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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
二章:斧の反乱
41/107

2-23

 アウロは目を覚ましてすぐ、自分が石畳の上に横たわっていることに気付いた。

 ただ、後頭部の下にはなにか柔らかいものが敷かれている。

 それが少女の膝だと分かったのは、直後のことだ。


「……カムリか」

「あ、主殿。もう起きて大丈夫なの?」

「問題ない」


 顔を覗きこんでくるカムリの前で、アウロは上体を起こした。


 頭がズキズキと痛む。どうやら蜘蛛の間が破壊された余波でぶつけたらしい。

 だが、他は制服がホコリだらけになっているだけで目立った外傷もない。

 それどころか、いつの間にかベディクに砕かれた右肩まで治っていた。


「この肩、お前が治してくれたのか?」

「うん。機竜が落ちてきたせいで、色々ひどいことになってたからね」

「……そうか。すまない、礼を言う」


 アウロは額を押さえたまま、カムリの様子を伺った。

 見たところ無傷なのは彼女も同じのようだ。

 こちらは破かれた服まで修復されている。元々、魔力で編まれた代物だから簡単に補修できるのだろう。


「カムリ、あれからどれくらいの時間が経った?」

「ほんの数分だよ。広間の床が抜け落ちちゃって大変だったんだから」


 言いつつ、カムリは辺りを見回す。


 その言葉通り、アウロたちの周囲は瓦礫の山に覆われていた。

 元々ここは階段下の広間だったのだろう。それが崩れ落ちた上層階のせいで、廃墟のような有り様になってしまったのだ。

 崩落を免れた二階部分はせり出たバルコニーのようになっており、その下にはオレンジ色の機竜が、頭から地面に突き刺さっていた。


「これは《グリンガレット》……!? ルシウスの奴、落とされたのか!?」

「そうみたいだね。パイロットはそっちでお昼寝――いや、お夜寝中だよ」


 カムリが指差した先には、壁に寄りかかったまま動かないアーマーの姿があった。


 寸前で脱出機構を動かしたのか、周囲にはパラシュートの残骸が転がっている。

 だが肝心のルシウスは気絶しているらしく、ぴくりとも動く気配がない。

 アーマーに損傷はないから、落下の衝撃で意識を失っているだけだろう。骸装機カーケスの頑丈な装甲に助けられた形だ。


「ただ、ちょっとまずいね。お空にいる黒い機竜、あれかなり強いよ。さっきまた一機落とされたみたいだし」

「……そうか。ナーシアの《ラムレイ》は?」

「まだ無事だと思う。ここからじゃよく見えないんだけど」


 カムリは額に手を当てたまま空を仰いだ。


 天井が破壊されたため、城内からも空の様子を伺うことができる。

 とはいえ、穴が開いたのはごく一部だ。おまけに夜闇のせいで、空戦の行方がどうなっているのかは全く把握することができない。

 立ち上がったアウロは一度空を見上げたものの、しとしとと降り注ぐ雨に辟易して、すぐにその場から引き下がった。


(空戦の行方は気になる……。が、今はナーシアに任せるしかあるまい)


