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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
二章:斧の反乱
31/107

2-13

 カムロート西部の森林地帯は、一般的に『ラグネルの森』の名で呼ばれている。

 かつてアルトリウス王の時代。王の甥子だったガウェイン卿が、一人の女性と出会ったとされる場所だ。

 その女性こそ、ラグネル――後にガウェイン卿の妻となった人物である。

 この森の名称は彼女の名に由来としているのだった。






「『我は森羅の王、スケルスの継ぎ手! 新緑の青き枝葉なり! 広大なる森よ、その懐に我が身を隠せ! いと深き草木の重なりで、我らに仇なす者を永久の迷宮に彷徨わせ給え!』」


 朗々と紡ぎ上げられた呪文が、外界に対して干渉を始める。


 エルフの魔術師サンバイルは宙を見上げ、自身の術が森中に浸透するのを確認した。

 この『森隠れの術』は彼が最も得意とする魔術の一つだ。大規模な拠点を持たないキャスパリーグ隊は、この術を駆使して森の中にアジトを構築してきた。

 サンバイルは掲げていた杖を下ろすと、分厚い雲越しの光に隻眼を細めつつ、白く濁った息をこぼした。


「お疲れですか、サンバイルさん?」


 ハンナはどこか憔悴したように見える男の横顔に声をかけた。


 寒々しい森の中、ハンナは灰色のエプロンドレスを着て、首にマフラーを巻いた格好をしていた。

 周囲には燃える焚き木を囲む形で、五つの薄汚れた天幕が張られている。

 更にその外縁には、上から迷彩柄の布を被せられた膨らみがおよそ三十以上。まるで防壁のように、ぐるりとテントの群れを取り囲んでいた。


「これはハンナのお嬢。ランティの様子はどうでした?」

「肉体はもう完治しています。ただ、なにかトラウマになっているようなことがあるのか、形のない痛みに悩まされているようです」

「無理もないですね。あいつはこの前の戦いで、アーマーの中に閉じ込められたまま、じわじわと蒸し焼きにされちまったんです」

「それはひどい。よく助かりましたね」

「ま……クーシー族自体、頑丈な種族ですから。それに交戦した魔術師がとどめを刺して行かなかったのも幸運だった」


 言って、サンバイルは焚き木の前に腰を下ろした。

 火の上には大きな鉄の鍋がかけられ、ウサギ肉のシチューが食欲を刺激する香りを放っている。

 ハンナは身を乗り出すと、木の匙で鍋の中身をかき混ぜた。琥珀色のスープの上にぷかりとリーキが浮かび上がる。あともう少しで食べ頃だ。


「でも、ちょっと信じられませんね。あの《グレムリン》を真っ向から破壊してしまう魔術師がいるなんて」

「ありゃあ、恐らく古代魔術師ドルイドって奴ですよ。正確には魔術師であり、神官であり、巫女でもあるんですが。全く、分かりませんぜ。なんであんなのが養成所に現れたのか」

「そのドルイド、どんな外見をしていました?」

「ン……そうだな。年齢的にはまだ小娘でしたね。外見は黒いローブを着た普通の魔術師で、フードの下からはちらっと赤い髪が見えました」


 サンバイルの説明に、ハンナはしばし考え込んでしまった。


 彼の言うドルイドとやらは十中八九、かつて孤児院を訪ねてきた赤髪の少女――カムリのことだろう。

 思えば数奇な運命だ。ハンナの父であるダグラスは養成所でアウロと戦っている。

 またハンナ自身も以前、アウロのおかげで窮地を免れていた。


(アウロ・ギネヴィウス……)


