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古く、神話の時代から大空は竜騎士たちの領域だった。
彼らは槍と盾を手に騎竜を繰り、馬よりも速く雲上を駆け抜けた。
こと空中戦で竜騎士に敵う者はおらず、彼らは空において無敵の存在だったのだ。
とはいえ、一騎当千の竜騎士にも幾つか問題点があった。
なにしろ竜一頭にかかる獲得・調教のコストは膨大である。
その上、乗り手の育成も困難を極めた。生半可な騎士では竜との意思疎通ができず、空戦の最中に鞍から振り落とされてしまうためだ。
しかしその後、とある錬金術師の発明がこれらの問題を一挙に解決へと導くこととなる。
――機甲竜。
実在する竜を模したこの兵器が登場したのは、今から二百年ほど前のことだ。
竜鱗をアダマント鋼に、肉体を人造筋肉繊維に、骨格をミスリルに、知能を魔導回路に置き換えたこの戦闘機械は、ダイダロスエンジンによる推進力を得て、実在する竜と遜色のない動きで空を飛ぶことができた。
そして、新しい兵器が古い兵器を駆逐するのはいつの時代も同じである。
結局、機甲竜の登場からたった五十年で、王国から古き良き竜騎士と呼べるものは消滅してしまった。
代わって勢力を広げているのは鋼鉄のドラゴンを駆る騎士たちだ。
騎士甲冑を身に纏い、騎銃槍を装備した彼らは、機甲竜騎士の名で呼ばれていた。
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大空から飛行場へと降り立ったアウロだが、駐機場には既に先客がいた。
整備員たちの手で竜舎へと運ばれていく機甲竜を見送っているのは、アウロと同じ灰色のアーマーを身に纏った騎士たちだ。
数は四。その内の一機は左腕に赤い竜の紋章を刻んでいた。
(……嫌な奴に会った)
《ホーネット》から降りたアウロの前で、アーマーの胸元が上下に開く。
空戦型騎士甲冑の大きさは成人男性の約二倍。
この王立機甲竜騎士養成所で用いられているのも、ごく一般的な代物だ。間近で見るとかなりの威圧感を感じることだろう。
しかし、いかつい甲冑の中から姿を現したのは赤銅色の髪を持った優男だった。
薄手のインナーに包まれた体は細く絞り込まれ、左手の甲には竜の形をした痣が残っている。
背は高く、足はすらりと長い。繊細な顔立ちはアウロの知る中でも一、二を争うくらいの美形だ。
――ログレス王国第八王子、ドラク・ルシウス。
アウロにとって異母兄弟に当たるこの青年は、その薄い色合いの赤髪から多くの国民に【朱色の王子】の名で呼ばれていた。
「あれ、アウロ? 君もいま戻ってきたところだったのか」
にこやかに呼びかけられ、アウロは腰部の着脱スイッチを押した。
ヘッドアップディスプレイの表示が途切れ、アダマントの装甲が上下に開いていく。
外界に出たアウロは黒のインナースーツを着た格好のまま目を細めた。
ずっと閉鎖空間にいたためだろう。照りつける太陽がひどく眩しく感じる。
「……奇遇だな、ルシウス」
ぶっきらぼうに答えたのは中肉中背の青年だ。
くすんだ赤髪が、風に吹かれてゆらゆらと揺れている。
その奥では錆色に染まった切れ長の目がまたたいていた。
アウロ・ギネヴィウスは陰気な男だった。
彫りが深く、影の目立つ造作だけではない。
その身に纏う雰囲気がどこか沈んでいるように見えるのだ。
「おいおい、なんだよその口の聞き方は」
「ギネヴィウス、殿下に不敬だと思わないのか?」
と、そこでルシウスの背後に控えていたアーマーが次々にキャストオフしていく。
三機の甲冑の中から現れたのは、いかにも育ちの良さそうな若い男たちだ。
その口元には一様ににやついた笑みが浮かんでいた。
アウロは彼らの名前を覚えていなかった。
一応、上流貴族の次男、三男坊だという情報は頭の片隅に残っている。
ただ、そこにルシウスのような育ちの良さは伺えない。むしろ太り気味の体型からは、生来の性根の悪さが滲み出ているように思えた。
