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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
二章:斧の反乱
28/107

2-10

 十二月に入り、カムロート周辺はにわかに慌ただしさを増したようだった。


 原因は先月起きた竜騎士養成所襲撃事件と、王国北部の街ドルゲラウからもたらされたアクスフォード侯爵反乱の報である。

 なにしろ四侯爵の一角が王家に対して反旗を翻したのだ。五年前、ダグラスが起こしたモーンの反乱とはまるで規模が違う。

 結果、王都に滞在していた貴族たちの大半は一旦領地へ帰国し、事態への対応を迫られることとなった。






「うーん、なんだか養成所の中も急にがらんとしちゃったねぇ」


 そうぼやいたのはいつもの作業着を着たシドカムだ。


 中部から北部にかけての貴族が領地を駆けずり回っている一方で、南部の貴族や戦と関係の薄い平民たちは暇を持て余していた。

 後者にはアウロやシドカムら開発科の面々も当てはまる。養成所に残った彼らは、相変わらず《ホーネット》の調整作業を続けていた。

 そもそも、訓練用の機竜が奪われてしまった現状では他にできることもないのだ。


「そういえば、アウロの領地は南の端にあるんだっけ。確かケルノウン半島の――」

「イクティスという田舎町だ。別名、地の果て(ランズエンド)とも呼ばれている」


 ベンチに座ったアウロは紅茶をすすりながら答えた。

 その隣では、カムリが羊肉のパイをもむもむと食べている。

 最近の彼女は訓練生たちがいないのをいいことに、養成所のあちこちを探検していた。今日も暇を持て余したらしく、こうしてハンガー内に入り浸っている。


「ふぇひひにしてほぉ、まひゃかさきにゅこくにゃいで」

「食べてから喋れ」

「いぇあ」


 ごくり、とカムリはパイを呑み込んだ。


「それにしても、まさか国内で反乱が起きるとは思わなかったな。下手すりゃ、東の野蛮人どもがこの機に攻めてくるんじゃないの?」

「どうかな。七王国ヘプターキーの連中とて内輪の争いで忙しいはずだ。それにログレスの国境地帯には《髭狩りリトー》と王弟ガルバリオンがいる。いくら連中でも、簡単には攻め込めんさ」

「ふーん、あの無能国王に弟がいたのか。うっかり見損ねちゃったな。その人、強いの?」

「強い。とてつもなくな」


 アウロは包帯の巻かれた右腕に、じっと視線を落とした。


 養成所襲撃事件から半月近くが経ち、アウロの体はすっかり以前と同じ健康体になっていた。

 が、右腕の包帯だけはそのままだ。これは不慮の事故で王紋がばれるのを防ぐための処置だった。


「昔、俺はガルバリオンの元で、騎士としての訓練を積んでいたことがあるんだ。正直、今でもあれほどの強さを持った男は見たことがない」


 「へぇ」とシドカムは相槌を打ち、


「アウロがそんな人のところで修行してたなんて初耳だな。この養成所に来る前のことかい?」

「ああ、十二から十六までの四年間だ。俺の母ステラとガルバリオンは仲が良くてな。そのつてを頼ったんだよ」

「なるほど。でも、どうしてそんな人のところに行ったんだ? その、騎士としての訓練を詰むって言ってもさ。他にちゃんとした目的があったんじゃないの?」

「まぁな」


 アウロは頷いたが、それ以上はなにも言わなかった。


 元々、アウロがガルバリオンに師事したのは将軍の座を得るという目的があったためだ。

 騎士としての力と王弟という後ろ楯。この二つを獲得するのに、ガルバリオンは絶好の存在だった。

 実際、その判断は正解だった。なにしろ母の元で甘やかされて育ったアウロは、あの恐ろしいモンマス公の元で鍛え上げられ、岩の辛抱強さと鋼の精神力を養うことができたのだから。


