えてるんですか!? 頭おかしいんですか!?』
「落ち着け」とアウロは興奮するソフィアに言った。
「俺も無謀なことをしているという自覚はある。だが、あのステルス機を放ってはおけないだろう」
『それはそうですが……ああ、もう。どうしてアウロさんといい、ナーシア様といい、機竜乗りってのはキチ◯イが多いんでしょう……』
「ナーシアがどうかしたのか?」
『さっき私の工房に来て、また空に出るから新しい機竜を寄越せって言ってきたんですよ。しかも右腕が折れてる状態で!』
「なに? まさか、ナーシアも出撃を?」
『いえ、腹パン入れて物理的にドクターストップをかけました』
【うへぇ、ソフィったら案外武闘派だね】
カムリののんきな感想が脳内に響く。
アウロは苦笑一つこぼした後で尋ねた。
「ひとまずナーシアのことは置いておこう。それより、聞きたいことがあるんだが」
『なんです? 壊れかけの機竜で速く飛ぶ方法なんてありませんよ?』
「いや、敵機についての情報だ。なにか知っているようだったが、調べはついたか?」
『えっ……? あっ、そうだ! あのステルス機について、幾つか分かったことがあるんです!』
ソフィアはふと思い出したかのように言った。
『さっき、私の工房に残されてた資料を当たってみたんですよ。あの黒い機竜――【メナイの死神】は五年以上前に、ここ王立航空兵器工廠で製造されたもので間違いありません』
「工廠で? しかし、何故それをダグラス・キャスパリーグが手に入れたんだ?」
『詳細は不明です。ただ、この骸装機は途中で製造中止になり、廃棄処分されています。多分それをこっそり入手したんじゃないでしょうか』
「……なるほど。だが廃棄処分ということは、あの機竜にはなんらかの欠陥があったわけだな?」
『そうとも言えるし、違うとも言えます』
ソフィアの返事はどこか煮え切らない。
『そもそも、闇竜の骸というのは使いにくい素材なんですよ。工廠の技術者たちはこれをどうにか機竜に仕立て上げようとしました。その結果が闇を用いた視覚妨害、及びレーダー遮断能力です』
『でも』と少女は言葉を続け、
『この兵装は機竜の製造を依頼した方にとって、非常に不満の残るものだったらしいんです』
「不満? あれだけ強力な能力がか?」
『確かに、王家に反抗する賊が用いるならステルスというのは強力な機能かもしれません。でも、機竜乗りの大半は貴族です。闇に紛れて敵を討つなんて、卑怯なやり方は嫌います』
「まぁ……言われてみればそうかもしれないな。だが、そんな理由で機体が廃棄されてしまったのか?」
『一応、手元の資料には機体のスペックが低かった――なんて理由が書かれてるんですが、間違いなく後付けです。多分、開発者の方がお貴族様の注文に嫌気が差して、製造を投げ出しちゃったんじゃないでしょうか。当時の開発主任はゴゲリフ・ゴゴゴホっていう、ドワーフ族の工匠だったらしいんですが』
「ドワーフ族……か。どちらにしろ、機体を有効的に使えるダグラスがそれを秘密裏に手に入れたのは間違いない訳だ」
アウロはため息をこぼした。
「全く、とんだ馬鹿貴族だな。そいつが大人しくステルス機を引き取っていれば、こんな事態にはならなかっただろうに」
『ちなみに、この機竜を作成するよう依頼したのはナーシア様です』
「……それはまた皮肉な話だ。一度は奴に見限られた機体が、王族専用機である《ラムレイ》を叩き落とすとは」
【じごーじとくってやつだね】
カムリの台詞に、アウロも内心で【全くだ】と同意する。
丁度、そこで雲に覆われていた視界が徐々に晴れ始めた。
どうやら、カムロート上空に鎮座していた積乱雲の範囲から抜け出たらしい。
同時に、先ほどから機体を打っていた雹雨が消える。吹きつける風も心なしか弱まっているように思えた。
計器を見れば高度は7000フィート、速度は300ノットを突破している。
アウロはわずかに緊張を緩めながら、カムリへと呼びかけた。