 アウロは一つ息をついてカムリに向き直った。


「そういえば、ハンナたちはどうした?」

「どさくさに紛れて逃げたっぽいよ。あの二人だけじゃなくて、お城に侵入してきた奴ら全員が撤退し始めてるみたい」

「……まさか、連中め。目的を達したのか?」

「どうだろう。合図の笛みたいなのは聞こえたけど」


 カムリは怪訝そうに眉を寄せ、


「一応、わらわはずっとこの階段下を見張ってたんだけど、二階から降りてきたのは誰もいなかったよ。笛が聞こえてきたのも一階からだし」

「おかしな話だな。二階から降りるためには、必ずここを通らなければならないはずなんだが」

「でも、このお城。確か王族専用の隠し通路がなかったっけ?」

「噂には聞いたことがある。が、そういうものは普段隠されているはずだ。賊が公王を脅迫して、隠し通路を聞き出した可能性もあるが――」


 アウロはそこで言葉を切った。


 闇の中、コツコツと乾いた足音が響く。

 どうやら何者かがこちらに迫りつつあるらしい。

 身構えるアウロの横で、カムリも緊張に身を固くした。


「……誰だろう」

「この足音、相手は複数のようだ。キャスパリーグ隊の残党かもしれん」


 そうして警戒心を強めるアウロの前に、彼らは姿を現した。


 お揃いの黒い軽鎧ライトアーマーを身に纏った、三人組の男たちだ。

 だが、手に持っているものはそれぞれ長剣、槍、魔導銃とばらばらである。

 その内の一人、片刃の長剣を肩に担いだうさん臭い雰囲気の男が、濁った黒の瞳をアウロたちに向けた。


「ん、賊の生き残りか?」

「いえ、あれは養成所の制服です。恐らく、予備の兵員として回された元訓練生かと」


 部下らしき人物の言葉を受け、男は「そうか」と頷く。

 と同時に、三人は構えていた武器を降ろした。

 どうやら敵ではないらしい。が、アウロは相手の格好に見覚えがなかった。


 今のやりとりから察するに、キャスパリーグ隊と無関係なのは間違いない。

 となれば、王国側の人間だろう。しかし、黒い甲冑を着た兵士など――


(……待てよ)


 アウロはそこでふと一つの可能性に思い至った。


「お前たち、もしや黒近衛の人間か?」


 男は曖昧に頷いた。「まぁ、そういう呼び方もされてるな」


「俺の名はベルン。近衛騎士団特務部隊の隊長だ。お前は?」

「アウロ・ギネヴィウス」

「なるほど。ケルノウンの私生児か」


 ぶっきらぼうな言い方に、カムリはむっとした表情を浮かべる。

 ベルンは薄ら笑いを浮かべたまま、そんな彼女へと視線を移した。


「アウロ殿、この可愛らしいお嬢ちゃんは?」

「俺の従者だ。戦力になるので連れて来た」

「そうか。お前たちも王の元へ?」

「向かおうとしていた――が、ご覧の有様でな」


 アウロは崩れ落ちた階段を一瞥する。


「ただ、賊はもう撤退を開始したようだ」

「知ってるよ。俺の部下が奴らを駆逐し始めたせいだろう」

「なに? 黒近衛の部隊がここに乗り込んだのか?」

「その通り。本来、俺たちの任務は王城の外を守ることなのだがね。城郭が破壊されたのを見て慌ててここまで駆けつけたって訳だ。どうやら、ひと足ふた足遅かったらしいが」


 ベルンはそう言って肩をすくめた。


 どうも奇妙な男だ。近衛騎士団に所属しているに関わらず、その態度からは全く貴族らしさを感じない。

 近衛兵というよりはまるで金で雇われた傭兵である。それは残る二人の兵士たちも同じだった。


「隊長、これどうします?」

「ここ以外に階段はなかったはずですよね」


 アウロとベルンが言葉を交わしている間、兵士たちは崩れた階段回りをうろうろとしていた。

 その途中、地面に埋まった《グリンガレット》を見て、小さく首を傾げる。


「なんでしょう、このオレンジ色の塊……?」

「ん? 機竜ですよ、これ。外の奴に落とされたのか?」


 槍を携えた兵士の一人がおもむろに空を仰ぐ。

 と、そのタイミングで夜空に白い閃光が走った。

 恐らく、何者かが魔導弾を発射したのだ。アウロはふと不安になって尋ねた。


「ベルン殿、空の戦いがどうなったかは分かるか?」

「ああ……ナーシア殿と機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の団員が奮戦中だよ。俺が見た時は三対一の状況だった。じきに決着がつくだろう」

「待ってくれ。俺が見た時は竜騎士団側に八機の機竜がいたんだ。それに、これだけ長く空戦を続けているというのはおかしい」


 普通、機竜同士の戦いはせいぜい数分、長くとも十分以内には終わる。

 しかし、アウロの時間感覚が確かなら、既にナーシアたちが交戦を開始してから十分以上の時間が経過しているはず。

 おまけにベルンの説明によれば、今いる機竜は三機だけだという。つまり、敵はたった一機だけで、《グリンガレット》を含めた五機もの機竜を落としたことになる。


 ベルンは口元に貼りつけていた薄ら笑いを消した。


「言われてみれば、あのナーシア殿がここまで手こずるのは奇妙だな。そもそも、あの黒い機竜はなんなんだ?」

「アクスフォード側の攻撃機だ。搭乗者は恐らくダグラス・キャスパリーグ……」

「【モーンの怪猫】か。なら、あれがメナイ海峡で二十機近い機竜を沈めたという【メナイの死神】らしいな」

「知っているのか?」

「ウワサ話だけさ。俺たちの仕事には情報収集も含まれている。なんでもダグラスはモーンの戦乱が始まる直前に、アーセナルで廃棄された機竜を手に入れたという話だ。まぁ、これもどこまで真実かは分からんがね」


