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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
二章:斧の反乱
39/107

2-21

 三重の城郭が破壊された後、副隊長サンバイル・プルグに率いられたキャスパリーグ隊の面々は、破竹の勢いで王城に迫りつつあった。

 城郭内には城を守る近衛騎士団以外にも、それぞれの区画を警備する近衛部隊が存在する。

 が、降り注ぐ豪雨と暴風は彼らの対応を遅らせた。警備兵たちが空から現れた機竜に気を取られている隙に、襲撃部隊は悠々と城内への侵入を果たしたのだ。


 とはいえ、城を守る近衛兵の数は決して少なくない。

 睡眠薬入りの酒を呑んで寝込んでいるのも、あくまで非番の者だけだ。

 城内に配置された騎士たちはいち早く事態に気付くと、剣と魔導銃を手に襲撃者たちの迎撃に当たっていた。


 こうして、カムロート城内において近衛騎士団とキャスパリーグ隊による、激しい戦闘が発生したのだった。






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






「くそ、ひと足遅かったか……」


 王城に到達したアウロは、破壊されたエントランスを見て小さく舌打ちした。


 城内は既に敵の侵入を受けていた。

 石の壁はところどころ崩れ、瓦礫の下で倒れた近衛兵たちがうめき声を上げている。

 また普段、照明として用いられている松明はその全てが叩き落とされていた。おかげで屋内は真っ暗だ。


「『我は火の精霊、サラマンダーの支配者なり。炎よ、我が道を照らせ。闇を打ち払い、ほのかな光をもたらし給え!』」


 カムリは呪文を唱え、指先から炎の玉を生み出した。


 ふわりと宙に浮かんだ光が、闇に覆われた城内を照らす。

 通路の奥から響いているのは剣戟や爆発の音だ。

 内部では、襲撃部隊との戦いが繰り広げられている真っ最中らしい。


「行こう、主殿。ぐずぐずしてたらお父さんが拉致されちゃうよ」

「……ああ、急ぐぞ」


 アウロは石畳の上を走り出した。


 先日、城内を迷子になったおかげでこの辺りの構造は嫌というほど頭に入っている。

 ただし、それは相手も同じらしい。迷路のような造りをしているカムロート城だが、敵は一直線に城の奥へと向かっていた。

 間違いなく、賊は城内の間取りを把握している。アクスフォード侯爵を通じて、城の地図を手に入れていたのだろう。


「それにしても、この破壊力。相手はアーマーまで持ち出しているらしいな」


 アウロは粉々に砕かれた壁を横目で見た。


「気をつけろ、カムリ。《グレムリン》がいるのかもしれん」

「養成所が襲われた時に出てきたやつだね。あれくらいだったらどうにか倒せるけど……多分、別物だよ」

「何故そう思う?」

「そこに転がってるから」


 二人はそこで、開けたホール状の空間へと辿り着いた。


 王城内には侵入者を包囲殲滅するための広間が点在している。

 広間といっても、その大きさは人が二十人も入れば一杯になってしまうほどだ。

 ここでも激戦が繰り広げられたらしく、崩れた壁の合間には数人の近衛兵と、破壊された三機の《陸戦型センチュリオン》。

 加えて魔導銃を手にした亜人たちの屍と、《グレムリン》によく似た陸戦型の騎士甲冑ナイトアーマーが転がっていた。


「これはキャスパリーグ隊の連中か? アーマーは《グレムリン》を強化したもののようだが」

「キャスパリーグ隊がいるってことは、あのネコミミ男も来てるのかな」

「ダグラス・キャスパリーグか。間違いなく襲撃に参加しているはずだ。地上にいるとは限らないが」

「……? どういうこと?」


 首を傾げるカムリにアウロは言った。


「ソフィアが言っていただろう。今、上空にいるステルス機。あれが最初に出没したのは五年前に起きたモーンの反乱の時だと」

「そっか。だとしたら――」

「あの機竜を所持していたのはアクスフォード侯爵ではなく、キャスパリーグ隊の連中だ。そして、奴らの中で一時的にしろ貴族の位にあったのはダグラスだけだ。機竜を操縦できたとしても不思議じゃない」


