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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
二章:斧の反乱
27/107

2-9

 ログレス王国北西に位置する都市ドルゲラウは、三方を山々に囲まれた緑の街だ。

 西に向かって流れるマウザハ川の支流が豊富な水をもたらし、牧羊と採取されたウールが街の産業を形成している。

 また周辺の山から採れる金と、魔導具の燃料となる魔光石が、多くの鉱山労働者たちを養っていた。


 一言で言ってしまえば、山がちで平地が少ない典型的なログレスの街だ。


 そして、当然のことながらこの街に住む人々も強いブルト人気質を持っていた。

 つまり他者の侵略を頑として受け入れない、誇り高く、偏屈な老人のような性質である。






 山裾に広がるのどかな田園地帯の中を、がらがらと車輪を転がして馬車が走っていく。

 馬車といっても商人が使う幌馬車ではない。貴人が使う、装飾の施された四輪馬車ワゴンだ。

 側面に刻まれた図柄は斧と盾――四侯爵アクスフォード家の紋章だった。


「……おい、カラム。屋敷にはまだ着かないのか?」

「もうすぐだよ。しかし、この会話もう何度目だい?」


 口元を押さえるダグラス・キャスパリーグの向かいでは、焦げ茶色のチュニックを着た男が困ったような表情を浮かべていた。


 柔らかそうな金髪を持つ童顔の青年だ。

 体つきはしなやかで、どこか女性的ですらある。

 男の名はカラム・ブラッドレイ。中部の都市タウィンを支配するブラッドレイ家の嫡子だ。またアクスフォード家に仕える臣下の一人であり、侯爵にとっては腹心中の腹心だった。