「とはいえ――」


 アウロはうっすら口の端を上げ、


「ガルバリオンの元にいた時は、幾度となく修練場から逃げ出そうと思ったよ。俺が根性なしだったのもあるが、あれはとにかく弟子に厳しかったからな」

「けど、そのおかげで今の主殿があるって訳なんだね」

「そういうことだ。だから、あの男には感謝している。もっとも向こうは俺のことなど、もう忘れているかもしれない……が……」


 と、アウロはそこで中途半端に言葉を切った。


 いつの間に現れたのか。ハンガーの入り口付近に二つの影が佇んでいた。

 一方は背の高い少女だ。やや色の薄い紅茶色の髪を銀のバレッタで留めている。

 もう一方は、炎のように波打つ長髪を持った大男である。その顎先から首筋にかけて、真っ赤な竜の形をした痣が刻まれていた。


「――ガルバリオン?」


 思わず、アウロはベンチから立ち上がった。


 対し、灰色のチュニックを着た男はいかつい顔に笑みを浮かべ、


「あいにくだったな。師匠ってのは不出来な弟子ほどよく覚えているもんだ」

「……それはまた、喜んでいいのか嘆いていいのか分かりませんね」


 男の言葉に、アウロは引きつった笑みを返した。


 どこか懐かしさを感じるやり取りだ。

 モンマスを離れてから五年が経った。しかし、目の前の男は記憶の中にある姿とほとんど変わっていない。

 アウロは居住まいを正すと、胸に手を当てて一礼した。


「お久しぶりです、ガルバリオン」

「ああ、五年ぶりだな。アウロ」


 男は――王弟ガルバリオンはそう言って、切れ長の目を細めた。


「お、王弟殿下!?」


 直後、シドカムたち開発科の面々は雷に打たれたかのごとく膝をついた。

 公爵であるガルバリオンの地位は王に次ぐ。庶民にとっては正しく、雲の上のような存在だ。


 が、当のガルバリオンはひらひらと手を振ると、


「あー、そうかしこまらずともよろしい。俺は別に君たちの主じゃあない。今日はアウロの様子を見にきただけなんだ」

「それにしても、意外と元気そうだな。ついこの間まで、生死の境を彷徨っていたって噂だったのに」


 ガルバリオンの隣を離れた少女は、つかつかとアウロの元に歩み寄ると、その格好を上から下まで観察した。


「ん……でも、五年前とあまり変わってないか。昔よりは大人っぽくなっているみたいだけど」

「お前、まさかアルカーシャか? 大きく――」


 アウロはそこでちらりと視線を落とした。


 彼女は白いチュニックの上から、皮の胸当てとベルトをつけた格好をしていた。

 傍から見るとまるで見習い騎士のようだ。背が高いので凛々しい衣装がよく似合っている。

 ただ、なんとなく違和感があるのは大きく膨らんだ胸のせいだろう。かつて大平原だったそこは地殻変動を起こし、柔らかな丘陵を形成していた。


「……うん。大きくなったじゃないか」

「おい、こら。人の胸を見て満足そうに頷かないで貰えるかな?」


 彼女はむっとした様子でアウロを睨みつけた。


 アルカーシャはつり目がちの、いかにも気位の高そうな少女だった。

 アウロの記憶が確かなら彼女は今年で十七歳。

 肉付きの少ない体はしなやかながら細く、凛とした顔立ちにもややあどけなさが残っていた。


「ね、ね、主殿」


 そこでベンチから立ったカムリは小声でアウロに呼びかけ、


「その人、誰? お知り合い?」

「古い幼馴染だよ。名はアルカーシャ。ガルバリオンの娘だ」

「お初お目にかかります。モンマス公ガルバリオンの娘、アルカーシャと申します」


 アルカーシャはチュニックの裾をつまむと、優雅に一礼した。

 が、その赤い瞳はカムリの顔をじっと見つめたまま微動だにしていない。

 アウロはその奥にやや不機嫌そうな感情を見て取った。