 アウロは膝を屈めると、息絶えた兵士の手からライフルを取り上げた。


 正面を見れば、道は三方向に分かれている。

 一つは入り口付近にループしてしまう道。もう一つは政務官たちの居室に続く道。

 最後の一つは二階の玉座の間へと続く道である。


「主殿、これどの道を行けばいいの?」

「右だ。俺たちは王の元に直行する」

「分かった。でも、敵はここで二手に別れたみたいだね。真ん中の道にも戦いの跡が残ってる」

「ああ……さっきは言いそこねたが、連中の目的は恐らく二つある」


 言って、右の道へと駆け込むアウロ。

 カムリはその後に続きながらも尋ねた。


「一つは王様の身柄だよね? でも、もう一つは?」

「奴らがこの戦争を起こしたそもそもの目的だ。カラム・ブラッドレイも言っていたが、アクスフォード侯爵は腐敗した王国の改革を目指している」

「でも、そんなの具体的にどうするのさ?」

「今、この国を病ませている奸臣を取り除けばいい。――宰相モグホースとその一派をな」


 つまり、アクスフォード侯爵が立てた計画はこうだ。


 王都への奇襲が失敗した直後、前線の部隊を降伏させて王国側の油断を誘う。

 更に計略を用いて機甲竜騎士団と近衛騎士団の大部分を無力させた後は、温存していたステルス機を投入するのだ。

 そうして、機竜による対地砲撃で三重の城郭を突破。王城内部へと一気に兵力をなだれ込ませる。


 襲撃部隊の狙いは国王ウォルテリスと宰相モグホースの二人だ。

 国王を人質とするのは、一度始まったこの戦争を『不時着』させるため。

 そして、モグホースとその一派を殺害して国内の浄化を図る。

 ある意味、こちらが侯爵にとっての本命だろう。


(だが、仮にも一国の王が拉致され、宰相まで殺害されたとあってはこの国の威信は地に落ちる……)