 とベルンが言ったところで、彼の部下の一人が「おっ」と声を上げた。


「隊長、この崩れた部分から上へ登れそうですよ」

「よし、分かった。今行く」


 足を踏み出しかけたベルンは、ふと振り返ってアウロに尋ねた。


「ところで、お前たちはこれからどうするつもりだ?」

「――俺は」


 アウロはしばし逡巡する。


 元々アウロは公王ウォルテリスを守るため城内へ来た。

 が、黒近衛の騎士たちのおかげで事態は収束しつつある。

 今更、公王の元へ行っても意味は無いだろう。ならば、自分は他にできることをすべきだ。


「ベルン殿、俺は空の敵を排除しに行く。あれはステルス機能を持った機竜だ。今取り逃がしてしまえば厄介なことになる」

「同感だ。公王のことはこちらに任せて欲しい」

「頼む」


 言って、アウロはカムリに向き直った。


「カムリ、ソフィアの元へ行ってアーマーの準備をするよう伝えてくれ。俺もすぐに工房へ向かう」

「分かった!」


 カムリは一度頷いた後で、ぱっと姿を消す。

 転移魔術を使ったのだろう。ベルンは切れ長の目を薄く見開いた。


「驚いたな。なにかの秘術か?」

「そうだ。悪いが詳しい説明をしている暇はない」

「ああ、構わないとも。こちらも急ぎの用事だ。俺たちはもう行くが……死ぬなよ、アウロ・ギネヴィウス」

「お前たちもな」


 最後にそう声をかけ、アウロは石畳を蹴って走り出した。


 道中には、行きの時には目にすることがなかった死体が数多く転がっていた。

 その大半は亜人たちだ。ベルン率いる近衛兵が彼らと交戦したのは間違いないらしい。

 途中、アウロ自身も黒い鎧の兵士たちと遭遇したが、こちらも赤い養成所の制服を着ているため、敵と間違えられることはなかった。


(一体、空の戦局はどうなっているんだ……)