「で、アウロ。この可愛らしい女の子は誰だ?」


 アルカーシャは再びぶっきらぼうな口調で尋ねる。

 アウロは肩を竦めて言った。


「名はカムリ。ただの従者だよ。まだ体調が本調子じゃないんでな。身の回りの世話をさせているんだ」

「へぇ。その黒いローブ――まさか、魔術師か? そんな子が従者にいたなんて初耳だな」

「俺がモンマスを出てからもう五年近くが経っている。お前の知らないことがあって当然だろう」

「……ま、それもそうだ」


 小さく頷き、アルカーシャは大人しく引き下がった。

 代わって、ガルバリオンが豪奢な赤髪を揺らしながらアウロの元にやってくる。


「それにしても、あの小僧が随分と大人びちまったもんだなぁ。もういっぱしの男の顔をしてるじゃあないか」


 男は節くれ立った手の平をぽんとアウロの頭に乗せた。

 更に、そのまま錆色の髪をぐしゃぐしゃとする。

 その姿を見て、カムリはこらえ切れずに吹き出してしまった。


「……笑うなよ」


 アウロは内心でげんなりしつつ、ちらりと視線を上に向けた。


「いい加減にして下さい、ガルバリオン。俺だってもう十二のガキじゃないんですよ」

「分かってるさ。ちょっとからかっただけだ」


 楽しげに答え、ガルバリオンはアウロの頭から手を離した。


 モンマス公ガルバリオンは良くも悪くも豪放磊落な性格の男だ。

 彼はアウロのことを私生児として扱いつつも、それを馬鹿にしたことは一度もない。

 ただ、ガルバリオンにはしばしば人を食ったような言動を取るという悪癖があった。

 しかも立場上、多少の狼藉は許されてしまうのだからたちが悪い。


「で、アウロ。体の具合はもういいのか?」

「ええ、傷自体は治療師に塞いで貰いましたし」

「とはいえ、三日近くも昏睡してたんだろ? かなり危ない状態だったという話だが」

「肩を刺されただけですよ。恐らく、あの剣は魔剣かなにかだったんでしょう。アーマーごと人体を貫くなんて、普通の人間にできる芸当じゃない」

「確かにそうだ。もっとも、ダグラス・キャスパリーグは普通の人間じゃあないがな」


 ふいに、ガルバリオンは《ホーネット》の傍で硬直しているシドカムへと視線をやった。


「お前も奴が普通のケットシー族と違うってのは分かってるはずだ。あの男の色違いの左目は『凶眼(ドルッグ・アヴィス)』って呼ばれていてな。なんでも体の中に混じってる魔獣の血が強く表に出た結果、あんな瞳になっちまったらしい」

「魔獣? 妖精ではなく?」

「ああ、正真正銘の魔獣だよ。キャスパリーグというのは元々、モーン島に巣食っていた怪物の名前なんだ。ダグラスはその末裔と言われている。……そこのケットシー族の君なら、聞いたことくらいはあるんじゃあないか?」


 ふいに尋ねかけられ、シドカムは人形のようにこくこくと頷いた。


「え、ええと、ほとんど伝説みたいなものですけど、アルトリウス王の時代、モーン島に住んでいたキャスパリーグという怪物の話は聞いたことがあります。でも、それがあのダグラスと関係があるなんて……」


 尻すぼみに説明を終えたシドカムの前で、カムリも軽く首を傾げ、


【んー、あの黒にゃんこ。誰かに血を分け与えてたのかな。だとしたら、ちょっと厄介だけど】

【何故だ?】

【アルトリウスは最初、怪猫キャスパリーグを討伐するために二百人の部下をモーン島に送ったんだよ。でも、彼らのほとんどは魔獣の胃袋に収まってしまった。最終的にはわらわとアルトリウスで倒したんだけどね】

【だが、亜人が魔獣と子を成すなんてことが考えられるのか?】

【別に子供を作った訳じゃないと思うよ。多分、怪猫キャスパリーグは自分の血の一部を誰かに注いだんだ。わらわが大昔、この国の王様に自分の血を飲ませたのと同じようにね】

