2-14
ガルバリオンがカムロートを出てから二週間が経過した。
この間、王都は敵からの襲撃にさらされず平和そのものとなっていた。
緊張の面持ちで機甲竜騎士団と合流した訓練生たちも、近頃はすっかり城郭内の生活に慣れ始め、だらだらと日々を過ごしている。
無論、それは正規の団員も例外ではない。暇を持て余した騎士たちはもっぱら、賭け事や卓上遊戯で時間を潰していた。
「うーに、暇だなー。まさか、ここまでやることがないとは思わなかったよ……」
カムリは気の抜けきった表情で、テーブルの上に顎を乗せた。
今日は空が荒れているため騎士団の訓練もなく、アウロはハンガー内にあるソフィアの工房でのんきにティータイムを過ごしていた。
現在、機甲竜騎士団では総勢四十八名の騎士たちが三組に別れ、八時間交代でスクランブル出撃のための待機任務についている。
ナーシアやルシウスと同じ組に所属するアウロは、朝から夕方までのもっとも楽な時間帯の担当だ。逆に、深夜の組は昼夜逆転生活を送らなくてはならないため大変である。
「そういえば、ソフィア」
アウロは同じ卓上で紅茶をすすっている少女に、ちらりと視線を向けた。
「シドカムはまだこちらに来られないのか? もう他の訓練生たちが騎士団に加わってから半月近く経ったが」
「あー、その件なんですが……」
ソフィアは言いにくそうに口ごもった。
「実は騎士団の某N氏がシドっちさんの参加に強く反対してるんです。なんでも、亜人なんかに機竜の整備なんてさせられないって」
「本気か? シドカムは開発科のトップだぞ。そんなことを言えば、他の連中の反感を買うだろうに」
「それはそうなんですが……。単なる平民出身の訓練生じゃ、ナーシア様に逆らえるはずないですよ」
「だが、《ホーネット》の整備はどうする。あれの点検には開発者の力が必要なはずだ」
「あ、それは大丈夫です。この前、私の方から養成所に出向いて整備方法を教えて貰いましたので。それに《ホーネット》は《ワイバーン》をベースに作られた機体ですから、内部構造自体はそれほど変わりません」
つらつらと並べられる説明に、アウロは「分かった」とため息をこぼした。
キャスパリーグ隊による襲撃事件が起きてからというものの、この国はすっかり亜人アレルギーになってしまっている。
問題はその煽りを受けているのが、今回の事件とは全く関係のない人々だということだ。
シドカムは事件に関わってこそいるものの、立場としては被害者の側だ。
亜人というだけで立入禁止を食らうのは不憫と言うより他にない。
「そーいえば前線の方はどうなってるのかな? 確か、そろそろ王国の軍隊が敵の領地に着く頃じゃなかったっけ?」
「いや……ここ数日は天候が安定していないからな。ガルバリオンたちもようやく昨日、ブラッドレイ家の領地であるタウィンに到着したらしい」
「ドルゲラウの南西にある町ですよね。やっぱり、海沿いを行軍する形になるんでしょうか」
「少なくとも、陸軍は浅瀬を通る西側のルートからドルゲラウを攻めるつもりだろう。この時期の山越えは危険過ぎる」
「ふーん。じゃあ、こっから戦いが始まるまで、まだまだ時間がかかりそうだね」
カムリは暇そうに椅子の上で足をぶらぶらとさせた。
「でも、空ではもう小規模な戦いが起きてるはずですよ。どんなに険しい山道も、空を飛ぶ機甲竜騎士にとってはただの地面ですからね」
ソフィアはティーカップを置き、小さく息をついた。
「ただ、どちらにしろ結果は見えています。陸でも空でも、圧倒的にこちら側の方が軍備は上です。しかも、戦うのは王国の貴族同士だなんて……こんな戦争、意味無いですよ」
「そうかな? 相手は勝ち目があるから戦争を起こしたんじゃないの?」
「私の知るブレア・アクスフォードという方は忠義心の厚い方です。本気で王国を叩き潰す気があるとは思えません」
「ソフィア、アクスフォード侯を知っているのか?」
