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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
二章:斧の反乱
29/107

2-11

 任命式の後は会場を移し、立食形式の晩餐会となった。


 高い天井を持つ円形のホールの中では多くの貴族が食べ、飲み、笑い、言葉を交わし合っている。

 ここはかつてアルトリウス王の時代、『円卓の間』と呼ばれ、多くの騎士たちが集っていた場所だ。

 しかし、今はその名の由来となった円卓も取り払われ、小さなテーブルの並べられた宴会場と化していた。


「よう、アウロ。お前も来てたんだな」


 宴会場の端に避けていたアウロに、まず声をかけてきたのはジェラードである。

 彼は他の貴族と違いチュニックではなく、シャツとズボンというラフな格好をしていた。

 外套型のマントルはなめし皮を用いた代物で、ところどころに刺繍が施されている。侯爵の嫡子という立場を鑑みるとやや粗末な身なりだ。


「ジェラード? お前も今回の戦争に駆り出されていたのか?」

「まぁね。なにしろ、今回は四侯爵が相手だからな。ガルバリオン殿と関係の深いガーランド家以外にも、ブランドル家やランドルフ家の人間もカムロートに招集されてるんだ」

「だが、肝心のブランドル侯爵の姿が見えないようだが」

「親父ならブリストルで療養してるよ。あの人もいい加減、歳だからな。代わりに俺が来たんだ」


 ジェラードはそう言って苦笑を浮かべた。


 【剣の侯爵】ブランドル家は、アクスフォード、ガーランド、ランドルフなどと同じ四侯爵の一角に数えられている。

 本拠はカムロート南部の都市、ブリストル。街中を河川が通る港湾都市だ。

 四侯爵の中では最もカムロートに近い場所に領地を持ち、王家からの信頼も厚い。そのため大規模な戦争が起きた際は他の諸侯に先駆け、いち早く王都へ招集されることが多かった。


「しかし、面倒でたまらんぜ。当主代理として色んな家に挨拶しなきゃならんからな。おちおち酒を飲んでる暇もありゃしない」


 ジェラードは疲れたような息をこぼし、手に持っていた銀の酒杯を傾けた。


「そういえば、アウロ。お前もこの戦争に参加するのか?」

「いや……恐らく、王都に残ることになるだろう」

「そうか。お前も知ってるかもしれんが、今回の戦いじゃ養成所の訓練生たちも前線組と待機組に分かれてる。特に中部から北部の出身者は、予備のパイロットとして戦に加わるケースが多いみたいだ」

「というと、ロゼもか?」


 「ああ」とジェラードは頷き、


「ブラッドレイ家は今、色々と大変だよ。主家筋のアクスフォード家が反乱を起こした上、長男のカラム・ブラッドレイが家を出奔してドルゲラウに行っちまった。これでドナル殿――あいつの親父さんはぶっ倒れちまったらしい」

「噂には聞いていたが……そこまでひどいのか。しかも、タウィンは今回の戦争で最前線になるはずだろう?」

「そうなんだよなぁ。俺はブラッドレイ家全体がアクスフォード側に付くと踏んでたんだがね。意外とやっこさんに味方してる貴族は少ないんだ」


 ジェラードはそこで、鳶色の瞳を広間にさまよわせた。


 現在、円卓の間に来ている貴族たちは三つの種類に分かれていた。

 領地を脅かされる危険性のない南部の貴族たちは、テーブルの周りにたむろって歓談している。

 一方、中部の貴族にそこまでの余裕はない。やや焦りの浮かんだ表情で人々の間を回っている。

 最も悲惨なのは敵地に近い北部の貴族たちだ。彼らはげっそりやつれた顔で、必死に王族や有力貴族たちに媚を売っていた。


「肝心の北部でも、伯爵家のブラッドレイと氷竜伯ブリザードの爺さんが王国側に回っちまった。いくらアクスフォード家が大貴族だっつっても、これはちょっとまともな戦いにならんぜ」

「陸はそうかもしれない。だが、航空戦力はどうだ?」

「んー、アクスフォード家が元々持ってる機竜は十五かそこらだったはずだ。配下の貴族たちのものを加えても、二十ちょっとってとこだろう。これに養成所から強奪した《ワイバーン》十二機が加わって、三十五前後。だが、王国側は――」

「諸侯の連合に機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の半数が加わっている。間違いなく、百を越える機甲竜騎士ドラグーンが動員されるだろうな」