【……なるほど】


 竜の血は浴びれば不死の肉体を得ることができる、とまで言われるほどの代物だ。

 同じ高位の魔獣という点では、怪猫キャスパリーグのそれも似たようなものなのかもしれない。


「そういえば、ガルバリオン。あなたはモーンの反乱でダグラスと戦ったんですか?」

「ん? そうさな、あの時は――」


 ぞり、と顎をなぞりつつ、ガルバリオンは視線を宙にさまよわせた。


 五年前にモーンで反乱が起きた際、王国側の総大将を務めたのが、今アウロの目の前にいる王弟ガルバリオンだ。

 戦の中、最も目覚ましい活躍をしたのはカムロートの機甲竜騎士団ロイヤルエアナイツだったが、ガルバリオン自身もこの戦いで多くの功を上げ、モンマス公爵の位を授けられていた。


「実を言うと、ダグラスの野郎は何度かこっちの本陣に強襲をかけてきたんだ。んで、一回だけ戦列を抜かれて奴と直接剣を交わしたことがある」

「その時はどういう結果に終わったんです?」

「負けてたら今、俺はここにいねぇよ。それに俺が勝ってたら奴は死んでいた」


 「なるほど」とアウロは呟いた。つまり引き分けに終わったということか。


「しかし、機竜での戦いならば間違いなく父上が一番です」

「ま、ダグラスの野郎は機竜を持っとらんしな」

「そうですね。少なくとも半月前まで、あの男は機竜を持っていませんでした」


 アウロの言葉にガルバリオンは目をすがめた。


「確かにお前の言う通りだ。今のダグラスは《ワイバーン》十二機を持ち、その上、ブレアの奴とも繋がってる」

「ダグラスがアクスフォード侯爵の支援を受けているというのは、間違いない情報なんでしょうか?」

「ああ。ドルゲラウに赴いた使者が、屋敷でブレアとダグラスが一緒にいるところを目撃した。その上、ブレアは七人いた使者の内、六人をダグラスに命じて切り捨てさせたらしい」