 今回、彼に与えられた役目はカムロートに潜伏するダグラス・キャスパリーグをここドルゲラウまで護送することだ。

 危険な任務である。もし道中で王国側の人間に見つかれば、彼らの命はなかっただろう。

 だが、四侯爵家の威光もあり、二人はどうにか各地の関所を突破することができた。


 そうして、ようやくアクスフォード家の領地まで辿り着いたわけだが――


「それにしても、意外だな。あの【モーンの怪猫】が馬車に酔うなんてねぇ」

「笑うなよ。俺は生まれてこの方、馬車や船に乗ったことがなかったんだ」


 威嚇するような視線を放つダグラスだが、その顔色は真っ青だ。

 カラムは軽く肩をすくめ、


「すまない。しかし、乗馬の経験はあるんじゃないのか?」

「馬車と裸馬はまた別物だ。それにこの狭い空間に男と二人きりというのも堪えられん」


 ――僕としても、ゲロ臭い猫畜生と二人は嫌なのだが。


 そう答えようかと思ったカラムだが、寸前で思いとどまった。

 ダグラスは気性の荒い男だ。無闇に怒らせるような真似をするのは賢くない。


「……とりあえず、吐かれても困るからな。窓を開けよう。ダグラス殿、外に顔を出すなよ」

「分かっている」


 相手が頷いたのを確認した後で、カラムはカーテンを引き、窓を押し開けた。


 たちまち涼しい風が馬車の内部を通り抜ける。

 カラムは何事かと振り返る御者に一声かけ、清爽な外気を胸一杯に吸い込んだ。


「ああ、いい風だ。少しは気分が良くなったかい?」

「……そうだな。カムロートに比べると、ここは随分と空気がいい」


 答えつつ、ダグラスは太陽の下で細くなった瞳を道路脇の麦畑へと向けた。

 十一月末のログレスでは丁度、小麦の栽培が始まったところだ。

 鋤で掘り返された耕地では、ぼろの貫頭衣に身を包んだ農民たちがせっせと畑に種を撒いている。


「この街では農民が笑顔で働いているんだな」


 ふいにダグラスは呟いた。


「カムロートの周辺――それにイスカの地では、どの民も奴隷のような表情を浮かべ、案山子のように痩せ細っていた」

「無理もないさ。税金が上がって生活がきつくなってるところにこの不作だ。その上、王都周辺の貴族は貧しい人々の救済さえしやしない」

「それが普通ではないのか?」

「そう思ってるのだとしたら、君は貴族という生き物を馬鹿にしすぎだ。高貴なる者には高貴なる者なりの務めが存在する」

「モグホースや奴の取り巻きが、貴族の義務を果たしているとは思えないが」

「それは彼らが生まれながらの貴族ではないからだ」


 言って、カラムは馬車の窓を閉じた。


 馬車がアクスフォード家の屋敷に着いたのはそれから十数分後のことだ。

 領主の嗜好がそのまま反映された石造りの屋敷は、家というよりむしろ城塞のように見える。

 一行は周囲に張り巡らされた堀の前で馬車を降り、跳ね橋、門、前庭を抜け、屋敷の入口へと到達した。


 鉄の取っ手をつかんでノックすると、すぐに内側から扉が開かれる。

 ただ現れたのは使用人ではなかった。つるりと禿げ上がった頭を持つ、中年の男だ。鎖帷子の上からサーコートを着込み、腰には剣を下げている。


「おや、ハーマン殿ではありませんか」

「待ちわびたぞ、カラム殿。よくぞ任務を果たしてくれた」


 男はカラムににっこりと笑みを浮かべた後で、ダグラスへと向き直り、


「そして久しぶりだな、ダグラス・キャスパリーグ」

「ハーマン・ボールドウィンか。五年ぶりだな。そのハゲ頭はどうした?」

「貧弱な毛根のやつが枯れ果ておっただけよ。それにしても貴様は変わらんな」

「俺は老化が遅いんだ。少しばかり、体の作りが他の人間と違うんでね」


 「うらやましいことだ」と、ハーマンは髭の生えた顎をなぞりつつ言った。


 それから三人はハーマンの先導で屋敷の応接室へと向かった。

 屋敷の中は薄暗い。窓のほとんどが閂をかけられ、閉め切られているのだ。

 代わって、等間隔に配置された燭台が通路をおぼろげに照らしていた。


「随分と用心をしているんだな。俺の姿を隠すためか?」


 こつこつと足音だけが響く中、ダグラスはふいに口を開いた。

 対し、ハーマンはちらりと背後を振り返り、


「確かに、半分はお前の姿を外の人間に見せんためだ」

「もう半分は?」

「不埒な賊が屋敷の内部に入らんようにするためだ」


 その声にはどこか苛立たしげな感情が滲んでいた。


「先日、侯爵様がカムロートに赴いてからというものの、ここドルゲラウに二度ほど刺客が送られてきている」

「なに? ブレアの奴は平気なのか?」

「ああ。丁度、腕のいい用心棒が手に入ってな。あの男の活躍でどうにか危機を免れることができた」

「……ハーマン、大切なこの時期に素性の知れない男を雇うのは賢いと思えんが」

「お前の言いたいことは分かる。わしも最初は奴のことを疑っていたからな」


 ハーマンはそう言って苦笑を浮かべた。


「だが、あの腕は本物だ。ひょっとしたら、お前よりも強いかもしれん」

「ほう。それはぜひ一度確かめてみたいものだ」


 ダグラスは楽しそうに呟いた。


 丁度そこで三人は応接室の前へとたどり着く。

 ハーマンは樫の木を切り出して作られたドアをノックした。

 乾いた音が響き、僅かな間を置いて、「入れ」と扉越しに声がかかる。