 国内にいる貴族たちも王家に忠誠を誓っている者ばかりではない。

 下手を打てば、王に対して不満を持った貴族たちが諸外国と結託し、反乱を起こす恐れもあった。


 アウロにとってそれは最悪の未来だ。

 ここは彼の故国である。その根幹を揺るがすものは誰であろうと排除するのみだ。


「あ、主殿! 階段だよ!」


 丁度そこで二階へと続く螺旋階段が目に入る。

 アウロは一旦歩調を緩め、軽く呼吸を整えた。


「よし、これでもう王の間まであと一息――」


 と、アウロが言いかけた直後、階段の上から人型の物体が転がり落ちてくる。


 慌てて左右に避けた二人の間に、それは音を立てて墜落した。

 近衛騎士団の用いているアーマー。《陸戦型センチュリオン》である。

 空戦型との違いは全体のバランスと、なにより腕が二本しかないことだ。

 しかし、今はその内の一方がおかしな方向にねじ曲がっていた。


「……上に敵がいる。恐らくはアーマーだ」

「じゃあ、ようやく襲撃部隊に追いついたのかな?」

「分からん。単に敵が殿しんがりを残しているだけかもしれない。玉座の間へ行くには、必ずこの階段を通らなければならないからな」


 どちらにせよ、いつまでもぼうっとはしていられない。

 アウロとカムリの二人は足早に階段を駆け上がった。


 二階の入り口は長方形に切り開かれた広間となっている。

 広さは縦が80フィート、横が50フィートほど。左右に複数の分かれ道を持つことから、『蜘蛛の間』とも呼ばれている場所だ。

 やはりというべきか、ここにも戦いの爪あとは深々と刻まれていた。大勢の人間が石畳の上に倒れ伏し、壁にめり込んだまま動かなくなっているアーマーの姿もちらほら見える。


 だが、それ以上にアウロの目を引いたのは広間の中央に佇む二つの影だ。

 一方は顔を黒い布で覆って、両手にショートソードを握ったケットシー族の少女。

 闇に溶け込むような色の装束を身に付け、肩からはマントを羽織っている。

 もう一方は漆黒のコートを着込んだ大男だ。その隻腕には古びた槍が握り締められていた。


「――新手か」


 男はゆらりと槍を持ち上げ、その穂先を広間の入り口へと向ける。

 たったそれだけの動きで、アウロは全身が総毛立つのを感じた。


「あの男……」

「あいつ、強いよ。多分、ダグラス・キャスパリーグと同じくらい」

「ああ、なんとなく分かる。もう片方はどうだ?」

「手練だね。でも、プレッシャーは感じない。鋭い牙を持った子猫ちゃんってところ」


 「なるほど」とアウロは口元をつり上げる。


 対する相手側もこちらの戦力を推し量っていたらしい。

 覆面をつけた小柄なネコミミ少女は、自身より二回り以上も巨大な男の顔を仰いだ。


「ベディクさん、私が男の方をやります。あなたはもう片方を」

「分かった。あの小娘、そこそこできるようだ。こちらで受け持とう」


 そこで敵は二手に別れた。丁度、左右から挟み込んでくる形だ。

 自然、アウロたちもお互いを背にするようにして迎え撃つこととなる。

 アウロは肩越しにカムリへと呼びかけた。


「ここにいるのはあの二人だけだ。つまり、さっき落ちてきたアーマーを倒したのは連中ということになる」

「うん。多分、男の方だね。どうやってやったのかは知らないけど」

「……大丈夫か? 厄介そうな相手だが」

「わらわは平気だよ。むしろ主殿の方が心配だな」

「問題ない。白兵戦の点数は微妙だが、小娘に負けるほどではないはずだ」


 言って、アウロは魔導銃を構えた。


 敵の武器は黒い刃を備えた暗殺者用の双剣。射程は圧倒的にこちらの方が長い。

 年下の少女というのはやりにくい相手だが――ここで迷っている暇はなかった。

 相手は覚悟を決めてここへ来ている戦士だ。撃たなければ、殺されるのはアウロの方である。


「行きますよ」


 囁くような声で言って、ケットシー族の少女はぐっと身を沈めた。


 瞬間、少女は石畳を蹴って一直線にアウロの元へと肉薄した。

 アウロはすかさずライフルのトリガーを引いた。発射された灼熱の砲弾が、覆面をつけた少女に襲いかかる。


 が、相手は全身のばねを使って跳躍し、弾丸を回避してしまう。

 更に少女は空中で一回転すると、両手の短剣をアウロめがけて投擲した。

 闇の中を黒刃が飛翔する。大気を切り裂く金属音に、アウロは慌てて背後へと飛び下がった。


(こいつ!)


 すぐに魔導銃を構え直すも、その時にはもう目の前まで覆面少女が迫っている。

 両手には既に新たな短剣が握られていた。どうやら、相手は複数のスローイングダガーを服の中に仕込んでいるらしい。


 追い込まれたアウロは咄嗟にライフルを少女へと投げつけた。

 そうして相手が怯んでいる隙に、腰から抜き放ったブロードソードを上段から叩きつける。

 が、少女はこれを短剣一本で受け流した。更にブーツに覆われたかかとで、アウロの軸足を内から蹴り払う。


「うっ……!」


 結果、アウロはあっさりと体勢を崩されてしまった。

 その泳いだ体めがけて、すかさず相手は短剣を閃かせる。


 ――ドグッ!