【よし、もう高度を上げても大丈夫そうだ。だが、速度は今の状態を維持してくれ】
【分かった。けど、その前に一つだけいい?】
【なんだ?】
【十時の方角になんか黒いのが飛んでる。あれって……鳥じゃないよね?】
カムリの報告を受け、アウロは目をすがめた。
こちらから見て左前方に、二本の尾をたなびかせた鳥のような物体が飛翔している。
だが、ここは高度10000フィート近い上空だ。鳥が飛んでいるはずもない。
となると、あれは間違いなく……
「――追いついたぞ、ダグラス・キャスパリーグ!」
アウロは叫び声と共に両手でハーネスを握り直した。
「ソフィア、敵機を肉眼で確認した。本機はこれより空戦に突入する!」
『う、嘘! 本当に追いついちゃったんですか!?』
ソフィアが驚くのも無理はない。
本来、《ホーネット》のマシンスペックではあの機竜に追いつくことはできなかったはずだ。
しかし、カムリのスピードは《ホーネット》の倍近くに及ぶ。
だから、アウロは賭けに出た。そして、勝利を収めた。それだけの話だ。
(だが、本当の戦いはこれからだ……)
敵機は早くも追撃者の存在に気付いたらしい。
しかし逃げることなく、反転してこちらに向かってくる。
アウロは一度、深呼吸をした後で言った。
「ソフィア、最後に一つだけ聞かせてくれ。あの機体の正式名称はなんだ?」
『わ、分かりません。ただ、書類上に残された仮の名前だけが判明してます!」
「それは?」
『漆黒の魔女――夜間戦闘攻撃機《ブラックアニス》です!』
「ブラックアニス」と、アウロはその名を噛みしめる。
ダグラスの乗機。自らの討つべき敵の名を。
『健闘を祈ります、アウロさん! どうか、死なないで!』
「ああ。必ず生きて帰る」
その言葉を最後に、アウロはソフィアとの通信を切った。
そして、すぐさま正面へと視線を向ける。
現状、敵機は全身を覆っていた闇のコートを展開していない。
おかげで、アウロはダグラスの駆る機竜をつぶさに観察することができた。
こうして見ると、《ブラックアニス》は一般的なアームドドラゴンと比べてかなり巨大だった。
その中でも特に目を引くのは、複数の金属板を左右に繋げたような形状のウィングだ。
あれでは空気抵抗のせいでろくにスピードも出ないだろう。完全に航空力学を無視した翼型である。
(……だが、あの機竜にとっては些細な問題だ)
《ブラックアニス》は速度ではなく、運動性を重視している。
その戦法は卓越した機動力で敵機との間合いを詰め、戦斧によって翼を叩き折ること。
故に武器は右腕甲のバトルアックスのみ。シールドすら重量物と断じ、兵装から排除している。
アウロは既に理解していた。
外見こそ既存の機甲竜からかけ離れているものの、あれは欠陥機などではない。
高速戦闘を得意とする《エクリプス》とは、全く別方向の進化を遂げた格闘特化型機竜だ。
【あいつ、なんかヘンだよ。わらわが今まで見てきた機竜とは全然形が違う】
不安そうな声を漏らすカムリに、アウロは「設計者の思想が違うんだ」と言った。
「今まで王国内で開発された機竜の多くは、ガンランスで敵を撃ち落とすことを前提として作られている。だからスピードが得やすく、空気抵抗の少ない直線的なフォルムが多い」
【だよね。でも、あの機竜は……】
「鳥だ。翼で気流を掴み、高空から獲物を仕留める猛禽だ。あの翼自体も可変翼と呼ばれる代物だろう。集団での戦いなど想定していない、ただ一人のエースのために作られた機体だ。――手強いぞ」
カムリは【うん】と答えた。
直後、通信機がザーッと耳障りなノイズを発する。
次いで、先ほど耳にしたばかりの声がヘルム内に響いた。
『赤い機竜だと? 貴様、一体何者だ? まさか――』
「逃げるのはもう終わりか? ダグラス・キャスパリーグ」
『……アウロ・ギネヴィウス? 馬鹿な。何故、お前がここにいる。貴様はついさっき叩き落としたはずだ!』
「出直してこいと言ったのはそちらだろう。今度こそ決着をつけさせてもらう!」