 数分後、城外に飛び出たアウロは黒雲に覆われた空を見上げた。


 未だに雨が降り注いでいるため、視界は極めて劣悪だ。

 それでも、派手な紫の装甲と金色のマントを持つ《ラムレイ》の姿は簡単に発見できた。

 同時にもう一機。ナーシアと交戦している漆黒の機体も、おぼろげながら確認することができる。


 ただし、他の機甲竜騎士(ドラグーン)の姿は一機も見えない。

 《ワイバーン》の装甲は灰色だから、この天気の中ではほとんど空に溶け込んでしまうのだ。

 しかし、ベルンは先ほど三機の機竜が戦っていると言った。そして、そこから更に五分近くが経過した。

 《ラムレイ》以外の二機は既に落とされたと考えるのが妥当だろう。


「……くそっ」


 アウロは焦りを押し殺して、第七ハンガーへと向かった。


 ナーシアが迎撃に出た後、敵機の対地砲火は止んでいた。

 城郭内の主要施設は潰されたものの、離れにあった第七ハンガーは奇跡的に損害を受けていない。


 アウロは雨の中を突っ切り、ハンガー内に飛び込んだ。

 途端、目に入ってきたのは磨き抜かれた鈍色の機竜――《ホーネット》である。

 その横には新品と思しき《センチュリオン》に加え、ガンランスやシールド、ブレードに防弾マントといった武装一式がきちんと揃えられていた。


「主殿!」

「あっ、アウロさん! アーマーの準備はできてますよ!」


 遅れて、機体の陰からカムリとソフィアが姿を現す。

 二人とも雨で体がびしょ濡れだ。無論それはアウロも同じである。


「悪いな、ソフィア。急に無理を言って」

「いえ、それは構いませんが……アウロさん、本気で出るつもりですか? 相手は《グリンガレット》を含め、七機の機甲竜騎士ドラグーンを落としてるんですよ?」

「やはりそうか。ならば、なおのこと援軍に向かわなくては」


 言って、アウロはハンガーの入り口から上空を見上げた。


 ナーシアの《ラムレイ》と謎のステルス機は、今も激しい格闘戦ドッグファイトを繰り広げている。

 ただ、この二機が戦い始めてからもう十五分以上だ。どちらも必殺の決め手に欠けているらしい。


 見たところ、敵機は旋回力の高い格闘特化型の機竜だ。

 一方、《ラムレイ》は遠距離戦を得意とする射撃特化型の機竜である。

 この組み合わせでは、《ラムレイ》を駆るナーシアの方が圧倒的に有利だった。

 相手が《エクリプス》のような超機動力を持っていない限り、自分に有利な距離を保ったまま、延々と魔導砲を浴びせ続けることが可能だからだ。


 実際、ナーシアもその戦法を取っていた。

 先程から空を横切っているのは〝ファイアブレス〟の赤い砲火ばかりだ。

 逆に敵機は防戦一方である。事情を知らない人間には、ナーシアが押しているように見えるだろう。


「……恐らく、ナーシアは長く持たない」


 が、アウロの見立ては違った。


 〝ファイアブレス〟は威力こそ高いが射角が狭い。

 だからこそ、敵機は常に《ラムレイ》の左側面に回りこんで直撃を免れていた。

 あのステルス機は無理に攻め込もうとしていないのだ。その結果、こうして戦闘時間だけがだらだらと長引いてしまったのである。


 しかし、物事には終りがあるのが常だ。


「人間の体力は無尽蔵ではない。まして、ナーシアは昼の空戦からろくに休息を取っていないはずだ。いずれ体力と精神力、そのどちらかがガス欠になる」


 特に実戦においては生死をかけた攻防の中、極度の緊張を強いられる。

 しかもこの雨と暴風だ。ハーネスの扱いには細心の注意を要するだろう。

 正直、十五分以上も戦えている時点で異常だった。ナーシアも――あの漆黒の機甲竜騎士(ドラグーン)も。


「で、でも、相手の体力が先に尽きるということはないんですか?」

「分からない。だが、可能性は低いはずだ。なにしろ相手は十中八九、あのダグラス・キャスパリーグだからな」


 アウロはハンガー内に戻り、泥と埃でぼろぼろになったマントを脱いだ。


「ソフィア、スーツはあるか?」

「はい。テスト用のものなんですけど……」

「というと、ルシウスが着ていたアレか」

「邪魔なケーブル類は取っ払ってあります。普通のスーツと全く同じように使えるはずです」


 言って、ソフィアはアーマーの足元から折り畳まれたインナースーツを持ち上げる。


 受け取ったアウロは濡れた制服を脱ぐと、手早くスーツに着替えた。

 確かに着心地は問題ない。多少は違和感が残るが、それも誤差範囲内だ。


 アウロはそこで一度、深呼吸をした。


 同時に自らの状態を確認する。

 かなり長い時間、雨に打たれたため体は冷え切っている。

 が、乾いたスーツに着替えた以上、じきに体温も回復するだろう。


 不安があるとすれば体内に蓄積した疲労だ。

 ハンナやべディクとの死闘。王城からハンガーまで全力疾走で、先程から心臓が悲鳴を上げている。

 しかし、まだ倒れるほどではない。空戦の後、たっぷり睡眠を取ったおかげで体力的には余裕がある。


「問題ないな。行けそうだ」

「主殿、わらわは――」

「待機だ」


 アウロは身を乗り出してきたカムリに短く告げる。

 が、その後、心の中で言葉を付け加えた。