 単純な数の上では三対一だ。これはもう全く勝負にならないレベルといっていい。


 ジェラードは肩をすくめ、


「俺にはブレアのおっさんがなにを考えてるのか分からねぇよ。ただ、俺の知る限りあの人は馬鹿でもなければ無能でもない」

「ガルバリオンもそれは分かっているはずだ。あの人にとって、アクスフォード侯爵はモーンで共に戦った戦友だからな」

「……モーンか。そういえば、アクスフォード側にはキャスパリーグ隊が加わってるはずだよな」

「間違いない。ドルゲラウでダグラスの姿が目撃されたという話だ」

「だったら、ちと厄介かもしれん。キャスパリーグ隊はずっと王都で活動してた。奴ら、この辺りの地理に関してノラ猫並みに詳しいはずだ」

「連中が直接このカムロートを狙ってくるとでも?」

「そういう可能性も考えられるってだけさ」


 ジェラードは悩ましげに眉を寄せつつ、壁から背を離すと、


「それじゃ、休憩もしたしな。俺はまたへらへら愛想笑いを浮かべる作業に戻るとするぜ」


 片手を上げ、再び広間の中央へと戻ってしまった。


 他所を見れば、ルシウスが兄であるナーシアと向かい合い、その隣のテーブルではガルバリオンと宰相モグホースがなにやら話し込んでいる。

 アウロはごく自然に、宴会場の中からロゼ・ブラッドレイの姿を探した。

 が、聞き覚えのある声は彼の真横からかけられた。


「や、アウロ。久し振りだね。怪我の具合はもういいのかい?」


 アウロは振り返った。


 目の前に立っていたのは、こけた頬と落ち窪んだ眼孔を持つ男だ。

 そこに、かつての優しげな青年の面影などほとんど残っていない。

 まるで三日三晩拷問でも受けたかのような友人の変わりようを見て、アウロはしばし絶句してしまった。


「……大丈夫か?」

「やれやれ、第一声がその台詞か。今の俺はよほどひどい顔をしてるらしいな」


 ロゼは自嘲するかのように笑い、


「最近は色々と忙しいんだ。なにしろ、うちのクソ兄貴が家を出て侯爵の側に付いてしまった。おかげで他の貴族たちに、ブラッドレイ家自体がスパイじゃないかって疑われてるんだよ」

「だが、真実は違うのだろう?」

「当然だ。まぁ、本当にスパイだったら少しは気が楽になっただろうけどね」


 ロゼはそこで給仕の少女を呼び止め、酒杯を二つ取り上げた。


「ほら、君も。こいつは大陸から仕入れられた特上のワインだ。こういう場でもなければ、なかなか口にできない」

「……ああ」


 アウロはロゼの手から受け取った杯を、一度だけ傾けた。

 途端、口の中に酸味のあるぶどう酒の味が広がる。

 いい酒だ。以前、カムリと一緒に飲んだものとはランクが違う。


「なぁ、ロゼ。一つ聞きたいんだが」

「なんだい?」

「ブラッドレイ家自体に侯爵からの参戦要請はなかったのか?」


 アウロの質問にロゼはしばしの間答えず、ただぼんやりした顔で酒杯を傾けた。

 やがて、その口元からアルコールの混じりの吐息がこぼれ、


「――なかった。実際、誘われていても侯爵側に加わったかどうかは微妙だ。君も知っているだろうが、ブラッドレイ家の治めるタウィンはドルゲラウとカムロートの中間にある。もし王国に敵対すれば、あの街はあっという間に破壊し尽くされ、廃墟となってしまうだろう」

「そうか。すまない、お前のことを疑った訳じゃないんだ」

「謝らなくていいよ。この手の質問には慣れてる」


 ロゼはそう口にした後で、ちょっと唇を歪めた。


「いや、今のは嫌味な言い方だったな。俺らしくもない」

「今更だな。あれほど貴族を嫌っていたお前が、こうして王城の晩餐会に出席している。そのこと自体がらしくないというのに」

「確かにね。でも、今のブラッドレイ家には他に動ける人間がいないんだ。誰かが領主の役割を果たさなきゃならない」

「ロゼ、ブラッドレイ家の家督を継ぐ気なのか?」

「カラムは家を出た。父さんの息子は俺だけだ。後は単なる消去法さ」


 言って、ロゼはぐっと杯を傾けた。

 まるでやけ酒だ。青い瞳が酒精に濁り切っている。


「ところで、アウロ」

「なんだ?」

「君は何故、ブレア殿が王国に反旗を翻したと思う?」


 ふいの質問に、アウロはしばし考え込んだ。


 アウロ自身、アクスフォード侯爵の人となりを知っている訳ではない。

 が、噂で伝え聞く侯爵は野心から国を脅かすような人物ではなかったはずだ。

 むしろその逆。民のことを思いやる良い領主だったと聞く。


(それに――)