 二ヶ月半ほど前、ハンナは養成所の訓練生に絡まれたことがあった。

 貴族や役人が取り締まりと称して女を襲う。当時の亜人街ではよく起きていた事だ。

 ただ、その日の彼女は服の下に短剣を忍ばせていた。護身用に持っていたものだが、見つかればちょっとした騒ぎになっていただろう。


 あの時、自分が難を逃れることができたのは間違いなくアウロのおかげである。

 だからハンナはアウロに感謝していたし、貴族でありながら嫌味なところのない彼を尊敬していた。


 ――もっとも、それはつい先日までの話だ。


 アウロは養成所襲撃の際、キャスパリーグ隊の同胞を返り討ちにしてしまった。

 相手からすれば完全な正当防衛だが、ハンナにとっては仲間を殺されたことに変わりない。

 もし次にアウロと顔を合わせれば、間違いなく命のやり取りをすることになるだろう。ハンナにはその確信があった。


「それじゃ、お嬢。すいませんが自分は夜まで一眠りさせて貰います。今の内に魔力を回復しとかなきゃならんので」

「分かりました。でも、ご飯は食べなくていいんですか?」

「大丈夫。食事はさっき干し肉とパンで済ませました。鍋の中のごちそうは今から出撃する連中に食わせてやって下さい」


 そう言って、サンバイルは立ち上がると身近なテントの中へと消えた。

 それから数分もしない内に、入れ替わりとなる形で正面から声がかけられる。


「ハンナ? もう来ていたのか」


 天幕の間から姿を現したのは、ハンナの父であるダグラスと、黒いコートを着た長身の男だ。

 陰気な顔立ちである。長年、山にこもっていたかのようなぼさぼさの髪の下から、くすんだ青の瞳が覗いている。

 その一本だけ残された右腕には粗末な槍が握りしめられていた。


「父さん? どこへ行ってたんです?」

「ベディクと少し鍛錬をしていた。今のところ十三勝十三敗でな。久々に熱くなってしまった」

「すごいですね、ベディクさん。父さんとまともに戦えるなんて」

「……ああ」


 ベディクはぶっきらぼうに言うと、槍を地面に突き刺し、その前にどっしりと腰を降ろした。


 無口で愛想のないベディクも、ここ一ヶ月ですっかりキャスパリーグ隊に溶け込んでいた。

 原因はダグラスだ。ハンナの父は自身と対等の力を持つこの男をいたく気に入っており、最近はよく二人で連れ立って手合わせしたり、一緒に酒を飲んでいたりしていた。


「ハンナ、こいつを適当に調理してくれ」


 言って、ダグラスは首をへし折られた鴨をハンナに差し出した。

 「はい」と頷いたハンナは鴨の羽根を手早くむしると、ナイフでその肉を解体し、ぐつぐつと煮立っている鍋の中に放り込んだ。

 しばらく待つと、スープの上にあくが浮いてくる。ハンナはそれを丁寧に匙ですくって捨てた。


「本当は少し熟成させた方がおいしいんですけれど」

「あいにくとその時間はない。今日を逃せば、また空が荒れるまで待たなければならないからな」


 ダグラスは地面に腰を下ろし、黒と金の双眸で分厚い雲に覆われた空を見上げた。


 今日は空模様が悪く、吹き付ける風によって森の木々がざわめいている。

 恐らく、夜には暴風雨がカムロートを襲うだろう。気温は零下に達し、大量の雨氷が降って、まともに外を出歩くことさえできなくなる。

 だが、それこそ彼らが望んでいた展開だった。王弟ガルバリオンが王都を発ってから二週間。ずっとラグネルの森で息を潜めていたのも、この『冬の嵐』が来るのを待っていたためだ。


「そういえば、サンバイルの奴はどうした?」

「先ほど『森隠れの術』を使って、今はテントで寝ています」

「ランティとゴゲリフは?」

「ランティさんもテントの中です。まだひどくうなされています。ゴゲリフ老は他の方々と一緒に、機竜の点検をしているようです」

「フム、ランティの様子は後で俺も見に行こう。あいつは貴重な戦力だ。できれば戦闘に加わって貰いたい」


 「そうですね」とハンナは父の言葉に相槌を打った。


 なにしろ先日の養成所襲撃では、古参であるケットシー族三人衆が死亡してしまった。

 そのため、現在キャスパリーグ隊の初期メンバーで残っているのは、エルフ族の魔術師サンバイル・プルグ、クーシー族の戦士ランティ・シリオ、ドワーフ族の整備員ゴゲリフ・ゴゴゴホ。