「こら、よしてくれみんな。一応、彼は僕の兄弟なんだ」
ルシウスはいかにも困ったような様子で自らの僚友を諌めた。
「それよりアウロ、君はまた開発科に顔を出していたのか? 新型機に夢中になるのはいいけど、飛行科の訓練を疎かにするのが賢いとは思えないな」
「テストパイロットとして協力していただけだよ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「……相変わらず強情だね。これでも親切心で忠告してるつもりなんだけど」
「ルシウス、いいことを教えてやる。そいつは余計なお世話と言うんだ」
取りつく島もない台詞にルシウスは肩を竦めた。
一方、それで済まないのは背後に控える取り巻きたちだ。
「ギネヴィウス! 貴様、殿下になんと無礼な!」
「殿下はお前を心配なさっているのだぞ! その御心を無にするとは!」
「恥を知れ! 妾の子が!」
たちまち浴びせかけられる罵声に、アウロはうんざりしてしまった。
この養成所において、アウロとルシウスの二人はかなりの不仲とされている。
だが、二人が正面切って対立することは滅多にない。その点ルシウスは巧妙だった。
彼は常に己ではなく、他の人間がアウロへ攻撃するよう仕向けている。
そうして自分は一歩離れた位置で目の前の状況を眺めているのだ。
「……面倒な連中だ」
アウロは思わずため息を漏らしてしまった。
関わり合いになりたくない――というのが本音だが、無視すれば今度は「なにか言ったらどうだ!」と難癖をつけられるのが目に見えている。
要するにこの連中はアウロをなじる理由が欲しいだけなのだ。
(どうしたものか……)
悩むアウロの背後で、カンカンッと乾いた金属音が響いたのは直後のことだった。
「はーい、そこ。ハンガーの前で騒いでない。早くどいてくれよ。機竜を運び込めないじゃんか」
手にしたスパナでアーマーを叩いたのは作業用のツナギを着た少年である。
髪の色は明るいオレンジ。背は低く、童顔で、くりっと大きな目をしている。
見た目は単なる子供だが、実際はアウロたちと同年代の大人だ。
ただしケットシー族の証として、その頭からはふさふさの猫耳が生えていた。
「なにを!? この、亜人風情が――!」
「よせ、ジョンズ。今のはどう見ても僕らが悪い」
噛みつきかけた男を、ルシウスは片腕で押しとどめる。
「すまない、シドカム。《ワイバーン》の整備、頼んだよ」
「了解。それとアーマーはちゃんと持っててくれよ」
「分かった。それじゃあアウロ。僕らは先に宿舎へ戻ってる」
ルシウスはにっこり笑うと、再度アーマーに乗り込み、アウロから背を向けた。
残る男たちも舌打ち一つ漏らした後で甲冑の中へと消える。
そうして四機の騎士甲冑は鈍い駆動音と共に、宿舎の方角へと歩き去った。
「やれやれ、なんつーかルシウスも悪い奴じゃないんだけどな……」
残されたシドカムはトントンとスパナで肩を叩いた。
その顔には、どこか疲れたような表情が浮かんでいた。
「悪いな、シドカム」
「謝るなって。テストパイロットとして手を貸して貰ってるのはこっちなんだ。大体、あいつらはアウロの腕前を知らないからあんなことを言えるんだよ」
「そうでもないさ。あの程度の空戦機動、飛行科の連中なら容易くやってみせるだろう」
「どうだかね……。まぁ、ともかくアウロ。今回のフライトについて意見が聞きたいから、ハンガーまで来てくれないか?」
「分かった」
アウロは頷き一つ返すと、再びアーマーに乗り込んだ。
同じ飛行科の貴族たちからは蛇蝎の如く嫌われているアウロだが、整備・開発科の人間とは仲がいい。
特に開発科の主任であるシドカムとは親友同士の間柄だ。そのため、こうしてテストパイロットとして実験に協力することも多かった。
「しかし、王子様ってのも大変だねー。王宮の外でもバトルを繰り広げなきゃならないなんて」
機竜を格納する倉庫は一般的に『竜舎』の名で呼ばれている。