 アウロは鈍い音が身体の内側から響くのを感じた。

 と同時に、堪えがたい痛みが鳩尾から全身へと広がる。

 しかし、血は流れていない。相手は短剣の刃ではなく、柄でアウロの体を殴打したのだ。


「ごほっ……!」

「主殿!」


 がくりと膝をついたアウロの耳に、カムリの叫び声が届く。

 だが、あちらも槍使いの男に足止めされ、助けに来られる状況ではないらしい。

 アウロも肺への衝撃で体が痺れ、すぐには動けない。

 額から脂汗を流す彼の前で、少女は短剣を振り上げた。


「命までは取りません。しばらく寝ていて下さい」


 覆面の下から聞き覚えのある声が響く。

 少女はハンマーに見立てた短剣の柄を、アウロの頭へと振り下ろした。

 殺意はない。ただ、あの一撃を食らって意識を保つことは難しいだろう。


 だから、アウロは全身の気力を振り絞り、右腕で少女の手首を受け止めた。

 振り下ろされた短剣の柄は、こめかみに当たる直前で停止する。

 少女は焦った様子で腕に力を込めたが、短剣は全く動かない。

 単純な腕力勝負ならアウロの方に分があった。


「くっ!? まだこんな力が!?」

「あいにく、機竜乗り(ドラグナー)は体が頑丈でな!」


 高度10000フィートからの急降下に比べれば、この程度の呼吸困難など軽いものだ。


 ほんの数秒で体調を回復させたアウロは、左腕で相手の胸ぐらをつかみ、その体を地面へと叩きつけた。

 肩から石畳に激突する少女。その両手から離れた短剣が床の上で乾いた音を立てる。

 形勢逆転だ。どうにか逃れようともがく少女だが、上体を抑えこまれてはそれも難しかった。


「離せ! 離しなさ――!」


 アウロはわめく少女の腕を捻り上げた。

 たちまち、足元から苦悶のうめき声がこぼれる。

 そこでアウロはなんとなしに襲撃者の顔を見た。今のやりとりで覆面がめくれ上がっていたのだ。


「……お前は」


 アウロはしばし言葉を失った。


 覆面の下から覗く顔には見覚えがあった。

 たれ目がちの黒い瞳。形のいい鼻。あどけなさを残した幼い顔立ち――

 それは間違いなく、亜人街の孤児院で子供たちの世話をしていた姉妹の一人であり、数ヶ月前、自身が裏路地で庇ったケットシー族の少女だった。


「ハンナ……ハンナか? 何故、お前がここに……」


 問いかけるアウロだが、ハンナは答えない。

 少女は唇を噛み締めたまま悔しげに俯くだけだ。


 アウロは困惑した。

 まさか、この娘はキャスパリーグ隊に加わってしまったのだろうか?