 それに隊長であるダグラスと、その娘のハンナだけだ。リコットはハンナと同じくダグラスの娘ではあるものの、戦う力を持たないため隊の一員には数えられていない。


「それとハンナ、街の様子はどうだ? 普段と変わらないか?」

「……はい。正直、街の住民にとって今回の戦は他人ごとです。カムロートが戦火に巻き込まれると思っている人はほとんどいません」

「そうか。リコットと子供たちの様子は?」

「リコも子供たちも元気にしてますよ。戦争が始まって亜人街の解体作業も延期されましたし」

「朗報だな。あの白豚侯が死ねば、解体の計画自体が立ち消えになるだろう」


 無意識の内なのか、ダグラスは腰に下げた剣の柄を撫でた。


 丁度そこでテントの一つの入り口が開き、中から膝丈まである長い外套を羽織った影が姿を現した。

 金色の髪を持つ、線の細い男である。整った顔立ちからは、育ちの良さが伺える。

 アクスフォード家の騎士、カラム・ブラッドレイだ。


「おはよう、ダグラス」

「もう昼過ぎだぞ」

「そういえばそうだね」


 カラムは苦笑を浮かべ、焚き火の前に腰を降ろした。


「昨日、なかなか眠れなかったせいかな。ついこんな時間に起きてしまった」

「他の騎士たちは大丈夫なのか?」

「問題ないよ。今はみんな準備をしている。じきに出てくるだろう」


 その言葉が終わるか終わらないかの内に、残るテントの入口が一斉に開いた。


 中から姿を現したのはカラムと同じく、丈の長いマントをコートのように羽織った男たちである。

 全員格好は同じだが、その年齢は二十代前後の若者から四十代くらいの中年とまばらだ。

 彼らはアクスフォード家に仕える騎士や、カラムのように斧の侯爵家と縁のある者たちだった。既に王国との戦端が開かれる前から、このラグネルの森に潜伏していたのだ。


「や、おはようみんな」

「おはようございます、カラム殿」

「今日もいい天気――ではありませんな。ほど良く空が荒れておる」


 騎士たちはいくつかの集団にまとまりながら、笑顔で言葉を交わし合っている。

 一旦、焚き火の側を離れたカラムはその全てと挨拶を交わした後で、再びダグラスの元へと戻ってきた。


「欠員はいない。三十三――いや、僕を含め三十四名。一人も欠けずに今日まで来れた」

「見事だな。流石はブレア・アクスフォードの誇る『斧の騎士』といったところか」

「ところでダグラス、機体の最終点検はもう終わったのかい?」

「まだだ。終わればゴゲリフがこちらに連絡をよこすだろう」


 父とカラムが言葉を交している間に、ハンナは鍋からすくったシチューを銅製の椀に注いだ。

 白い湯気が上がり、リーキと共に煮込まれた肉が、なんとも言えない芳醇な香りを辺りに振りまく。

 ハンナは「どうぞ」と言って、シチューの入った椀をカラムに差し出した。


「出撃前になにか食べた方がいいでしょう。ここ最近は保存食続きでしたし」

「……ありがとう。これが最後の晩餐ってやつかな?」


 カラムは礼を言って、ハンナの手から椀を受け取った。


 それからしばらくの間、ハンナは黙々と手を動かしてシチューを注ぐ作業を続けた。

 アクスフォード家の騎士はカラムを含め三十四人。その全てに料理を振舞ったため、大鍋の中身は瞬く間に空となってしまう。

 椀を受け取った騎士たちは車座になって地面へと座り、食事を取り始めた。静かな森の中がしばし和やかな空気に包まれる。


「でも、驚いたな」


 カラムはシチューを平らげた後で、ちらりとハンナに視線を向けた。