 ブレア・アクスフォードはキャスパリーグ隊を支配下に置いている。

 キャスパリーグ隊の目的は亜人たちを救済すること。

 侯爵もその理想を共有している可能性が高い。


「これは単なる俺の推論だが」


 アウロはそう前置きした後で言葉を続けた。


「恐らく、アクスフォード侯爵は宰相殿の推し進めている政策が気に入らないんだろう。軍備の拡張とそれに伴う税の増加。亜人排斥に天聖教の流入。このまま進めば、王国は内側から崩壊してしまう」

「だが、戦が起きれば被害を受けるのは民だ。ブレア殿とてそれは分かっているだろうに」

「どうかな。侯爵は戦争を起こす気などないのかもしれない」

「というと?」

「アクスフォード側の動きには、いくつか引っかかる点があるんだ。ロゼ、お前にも心当たりがあるだろう?」


 「……そうだな」とロゼは顎に手を当て、


「確かに、ブレア殿の目的は不明瞭だ。王国に対して蜂起したのに、軍事行動を起こす気配もなければ、周辺貴族を陣営に取り込もうとする意欲も感じない。これじゃあまるで、自分から射撃の的になりに行くようなものだよ」

「だが、カムロートからドルゲラウは距離がある。もしガルバリオンが軍を率いて出兵したとしても、往復だけで一ヶ月近く時間がかかるだろう」

「でも、王都ががら空きになるわけじゃないだろ? 近衛騎士団がいるし、機甲竜騎士団だって半分がカムロートに残るんだ」

「その通りだ。ただそう思っている人間が多いからこそ、アクスフォード侯爵もなにか作戦を考えているのかもしれない」

「例えば?」

「例えば……キャスパリーグ隊を使って王城に奇襲をかけるとか」


 アウロの言葉に、ロゼは難しい表情で首を捻った。


「それはちょっと厳しいよ。歩兵の力であの城壁を突破するのは無理だ。なにしろ、あの壁の内部にはアダマント鋼のプレートが埋め込まれている。並の攻城砲じゃ傷一つつかない」

「確かにそうだ。しかし、搦め手で城門を開けさせるという方法もある」

「アウロ、ここの城壁は三段構えなんだよ? いくらなんでも、三つの城門を策略だけで突破するのは不可能さ。まぁ、ついこの前は魔術師に王の間まで踏み込まれちゃったけどね」