『ちっ! わざわざ、骸装機を用意していたのか! 小癪な餓鬼め!』
ダグラスは舌打ち一つこぼして、機体を左方向へと旋回させた。
『陸で一回! 空で一回! 合計二回もこの俺に負けていながら、まだ挑みかかってくるとは! よほど死にたいな、小僧!』
「あいにくとやられっぱなしは趣味じゃないんだ。なにより、お前のような凶賊を野放しにはしておけない!」
『凶賊だと? ……フン、分かったような口を聞く! 我らの痛みと苦しみを知らぬ貴様が!』
「ほざけ! ダグラス、お前は一体なにがしたい! こんなやり方でなにを変えようと言うんだ!」
『無論、我らを虐げるこの世界そのものをだ!』
瞬間、ダグラスは咆哮と共にアフターバーナーを噴かせた。
早くも真正面からこちらを切り伏せようという狙いだ。
アウロはその動きに応えるべく、両足でペダルを踏み込んだ。
みるみる内にお互いの距離が詰まる。アウロは右腕甲のガンランスを構え、対するダグラスは長刃の斧を振り被った。
『潰れろ……雑魚が!』
間髪入れずに振り下ろされる刃。
バトルアックス自体が巨大なためか、その攻撃範囲は驚くほど広い。
同時に、アウロは気付いた。このままではランスの先端が相手に届くより先に、向こうの戦斧がカムリの翼をへし折ってしまう。
(……くっ!)
アウロは咄嗟に右腕でハーネスを引いて、相手の左側面へと回り込んだ。
――メギィッ!
直後、叩きつけられた刃をシールドが受け止める。
が、ダグラスはお構いなしにバトルアックスを振り抜いた。
アダマント製の盾が不気味な軋みを上げ、肩まで響く衝撃と共に、アウロの体はカムリごと真横へと吹き飛ばされた。
「がっ……」
【わわわっ!?】
反動で視界が目まぐるしく回転する。
アウロは幾度か横方向にスピンしながらも、素早く機体を立て直した。
気付けば、どっと背中に汗をかいている。アウロは早鐘を打つ心臓を抑えようと、大きく深呼吸をした。
【あ、主殿、大丈夫?】
【ああ……それにしても、なんだあのアーマーは。《センチュリオン》とは出力が桁違いだ】
【そもそも大きさが違うんだよ。あの鎧、普通のやつより二回りくらい大きい】
【なるほど。ダグラス専用に作られた騎士甲冑という訳か。まともにぶつかるのは危険だな】
元々、《ブラックアニス》自体が近接戦闘に特化した騎竜だ。
自分から相手に有利なフィールドで戦う必要はない。こちらはアウトレンジでの戦いに徹するべきだろう。
しかし、そんなことを考えている内にダグラスは再度の突撃をかけてくる。
アウロは舌打ち一つこぼすと、機体を急旋回させて敵機から逃れようとした。
ダグラスもそれを無理に追いかけようとはしない。代わりに、通信機越しの罵声がアウロの元に届いた。
『どうした、この腑抜けめ! 尻尾を巻いて逃げる気か!?』
「いいや、逃げる訳がないだろう。俺は貴様を撃ち落とすためにここまで来たんだ!」
アウロはすぐさまハーネスを手繰ると、《ブラックアニス》の背後を取ろうとした。
あの長大なバトルアックスから逃れつつ、ガンランスの一撃を叩き込むには相手の後ろに回り込むしかない。
ここに来て、両機はお互いの背を奪い合う格闘戦へと突入した。
『ほう? この俺に格闘戦を挑むとはいい度胸だ!』
すかさずダグラスはペダルを踏み込み、機体高度を上昇させた。
同時に、三時の方角へ逃げたアウロたちを追うべく横方向へのローリングを行う。
空中で縦向きになった機体は、自然と旋回を開始した。しかし、ダグラスはそこで回転を止めず、そのまま背面飛行へと移る。
『だが――百年速いぞ、小僧!』
直後、《ブラックアニス》はエンジンから闇色の光を噴出した。
アフターバーナーによって急加速を得た機体は、螺旋状の軌道を描きながら猛烈な勢いでこちらとの間合いを詰めてくる。
アウロはその機動に見覚えがあった。やり方は強引だが、これはれっきとした空戦機動だ。
(バレルロール・アタック……!)