「では――」

「戦争は免れんよ。俺がカムロートに来たのも、ドルゲラウ攻めの総大将に任命されたからだ。お前のことは……ま、ついでだな」


 そこでガルバリオンは懐に手をつっ込むと、丸められた羊皮紙をアウロに差し出した。

 受け取ったアウロは巻物を確認する。表には赤い蝋で封がされ、その上にはガルバリオンの印璽が押されていた。


「これは?」

「招待状さ。明後日、城で任命式を行う予定なんだ。アウロ、お前どうせ暇だろ?」

「暇ですが王城には行きたくありません」

「なにを言っているんだよ、この意気地なし。そんなにお城の貴族が怖いのか?」


 たちまち呆れ声を漏らすアルカーシャ。

 対し、アウロはむっつりした顔で答えた。


「貴族は怖くないさ。連中は遠巻きに悪口を叩くだけだからな。厄介なのは王族だ」

「でも、最近はルシウス兄さんとも仲がいいと聞いたよ? その調子でマルゴン兄さんやナーシア兄さんとも仲直りすればいいのに」

「それは無理だ。あの連中はルシウスと違い過ぎる」


 意固地になって拒むアウロだが、それで引き下がるガルバリオンではない。


「だが、いつまでも逃げ回ってる訳には行かんだろ。一回、正面から向き合ってみたらどうだ?」

「本気で言っているんですか、ガルバリオン」

「本気さ。ともかく明後日の昼は王城に来いよ」

「もし行かなかったら?」

「地獄のトレーニングコース三セットだ」


 ガルバリオンの容赦ない台詞に、アウロは渋々「分かりました」と頷いた。






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






 そして翌々日、アウロは約束通りカムロートの王城まで赴いていた。


 カムロート城は山岳部の中腹、切り立った崖を背に建てられた山城だ。

 傾斜のある地形のため、堀は巡らされていないものの、代わりに城の正面には三重の城郭があった。


 一番目の区画に住んでいるのは王城勤めの役人の内、身分の低いものたちだ。

 二番目の区画には上級貴族たちの別荘として扱われている邸宅があり、

 三番目の区画には王城本体に加え、近衛騎士団・機甲竜騎士団の宿舎や、機竜を格納するためのハンガー、滑走路などが存在している。


 そのため、この中枢区画が一番広く、警備も厳重だ。

 アウロは入念な取り調べを受けた上で、王城の中へと入った。


「……相変わらず、ここはカビ臭いな」


 赤のチュニックにズボン、毛皮の外套マントルという正装に着替えたアウロは、周囲を見回して小さく眉を寄せた。


 元々、ここカムロート城は二百五十年前に前線基地として建てられた代物だ。

 そのため城の内部は陰鬱で、石造りの通路の端々には苔がはびこっている。

 明るく、華やかな王宮の雰囲気など欠片も感じない。むしろ城全体が一種の牢獄のようだ。


(任命式は確か二階の玉座の間で行われるはずだが……)


 アウロは過去の記憶を思い出しつつ、迷路のように張り巡らされた廊下を歩いた。

 彼が最後に城内へとやって来たのはもう五年以上前のことだ。玉座の間への道のりもおぼろげにしか覚えていない。

 しかもこの城は侵入者を迷わせるため、敢えて複雑な構造をしている。

 おかげでアウロは目的地に到達するまで、三十分近くの時間を要してしまった。


 ――早めに来ておいて良かった。


 アウロは安堵の息をこぼしつつ、視界に入った玉座の間を目指す。

 と、そこで横合いの通路から四つの人影が姿を現した。


 先導している二人は薄紅色のヘルムと鎧を身につけた、近衛騎士団の兵士である。

 その後ろにいるのは明らかに貴族だ。一方はアウロと同じような格好をした、中年の大男。

 そして、もう一方の男は今のアウロにとって、もっとも出会いたくない人物の一人だった。


「ん?」


 男はアウロの顔を見て、ぴたりと足を止めた。


 毒蛇のように美しい顔立ちをした二十代半ば頃の青年だ。

 着ているものは精緻な刺繍をあしらった、大陸風の薄上衣ブリオー

 更に赤キツネの毛皮で作られたマントをぐるりと首に巻き、肩の辺りに大ぶりの宝石をあしらったブローチを留めている。


「おやおや、誰かと思ったらケルノウンのドブネズミか。まさか、お前も叔父上の任命式に招待されたのか?」

「……はい。お久しぶりです、ナーシア殿」


 嘲るような笑みを浮かべる男に、アウロは胸に手を当てて一礼した。


 男の名はドラク・ナーシア。

 【薔薇色の王子プリンス・オブ・ローズ】のあだ名を持つ、ログレス王国の第五王子だ。

 現在は機甲竜騎士団ロイヤルエアナイツの団長を務めており、その空戦技術は王国でも随一と言われていた。


「ふふん、そういえばお前。ルシウスと決闘して勝ったらしいじゃないか」


 ナーシアはそのあだ名の由来ともなった、薔薇色の長髪を揺らしながらアウロへと歩み寄った。

 途端、むっと鼻の曲がりそうな香水の匂いが辺りに漂う。アウロは思わず後ずさりかけてしまった。


「……ええ。ですが、不幸な行き違いがあっただけです。今はわだかまりも溶け、ルシウス殿と親しくさせて頂いております」

「ふぅん? 親しく、親しくねぇ」


 ナーシアはふいに口元に浮かんでいた笑みを消した。

 深い紅色に染まった瞳がすっと細められる。

 同時に、その喉からドスのきいた声が漏れ出た。


「分を弁えろよ、私生児風情が。貴様、理解しているのか? 汚れた血の子が正統な王子と戦うことの意味を」

「………………」


 黙り込むアウロの前で、ナーシアは「答えられんか」と鼻を鳴らした。


「王家の顔に泥を塗ったのだ、貴様は。しかも貴様は我らの不興を買うと分かっていてなお、ルシウスと戦った。違うかね?」

「まさか。そもそも、自分はあくまで決闘を申し込まれた側ですよ」

「決闘を申し込まれ、受けた。全て計算ずくでだ。ルシウス程度ならば打倒できると。事実、貴様はあれに勝っている」

「ご冗談を。自分はただ運が良かっただけです」

「黙れ。貴様の妄言など信じると思っているのか?」


 ナーシアは苛立たしげに吐き捨てた。

 どうやら既にこの男の中で、アウロは王家に仇なす反逆者となっているらしい。

 アウロはさっと周囲を見回した。幾人かの貴族と目が合うも、その誰もが視線を逸らしてそそくさとその場を後にしてしまう。


(面倒な奴に引っかかってしまった……)