 だが、先ほどの動きは明らかに修練を積んだ戦士のものだった。

 あのナイフさばきは一朝一夕で身に付けられるような代物ではない。

 つまり『孤児院のお姉さん』を演じていたハンナは偽物で、この暗殺者としての姿をした彼女の方が本物なのだ。


「なるほどな。最初から、お前はキャスパリーグ隊の一員だったということか」

「………………」


 ハンナは答えない。いや、なにも答えられないのだろう。

 本人にその気があろうがなかろうが、結果として彼女は恩人であるアウロを騙す形になってしまっている。

 もっとも、アウロ自身に騙されたという感覚はない。ただ軽い失望感を味わっているだけだ。


「……できれば、アウロさんとはこういう形で再会したくはありませんでした」


 僅かな沈黙の後で、ハンナは深々と息をこぼした。


「お察しの通り、私はキャスパリーグ隊の人間です。あなた方の敵です」

「諦めが早いな。えらくあっさりと白状するじゃないか」

「今更、隠しても仕方がありません。私の身元は割れていますから」

「あの孤児院もお前たちの拠点だったのか? リコットや子供たちも?」

「いいえ、リコはともかく子供たちは無関係です。――と言っても、信じてもらえるかは分かりませんが」


 ハンナは自嘲気味に口の端をつり上げる。


 丁度、そのタイミングで広間に爆発音が響き渡った。

 どうやらカムリがなんらかの攻撃呪文を唱えたらしい。

 にも関わらず、背後を振り返ったアウロの目に入ったのは宙を吹っ飛ぶ黒ローブの姿だった。


「なっ……!?」


 アウロは半ば反射的に、すっ飛んできたカムリの体を受け止めた。


 が、不安定な体勢では勢いを殺し切れず、二人纏めて弾き飛ばされてしまう。

 すぐさまハンナは石畳の上から飛び起き、逆にアウロとカムリはもつれ合ったまま床を転がった。

 二人が止まったのは階段の一歩手前だ。アウロは素早く体を起こし、咳き込むカムリの背を支えた。


「おい、大丈夫か?」

「へ、平気。咄嗟に障壁で防いだから」


 脇腹を痛打されたらしいカムリは、真紅の瞳に涙を浮かべながら槍持ちの男を睨みつけた。


「あいつ、わらわが攻撃する瞬間を狙ってきた。魔術師と戦い慣れてるみたいだ」

「魔術師と? どういうことだ?」

「どんな魔術師でも、二つの呪文を同時に扱うことはできないんだよ。わらわの転移魔術も、他の術を行使している間は使えない。ただ、普通の人間はそんなこと知らないはずなんだけど……」

「ならば、あれも普通の人間ではないということか」


 隻腕の男――ベディクは再び、ゆらりと槍を構える。


 その構えに隙はない。まるで鉄壁の砦のようだ。

 ただし、ベディクの側に自分から攻め込んでくる気配はなかった。

 それはハンナも同じだ。この二人はあくまで時間稼ぎに徹するつもりなのだろう。


「ありがとうございます、ベディクさん。おかげで助かりました」

「気にするな。ところで」


 ベディクは淀んだ澱のような瞳をアウロへと向けた。


「あの男は知り合いか?」

「……アウロ・ギネヴィウス。養成所の訓練生です。養成所の機竜を奪取した際、彼に二人の仲間を殺されました」

「ふむ。もう片方に心当たりは?」

「ランティさんに重傷を負わせた魔術師、だと思います。私が前に見た時は髪の色が赤かったはずなんですけど」

「赤、だと?」


 男の口からやや意外そうな声がこぼれる。


 一方、カムリは覆面をつけた少女を見てかすかに眉を寄せ、


「あのちっこいの、どこかで見た気がするな。こっちのことを知ってるみたいだし」

「あれは亜人街の孤児院にいたハンナだ。キャスパリーグ隊の一員だったらしい」

「えっ、そうなの? ……ふぅん。エプロンよりもその服の方が似合ってるね」

「そうですか」


 ハンナは興味なさそうに言って、再び両手にナイフを構えた。


 が、それを抑える形でベディクが前に出る。

 ハンナはぴくりとネコミミを揺らすと、怪訝そうに男の顔を見上げた。


「ベディクさん?」

「ハンナ、一度下がれ。確かめたいことができた」

「確かめたいことですか?」

「そうだ。故に少し本気を出させて貰う」


 瞬間、男の体から強烈な殺気が吹き出した。


 広間の中央で膨らんだ重圧が、周囲の空気をチリチリと震わせる。

 たちまち、アウロは全身の毛穴からどっと汗が噴き出るのを感じた。

 まるで喉元に刃を突きつけられたかのような気分だ。あのダグラスと戦った時でさえ、こうはならなかった。


「こいつ、まさか今まで手を抜いて……」

「主殿、来るよ!」


 カムリが警告を放った直後、ベディクはおもむろに地面を蹴った。


 ピシリと反動でひび割れる石畳。黒いコートの裾が翻り、男の体が蜘蛛の間を突っ切る。

 ベディクは槍の穂先をやや下に向けた体勢のまま、アウロたちに突撃を仕掛けた。

 その勢いは正しく放たれた矢だ。速く、そして、決して曲がることがない。


(だが、この男一人ならば……!)