アウロの質問に、ソフィアは「むっ」と頬を膨らませた。
「ちょっとくらい話したことはありますよ。アウロさん、ひょっとして私が伯爵家の人間だってこと忘れてません?」
「ああ……すまない。そういえば、ソフィアの兄君はあの【魔導伯】デュバンだったな」
デュバン・サミュエルはこの国の宮廷魔術師だ。
その妹であるソフィアも当然、伯爵家の令嬢ということになる。
「うう、本当に忘れてるなんて……。まぁ、いいんですけどね! 私にお嬢様っぽさなんてのがあるとは思えませんし!」
「いじけるなよ。それより、ソフィアはアクスフォード侯爵の人となりをどう捉えているんだ?」
「人となりですか? うーん、とりあえず悪い人ではないですよ。ただ頑固なイメージはあります」
「頑固、か。そもそも、今回アクスフォード侯爵が蜂起した直接の原因は――」
「間違いなく、モグホース様との対立です。あの二人、亜人街の撤去を巡って正面衝突しちゃったんですよ。で、その十日後には例のキャスパリーグ隊による養成所襲撃事件が起きてます」
「なるほど」とアウロは相槌を打った。
「アクスフォード侯爵は亜人たちの擁護者だった訳だ。だからこそ、キャスパリーグ隊も力を貸したのだろうが」
「でも、今の状況を見るとなんだか本末転倒だよね。亜人街の取り壊しが決まったのはあのネコミミ男のせいだし、シドっちたちが嫌われ始めたのもこの戦争が起きてからだし」
「それが全てではないが、要因の一つとなったのは確かだな。アクスフォード側は宰相殿さえ殺せば全て丸く収まると思っているのかもしれんが、だとしたらそれは甘い考えだ」
「んー……そうかもしれませんね。私としてはもう少し、賢いやり方があったんじゃないかって思いますけど」
ソフィアは眉を寄せ、
「人殺しの兵器を作っている私が言うのはなんですが、戦争っていうのはできるだけ避けるべきなんですよ。一度争いが起きれば、その痛みはいつまでも人々の間に恨みと憎しみを残してしまいます」
「でも、戦争が必要な時だってあるよ。東の蛮族どもが攻めてきたら、わらわたちは武器を取って戦わなきゃならない」
「それは仕方ありません。ただ、私たちブルト人とサクス人にしても最初から憎み合ってた訳じゃないと思うんです。何度も戦いを繰り返してる内に、不倶戴天の敵になっちゃった訳で」
「む……それは一理あるかな」
カムリは複雑そうに頷いた。
ブルト人の守り神。カンブリアの赤き竜である彼女は、異民族であるサクス人を蛇蝎の如く嫌っている。
しかし、それは前世の記憶の中で、多くの民や仲間たちがサクス人たちによって蹂躙されたためだろう。
そして、アルトリウス王の時代に育まれた憎悪は今も残っている。四百年以上にも及ぶブルト人とサクス人の民族的対立は、人間と亜人のそれよりも遥かに濃く、根深く、ドス黒い。
(……厄介な問題だな)
ソフィアの言うことは正しいが、宰相モグホースが民衆たちにとってありがたくない政策を打ち出しているのは確かだ。
それでも、アクスフォード侯爵に強い政治力があれば宰相の一派に対抗できたかもしれない。
が、結局のところ侯爵は武力に走った。政治ではなく、戦いの中で宰相との決着をつけようとしたのだ。
「恐らく――」
アウロはカップの中で揺れる紅茶に視線を落とした。
「ブレア・アクスフォードも、ダグラス・キャスパリーグも、戦うことでしか物事を解決できない種の人間なのだろう」
「つまり野蛮人ってこと?」
「違う。不器用というだけだ。彼らは政治家ではなく武人なんだよ」
「武人……武人ですか」
ソフィアは幾度か噛みしめるように呟き、
「なんとなく分かります。ひょっとしたら、ブレアさんも自分のやり方が最善じゃないってことに気付いてるのかもしれません」
「どうかな。どのみち、彼らは動き出してしまったんだ。今更、後戻りはできない」
「そうですね。後はもう戦争が長引かないように祈るだけです」