【ただ、カムリ。もし《ホーネット》が落とされたら、その時は落下地点に来てくれ】

【えっと、それはつまり……】

【状況によっては、またお前の力を借りることになるだろう。あの機竜を取り逃すわけには行かないからな】


 カムリはぱっと顔を輝かせ、


【らじゃー!】


 と敬礼を返した。


 一方、ソフィアはひどく不安そうな様子で口を開き、


「アウロさん、トラブルが起きたらすぐに不時着して下さいね。メンテナンスは一通り行いましたが、この天候ではなにが起こるか分かりません」

「分かった。だが、大丈夫だろう」

「むっ、その根拠はなんです?」

「ソフィア、ここ半月でお前の働きっぷりは見せて貰った。ソフィア・サミュエルはこのアーセナルで最も優れた技師だ。不具合など起きようはずもない」

「……ずっるいですよ、そういう言い方は」


 頬を膨らませたソフィアだが、その顔は照れのためか赤くなっている。


「分かりました。機体は壊れても構いません。でも、アウロさん。あなたはちゃんと帰ってきて下さいね!」

「勿論だ」


 アウロはアーマーの開いた胸甲に手をかけると、そのまま一息にコックピットの中へと飛び込んだ。

 キャノピーが閉じられ、視界が暗闇に覆われる。そして一拍後、ヘッドアップディスプレイに外の光が映し出された。

 魔導回路マギオニクスのシステムに問題ない。計器も全て完璧(オールグリーン)だ。


「……よし」


 アウロは床に置いてあったマントを羽織り、ブレードを腰にマウントして、ガンランスとシールドを掴み取った。

 次いで、《ホーネット》のペダルに足をかけて鞍上に飛び乗り、ワイヤーで全身を固定する。

 既に《ホーネット》側の魔導回路マギオニクスも起動している。後は手綱を手にとれば、いつでも動き出せる状態だ。


 カムリはぐっと拳を握りしめて言った。


「頑張ってね、主殿!」

「ああ」


 アウロは小さく頷き返し、ハーネスを引いた。


 ゆるやかに浮上した機体は、そのままハンガー内を抜けて外へと滑り出た。

 アーマーを打つ雨粒の音がかすかに聞こえる。スピードが増す度に、向かい風を受けた機体が不気味な軋みを上げる。


 アウロは計器に表示された速度が60ノットを突破したところで、ハーネスを胸元に引き上げた。


「アウロ・ギネヴィウス! 《ホーネット》、出撃する!」


 離陸――と同時に、凄まじい横風が機体を煽る。


 途端、アウロは危うく翼を地面にこすりつけそうになってしまった。

 慌ててペダルを踏み込み、機体を立て直す。が、今度は正面からの気流が《ホーネット》に襲い掛かった。

 肩から羽織ったマントが膨らみ、アーマーを固定するワイヤーがギシギシと悲鳴を漏らす。


(くそ、コンディションが悪すぎる……!)


 アウロもこれほどの悪天候の中で訓練をした経験はない。

 そもそも、こんな大嵐の日に機竜を飛ばす方が間違いだった。


 アウロは四苦八苦しながらも、どうにか機体を5000フィートの高度まで持ち上げた。

 そこでようやく周囲を確認する余裕ができる。それまではペダルとハーネスの操作で手一杯だったのだ。

 上手く水平飛行に移れたからいいものの、離陸直後の隙を狙われていたら、アウロは為す術なく地面に叩きつけられていただろう。


『友軍……だと? おい、そこの機体! 誰が乗っているんだ!』


 空に出るとすぐさま味方から連絡が入る。

 それが誰であるかなど、もはや考えるまでもない。

 全ての僚機を失ってから約十分。

 ドラク・ナーシアはたった一人で敵機と戦い続けていた。


「自分です。アウロ・ギネヴィウスです、ナーシア殿!」

『アウロか! っ……貴様、遅いぞ! とっくに死んでいるかと思ったわ!』


 普段は無愛想なナーシアも、この時ばかりは声を震わせていた。


『だが、よく来た! 貴様、戦えるのだろうな!?』

「無論です。お待たせして申し訳ありません」

『よし! ならば、今から敵の情報を手短に伝える! あれは対地砲撃能力を備えた戦闘攻撃機デュアルロールファイターだ。といっても、こちらと空戦に突入した時点で攻城砲は切り離している! それ故、今の奴は魔導砲の類を搭載していない。武装は右腕甲に持った片刃の――来るぞ!』


 ナーシアの言葉が終わる前に、反転した漆黒の機竜は《ホーネット》めがけて襲いかかってきた。


 相変わらず敵機の姿は捉えどころがない。なにしろ、機体の周囲が闇のヴェールに覆われているのだ。

 だが、暗闇の中から突き出た片刃の斧だけは、はっきりと視認することができる。

 そして、その凶刃は今まさにアウロへ迫ろうとしていた。


「ぐぅっ……!」


 アウロは左ペダルを踏み、手綱をゆるめて機体を急降下させた。

 この天候下でも《ホーネット》の機動力は遺憾なく発揮されている。


 が、敵機はその動きに問題なくついてきた。

 高度を速度に変換し、一直線に迫りながらも戦斧を振り上げる。

 降下途中で旋回を加えたアウロだが、運動性は相手の方が一枚上手だ。

 瞬く間に距離を詰められ、背後の死角にもぐりこまれてしまう。


(まずい……!)


 速くも撃墜を覚悟したアウロだが、敵機はそこで唐突に急上昇した。


 ――ボッ!