 アウロは腰に差していた鞘を剣代わりに構える。

 次いで、その隣に立つカムリがぼっと音を立てて片手に炎を宿した。


「くらえっ!」


 手の平から離れた火球が隻腕の男へと飛翔する。


 だが、ベディクは投げつけられた火の玉を槍の一振りで粉砕した。

 薄闇の中に火の粉が散る。その向こうから槍を振り被った男が姿を現す。

 空気を裂き、唸りを上げる轟槍。アウロたちは既に、相手の攻撃圏内に捉えられていた。


 ――ぶぉん!


 間髪入れずに一閃された槍が、アウロとカムリを纏めて薙ぎ払おうとする。

 アウロは素早く横に飛んでその一撃をかわし、カムリは寸前で転移してベディクの背へと回った。

 丁度、前後から相手を挟み込む形である。事前に話し合った訳でもないが、二人は自然と息を合わせていた。


【主殿、まずわらわが攻撃を仕掛ける! だから、その隙に――!】

了解ラジャー!】


 アウロとカムリは素早く念話を交わした。


 その直後、魔術を行使しようとしていたカムリめがけて、ベディクは槍の石突による打突を叩き込んだ。

 相手に背を向けた状態での不意打ちである。それでも、カムリは自らの魔力を展開してこの一撃を防いだ。


 ――ガギャッ!


 赤い光によって編まれた円形のシールドが、空中で粉々に砕かれる。

 同時に、貫通した衝撃がカムリの体を背後へと吹き飛ばした。


「こ……のおっ!」


 だが、カムリは体勢を崩しながらも右手から火球をぶっ放す。


 ベディクはこれを振り向きざまに槍で切り上げた。

 穂先に弾かれた炎の玉は、軌道を変えて天井に突き刺さる。

 普通の武器では到底不可能な芸当だ。あの槍もダグラスの魔剣と同じ、魔具の類なのだろう。


(だが、これで隙ができた……!)


 背後の敵への攻撃。そして、直後に飛んで来た火球に対する防御。

 この二つの動作によって男は無防備な背中を晒している。

 その隙を狙って、アウロは振り返りかけた男の左脇腹に鞘を突き入れた。


 ――しかし、何故か手応えがない。


 見れば、鞘の先端が捉えたのはコートの裾だけだ。

 ベディクは寸前で体を捻り、こちらの攻撃をかわしていた。


(しまっ……)


 思わず、全身が凍りつく。


 直後、ベディクの放った肘打ちがアウロの右肩を強打した。

 たちまちアウロの体は石畳の上を離れ、壁際付近まで弾き飛ばされる。

 どうにか鞘を支えに起き上がるも、肩が焼けるように痛い。

 今の一撃で骨が砕けたらしい。人間とは思えない膂力だ。


「ぐっ……」

「主殿! こいつ、よくも!」


 怒りに眉をつり上げたカムリは、ぼっと両手に炎を灯した。


「『我は太陽の化身、ルーの導き手! 全ての大地を照らす者なり! 全能の光よ、灼熱と化すがいい! 紅蓮の槍となって我が手に集え! 燃え盛る穂先で敵を焼き尽く――』」