「ダグラス、君にこんな可愛い娘さんがいたなんて。初めて見た時は目を疑ったよ」

「自慢の娘だ。ハンナには俺の持つ全ての技術を叩き込んである」

「……まさか君、自分の娘を戦士に鍛え上げたのか?」

「そうだ。俺は他に子を育てる方法を知らなかったのでな」


 ダグラスは淡々と答えた。


 今の王国内において女性が戦場に立つことはほとんどない。

 戦いは男の仕事であり、女の役割は子を産み、家庭を守ること。

 国内に住む人々の大半はそう考えていた。無論、カラムも同様だ。


「なんて無茶苦茶な。君は娘と息子を一緒くたに考えちゃいないかい?」

「否定はしない。ハンナに母がいれば女らしいことも教えられただろう。だが俺の妻は五年前、二人の子を遺して死んでしまった」

「五年前? まさか戦争に巻き込まれて?」

「いや、死んだのはその直前だ。正確には、あれの死がモーンの戦いにおける原因の一つとなった」


 その言葉に、しばし焚き木の周囲は静まり返った。


 森に騎士たちの笑い声が響く中、ハンナは居並ぶ面々の顔にちらりと伺った。

 ダグラスは無言のまま目を伏せ、その向かいに座るカラムは柔和な顔立ちに緊張の色を浮かべている。

 重い沈黙の中、おもむろに口を開いたのは先ほどまで置物のようになっていたベディクだった。


「ダグラス」

「なんだ?」

「聞かせろ」


 主語も目的語も省いた、ぶっきらぼうな台詞である。

 ダグラスは眉を寄せつつ、なんでもないことのように言った。


「人に聞かせるまでもない話だ。妻を失った男が怒り狂って王国に刃を向けた。要はそれだけのことだからな」

「それじゃあ色々と省きすぎだよ。僕も詳しい事情を知りたいな」

「知ってどうする。それとも、ただの興味本位か?」

「興味があるのは確かさ。モーンの乱が起きた原因は、亜人に対する迫害にあるって言われてる。けど、君の口振りからするとそれとは別に、なにか契機となるような事件があったんだろ?」

「……そうだ。だが、あの事件を王国は隠蔽した」


 ダグラスはそこでためらうかのように口をつぐんだ。

 傷だらけの顔には深い懊悩と、それに比する後悔の色が見える。

 ハンナは知っていた。母の話題になると、父はいつもこんな風にひどく打ちのめされたような表情をするのだ。


 それでも、ハンナは父が苦しむのを承知で言った。


「私も知りたいです、父さん」


 その言葉に、ダグラスはぎょっとした様子で自らの娘を見た。


「ハンナ、お前はもう大まかな事情について知っているはずだろう」

「はい。サンバイルさんやゴゲリフさんから話を聞きました。でも、父さんの口からはなにも聞いてません」

「……そうだったか?」

「そうですよ」


 ダグラスは「そうか」と呟いた後で、小さくため息をこぼした。


「ならば、いいタイミングだったのかもしれん。俺が死ぬ前に、一度はエスメラルダの死について話しておくべきだろうからな」

「お願いします」


 ハンナは頭を下げ、頼み込んだ。

 それから数秒間、ダグラスは視線を宙にさまよわせていた。

 やがて、その唇がゆるりと開き、


「では、簡単なあらましだけ説明しておこう。かつての俺はモーンで戦争に明け暮れていた。元々あの島には幾つかの豪族がいて、互いに互いの領土を奪い合っていたんだ。俺はブレアや【氷竜伯ブリザード】の爺さんと手を組むことで、その戦いの勝利者となった。そして島の中から蛮族どもを駆逐し、その褒美として王国からモーン島一帯の領土と辺境伯の地位を授けられた」