「あれは例外とすべきだろう」


 カムリの用いている魔術は古代魔術と呼ばれる種のものだ。

 今の時代、ドルイドの魔術を使える者はほとんど生き残っていない。

 第一、アクスフォード側に転移魔術師テレポーターがいたとしたら、わざわざ戦争を起こすことなく、暗殺によってモグホースを排除しているはずだ。


「分からないな。ブレア殿は一体、なにをしようとしているんだ」


 ロゼは天井を仰ぎ、ため息を一つこぼした。

 ひどく疲れきった表情だ。出口のない迷路の中を、延々とさまよい続けているようにも見える。


 アウロはためらいつつも尋ねた。


「ロゼ、シルヴィア嬢からなにか連絡は来てないのか?」

「なにも。そもそも、彼女はブレア殿の娘だよ」

「だが、お前たちは兄妹同然に育ってきたのだろう?」

「……そうだ。でも、今は敵同士だ」


 悔しげに唇を噛み、


「俺はカラムと違う。家を捨ててまでブレア殿に与しようとは思わない。それはシルヴィアも同じだろう」

「難儀だな。家のために自分の感情を押し殺すなんて」

「だが、それが貴族っていう生き物だ」


 言って、ロゼは酒杯の中身を飲み干した。

 それが彼にとって周囲に対する精一杯の抵抗だった。


「アウロ」


 と、そこでふいに背後から声がかかる。


 振り返った先に立っていたのは、朱色のワンピースを着た紅髪の少女だ。

 ガルバリオンの娘、アルカーシャである。今まで全く気付かなかったが、アウロの幼馴染である彼女もこの晩餐会に参加していたらしい。


「ん? 君は確か……」

「はじめまして、ブラッドレイ卿。私はモンマス公ガルバリオンの娘、アルカーシャと申します」


 ワンピースの裾をつまむアルカーシャに対し、ロゼも胸に手を当てて一礼した。


「はじめまして。自分はドナルの息子、ロゼ・ブラッドレイ。【紅の戦姫プリンセス・オブ・スカーレット】の名は以前から伺っておりました」

「なっ……。ま、まさかその恥ずかしいあだ名、王都にも広まっているのですか?」

「勿論です。自分のいた北部でも、あなたの名はよく知られていた」

「そ、そうですか」


 アルカーシャはひどく複雑そうな表情を浮かべた。


 ガルバリオンの領地であるモンマスは街の三方に森林が広がっており、凶悪な魔獣の出没地域として知られている。

 アルカーシャはそうした魔獣が街に出没した際、自ら機竜を駆り、前線に立って戦っていた。

 そうして、ついたあだ名が【紅の戦姫】――なのだが、どうも本人はこの名を歓迎していないらしい。


「さて、アウロ。俺はそろそろ失礼するよ。そっちのお嬢さんは君に用があるみたいだしね」


 ロゼはマントルを翻すと、再び貴族たちの蠢く空間に戻ってしまった。

 とはいえ、その足取りはいかにも重苦しい。まるで両肩に重石おもしを乗せられているかのようだ。


 残されたアルカーシャはちらりとアウロを見上げ、


「すまない。邪魔だったか?」

「いや、むしろ丁度良かった。あれ以上話していても湿っぽくなるだけだからな」

「彼、タウィン侯の息子だろう? 山の中を丸一日遭難したような顔をしていたけど」

「ああ……あいつは今、このログレスで最も苦労している人間の一人だろう」


 アウロは他の貴族と話しているロゼの姿をちらりと伺った。

 おべっかに慣れていないせいだろう。愛想笑いがひきつっている。

 あれがかつて、飄々とした態度で笑っていた男と同一人物には思えない。アウロは思わず友人の姿から目をそらしてしまった。


「……そういえば、アルカーシャ。お前はこれからどうするんだ?」

「どういう意味だ?」

「ガルバリオンはこのままアクスフォード領へ攻め込むはずだ。お前は王都で留守番か?」

「まさか。私も父上に付いて行く予定だ。そのために自分の機竜も持ってきている」


 アルカーシャは胸を張って答えた。