様々な機材の並ぶ一角を陣取ったシドカムは、運び込まれた《ホーネット》のボディに幾つものケーブルを接続していた。
恐らくは魔導回路にアクセスして、飛行中の情報を取り出そうとしているのだろう。
何度も開発科でテストパイロットをしてきたアウロにとっては、もはや見慣れた光景だ。
「別にこっちから喧嘩を吹っかけている訳じゃないんだがな。どうもルシウスは自分に反抗する存在が気に入らないらしい」
「あー、アウロって無愛想だもんね。ならいっそのこと無視しちゃえばいいのに」
「それはそれで問題だろ? 仮にも相手は王子だぞ」
シドカムが作業をしている間に、アウロはアーマーとインナースーツを脱いで制服へと着替えていた。
この養成所の制服は国章の縫い付けられたシャツを着て、その上からベストとコートを羽織る形となっている。
下は乗馬用のズボンを履いている者がほとんどだが、ショースと呼ばれる肌に張り付くタイプのズボンを愛用している人間も多い。
ただしシドカムのようなエンジニアたちは、もっぱら現場の作業着で動き回っていた。
彼らは飛行科の訓練生と違って貴族ではないから、あまり見てくれに頓着していないのだ。
「でも、アウロだって一応は王子サマだろ? 確か、【錆色の王子】だっけ?」
「……その名で呼ぶな」
くるくるとスパナを回すシドカムに、アウロは低い声を投げかけた。
アウロ・ギネヴィウスには他の王子たちと同じく、【錆色の王子】というあだ名が贈られている。
しかし、実際のところ彼は王位継承者として扱われている訳ではなかった。
もっと言えば、王の実子として認められてすらいないのだ。
アウロの母は王都カムロートから遠く離れた、田舎の農村に住む庶民の娘だったという。それを今の国王が見初め、妾とした上で生まれたのがアウロだ。
しかし、王はとある事情からアウロを自分の息子だと認知できなかった。
そのせいで、今も彼は他の王位継承者たちから私生児と蔑まされている。
ただ、そんなアウロも貴族として王国からの援助を受けていた。
こうして王立機甲竜騎士養成所に所属できているのも、父王の力があるおかげだ。
『王の息子ではない』という建前とは矛盾している訳だが、この辺りには王宮内の政治的問題も絡んでいるのだろう。
このログレス王国においてアウロの立場は極めて微妙だった。
(まぁ、窮屈な王宮暮らしをするくらいならこの方が良かったのかもしれないが……)
アウロはふぅ、と小さく息をついた。
丁度そこで作業を終えたシドカムが、ケーブルの束を手にしたままアウロの元へと戻ってくる。
「そーいやさ。王子で思い出したけど、今日なんか王宮に不審者が出たらしいよ?」
「不審者? まさか最近噂になっている賊か?」
「いや、そういうんじゃなくて。なんでも見た目はただの女の子なのに、『私はドラゴンだ!』って騒ぎまくったんだとか」
「……それはなんというか」
単なる頭のおかしな人間なのではなかろうか。
「でもその子、止めに入った門番をぶっ飛ばした挙句、近衛兵の追撃を振り切ったらしいぜ?」
「凄まじいな。魔法でも使ったのか?」
「だったら、最初から『私は魔女だ!』って名乗ってそうな気もするけど」
「どちらにせよ、人間の姿をしている時点でドラゴンじゃないだろ」
アウロはちらりと制服の胸元に縫い付けられた国章に視線を落とした。
そこには赤い、翼を持つ蛇の姿が描かれている。
このログレス王国では『赤き竜の伝説』が広く知られていた。
歴史書の語るところによれば、アルビオン西部にブルト人が住み始めてからというものの、赤き竜はカンブリア地方の守り神としてこの地に留まり、幾度となく国を荒らす蛮族たちを撃退したらしい。
そのためログレスは古くから竜の国と呼ばれ、国旗や国章にも赤いドラゴンの意匠が施されていた。この地に住むブルト人にとって赤き竜は守護神であると同時に、自らのシンボルでもあるのだ。
「でもさー、また赤き竜がこの国に現れたらって考えるとわくわくしない? 実際、アルトリウス王の時代にはドラゴンが現れて、騎士たちと一緒に東のサクス人と戦ったんだろ?」