機体をローリングさせながら、一気に相手との距離を詰める攻撃機動法である。
更に《ブラックアニス》は板状の翼を折り畳むと、もう一段階加速をする。
その姿は正しく獲物を狙う猛禽だ。アウロは背後から迫るプレッシャーに、臓腑が冷たくなるのを感じた。
【いけない! このままじゃ追い付かれちゃう!】
【分かっている!】
アウロはハーネスを左手で引くと、すぐさま逆方向に旋回した。
当然、ダグラスの側も機首を左に向けるが、今度はそのタイミングで右に旋回方向を切り替える。
続けて、アウロは左、右、左、と蛇行を繰り返した。立て続けの急旋回によって、敵機を自機の前に押し出す狙いだ。
『ふん……俺を振り切るつもりか。だが、その貧弱な体でどこまで持つかな!?』
追いかけるダグラスは愉快そうに叫んだ。
一方、アウロは襲い掛かってくるGに口を開くことさえできなかった。
ジグザグを描きながら急旋回を繰り返すこの防御機動は、パイロットの肉体に凄まじい負担がかかる。
感覚としては丁度、密閉された箱の中で内臓を振り回されているようなものだ。普通の人間なら、一瞬で意識を失ってしまうだろう。
【あ、主殿、大丈夫!?】
不安そうな声を漏らすカムリに、アウロは頭の中で【問題ない!】と答えた。
【だが、カムリ。もし俺が気絶しても絶対に今の機動を変えるな!】
【でっ、でも!】
【少なくとも死にはしない。奴に追いつかれん限りは!】
アウロは歯を食いしばり、もう何度目になるかも分からない急旋回を行った。
と、そこでようやくダグラスは逆方向に機首を向け、こちらから距離を取った。
このまま追いかけっこを続けた場合、自機がエネルギー効率で不利なると踏んだのだろう。
アウロは思わず、ほっと息をついてしまった。その音が聞こえたのか、ダグラスはせせら笑うような声をこぼす。
『おいおい、小僧。もうグロッキーになったのではなかろうな?』
「……黙れ。貴様こそどうした? 途中で力尽きたのか?」
『ふふん、威勢だけは一人前か。だがあいにく、俺の体は常人とは作りが違う。あの程度の空戦機動では息一つ乱れんさ』
その言葉通り、ダグラスの口調には余裕がある。
空戦において、パイロット自身の肉体強度というのは重要なファクターの一つだ。
機竜乗りに女性や子供が少ないのも、全身を押し潰すGに耐えられないからという理由が大きい。
もっとも、アウロの耐G能力は養成所内でトップ。機甲竜騎士団の中でも上位に位置する。
異常なのはダグラスの方だった。
(……ガルバリオンも言っていたはず。ダグラス・キャスパリーグは普通の人間ではないと)
その意味をアウロはようやく身を持って理解した。
ダグラス・キャスパリーグは複数の武器を持っている。
闇竜の骸装機《ブラックアニス》。大出力のアーマー。卓越した空戦技術と戦闘勘。
そして、自らの体重の数倍近いGに耐えるだけの肉体強度――
強敵だ。少なくとも、新兵に毛が生えた程度のルシウスや、機体性能に頼っていたカラム・ブラッドレイとは比べものにならない。
「くそ……何故、お前ほどの戦士が王国に弓を……」
思わず漏れた呟きだったが、ダグラスはそれを聞き逃さなかった。
『知らぬのか、小僧。俺はモーンで育った人間だ。この国に対する愛国心など欠片もない』
「しかし……貴様とて、一度は王国の枠組みに加わったはずだ」
『その通り。俺もかつては夢見ていたのだ。我ら亜人とお前たちブルト人が、平和裏に手を取り合うことができるのではないかとな』
『だが』とダグラスは声に怒りを滲ませ、
『貴様らはそれを裏切った。我らの同胞を焼き殺し、あまつさえその事実を隠蔽したのだ!』
「五年前、ガーグラーが起こした事件のことだな? ダグラス、お前はその恨みをずっと抱き続けていたのか?」