 たちまち女性らしい膨らみが強調される。生地の薄いワンピースだと、なおさら体のラインがはっきりしてしまうのだ。

 アウロは頭の片隅で、『これは絶対に特注のインナースーツが必要だな』と、どうでもいいことを考えた。


「そうか。女のお前まで、戦争に参加するのか」


 今のログレス王国内で、女の機甲竜騎士ドラグーンというのはほとんどいない。

 女性には機竜乗り(ドラグナー)としての適正がないと考えられていたし、そもそも女子供は戦争から遠ざけられるものだ。

 例外はアウロの目の前にいるお転婆姫アルカーシャと、その母リアノンだけである。ひよこは親鶏に似るということだろう。


「女扱いはやめて欲しいな。別に機竜を操る分には男も女も関係ないだろう」


 アルカーシャはやや不満そうな顔で腰に手を当て、


「確かに、私はお前みたいに養成所で訓練を積んでいない。それでも空戦の腕前では負けないつもりだ」

「勇ましいな。だが、ガルバリオンやリアノンだって、お前が戦うことには反対したんじゃないのか?」

「まさか。二人とも私の好きにすればいいと言ってくれてる」

「……放任主義にもほどがあるね」


 アウロは小さくため息をこぼした。


 その横顔をアルカーシャはじっと見つめていた。

 カムリのものとはまた色合いの違う、透明感のある淡い紅色の瞳に、若い男の表情が映し出している。

 自身に向けられる視線に気づいたアウロは、やや怪訝そうに尋ねた。


「どうした?」

「え? あ、ええと……」


 アルカーシャはもごもごと口ごもり、


「アウロ、何か変わったか? 昔のお前はいつも張り詰めているような雰囲気があった。でも、今はどこか余裕があるように見える」

「言いたいことは分かるよ。俺もこの数年で色々なことがあったんだ」

「あの黒いローブの子と関係が?」

「何故そう思う」

「……女のカン、かな」


 非科学的な答えである。が、あながち間違ってもいないのが恐ろしいところだ。


 アウロは一旦、間を置くかのように酒杯を傾けた。

 理由は分からないが、アルカーシャは妙にカムリを意識している。

 アウロだって、久しぶりに会った幼馴染が異性を連れていたら多少は気になるかもしれない。それがエルフの魔術師ともなれば尚更だ。


「あの娘には色々と助けられているんだ。この前、養成所が襲撃された時もカムリのおかげで九死に一生を得ることができた」

「ああ、その辺りの話は父上からも聞いた。なんでも一人で三機のアーマーを倒したらしいな。すごいじゃないか」

「だが、結果的にはダグラスに敗れて、みすみす《ワイバーン》を奪われてしまった」

「それはアウロの責任じゃない。お前はもっと自分のやったことを誇るべきだ」


 年下の従兄弟からの説教に、アウロは「そうだな」と曖昧に頷いた。


 アルカーシャはそこで給仕をしていた女中を呼び止めると、ぶどう酒の注がれた杯を手に取った。

 銀の酒杯が一息に傾けられる。アウロは細い喉が一度だけこくりと動くのを見た。


「……あまりおいしくないな」


 渋面を浮かべるアルカーシャ。

 アウロは不安になって言った。


「お前、確か下戸だっただろ。無理して飲むなよ」

「アウロが飲んでるのを見てたら、私も飲みたくなってきたんだよ。それに私が酒に弱かったのは五年前の話だろう?」

「それはそうだが……今は普通に飲めるのか?」

「ああ、よく母さんと一緒に蜂蜜酒を飲んでいる。普段、こういうワインみたいなのはあまり口にしないんだけどな」


 アルカーシャはふぅと熱っぽい吐息をこぼした。

 少し頬が赤くなっている。早速アルコールが体に回り始めているらしい。


 アウロはそこでふと、ガルバリオンの存在を頭の片隅に過ぎらせた。

 あの男は頑健そうな見た目通り、極めて酒に強かったはずだ。

 その血がアルカーシャにも流れている以上、簡単に酔い潰れることはないと思いたいが――


(……いや、待てよ)