「それは僕も知ってる。事件はその後に起きたのか?」

「ああ。モーンの蛮族の中には海を拠点とする連中がいた。……要は海賊のことだ。奴らは俺がモーンの領主となった後も、しばしば王国の沿岸地域を襲って略奪を繰り返した」


 左右で色の違う瞳が、揺らめく炎をじっと見つめている。


「俺は奴らを徹底的に取り締まった。だから、奴らも俺のことをひどく恨んでいた。そしてある日、俺が領地の見回りから帰ると、俺の留守を狙った海賊どもが館を襲っていたんだ。すぐに俺は隊の仲間と反撃をかけて、ハンナとリコットを取り戻したが、二人の母親――エスメラルダだけは船に乗せられ、離れの島まで連れ去られてしまった」

「………………」


 ハンナは無言のまま、地面に視線を落とした。


 当時の自分はまだ十一歳になったばかり。それでも、あの時の光景ははっきりと記憶に残っている。

 火を放たれる館。殺される使用人。次々と乗り込んでくる海賊たち。「逃げなさい」と叫ぶ女――

 それがハンナにとって最後に見た母の姿だ。


「離れの島には奴らの拠点があって、そこにはエスメラルダ以外にも、沿岸部から拉致された多くの民が人質として囚えられていた。だが、当時の俺たちは海上を移動するための手段――帆船や機竜を持っていなかった」

「機竜はともかく……船もなかったのか?」

「川を遡上するための輸送船はあったさ。しかし、海上で用いるための大型のガレー船がなかった。そこで俺は王都に応援を要請し、機甲竜騎士団ロイヤルエアナイツに力を貸してくれるよう頼み込んだんだ」

「なるほど。機竜なら王都からモーン島まで半日もかからずに着ける」


 カラムは口元に手を当てつつ尋ねた。


「それで事件は解決したのか?」

「ああ、解決した。当時、機甲竜騎士団を率いていた団長は、人質ごと海賊どもの拠点を焼き払ったんだ。複数の陸攻機ストライカーが絨毯爆撃を行い、ちっぽけな島は跡形もなく消滅した。海賊たちは全滅し、囚えられていた人質たちもみな死んだ」

「……なんだって? そんなことがあったなんて初耳だぞ」

「当然だろう。王国はこの後すぐに、機甲竜騎士団の虐殺行為を隠蔽したからな。俺はその欺瞞が許せなかった。だから、王国に対して剣を向けた。……後はお前たちの知っている通りだ」