ソフィアは椅子から立ち上がり、一度伸びをした後で、机の脇に置かれていた楕円形のゴーグルを頭にはめた。
「それじゃ、私はまたお仕事に戻ります。あんまりサボってばっかりいるとお姑さんに怒られちゃいますし」
「技師長の立場はお飾りじゃなかったのか? ここ最近、随分と忙しそうに動き回っているようだが」
「んー、私の前任者はハンガーにも顔を出さないで、お城で優雅にティータイムを過ごしてるだけだったみたいですけどね。私は機械いじりが好きなのでフリーダムにやらせてもらってます」
「いいのか、それで」
「いいんじゃないですか? そもそも、可愛いアームドドラゴンちゃんたちが油で機関部をぬらぬら濡らしてるんですよ? こんなの我慢できるわけないじゃないですか。ドライバーの一本も突っ込みたくなりますよ」
「………………」
ソフィアの冗談にカムリは顔を赤くした。
ソフィアは見た目こそ貴族のお嬢様だが、男の整備員に混じって生活しているため、やや下品な部分がある。
一方のカムリはがさつなようで、意外と繊細な部分も多い。特に性的な話題に対する耐性はからっきしだ。
そうしてソフィアがハンガーに戻ると、工房内にはアウロとカムリだけが残される。
アウロは一度、ティーカップに口をつけた後で尋ねた。
「そういえば、カムリ。この前、頼んでいた件はどうだ?」
「うぇ? え、ええと、それって」
「王城内の情報についてだ」
「あ、うん。ちゃんと覚えてるよ。ここ二週間で色々聞き回ってみたんだけど……」
カムリは紅潮した頬を誤魔化すかのように紅茶をすすった。
「これは主殿も知ってると思うんだけど、今のログレス王国には四つの勢力があるんだよ。公王派、宰相派、王弟派、中立派……。この中で一番強い影響力を持ってるのがモグぽんの宰相派だね」
「ああ、今の王城がモグホースの一派が牛耳られていることは知っている。しかし、何故あんな成金貴族が国王以上の権力を持っているんだ?」
「んー、わらわの聞いた話を統合すると、モグぽんの権力を支えてるのはお金だね。あのじいさん、大陸の連中と商売してるらしくてさ。なんでも、すごい量の金貨を自宅に貯めこんでるらしいよ?」
「そうか。そういえば、モグホースは大陸の出身だったな」
ここ数年、王城から遠ざかっていたアウロだが、【白老侯】モグホースについて知っている情報は幾つかあった。
元々、モグホースという男はアルビオン島から見て東にある大陸から、ここログレス王国にやってきた商人だった。
しかし、彼は国内で財を成して貴族の位を購入すると、政界へ進出し、自らの妹であるモリアンをウォルテリスの元に嫁がせたのだ。
こうして王の外戚となったモグホースは、瞬く間に侯爵の位まで上り詰めた。
更に宰相の座を得たことで、今では王国の政権を完全に掌握している。
「しかし、情けない話だ。金貨を握らされただけで言いなりになる貴族がそこまで多いとは」
「別に全部が全部そうって訳じゃないよ。モグぽんに味方してるのは中小貴族が大半で、大貴族のほとんどはあのじいさんのことを嫌ってるね。特にアクスフォード家なんて、滅茶苦茶モグぽんと仲が悪かったみたいだし」
「だからこそ、今回の戦争が起きたんだろう。もっとも、モグホースを潰すだけなら他にやりようがあったとは思うが」
「んー、暗殺とか?」
「それが一番手っ取り早いのは確かだな」
アウロはちらりと周囲に視線をやった。
ソフィアの工房はハンガー内から完全に独立しているから、盗み聞きされる心配は薄い。とはいえ、あまり人に聞かれていい話ではないのは確かだ。
「だが、宰相を暗殺するのは難しいだろう。謀殺や奸計はむしろ、【白老侯】の得意とする手管のはずだ」
「らしいね。なんでも、モグぽんは近衛騎士団の一部を顎で使ってるらしいよ?」
「黒近衛の連中だな。あの連中は諜報にも長けているという噂だ。もっとも、奴らが何故モグホースに協力しているのかは分からんが」