 が、同時に思い出す。


 確かにガルバリオンはざるといってもいいくらい、アルコールに耐性がある。

 ただ、その代わりひどく酒癖が悪かったはずだ。あの男は酒が入ると単なる中年親父と化し、他人に絡み始めるのである。


「おい、アルカーシャ――」

「んあ?」


 杯から口を離したアルカーシャは、妙に据わった眼でアウロを睨んだ。

 まずいと思ったがもう遅かった。紅の瞳は酒精に濁り切っている。

 咄嗟に戦略的撤退を考えたアウロだが、アルカーシャはいち早く「なぁ」と声を上げた。


「そういえば、アウロ。お前、どうしてモンマスを出た後、一度も私たちに連絡をくれなかったんだ?」

「いや、それは色々と忙しくて――」

「でも、五年間も音沙汰なしってのはひどいと思わないか?」

「悪かったよ。養成所を卒業したらちゃんと挨拶に行こうと思っていたんだ」

「……ふぅん」


 アルカーシャは呟き、再び酒杯を傾けた。空いた左手は紅茶色の毛先をくるくると弄んでいる。


「おい、ちょっとペースが早いんじゃないか?」

「別にいいだろ。いくら私でも一杯だけで酔わないよ」


 そこでアルカーシャは再び給仕を呼びつけると、空の杯にぶどう酒をなみなみと注いだ。


待て(ウェイト)。アルカ、そいつは二杯目だ」

「まだ二杯目だよ。私だって自分の限界くらいはわきまえてる」

「このワインを蜂蜜酒と同じ感覚で飲んでいると、すぐに酔い潰れるぞ」

「……あー、うるさいな。お前は私のお兄ちゃんかなにかか?」


 じろ、と不機嫌そうな目がアウロへと向けられる。


 血縁上、二人は従兄弟同士の関係になるが、それを知っているのはアウロだけだ。

 アルカーシャはアウロのことを単なる幼馴染としか思っていないはず。

 少なくとも、私生児である彼を兄と呼んだことは一度もない。


「大体なぁ、私だってもう十七の淑女レディなんだ。それを昔みたいに子供扱いするなよ」


 赤い顔で酒をあおるアルカーシャの前で、アウロはため息をこぼした。


「淑女は酔っ払ってくだを巻いたりしない。勿論、機竜に乗って戦うこともな」

「それは関係ないだろう。お前は私が戦うことに反対なのか?」

「ああ、賛成はできないな」

「ふん。女は家で子育てでもしていろと?」

「そこまでは言っていない。……そもそもお前、子供がいるのか?」


 「まさか」とアルカーシャは笑みをこぼし、


「大体、私が結婚していればうわさ話くらい耳に入るだろう。アウロの方こそ誰かいい関係の子はいないのか?」

「いないよ」

「あのエルフの女の子は?」

「カムリはただの従者だ。男女の関係ではない」

「へぇ、同じベッドで寝ているのに?」


 ごほ、とアウロは思わず咳き込んでしまう。

 そんな幼馴染の姿を見て、アルカーシャは笑みを消し、一度酒杯を傾けた後、再び口の端をつり上げた。


「顔色が変わったな。修行不足じゃないかね、アウロくん。この程度のカマかけに引っかかるなんて」

「お前――」

「まぁ、アウロの恋愛事情はどうでもいいよ。私も亜人に対してなにか特別な感情を持っている訳じゃないし」

「待て。なにか勘違いをしているようだが、本当に俺とカムリは単なる主従同士だぞ」

「分かった。分かったよ。よく理解した。この話題はもうやめにしよう」


 アルカーシャは乱暴に酒杯の残りを飲み干すと、


「私はそろそろ部屋に戻るよ。お前の言う通り、アルコールが体に回り始めているみたいなんでな」


 ぶっきらぼうに言い捨て、その場を後にしてしまった。

 人混みをかき分け、揺れる紅色の髪が大扉の向こうへと消える。

 その後、棒立ちのままアルカーシャの背を見送るアウロに、横合いから聞き覚えのある声がかけられた。


「どうしたんだい、アウロ。痴話喧嘩か?」

「……まさか」


 アウロは近付いてきたルシウスにちらりと視線を向け、


「ただ世間話をしていただけだよ。どうも怒らせてしまったらしいが」

「数年間も音沙汰なしだったところに、いきなり重傷を負って死にかけてるって連絡が来たらしいからね。怒るのも当然さ」

「ルシウス、アルカと話したのか?」

「うん。話したっていうより、一方的に愚痴られただけだけど」


 「そうか」と答え、アウロは酒杯の残りを傾けた。


「連絡しなかったことに苛ついているのなら、カムリのことは無関係だろうに……」


 ぼそりと漏れた呟きはルシウスの耳まで届かなかった。






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 その後、日が暮れてきたところでアウロは城の外に出た。


 宴はまだ続いているが、もはやあそこにアウロの居場所はない。

 アルカーシャが消え、他の下級貴族たちもぱらぱらと帰り始めるのを見て、結局アウロも円卓の間を辞してしまった。

 既に空はオレンジ色に染まり、夕焼けの中を細い雲がたなびいている。山頂からの風に、背中のマントルがばたばたとはためいた。


(……そういえば、王城の庭園には確かあれがあったな)


 帰路の途中、アウロはふと思い直して王城へと戻った。


 城の庭園には昔、母ステラが作った水仙の花壇があった。

 アウロがまだ王城にいた頃には母と一緒に何度か土いじりをしたものだ。

 ルシウスから聞いた話によると、この花壇は今もまだ残っているらしい。

 既に取り壊されていると思っていたアウロにとっては少々意外だった。


 石造りの壁面をぐるりと回ると城の裏手に差し掛かる。

 ステラの花壇はここにあった。そびえる城壁と山岳の頂に挟まれるような形で、ぽつんと赤いレンガに仕切られた区画が見える。

 そして、その手前にはきらびやかな衣装を身に纏った二人の男が立っていた。


(あれは……?)