 ダグラスは深々と息をつき、話を終えた。


 父の語ってくれた事実のほとんどは、既にハンナの知っていることだった。

 亜人迫害に対する不満から発生したと思われているモーンの反乱だが、実際にその契機となったのは単なる復讐心だ。

 機甲竜騎士団の『作戦』で死んだ人間はハンナの母だけではない。他にも多くの民間人が、島ごと爆弾で吹き飛ばされた。

 その怒りと悲しみがモーンの反乱という形になって噴出したのだ。


「話は分かった。だが、ダグラス」

「なんだ?」

「お前は今でも王国を恨んでいるのか?」


 ベディクの質問に、ダグラスは「まぁな」とどこか影のある笑みを浮かべた。


「ただ、流石に五年も経てば恨みも薄れるさ。少なくとも、今の俺はこの国を変えることしか考えていない。そのことだけは信用して欲しい」

「分かった。信用しよう」


 そう言って、ベディクはあっさり引き下がった。


 ハンナは横目でこの不思議な用心棒の様子を盗み見た。

 アクスフォード侯が雇ったというこの男は生まれや育ちはおろか、正確な年齢や人種までもが不明だ。

 分かっていることといえば恐ろしく腕が立つこと。そして、山賊じみた風体とは裏腹に意外と礼儀正しい性格をしていること。

 せいぜい、この二つくらいだ。父と違い、ハンナはまだベディクのことを完全に信用している訳ではなかった。


「おおい、ダグラス。機体の最終点検が終わったぞ」


 そこでひょいと天幕の向こうから顔を出したのは、脂で黒ずんだシャツを着た初老の男だ。

 赤らんだ顔はごわごわした髭で覆われ、手は短く太く、腹は丸くつき出ている。要するに典型的なドワーフ族の風貌だ。

 キャスパリーグ隊のメカニック、ゴゲリフである。その背後には、彼によって鍛え上げられたドワーフ族の整備士たちが疲労困憊の表情で続いていた。


「うん? おぬしら、いいものを食べてるのう。もしや、わしらの分もあるのか?」

「すいません、ゴゲリフさん。もう鍋の中身は空っぽなんです」

「かはは、それは残念じゃ」


 ゴゲリフは大して残念そうな様子も見せずに大笑した。

 その眼前でカラムは立ち上がり、


「ありがとう、ゴゲリフ老。こっちも準備はできてる。久々に温かい食事も食べれたしな」

「ホ……礼を言いたいのはわしの方じゃよ。まさかこの歳になって、かの最速の機竜を拝めるとは思わなんだ」

「どうなんだい? 《エクリプス》の調子は?」

「わしの持てる技術の全てを尽くして、最高の状態に仕上げておいた。……が、あれはかなりのきかん坊じゃな。乗りこなすにはちょいと骨が折れるかもしれんぞ」

「分かってるさ。そのための練習もしてあるよ」


 答えつつ、カラムは肩に羽織っていた外套を脱ぎ捨てた。

 マントの下から現れたのは、薄い黒の生地で作られたインナースーツだ。

 見た目よりずっと衝撃に強く、保温性にも優れたこの服は、主に騎士甲冑ナイトアーマーの下に着込む肌着として用いられていた。


「さて、みんな。体はしっかり休めたな? 腹は一杯になったな? もうやり残したことはないな? ……ならば頭を切り替えろ! ここから先は戦いの時間だ!」


 カラムの呼びかけに、『おおっ!』と地鳴りのごとく返ってくる声。

 次いで、立ち上がった騎士たちは一斉に外套を打ち払った。


 彼らはカラムと同じく、マントの下に黒のスーツを身に纏っていた。

 体の要所要所は装甲で隠されているものの、薄い生地越しに脈動する筋肉をはっきり確認することができる。

 既に戦闘の準備は万端だ。その場で散らばった騎士たちは、一斉に天幕を取り囲む巨大な膨らみへと殺到した。


 ばっと取り払われる迷彩柄の布。その下から現れたのは、翼を広げた機竜と空戦型の騎士甲冑ナイトアーマーという組み合わせである。

 その数、三十四組。この内、約半数は竜騎士養成所から強奪した機体であり、もう半数は戦端が開かれる前から、極秘裏にこのラグネルの森へと運び込まれていた代物だった。


 内訳としては最新型の機竜である《ワイバーン》が十四機。

 更に、一世代前の《ファイアドレイク》がそれよりやや多い十六機。

 残る四機の内、三機は一般的な機竜の倍近い翼幅を持つ陸攻機ストライカー。2000ポンドの魔導爆弾を搭載可能な《ハンドレページⅡ》だ。


 そして、最後に残された一機こそが――


「……《エクリプス》」


 カラムは興奮から、かすかに震える声で呟いた。


 その機体は整備が終わったばかりのため、唯一上から覆いをかけられていなかった。

 美しいライトグリーンの装甲は森の中に溶け込み、それでいながら周囲に異常なまでの存在感を放っている。

 機体のサイズ自体は《ワイバーン》と変わらない。ただ、その奥に内包している力が桁違いなだけだ。


 アクスフォード家の保有する《エクリプス》は、風竜の亡骸を用いて作られた骸装機カーケスである。

 最大の特徴は細く、鋭く尖ったヘッドと、X字型に展開した四本の後退翼だ。

 機体自体も非常にスマートであり、そのシルエットは巨大なダーツのようにも見えた。


「なんとも刺々しい機体だな。この形状、前に進むことしか考えられていないんじゃないか?」

「いやいや、あの四枚の翼が目に入らぬのか? 熟練の機竜乗り(ドラグナー)ならば、あの翼を手足のように使ってバランスを取ることができるのじゃよ。無論、旋回も急降下もお手の物じゃ」