「それはわらわも調べ切れてないなぁ。そもそもみんな遠慮してるのか、あのじいさんのことについて喋りたがらないし」
そこでカムリはふと思いだしたかのように、「あ」と声を漏らした。
「そういえばもう一つ、みんなが秘密にしてることがあるんだよ」
「というと?」
「ほら、お城の外れになんか牢獄みたいな塔があるでしょ? あの場所について聞いて回ってみたんだけど、何故かみんな口をつぐんじゃうんだよね」
「アンプロジウスの塔か」とアウロは呟いた。
「昔、魔術師マーリンが己の住処として使っていたとされる場所だ。今は牢獄――ではないが、監禁場所として用いられている」
「ってことは、あそこに誰か閉じ込められてるの?」
「まぁな。あの塔の中にいるのは、先代の機甲竜騎士団団長だ。奴はモーンの乱の最中、配下の騎士たちを率いて二千人近い民間人を虐殺した。そのために王の怒りを買い、塔内に幽閉された」
「嫌な話だね。でも、みんなが秘密にするほどのことかな」
「あの塔について誰も話したがらないのは、そこに一種のタブーがあるからだ」
「……? どういう意味?」
こてりと首を傾げるカムリに、アウロは告げた。
「公王ウォルテリスには、俺を除いて四人の王子がいる。第一王子ドラク・マルゴン、第五王子ドラク・ナーシア、第八王子ドラク・ルシウス……。だが、最後の一人について知る人間は少ない」
「えっと、わらわがまだ見てない王子だね。確か、第二王子の――」
「名はドラク・ガーグラー。通称、【鮮血の王子】」
「【鮮血の王子】……?」
カムリは眉をひそめた。
基本的にログレスの王子は全て、髪の色にまつわるあだ名がつけられている。
私生児のアウロでさえ赤錆だ。侮蔑的な響きはあるものの、悪名ではない。
だが、『鮮血の――』という呼び名は明らかに大量虐殺者に送られる名前だった。そこには嫌悪の感情すら込められている。
「ガーグラーは弱冠十八歳で機甲竜騎士団の団長になった。だが、奴はその後に様々な問題を起こした。……一説によると、モーンの反乱が起きた原因も奴にあるという話だ」
「あ、それはわらわも聞いたことがあるよ。なんでも昔の竜騎士団団長が、海賊にさらわれた亜人たちを島ごと焼き払ったとか」
カムリの言葉にアウロはため息をこぼした。「奴のやりそうなことだ」
「俺の知るガーグラーという男はとにかく乱暴者で、良識が著しく欠如している。自分に逆らうものは絶対に許さず、気に入らない相手がいれば実力で排除する。見た目こそ人間だが中身は野獣そのものだ」
「うーん、もう王の器とかそういう問題じゃないね。じゃあ、あの塔の存在が秘密になってるのは王族が閉じ込められてるからってこと?」
「そうだ。そもそも、ガーグラー自体が王家の忌子だしな」
「いみご? それってどういう――」
尋ねかけたカムリだが、その声はハンガー内に鳴り響いたけたたましい警鐘の音でかき消された。
アウロは天井を見上げた。誤報の知らせはない。
ならば、導き出される答えは一つだけだ。
「敵襲だ!」
アウロは即座に椅子から立ち上がった。
二人が工房から飛び出すと、既にハンガー内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
配備された機竜の間を整備員が駆け回り、待機任務についていた騎士たちが次々と飛行場に飛び出ている。
アウロはその中に薔薇色の長髪を揺らすナーシアと、顔色を青ざめさせたルシウスの姿を認めた。
「ナーシア殿!」
「ギネヴィウスか。お前もぐずぐずするな。出撃だ!」
「分かりました。しかし、どの程度の敵が来ているのです?」
「正確な数字はまだ不明だ。だが、およそ三十程度の機影が確認されたらしい」
アウロは「三十?」と思わず聞き返してしまった。
三十機の機甲竜騎士。それはもはや、アクスフォード側が保有する機竜のほぼ全てに匹敵するはずだ。
恐らく、敵はカムロートの強襲に全ての航空戦力を注ぎ込んだのだろう。ガルバリオンが王都を発った隙を狙われた形である。