 ドラク・ナーシアはアウロにとって天敵のような存在だ。


 ナーシアは極端な貴族主義者であり、生まれの不確かなアウロを蔑視していた。

 性格は尊大かつ傲慢。貴族以外の人間を家畜同然の存在と考えている。

 ルシウスとは関係を修復したアウロも、流石にこの男と手を取り合う自信はなかった。


「大体、先日の事件も怪しいのだ。養成所の機竜が盗まれた時、その場に都合よく貴様がいたらしいじゃないか。まさか、貴様がキャスパリーグ隊の連中を手引きしたんじゃ――」

「そんな言い方はないでしょう、兄さん」


 ふいにアウロの肩越しに声がかけられる。

 振り返ったアウロの前に立っていたのは、白いチュニックの上から地味な色のマントを羽織ったルシウスだ。

 露骨に眉を寄せるナーシアに向かって、ルシウスはにっこりと微笑みかけた。


「アウロはダグラス・キャスパリーグと戦って、危うく死にかけたんです。それに一人で賊の内三人も倒してる。彼を疑うのは理に適いませんよ」

「ルシウスか。お前、最近そこの底辺貴族と仲がいいらしいな」

「そうですね。いけませんか」

「いいはずがなかろう」


 ナーシアは舌打ちを漏らし、


「ルシウス、お前ももうすぐ二十二だ。いい加減、王族としての自覚を持て」

「というと?」

「少しは付き合う相手を選べということだ。どこの生まれかも分からん駄犬に餌を与えたところで、大した見返りが来るとは思えん」

「アウロが駄犬だとすると、それに負けた僕は駄犬以下の存在になってしまいますね」

「――ルシウス、お前」


 ふいにナーシアは困惑の表情を見せた。

 が、結局はそれ以上はなにも言わず、その場から身を翻す。


「分かった。これ以上はなにも言わん。行くぞ、エドガー。叔父上の任命式に遅れてしまう」

「はっ!」


 通路に佇んでいた男は、短く返事をしてナーシアの後を追った。

 残る警備兵たちは単なる案内役だったらしく、入り口の方向へと取って返す。


 そうして、薄暗い通路の中にはアウロとルシウスだけが残された。


「すまない。助かった、ルシウス」

「いや……気にしないでくれ。兄さんがアウロに突っかかったのは、僕が原因だったみたいだし」


 ルシウスはひどく疲れたような笑みを浮かべ、


「兄さんも、なんていうか、悪い人じゃないんだ」

「ああ、あれは本気でお前を心配している顔だった」

「あの人はいつも僕には優しいんだよ。でも、君には優しくない」

「そうだな。どうも俺はナーシア殿下に嫌われているらしい」


 言って、アウロは小さくため息をこぼした。


 それから二人は改めて玉座の間へと向かった。

 ここは謁見用に作られた場所だが、元が山城なのでさほどの広さはない。

 部屋の一辺は約150フィート。形はほぼ正方形。部屋の壁際には魔導式のランプが掲げられ、奥には毛皮の敷かれた石の玉座が置かれている。


「じゃ、アウロ。また後でね」

「ああ」


 玉座の間に辿り着いたところで、アウロはルシウスと別れた。

 既に室内では、マントルを羽織った百名弱の貴族たちがひそひそと小声を交わし合っている。

 その並び方は一見雑然としているように見えるが、実際には規則性があり、身分の高い者ほど玉座に近い位置に、身分の低いものほど玉座から離れた位置に立っていた。


 男爵であるアウロの居場所は当然、玉座から最も遠い入り口付近である。

 おかげでアウロは室内にいる諸侯の顔を一望することができた。


(多いのは中部の貴族。それに南部と西部の連中か。流石に北部の連中は少ないが――……ん?)