 朗々と唱えられていた詠唱がふいに停止する。


 数秒の間に、ベディクはほんの少しだけ立ち位置を変えていた。

 先ほどまでの階段を背にした位置ではなく、壁を背にした位置へと。

 すなわち自身とカムリ、そして、石畳に膝をついたアウロが一直線に結ばれるような位置へと。


「くっ!?」

「〝灼滅五炎大槍ブリューナク〟は貫通力の高い術式だ。主を盾にされては撃てまい」

「まさか、詠唱から呪文の内容を判断したのか……? お前、一体何者だよ!」

「亡霊だ」


 低い声で告げ、ベディクは真っ直ぐカムリへと襲い掛かった。


 すぐさま転移術式で相手の側面の回り込んだカムリは、再び両手から生み出した火球を投げつける。

 もっとも、その程度の攻撃を苦にするベディクではない。手の中で槍を一回転させ、火の玉を弾き飛ばしてしまう。

 更にベディクは走りながら、つま先で床を蹴り上げた。いや、正確には床に落ちていた物体をカムリめがけて蹴り飛ばした。


「うっ!?」


 闇の中を飛翔するのは、先ほどハンナが用いていた黒塗りの短剣である。


 カムリは咄嗟に転移の術でこれを回避した。

 が、その動きは完全にベディクによって読まれている。

 再びカムリが姿を現した時にはもう、ベディクは彼女の眼前にまで迫っていた。


「わぁっ!?」


 間髪入れず槍の穂が跳ね上がり、下段からカムリの体を抉ろうとする。

 慌てて背後に飛び下がったカムリだが、そこはまだベディクの槍の射程圏内だ。

 直後、空中にぱっと赤いものが散る。アウロは蛇のようにうねった槍が、カムリの胸元にめり込むのを見た。


「カムリ!」


 アウロは思わず叫び声を上げる。


 が、当のカムリはたたらを踏んで後ずさっただけだった。

 よく見れば周囲に散った赤いものも、彼女が着ているワンピースの一部である。

 ベディクの槍が捉えたのは服一枚だけだ。カムリは紙一重で相手の攻撃を避けていた。


(――いや、あれはカムリが避けたのではなく)


 その逆だ。ベディクが攻撃を外したのである。


 カムリは警戒心を露わに男を睨みつけた。


「……お前、わざと外して」

「外した訳ではない。確かめたいことがあったのだ」


 ベディクは槍の柄をトンと肩の上に乗せた。


 男の青く濁った瞳は破けたワンピースの向こう、露わになったカムリの胸元へと向けられていた。

 もっとも、ベディクの目的は柔らかそうな双乳を鑑賞し、堪能することではないだろう。

 その間にあるとぐろを巻いた竜の紋様こそ、男が確かめたかったものに違いない。


「なるほど。やはり蘇っていたのか、カンブリアの赤き竜よ」

「な……!?」


 男の口からこぼれた台詞にアウロは耳を疑った。


 無論、それはカムリも同様である。

 彼女は困惑気味に口を開いた。


「そなた、一体何者だ? わらわのことを知っているのか?」

「お前のことは知らない。だが、赤き竜の伝承は知っている」

「冗談はやめて欲しいね。あんなものただのお伽話だろう」

「確かに本の物語はそうだ。しかし、この世には真実を語り継いでいる者たちも存在する」


 男の言葉は謎めいていて実体がはっきりしない。

 ただ、ベディクがカムリの素性に感づいたのは確かのようだ。


 一人置いてけぼりにされる形となったハンナは、怪訝そうな顔でベディクを見た。


「えっと、ベディクさん。赤き竜とか一体なんのお話で――」

「ハンナ」


 が、その質問を阻む形でベディクは言った。


「伏せろ」

「……はい?」


 訳が分からず首を傾げるハンナ。


 直後、その音はアウロの耳にも届いた。

 なにか、重い物体が高速で空気を引き裂く音。

 機竜が急降下する際によく聞く風切り音が、この王城へと迫りつつあるのだ。


 夜襲、空戦、迎撃、撃墜――


 幾つかのキーワードがアウロの脳内を駆け巡った。


「まずい……カムリ、逃げろ! こっちに転移するんだ!」

「ふぇ?」


 カムリは不思議そうな表情で振り返った。


 ――その瞬間。


 全く唐突に蜘蛛の間の天井がひび割れ、砕け、崩落した。

 それは丁度、オモチャの城に石をぶつけた時とよく似ていたかもしれない。

 この場合、石の代わりとなったのは墜落した機竜だ。高度5000フィートから降ってきたアダマントの塊が、王城の一角を直撃したのである。


 そこにアウロたちがいたのは不運以外の何物でもない。

 ただ不幸中の幸いと言うべきか、壁際にいたアウロが落ちてきた機竜に潰されることはなかった。

 だが、無事では済まない。アウロは衝撃の余波で吹き飛ばされ、壁に後頭部を打ち付けてしまう。


 そして、彼の意識は漆黒の闇へと転げ落ちていった。

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