 一拍遅れて、夜闇を鮮やかな真紅の閃光が引き裂く。

 この火力は間違いなく、《ラムレイ》の魔導砲〝ファイアブレス〟だ。

 敵機がアウロを追い続けていれば、あの灼熱の炎によって全身を溶かされていたことだろう。ナーシアは忌々しそうに舌打ちをこぼした。


『チッ、外したか。勘のいい奴め』

「すみません。助かりました、ナーシア殿」

『謝るな。私は敵機を狙っただけだ。それより注意しろ。奴の運動性は《ラムレイ》に匹敵するぞ』

「では、あの機体は……」

骸装機カーケスだ。恐らく、闇竜の亡骸を用いた代物だろう』


 闇竜――荒野や洞窟などに潜むとされているドラゴンの一種だ。

 天空の頂きに住む光竜と並び、竜の中では最も希少で、強大な力を持っているとされている。

 アウロの知識が確かなら、ログレス王国内で光竜や闇竜を用いた骸装機は作成されていなかったはずだ。


『あの機竜は全身から高濃度の闇を噴き出しているんだ。だから、バイザーを通して見ても全体像を捉えることができない。要は目くらましだな』

「とはいえ、この暗闇の中で使われると厄介です。それにあの闇にはもう一つの効果があります」

『というと?』

「奴はレーダーに映りません。あの機竜はステルス機能を有しています」


 『光学迷彩ステルス)……!?』とナーシアは驚きの声をこぼした。


『だが、そうか。なるほど。道理で本部の警報が鳴らなかった訳だ』

「詳しい原理は分かりませんが、あの闇がレーダーを遮断しているのでしょう。ここで奴を取り逃がせば、我々はいつ来るとも分からないステルス機の脅威に怯え続けることとなってしまいます」

『分かっている。奴はここで落とすぞ。アウロ、協力しろ』

了解ラジャー


 アウロは短く答え、《ラムレイ》の右斜め後ろに張りついた。


 骸装機のスピードは速い。

 おまけに、離陸直後の《ホーネット》は未だ100ノット以下の低速をうろうろとしている。

 そのため、アウロはすぐに振り切られてしまうのだが、その度にナーシアは遠回りする形で上昇や降下をして、こちらと足並みを合わせていた。


(この男、妙に手馴れている……エドガーの《ワイバーン》と組んでいたからか?)


 ともあれ、アウロが置いて行かれる心配はなさそうだ。

 むしろ今注意を払うべきは、高度10000フィート付近に留まっている敵機の方である。


『奴め、降りてこないな。こちらの出方を伺っているのか――』

「もしくは離脱の隙を狙っている可能性もあります。地上部隊は既に撤退したようですから」

『地上部隊……やはり、来てきていたか。公王は無事なのだろうな?』

「確認できていません。ただ、城内に侵入した敵は黒近衛の部隊が追い払いました」

『なに? となると、ベルンが動いたのか?』

「はい。公王の件は彼らに任せています」


 『そうか』とナーシアはどこか複雑そうに呟いた。


 丁度、そこで敵機の側に動きがあった。

 闇を纏った機竜は空中で反転すると、再びこちらへ向かってきたのだ。


『ふぅん? 奴め、我々と戦うつもりらしいな。逃げずに立ち向かって来るとは勇敢な奴じゃないか』

『ほう、ありがたいことだ。機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の団長にお褒めの言葉を頂くとは』


 ぴく、とアウロは片眉を跳ね上げる。


 ヘルム内に響いた声は明らかにナーシアのものとは違う。

 恐らく、敵機のものだ。そして、その声にアウロは聞き覚えがあった。


(やはり、こいつは……)


 相手はこちらに機首を向けたものの、すぐには攻めてこない。

 その間にアウロはヘルムの側面へ手を伸ばすと、通信機のチャンネルを全方向に合わせた。


「貴様、ダグラス・キャスパリーグか」

『む? そうか。なにやら一機、羽虫のような機体が上がってきたと思ったが……』


 【モーンの怪猫かいびょう】は愉快そうにゴロゴロと喉を鳴らした。


『お前だったか。アウロ・ギネヴィウス』

「覚えていてくれて嬉しいよ。養成所での借り、ここで返させて貰う」

『若者らしい向こう見ずな台詞だ。だが、生憎と貴様に構っている暇はない!』


 途端、アウロは漆黒の機竜から強烈な殺気が吹き出すのを感じた。

 先ほどまでのダグラスは積極的に戦おうとせず、時間稼ぎに徹していた。

 しかし、どうやらその方針は取りやめたらしい。本気でこちらを叩き潰そうという意志がひりつくほどに感じられる。


『我々は目的の半分を達した。……もう半分には到達できなかったがな。どちらにせよ、ここでの仕事は終わりだ。後はお前らを始末して、我らはまた闇の中に消えるとしよう』

『ほう、盗賊の親玉風情が威勢のいいことを言う。だが、ダグラス・キャスパリーグ。先ほどまで私に手も足も出なかったお前が、どうやってこの《ラムレイ》を落とす気かね?』