(しかし、まずいな。今こちらが出せる機竜は十六機だけだ)
敵との戦力比はおよそ一対二。
すぐに残り三十二機の発進準備もできるだろうが……少なくとも、それまではアウロたち十六機だけで敵の攻撃を防がねばならない。
「アウロ、今日は君が僕の僚機だ。よろしく頼む」
緊張の面持ちで声をかけてくるルシウスに、アウロは「ああ」と頷き返した。
「俺たちにとっては初めての実戦だ。今日はお前が味方で頼もしく思うよ」
「僕もだ。君は敵に回すと恐ろしい。でも、味方にすればこれほど心強い存在はない」
ルシウスはそう言って、かすかに笑みをこぼした。
一方、カムリはフードの下から不安そうにアウロの顔を見上げ、
「主殿、わらわは……!」
「地上で待機だ」
短く答え、アウロはハンガーの外へと飛び出た。
既に飛行場のエプロンでは、十六機の機竜が発進の準備を終えている。
アウロは誘導を行なっている整備員たちの中に、フラッグを手にしたソフィアの姿を認めた。
「ソフィア」
「あ、アウロさん! 敵襲ですよ! なんか敵がいっぱい来てるらしいです!」
「さっき聞いた。それより《ホーネット》の点検は?」
「終わってます。いつでも行けますよ!」
ぐっと親指を立てるソフィア。
アウロは「分かった」と頷き、《ホーネット》の横に置かれていた騎士甲冑へと乗り込んだ。
即座に魔導回路が起動し、外部の光景がバイザーに表示される。
アウロは計器に問題がないのを確認すると、騎銃槍とシールドをガントレットで掴み取った。
更に防弾用の外套を背に装着し、予備兵装であるブレードを腰にマウントする。この二つは養成所内では滅多に用いられない装備だ。
(実戦……。これが初めての空か)
アウロは逸りそうになる心を落ち着けるため、深呼吸をした。
カムリの念話が飛んできたのは直後のことだ。
【主殿! その――!】
【なんだ?】
【ちゃんと生きて帰ってきてよ! そなたはわらわが見込んだ男なんだ! こんなとこで死なれちゃ困る!】
【当然だ】
アウロは短く答え、《ホーネット》の鞍上へと飛び乗った。
「アウロ・ギネヴィウス……《ホーネット》、出る!」
ハーネスを引く。ゆるやかに加速した機体が滑走路へと滑り込む。
アウロは一度深呼吸をして、焦りそうになる心を落ち着けた。
ヘルム内のヘッドマウントディスプレイには、ルシウスの《グリンガレット》が表示され、その奥にはエドガー・ファーガスの《ワイバーン》が、更にその前方には鮮やかなバイオレットの装甲を持つ機竜が映っている。
――《ラムレイ》。
機甲竜騎士団団長、ドラク・ナーシアの駆る王族専用機の一つだ。
この骸装機は他の機竜と違い、装甲から茨のように鋭い刺が生えていた。
機体と同様にアーマーも毒々しい紫色に塗られ、両肩からはそれぞれ三本のスパイクが突き出ている。
その上、風にたなびくマントの色は黄金だ。王族専用機は赤に近い色に塗られる習わしがあるとはいえ、兵器として考えるとやや派手過ぎだった。
(まぁ、その分こちらが隊長機を見失う可能性も低そうだが……)
アウロは飛び立つ僚機に続いて、自身もハーネスを胸元まで引いた。
滑走路で十分な加速を得た機体は、エンジンから唸り声を漏らしながら空へと駆け上がっていく。
途端、視界いっぱいに青空が広がった。急上昇によるGを受けた肉体が、みしみしと軋むような音を立てる。
そこで、アウロは横向きの突風に機体が煽られるのを感じた。
と同時に、先行する《グリンガレット》がぐらりと斜めに傾ぐ。
『わっ……と!?』
「ルシウス、気をつけろ。今日は気流の動きがかなり荒い」
『分かった。でも、不安だな。こういう悪天候での訓練はあまりしてないし』
「ああ。だからこそ、相手も天気が荒れるのを待ってから攻めてきたんだろう」
アウロは慎重にハーネスを操りながら、友軍機と編隊を組んだ。