 アウロは反射的に城壁の陰へと身を隠した。


 花壇の前で肩を並べているのは、公王ウォルテリスと王弟ガルバリオンだ。

 この国のツートップとも言える二人だが、周囲に警護の人間は見えない。

 兄弟だけで密談でもしているのだろうか。だが、その場所がステラの花壇の前というのは……どうも不可解だ。


「なぁ、兄貴。そういやこの花壇、今は誰が世話してるんだ?」


 二人きりだからか。普段は王に敬意を払っているガルバリオンも、遠慮の無い口調に変わっている。

 一方、ウォルテリスは相変わらず覇気のない表情のまま口を開き、


「モリアンだよ。あれはステラと仲が良かったからな」

「へ、そうだったのか? 普通、王妃ってのは王の愛妾を嫌うもんだろ?」

「その通りだ。だが、モリアンもステラも先祖は大陸の出身だった。その辺りで話のウマが合ったらしい」

「ふーん、意外だね。なら案外、ステラと宰相殿も仲が良かったのか?」

「いや、モグホースはステラを嫌っていた。特にアウロが産まれてからはそれが顕著になった」

「分かりやすい奴だな。あの白豚は自分の権力を脅かす存在が、よほど気に入らんらしい」


 ガルバリオンは苦笑を浮かべ、花壇の前へと屈みこんだ。

 水仙の咲く季節は冬だ。故にこの花は雪中花とも呼ばれている。

 ラッパのような形をしたオレンジ色の蕾も、今はまだ固く閉じきっていた。


「ま……今更といえば今更か。王紋がないとはいえ、アウロの奴が暗殺されなかったのは幸運だった」

「守ったのはお前とステラだ。私はなにもしていない」

「仕方ないさ。あの頃の兄貴は自分からなにかできるような状態じゃなかった」

「だが、アウロは私を恨んでいるだろう。ステラを見殺しにしてしまったのは私だ」

「それは否定できねぇな。お前がちゃんと目を光らせておけば、ステラも殺されずに済んだ」


 その一言にアウロは息を呑んだ。


 アウロの母ステラは王都で迫害を受けたため、精神を病み、死に至った。

 少なくとも世間的にはそう思われていたし、アウロ自身もそう思っていた。

 だが、今のガルバリオンの台詞は明らかに――ステラが何者かの手によって暗殺されたことを示唆していた。


「……ガルバリオン、それはどういう意味ですか?」


 ざっ、と足元の砂が乾いた音を立てる。

 アウロは堪えきれず、城壁の陰から姿を現した。

 まさか、自分たちの話が聞かれているとは思っていなかったのだろう。振り返ったウォルテリスは驚愕に眼を見開いた。


「な、あ、アウロ?」

「よう、やっぱりお前だったか」


 が、狼狽する兄とは対照的に、ガルバリオンは飄々とした態度を崩していない。


「いかんなぁ、アウロくん。大人の会話を盗み聞きするもんじゃあないぜ」

「ふざけないで下さい、ガルバリオン。母が殺されたというのはどういう意味です?」

「うん? 単なる言葉のあやさ。お前だってステラが病で死んだことは知ってるだろ?」

「ええ、そう思っていました。少なくとも、今までは。だが、あなたの言い方はまるで……!」

「おいおい、熱くなるなよマザコン坊や。相変わらず、お前はステラの話題になると冷静さがなくなるな」


 呆れの表情を見せるガリバリオンの前で、アウロはぐっと唇を噛んだ。

 自分は誤魔化されている。確信と共にそう感じる。

 しかし、これ以上追求したところでガルバリオンが口を割らないであろうことも、直感的に分かってしまった。


「悪いな、アウロ。俺はそろそろ広間に戻る。主賓がいつまでも席を外す訳には行かんしな」

「ガルバリオン、話はまだ!」

「俺はもう何も喋らねぇよ。どうしてもステラの話を聞きたきゃ兄貴に聞け」

「えっ……。おっ、おい! 待て、ガルバリオン!」


 この発言に慌てふためいたのはウォルテリスである。

 だが、ガルバリオンは立ち止まることなく、自分だけさっさとその場を後にしてしまった。

 気まずい雰囲気の中。公王ウォルテリスとアウロの二人だけが、夕焼け色に染まった花壇の前に取り残される。


「……申し訳ありません、陛下。お見苦しいところをお見せしました」


 ひとまずアウロはその場に膝をついた。

 なにしろ相手はこの国のトップだ。それを無視し、ガルバリオンに食って掛かったのは明らかな失態である。

 もっとも、ウォルテリスの側は特に気にした様子もなく、落ち窪んだ目をアウロへと向けた。


「いや、いい。立ってくれ、アウロよ」

「はっ」


 アウロは立ち上がり、そして、十数年ぶりに正面から父の姿を見た。


 ガルバリオンと数歳違いの年齢にも関わらず、ウォルテリスはひどく老け込んでいるように思えた。

 ごくごく平凡な能力しか持たない男が、王という重責を背負わされ、押し潰されてしまったかのような、

 そんな形容しがたい悲惨さが、そのこけた頬からは見て取れた。