『こうやって、だ』


 瞬間、敵機は暴風雨の中を突っ切ってこちらへ急降下を仕掛けてきた。


 すかさず、アウロはナーシアの《ラムレイ》を庇うような位置に出る。

 ダグラスの機竜は魔導砲を持っていない。武器は右腕甲のバトルアックスのみ。

 だから、必ず近接戦闘を挑んでくるはずだ。アウロとしてもそれは望むところだった。


「来い! ダグラス・キャスパリーグ!」


 正面にガンランスを構え、アウロは吼えた。


 盾である自身の役割は、相討ちになってでも敵機の速度を殺すことだ。

 そうすれば、後は矛であるナーシアの《ラムレイ》がダグラスにトドメを差してくれる。


『……フ』


 だが、ダグラスはアウロの挑発を鼻で笑った。


 同時に敵機は《ホーネット》の遥か後方を素通りすると、そのままUの字を描いて再度急上昇してしまう。

 アウロとナーシアからしてみれば肩透かしを食らった気分だ。


『貴様ァ……! いつまで、こそこそと逃げ回っているつもりだ!』

『逃げ回る? 本気でそう思っているのなら、ナーシア、お前は三流だな』

『なんだと?』

『勘違いするなよ。本来なら貴様如き、いつでも落とせたんだ。地上部隊の目を引き付けるため、敢えてそうしなかっただけでな』

『フン、減らず口を! ならば、さっさと攻めてくるがいい!』

『言われなくてもそうするさ』


 と答えながらも、ダグラスは機体を上昇させることをやめない。


 その動きはアウロにとって奇妙に思えた。

 空戦エネルギーの観点から言うと、高度を稼げば稼ぐだけ速度は低下する。

 何より今はこの大嵐だ。あまり高度を上げすぎれば積乱雲に飲み込まれ、激しい気流の中で機体が制御不能に陥ってしまう危険もあった。


(奴め、一体なにを――)


 頭上を仰ぐアウロの前で漆黒の闇は静止した。

 敵機はとうとう運動エネルギーを使い果たしたのだ。

 後は、溜め込んだ位置エネルギーを速度に変換するだけである。


『行くぞ、小僧ども。高度20000フィートから振り下ろされる刃の味、とくと味わうが良い!』


 ダグラスはその言葉と共に機体を急降下させた。

 豆粒のようだった影がみるみる内に大きくなり、こちらへと迫り始める。

 ナーシアは『ほう?』と感心するような声をこぼした。


『あれは垂直縦方向急速反転バーティカル・リバース。敵の背後を占有するための空戦機動マニューバか』

「いえ……奴は直接来ます。スピード任せにこちらへ突撃をかけてくるつもりです」

『要はなりふり構わぬ猪突猛進か! 愚かな奴め! その状態では、もはや回避運動を取れまい!』


 ナーシアはすかさず両脚の踵でペダルを踏み込み、《ラムレイ》の機首を上げた。

 更にガントレットを限界まで稼働させ、真上への射角を確保する。

 たちまち、〝ファイアブレス〟の砲口が敵機を捉えた。通信機越しに、トリガーの引かれる冷たい金属音が響く。


『死ねっ、ダグラス・キャスパリーグ!』


 ――ダァンッ!


 ナーシアの咆哮と共に、燃えたぎる閃光が黒の機竜めがけて打ち上げられた。

 相手は急降下の真っ最中だ。下手に回避しようとすれば、風圧で機体がバラバラになってしまう。

 しかし、紙一重でかわすこともできない。〝ファイアブレス〟の威力ならば、かすっただけでも致命傷を受けてしまうからだ。


『お――おおおおォォォォォッ!』


 だが、ダグラスはその一撃を機体を捻りながら避けきった。


 しかも、ただローリングしただけではない。敵機は空中で急加速した。

 迫る砲火を回避しつつも、真下に向かって闇色のアフターバーナーを噴かせたのだ。

 あれでは全身の血管がパンクしてしまう。間違いなく、ダグラスの肉体には凄まじい負担がかかっていることだろう。


(あいつ、正気か……!?)