ナーシア率いるブラスト小隊は小隊長であるナーシアが先頭に立ち、その左後方にエドガーの二番機がくっついている。
逆に、右後方の位置を占めているのはルシウスとアウロだ。分隊長であるルシウスが前、アウロがその後ろである。
加えて、アウロの背後からは飛行場から飛び立った機甲竜騎士の一群が、それぞれ編隊を組みながら隊長機に随従していた。
『団長! 団長! 聞こえますか!』
そこでふいに本部からの通信が入る。
ナーシアはややげんなりした様子で答えた。
『聞こえてるよ。だからそんなに大声で叫ぶな』
『も、申し訳ありません。敵機の位置を報告します』
ピッと音を立て、バイザーの端に円状のスコープが表示される。
アーマーに搭載されたレーダーには本部から送られた敵機の情報が、複数の光点となって映し出されていた。
敵の数は自軍の約二倍。虚空に点在した光の粒が、まるでひとかたまりの生物のようになってこちらに迫りつつある。
『敵の編隊は現在、カムロートから5.2マイルほど西の位置。ラグネルの森上空にいる模様です』
『ほう。連中め、森の中にこそこそと隠れていたらしいな。だが、編隊ということはそれなりの数がいるのか?』
『はい! 現在、三十機が確認されています!』
『なに? 三十だと?』
チッ、と通信機の向こうから響く舌打ちの音。
『なんて中途半端な数なんだ。あと二つ機竜を増やせば、三十二という見れた数字になるというのに』
『……兄さん、今はそんなことにこだわってる場合じゃあ』
『分かってるさ。では、機甲竜騎士団各機に伝達する。我らはこれより王城に群がるハエどもを駆逐する!』
『団長! 敵はこちらの倍近くいるという話でしたが!』
『うむ。よって、撃墜ノルマは一人二機とする。よろしいか?』
『了解!』と間髪入れずに応える声。
同時に、機首を西へと向けた編隊がエンジンから炎を吐きながら加速する。
アウロはぴしゃりと手綱を打って、《ホーネット》のアフターバーナーを噴かせた。全身にGがかかり、呼吸がやや息苦しくなる。
『ルシウス、ギネヴィウス、お前たちにとっては厄介な初陣となったが、こうなってしまっては仕方がない。ルシウス、お前は私の側を離れるな。ギネヴィウス、お前はルシウスの護衛につけ』
『兄さん、それは――』
「了解」
アウロはルシウスの台詞を阻む形で返答した。
5.2マイルの距離など、機竜の速度なら三分足らずで駆け抜けてしまう。
おまけに今は敵もこちらに迫っているのだ。いちいち口論している暇はない。
『総員、戦闘準備! よろしいか、諸君! 奴らを見つけ次第、その鼻っ面に砲弾をぶつけてやりたまえ! 我々に挑んだことの愚かさを教え込んでやるのだ!』
ナーシアの号令に、カムロートの騎士たちは再度『了解!』の一言で応える。
隊の一人が声を上げたのは、それからすぐのことだった。
『団長! 十一時の方角に敵影を確認しました!』
アウロはちらりと左前方に視線を向けた。
暗褐色に染まった空。散りばめられた雲の向こうに、なにやら黒い粒が浮かんでいるのが見える。
それらはみるみる内に大きくなり、やがて複数の機竜の形を取り始めた。間違いなく敵の編隊だ。
そして、こちらからはっきり見える以上、相手方も迎撃部隊が出たことに気付いているはず。
そんなアウロの予想を裏付けるかの如く、敵編隊の中から赤いラインが放たれた。
騎銃槍による砲撃だ。燃えたぎる魔導弾が幾条もの閃光と化し、真っ直ぐ自軍めがけて飛翔してくる。
『団長! 敵からの攻撃が!』
『単なる威嚇射撃だ! 総員、散開して回避せよ!』
『了解!』
他の騎士たちに混じって応答しつつ、アウロはハーネスを左に捌いた。
直進してくる敵ドラグーン部隊に対し、機甲竜騎士団は左右から挟みこむような形で攻撃をかける。
やがて高度12000フィート、敵軍との相対距離が1マイルを切ったところで、ナーシアは吼えた。
『行くぞ、諸君! 奴らをカムロートに近づけさせるな! ――交戦開始!』