「こうして二人きりで話すのは十数年ぶりか……。なんでも、養成所でダグラス・キャスパリーグと戦ったらしいな。瀕死の重傷を負ったと聞いたが、体はもう大丈夫なのか?」

「はい。ただ、みすみす《ワイバーン》を奪われてしまったのが無念でなりません」

「致し方あるまい。我らも不用心だったのだ。まさか、アクスフォード卿がキャスパリーグ隊と繋がっているとは思っていなかった」


 ウォルテリスは手に持った杖でこつこつと地面を小突いた。


「近々、戦争が始まる。養成所の訓練生も、予備の兵力として戦いに投入されるだろう。……アウロ、お前は王都に残るのか?」

「ええ、恐らくは」

「そうか。王都にはナーシアとルシウスが留まるはずだ。お前もあの二人と協力して、カムロートを守って欲しい」

「分かりました。しかし、機甲竜騎士団ロイヤルエアナイツの団長がここに残るのですか?」

「そうだ。代わりに、ガルバリオンの軍にはマルゴンを同行させる」


 「なるほど」とアウロは頷いた。


 ドラク・マルゴンはこのログレス王国の第一王子である。

 順当に行けばウォルテリスの死後、王位に就くのはこの【緋色の王子プリンス・オブ・カーマイン】だ。

 ウォルテリス――というよりこの国の政府は、この次期国王に戦場で武功を立てさせておく狙いなのだろう。その方が、温室育ちの王子という印象を和らげることができるはずだ。


「ところで陛下、一つお聞きしたいことがあるのですが」

「なんだ?」

「母のことです。陛下は母が死亡した原因について、なにかご存知なのですか?」

「……王都を出た後、心の病で命を落としたと聞いた。それ以上のことはなにも知らぬし、知っていたとしても言えぬ」


 ウォルテリスは息をつき、


「アウロ、私の方からも一つ聞きたいことがあるのだが」

「なんでしょうか」

「お前は母の死に目に立ち会ったのであろう? あれの、ステラの最後はどうだった? 安らかであったか?」

「はい。少なくとも、自分にはそう見えました」

「そうか。では――」


 男は一度、躊躇うかのように間を置き、


「ステラは、彼女は、私のことを恨んではいなかったか?」

「……母は最後に遺言を残しました。誰かを恨むなと、怒りに身を任せてはならないと。そんな言葉を遺した母が、誰かを恨んでいたとは思えません」


 「そうか」とウォウテリスは呟いた。

 呟いて、足元に広がる水仙の花壇へと視線を落とした。


 その哀愁に満ちた横顔を見て、アウロはふと気づいた。

 ウォルテリスが自分を息子として見てくれたことは一度もない。

 だが、少なくともこの男がステラに抱いていた愛は本物だったのだ。


 アウロは発作的に自らの右腕を差し出し、王紋を晒したいという衝動に駆られた。

 自分は王の血を引く正統な王子だと。母はあなたのことを裏切っていないと。

 そう言ってしまえれば、きっと楽になれただろう。


(……だが)


 今はダメだ。今はまだアウロ自身の力も、後ろ盾も皆無に等しい。

 例え王位継承権を手に入れたところで、宰相派の貴族に排除されることは火を見るより明らかである。


「では、アウロよ。お前は私のことをどう思っている?」


 目線を花壇に向けたまま、ウォルテリスはふいに尋ねてきた。

 アウロは答えに窮した。公王は世間から【暗愚王】の名で呼ばれている。

 アウロ自身も実の父であろうこの男に、いい印象を持っている訳ではない。


「ステラを死なせてしまった私のことを恨んでいるか? 恨んでいるだろうな」

「それは――」

「もしくは力の弱い、愚かな男と馬鹿にしているだろう。実際、今の私は操り人形同然だ。モグホースや、他の力ある貴族たちの言うことに逆らえん」


 黙り込むアウロの前で、ウォルテリスはくつくつと自嘲的な笑みをこぼした。


「王といっても無力なものよ。所詮は鍍金めっきで塗り固められた石ころだ。……アウロ、お前は私のようにはなるなよ。例え私の血を引いてなかったとしても、お前はステラの息子だ。不幸にはなって欲しくない」


 最後にそう告げて、ウォルテリスは花壇の前を離れた。

 アウロは棒立ちのまま、複雑な気分でその背中を見送った。


 恐らく、公王ウォルテリスは多くの人間が思っているほど愚昧な人物ではないのだろう。

 だが、彼は一国の王という責務を担えるほどの器と能力を持っていなかった。

 そうして、あの男は傀儡となっている。腐りゆく王国をなにもできずに眺めている。


 その姿をアウロは憐れに思った。


「母上……全く、あなたはどうしてあんな男を好きになったのでしょうね」


 ウォルテリスがいなくなった後、アウロは揺れる水仙のつぼみを前に、ぼそりと愚痴のような台詞を吐き捨てた。

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