 目を剥くアウロだが、そこで更に信じられないことが起きた。


 ただでさえ、猛烈な勢いでこちらに迫っていたダグラスの機竜が、空中でもう一段階スピードを上げたのだ。

 もはや自殺願望があるとしか思えない。あまりの無謀さに、見ているだけで吐き気を感じる。


 同じ機竜乗り(ドラグナー)だからこそ分かるのだ。

 あの機動は――完全に人の限界を超えていた。


『馬鹿な!? あの状態から加速しただと!?』

「ナーシア殿! 来ます!」


 アウロは叫び声を上げた。


 直後、漆黒の機竜を中心に白いリング状の蒸気円錐ベイパーコーンが発生する。

 敵機はとうとう音速の壁を突き破ったのだ。同時に、周囲の雨粒が衝撃波によって吹き飛ばされる。

 そして、機体が超音速に達した瞬間、敵機は闇の中から姿を現した。


(こいつが!)


 それは今までアウロが目にしてきたものとは、明らかに異なる機甲竜アームドドラゴンだった。


 空気を切り裂く尖ったヘッド。

 刃のように鋭く、直線的なフォルム。

 闇色の翼を広げて羽ばたく、黒鉄くろがねのハヤブサ――


 それこそがダグラス・キャスパリーグの駆る骸装機(カーケス)だった。


 全体的なシルエットは翼を畳んだ鳥に似ている。

 高空から獲物を狙い、その命を刈り取る猛禽の形だ。


 特徴的なのは機体後部から二本のテールが生えていることだろう。

 加えて、平べったい胴部の側面には幾つもの四角い噴出口が開いている。

 だが、今はその穴から吹き出す闇も、機竜自身のスピードによって遥か後方に置き去りにされていた。


『砕けろ……雑魚ども!』


 風切り音と共に、黒翼の機竜に跨ったアーマーが戦斧を振りかぶった。


 ダグラスの狙いはランスを持たない《ラムレイ》だ。

 しかし、直上からのチャージではアウロも防ぎようがない。

 攻撃に気付いたナーシアは機体を急旋回させたものの、超音速で振り下ろされた凶刃から逃れることはできなかった。


『ぐぅっ……!?』


 ギィン! と響く鈍い金属音。


 アウロの眼前で《ラムレイ》の右翼、及びアーマーの右腕甲がまとめて根本から切り離される。

 更に、ダグラスはバランスを崩して墜落する《ラムレイ》の横をすり抜けると、地面すれすれで手綱を引き上げた。

 Vの字を描きながら、黒翼の機竜は再び上昇を開始する。敵機は幾分か減速したものの、まだ十分なスピードを保っていた。


『ギネヴィウス! 貴様もここで――!』

「やらせるか!」


 アウロは一直線に向かってくる敵機に、ガンランスの砲口を合わせた。


 間髪入れずに発射された魔導弾が、赤い尾を引きながらダグラスへと迫る。

 しかし、その刹那。敵機はなんの脈絡もなく折り畳んでいた翼を左右に展開した。

 複数の金属板によって形成された黒翼が、吹き荒れる暴風を受け止める。

 途端、敵機は跳ねるような動きで自らに迫る光弾を回避した。


「なっ……!?」

『その程度では俺の足元にも及ばんな! 出直してくるがいい!』


 驚愕するアウロめがけて、ダグラスは右腕のバトルアックスを振り抜いた。


 すれ違いざまの一撃である。アウロは機体をローリングさせてこれを避けようとしたものの、猛スピードで叩きこまれた刃を完全には見切れず、翼の先端をへし折られてしまった。

 そして、《ホーネット》の航空能力を奪うにはそれだけで十分だった。

 悪天候の中、アウロは横風に煽られて機体のコントロールを失ってしまう。


(くそっ! 俺とナーシアが一瞬で!)


 アウロは激しい屈辱を感じながらも、両手でハーネスを握り直した。


 計器を見れば、みるみる内に高度が下がっている。

 しかし、まだきりもみ状態には陥っていない。アウロは両足を踏ん張ると、機体を水平状態に立て直した。

 気流の影響を受けた《ホーネット》は、ガクガクと不気味な揺れを繰り返している。ここで手綱を離せば一巻の終わりだ。


「ぐっ……!」


 アウロは歯を食いしばり、不時着に備えた。


 次の瞬間、とうとうディスプレイに表示された高度がゼロになる。

 と同時に真下からの衝撃が全身を襲い、アーマーを拘束するワイヤーが甲高い絶叫を上げた。

 もはや、周囲を確認する余裕などない。アウロは断続的に襲ってくる振動に耐えつつ、必死に機体を制御した。


 やがて、地面に突っ込んだ《ホーネット》は泥の中を滑りながら停止する。


 その頭上を、黒翼の機竜は悠々と西へ向けて飛び去って行った。


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