『無論だとも! しかし、今はこの恨みを晴らそうとは思わん! まずはこの腐り切った王国を変える。それが今の俺にとってただ一つの、唯一無二の望み!』
ダグラスは雄叫びと共に、《ブラックアニス》の両翼を左右に広げた。
同時に、急旋回をした漆翼の機竜がこちらに迫ってくる。
ただ、そのスピードは先ほどより落ちていた。アウロと激しい格闘戦を繰り広げた影響が現れているのだ。
「王国を変えるだと? こんなやり方で亜人たちへの迫害が消えると、お前は本気で思っているのか!?」
『思っているさ! 今の我らは畜生同然に扱われている! だが、モグホースが死ねば迫害を煽動する者がいなくなるからな!』
「それは単なる楽観だろう! 人々の心がそう簡単に変わるものか! 俺には、お前が亜人たちに対する憎しみを加速させているとしか思えん!」
『なんだと!? 我らの行いを否定する気か!』
「そうとも! 理解できないのなら言ってやろう。――貴様らは間違っている!」
アウロはダグラスめがけて、ガンランスのトリガーを引いた。
発射された砲弾は当たり前のように回避されてしまうものの、《ブラックアニス》の軌道を逸らすことには成功する。
その隙に、アウロは敵機と並走する位置に回り込んだ。そうして付かず離れずの距離を保ちながら、立て続けに魔導弾をお見舞いする。
「そもそも、モグホースは亜人迫害の火種を作っただけに過ぎん! それを燃え上がらせたのはお前たちキャスパリーグ隊と、天聖教の連中だ! 【白老侯】一人を殺したところで、この流れは変わらない! 貴様は自分たちに都合のいい未来を見ているだけだろう!」
『黙れ! 貴様こそ、自分の推論を並べ立てているだけではないか!』
「そう思うなら、俺の考えを否定してみろ!」
『否定してやるさ! その騒がしい口ごと、貴様の脳天を叩き潰すことでな!』
ダグラスは怒号と共に、右拳をハーネスの間へと叩きつける。
その直後、敵機の胴部側面から濃密な闇が溢れ出した。
先ほどまで使っていなかった、闇竜の骸装機としての能力を開放したのだ。
みるみる内に、《ブラックアニス》の全身が夜の闇へと溶けこんでいく。
漆黒の帳は搭乗者であるダグラスの姿まで覆い隠してしまった。
【主殿、あれって……】
【単なる迷彩だ。注意していれば問題ない】
と答えたアウロだが、やはりあの能力は厄介だ。
この暗闇の中。一度でも敵機を見失えば、発見するまでに時間がかかってしまう。
そして、その時間は空戦において致命的な隙になる。意識の外から突然現れた敵に、不意討ちを受ける可能性が高いのだ。
「ダグラス……やはり、お前は力でしか物事を解決できない男だな」
ぽつりと漏れたアウロの呟きに、ダグラスは機体を急上昇させることで答えた。
次いで、敵機は高度をスピードに変換しながらこちらに突撃を仕掛けてくる。
アウロはすぐさま旋回し、この一撃をかわした。更に相手の背中めがけて魔導弾を叩き込む。
が、その時には既に《ブラックアニス》の姿は消えていた。交錯した隙にこちらの死角へ回り込んだのだ。
【ち……奴め、どこへ行った?】
【上だよ! こっちを攻撃した後、一度下に回ってまた急上昇したんだ! いや、今も上昇し続けて――】
【なんだと?】
カムリの言葉に、アウロははっと頭上を仰ぎ見た。
敵機の姿はすぐに見つかった。視界の中で、漆黒の闇を纏った機竜が一直線に天頂へと駆け上がっている。
途端、アウロの背筋に冷たいものが走った。あの機動はナーシアを撃墜した時のものと全く同じだ。
限界まで稼いだ高度を、一気に運動エネルギーへと変換する、超音速の空戦機動――。
『行くぞ、ギネヴィウス! 高度25000フィートから振り下ろされる鋼鉄の刃! その身で味わうがいい!』
瞬間、空中で静止した敵機は上下反転すると、雷霆の如く急降下を開始した。