「確かに、歴史書にはそう書き残されているが……本当にそれがカンブリアの赤き竜だったのかどうかは分からない。単なる赤竜だったって可能性もある」
「夢がないね。普通、竜騎士だったらドラゴンに憧れるものじゃないの?」
「お前こそ、エンジニアのくせに幻想を語るのか?」
「エンジニアだから幻想を語るんだよ。知ってるかい、アウロくん。技術者ってのはねー、夢見る乙女よりもロマンチストなんですよ?」
「知るか」
一言で切って捨てられ、シドカムはがっくり肩を落とした。
「ま、いいや。いつまでもこうしてだべってる訳にはいかないしね。とりあえず、今回のフライトについてパイロットの意見を聞かせて欲しいな」
「ああ。なら早速、《ホーネット》の操縦関係についてだが――」
それから、アウロは夕方までハンガーの中で時間を潰した。
開発科の実験に参加することは既に基地長からも許可を受けている。
結局、彼が飛行科の宿舎に戻る頃にはもうすっかり日も沈んでしまっていた。
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夕食を終えた後、宿舎の自室に戻ったアウロは一冊の軍記に目を通していた。
アウロは寝る前に必ずなんらかの本を読むことを習慣づけている。
そのため、自室の本棚には古本屋で買った古書が大量に置かれていた。
ただ他には特に目立ったものがない。真新しいベッドとデスクだけの無味乾燥とした部屋だ。それは住人の性格をそっくりそのまま反映していた。
「……ふぅ」
丁度そこで、先日から読み進めていた戦記が最後のページに達する。
椅子から腰を浮かせたアウロは閉じた本を棚の上に戻した。
机上に置かれた時計を見れば、時刻は既に零時を過ぎてしまっていた。
(もうこんな時間か)
なにかに熱中している最中、時間を忘れてしまうのはアウロの悪い癖だ。
立ち上がり、伸びをすると体中の骨がポキポキと音を鳴らした。
「ん……?」
と、丁度そこで一際派手な赤い装丁の本が目に入る。
アウロはなんだか懐かしい気分になって、本棚に手を伸ばした。
表紙には金糸で『赤き竜王の物語』と綴られている。アウロがまだ小さい頃、母にせがんで買って貰った伝記だ。
先ほどシドカムに手厳しいことを言ったものの、元々アウロは幼い頃から戦記や英雄譚といったものが好きだった。
わざわざ騎士としての訓練を積み、機甲竜騎士養成所へ進んだのも彼なりの目的があったためだ。
とはいえ、現実は厳しい。なにしろアウロはその出生からして特殊である。
貴族の中に彼の味方はおらず、せいぜいシドカムらエンジニアたちを友人とするだけが精々だった。
「……現実は物語のように上手く行かない、ということか」
アウロは皮肉げに呟いて、赤い本を棚へと戻した。
明日は休日なので早起きする必要はないものの、できれば朝の内に図書館へ行きたいところだ。
アウロは机上に置かれた魔導式ランプを消し、デスクの前から離れた。
「懐かしいな。『赤き竜王の物語』か」
直後、涼やかな女の声が背中越しに響く。
アウロは暗がりの中で振り返った。
窓から差し込む月光の中、小さなシルエットが揺らめいている。
赤いワンピースを身に纏った影は、ベッドの上で膝を抱えたまま、じっとアウロのことを見つめていた。
「……なんだ、お前は?」
アウロはやや面食らいつつも尋ねた。
部屋の鍵は閉まっている。外部から人が入れるような状態ではなかったはずだ。
にも関わらず、少女は実体を持ったままアウロの前に存在していた。
その髪は炎のように赤く、その瞳は紅玉のように紅い。
そして、淡色の唇は笑みの形に歪んでいた。
「わらわか? わらわは――」
少女はばさりと髪をかき上げた。
側頭部から見え隠れする耳は、エルフ族のように先端の尖った形をしている。
己の髪を指先で梳きながら、少女は傲然と告げた。
「ブルト人の守護者、カンブリアの赤き竜」