 アウロは、はたと見知った人影に目を留めた。

 他の貴族たちと同じチュニックにマントルという格好をした、ロゼ・ブラッドレイである。

 ここ半月ほど、ロゼはブラッドレイ家の領地であるタウィンに戻っていたはずだ。それがいつの間にかカムロートに帰還していたらしい。


「おい、ロゼ――」


 アウロはそのやつれた横顔に声をかけようとした。

 が、直後。玉座の間に響き渡った大音声によって遮られる。


「諸君、よくぞ集まってくれた!」


 いつの間に現れたのか。玉座の間の中央には初老の男が立っていた。

 背が低く、恰幅のいい男だ。豊かな髭をたくわえた口元には笑みを浮かべ、人の良さそうな印象を周囲に与えている。

 着ているものはナーシアと同じ大陸風のブリオー。しかし、こちらは貴族というよりも裕福な商人に見えた。


 アウロは実際にこの男と顔を合わせたことはない。

 だが、その名前と容姿は嫌というほど耳にしている。


 ――ログレス王国宰相、【白老侯ヘンウィン】モグホース。


 王妃モリアンの兄であり、現在この国の政治的実権を握っている男だ。


「今日、諸君らがこうして王城に集められた理由はよく理解していると思う。知っての通り半月ほど前、カムロートの機甲竜騎士養成所が襲撃を受けた。我が王国の大敵、ダグラス・キャスパリーグの一派によって、だ」


 モグホースはぐるりと周囲を見回し、


「そして先日、とうとうダグラスの背後にドルゲラウ侯がいることが判明した。侯は王国に対してはっきりと敵対の意志を示している。そのための武力も擁している。そう、王国から奪い取った十二機の《ワイバーン》だ」


 開かれた玉座の間の中央を歩きながら、【白老侯】は声を低くした。


「諸君らとて、もう分かっているはずだ。王国の秩序と平和のため、ドルゲラウ侯をこのまま放置しておくことはできない。まだ現実を認めたくないものがいるならば、今のうちに言っておこう。――良いか、諸君。戦争の時が来たのだ」


 いつの間にか、玉座の間はしんと静まり返っている。

 その見事な演説術にアウロは内心で舌を巻いた。

 一部の人間からは蛇蝎の如く嫌われているモグホースだが、その能力は決して低くない。そもそも、単なる無能が宰相の地位まで昇り詰めることなどできるはずもないのだ。


「とはいえ、諸君らの中には不安に思っている者もいるだろう。なにしろ、アクスフォード領には機竜が存在する。……モーンの時と違ってな。賢明な諸君には今更、機甲竜騎士ドラグーンの恐ろしさなど説明するまでもないはずだ」


 やがて、モグホースは広間の入り口で立ち止まると、再び居並ぶ諸侯を見渡した。


「だが、安心し給え」


 男は穏やかな笑みを浮かべ、


「今回、ドルゲラウ侯を誅伐するにあたって我らは機甲竜騎士団の半数を動員することに決定した。勿論、これに諸君らの機甲竜騎士、王国軍の陸攻機ストライカー部隊も加わる。そして、この輝かしき大軍団を率いる将は王国最強の戦士。【モンマスの獅子】ことガルバリオン殿だ」


 その台詞に貴族たちの間からどよめきが上がる。

 幾人かはサクラで――残る者たちは本心から驚愕している。

 恐らく、彼らは心のどこかで安穏としていたのだろう。戦争など起こるはずがないと。今回の諍いも、ただ話し合いによって解決されるのではないのかと。


(……ぬるま湯に浸かりきった思考だ)