 そびえる機体を眺めながら、ダグラスとゴゲリフの二人が言葉を交わす。


 その間、カラムや他の騎士たちは自らのアーマー――《センチュリオン》に乗り込んでいた。

 実戦仕様となった騎士甲冑(ナイトアーマー)は肩から防弾用の外套を羽織り、腰の背面に当たる部分にブレードをマウントしている。

 中でも、カラムのアーマーだけは《エクリプス》と同じく装甲が緑色に塗られ、ランスの形状も他の機体とは異なっていた。


「カラム殿、魔導兵装の使い方は分かるかの?」

「問題ないよ。ブレア殿から直々に教わってる」


 カラムは《エクリプス》のボディに立て掛けられていた、螺旋状の穂先を持つ槍をアーマーのガントレットで掴み上げた。

 次いで、アダマント製のシールドを左腕甲に持ち、側面のペダルに足をかけ、一気に鞍上へと飛び乗る。

 ズッと鈍い音を立て、黄緑色の機体が数インチほど地面に沈み込んだ。


「……こうして見ると、本当に騎士みたいですね」


 ハンナは機体を見上げ、ぽつりと呟いた。


 ハンナが至近距離で機甲竜騎士ドラグーンを見るのはこれが初めてだ。

 竜を騎馬代わりとし、マントをなびかせ、両手に槍と盾とを握りしめた戦士。

 地上の騎兵とはまるでスケールが違うものの、それは紛れもなく『騎士』と呼ばれる種の戦闘装置だった。


「幸運を祈る、カラム・ブラッドレイ」

「ありがとう、ダグラス・キャスパリーグ。短い間だったが、君らと同じ時を過ごせて良かった」


 ダグラスは「ああ」と頷き返すと、ハンナやゴゲリフを伴って機竜の側から離れた。


 カラムは周囲の安全を確認した後で、メインアームを用いて手綱を軽く引いた。

 すぐさま機体の航空装置ライトフライヤーが起動し、アーマーと合わせて重量約8000ポンドにも及ぶ機体が浮上する。

 と同時に展開された力場によって、地面を覆う草が土ごと巻き上げられた。木々がざわざわと枝を揺らし、枯れ葉が宙を乱舞する。


 カラムは森の中、直線状に切り開かれた即席の滑走路を見据えたまま、声を張り上げた。


「さて、行こうかアクスフォードの誉れ高き騎士たちよ! これが我らの死出への旅となろうとも! 最後まで誇りを抱いたまま空に散ろうではないか!」


 『おうっ!』と威勢良く応える男たち。


 カラムは下っ腹に力を込めると、ぐっと両腕でハーネスを引いた。

 即座にエンジンが点火し、機体がゆるやかに前進を始める。

 全身に微弱なGがかかり、視界に映るもの全てが後方へと流れていく。


 やがて、ディスプレイに表示された速度が70ノットを超えたところで、カラムは思いっ切り手綱を胸元まで引き込んだ。


「カラム・ブラッドレイ……《エクリプス》、出撃する!」


 森中に響き渡る、雄々しい青年の咆哮。

 直後、《エクリプス》は大地から離れると、エメラルド色の流星となって曇天の空へと舞い上がった。

 その後を追って、三十三の機甲竜騎士(ドラグーン)が次々と離陸し、ラグネルの森の上空へと飛び立っていく。


 彼らの攻撃目標はこれより遥か東――


 ログレス王国の心臓、王都カムロートである。

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