 アクスフォード侯爵は王国に対して完全に矛を向けている。

 少なくとも、モグホースにはそれが分かっている。

 だからこそこの男は、本気で、全力で、敵対者を叩き潰そうとしているのだ。小さな火種が燃え盛る業火に変わる前に。


「さて、それでは我らが軍司令官殿にご登場願おうではないか!」


 パンッ! と乾いた音を立て、白老侯の両手が打ち鳴らされる。

 直後、入り口の大扉が開き、武装した三人の男が玉座の間に姿を現した。


 先頭に立っているのは飾り気の少ない銀の鎧を着込み、竜の紋章の刻まれたマントを羽織った王弟ガルバリオンだ。

 そして、その左右にはがっしりした体つきの小男と、長い黒髪を持つ陰気な雰囲気の男が付き従っていた。

 【槍の侯爵】ガーランド家の当主、ウィリアム・ガーランドとその弟、モーディア・ガーランドである。


「よう、モグホース。お前、いつから演出家に転職したんだ?」

「ホ……演出などという大層なものではございません。単なる主役を照らすための舞台照明程度に思って頂ければよろしい」


 ガルバリオンの台詞に、モグホースは芝居がかった動きで一礼した。


 そこで今度は玉座の脇の通路から、足元まである長いマントルを羽織った初老の男が姿を現した。

 男は頭に青銅の王冠を被り、手には杖を、腰には白塗りの鞘に込められた宝剣を携えている。


 しかし、華美な格好とは裏腹に当の本人はいかにも覇気のない顔立ちをしていた。

 落ち窪んだ目に青ざめた肌。腰を折った姿はまるで病人のようだ。


 ――ログレス王国公王、ドラク・ウォルテリス。


 アウロの父親であり、人々からは【暗愚王】の名で呼ばれている男だった。


「モンマス公ガルバリオンよ」


 公王ウォルテリスは、ぼそぼそと聞き取りにくい声で実の弟に呼びかけた。

 すぐさま、ガルバリオンとその側近たちは石畳の上に膝をつく。玉座の間はたちまち厳粛な空気に包まれた。


 ――キンッ。


 静寂の中、ウォルテリスはペリドットを埋め込まれた剣の柄に手をかけ、その刀身を一息に抜き放つ。

 途端、眩い光が広間を照らした。貴族たちの間から感嘆とどよめきの声が上がる。

 ウォルテリスの手に握られた剣は、その刃から真昼の太陽の如き白光を放っていた。


 それはかつて竜王の甥である、ガウェイン卿が用いていた伝説の宝剣だった。

 現在、ログレス王国に伝わる数少ないアルトリウス時代の武器の一つ――

 名を太陽剣〝ガラティーン〟といった。


「ガルバリオンよ。そなたに全軍の統帥権を貸与し、我が王国軍の最高司令官に任命する。受けてくれるな?」

「はっ、喜んで」

「……よろしい。ならば、それがこの証だ」


 敬々しく頭を垂れるガルバリオンに、ウォルテリスはガラティーンを差し出す。

 ガルバリオンは両手で輝く剣を受け取った。王が臣下に宝剣を与えることは、すなわち軍団統帥権の貸与を意味する。

 つまり、この瞬間からガルバリオンは王国軍の総大将となったのだ。


「よし……皆の者、この国の平和を護るためだ。この戦、必ず勝つぞ!」


 ガルバリオンは立ち上がると、閃光を放つ太陽剣を頭上へと掲げた。


 最初はざわめいているだけだった貴族たちだが、やがてその中からまばらに拍手が上がり、数秒後には部屋中を覆う大歓声となる。

 恐らく、これも宰相モグホースの仕込みなのだろう。白老侯は豊かな髭をなぞりながら満足そうな顔をしている。

 一方、玉座の前に佇む公王ウォルテリスは魂の抜けたような、ひどく虚無的な表情を浮かべていた。


(……これでは誰が国王なのか分からんな)


 アウロの見ている前で、近衛兵に促されたウォルテリスは杖を突きながら玉座の間の裏へと消えていく。


 しかし、貴族たちの視線はガルバリオンと、彼の握るガラティーンにのみ向けられていて、王の退出に気付いた者はごくわずかしかいなかった。


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