「失礼しますぞ」


 ハーマンが扉を押し開けると、途端に内部から温かな空気が流れ出た。


 広い室内では暖炉の火がパチパチと音を立てていた。

 揺れる炎が冷たい石畳と、コの字型に配置されたソファを薄ぼんやりと照らしている。


 奥のソファには座っているのは、茶色いベストを着たがたいのいい男だ。

 頭は縞模様の白髪に覆われているものの、その肉体は中年とは思えないほど筋骨たくましい。

 顔は黒々と日焼けし、顎からは短い灰色の髭が生えている。鋭い鷹のような目つきと相まって、周囲に重苦しい印象を与えていた。


「ご苦労だった、カラム。久々の王都はどうだ?」


 ドルゲラウ侯ブレア・アクスフォードは、革張りのソファに腰を下ろしたまま正面に視線をやった。

 その雰囲気に呑まれ、カラムは居住まいを正す。彼は真っ直ぐ背筋を伸ばしてから口を開いた。


「既に街中では亜人街撤去のための工事が始まっておりました。と同時に、街の外にあるスラムの破壊も」

「なんと。モグホースの恥知らずめ、どさくさにまぎれて城外の民までもカムロートから駆逐するつもりか」

「亜人街の撤去は正式な手続きを経て決定された以上、致し方ないことです。しかし、城外の民をついでのように追い払うとは……横暴と言うより他にありません」


 カラムは低い声で言った。


 今回、彼は任務の最中にカムロートを見て回る機会があった。

 王都は街の中心に行くほど華々しく、街の外縁に行くほどみすぼらしい景観になると言われている。

 実際、街の外はひどいものだった。城壁の外では内部に家を持てない者たちが、貧困と飢えに悩みながら暮らしているのだ。


「弱者に対して救済策を施さず、ただ財貨を搾り取れるだけ搾り取り、最後には害虫の如く駆逐する。それが今の政府の、あの豚どものやり方だ」


 ダグラスは淡々と言って、一歩前へと進み出た。

 左右色違いの瞳が、五年ぶりに会う戦友の顔をじっと捉えている。

 やがて、男はかすかに笑みを浮かべたまま口を開いた。


「久しいな、ブレア」

「ああ」


 ブレアは小さく、だが、はっきりと頷く。

 一方、ダグラスの隣に佇むハーマンは不機嫌そうに眉を寄せ、


「ダグラス。貴様、相も変わらず侯爵様に生意気な口を……」

「怒るなよ、ハーマン。ところでそっちの男が例の用心棒か?」


 暖炉の横。応接間の片隅には、黒いコートを着た不景気そうな顔の男がつっ立っていた。

 年齢は恐らく三十前後。抱き締めるようにして古びた槍を抱えているものの、その腕は右一本しかない。男は隻腕だった。


「そうだ。名はベディク。無愛想だが腕は立つ」

「………………」


 男は自己紹介もせず黙り込んでいる。

 ぼさぼさの髪の奥で輝く双眸は、閉じられた木窓をじっと見つめていた。

 まるでガラス球のように生気のない瞳だ。ダグラスはやや声を低めて言った。


「ブレア、その男は本当に信用できるのか?」

「できる。ベディクはお前と同じ、現在のログレスを憂える戦士の一人だ。わしも彼の腕には随分と助けられている」

「そういえば、そこのハゲから話を聞いたぞ。暗殺者の襲撃を受けたらしいな」

「うむ。どうも、宰相殿はよほどわしのことが気に入らんらしくてな。子飼いの兵士どもを二度、このドルゲラウまで差し向けて来おったわ」

「近衛騎士団の特務部隊か。本来は王家の盾となるべき存在のはずだが……」

「きゃつらの行為はあながち間違っていない。なにせ、我らが王家と事を構えようとしているのは確かなのだから」


 その言葉に室内は静まり返った。

 泰然自若と構えるダグラスの隣で、若いカラムが身動ぎし、

 ハーマンが坊主頭に浮かんだ汗をぬぐい、ベディクが一度瞬きをする。


 たっぷり時間をおいた後で、ブレアは再び口を開いた。


「ダグラス、王都での首尾について説明してくれ」


 「分かった」とダグラスは短く答えた。


「結論から言うと《ワイバーン》十二機は予定通り確保できた。が、その代わりモーンからの部下三人と《グレムリン》三機を失った」

「警備隊と戦闘になったのか?」

「いや、警備隊との戦いで死者は出なかった。あいつらが死んだのは格納庫の内部で養成所の訓練生や、赤髪の魔女と交戦したためだ」

「魔女だと? どういうことだ。詳しく説明してくれ」

「元よりそのつもりだ」


 ダグラスはそれからハンガー内で《センチュリオン》が起動し、《グレムリン》二機を撃破したこと。

 その後、《センチュリオン》の動きを止めたものの、突然姿を現したエルフの魔術師によって、更に一機のアーマーを失ったことを語って聞かせた。


「恐らく、あの魔女の仕業だろう。四機目の《グレムリン》も養成所の敷地内で半壊状態にされていた。幸いパイロットは一命をとりとめたが、全身に大火傷を負って今も治療を受けている」

「アーマーを真っ向から破壊するほどの魔術師か。そういえば、先月の頭に王城へ乗り込んだ女魔術師がいたという噂があったが」

「間違いなく同一人物だろう。それと後で分かったことだが、ウィンギルとドロブルを殺った訓練生というのはアウロ・ギネヴィウスだったらしい」

「なに? ケルノウンの私生児が? それは間違いないのか?」


 尋ね返すブレアの前で、ダグラスは視線を隣に向ける。

 カラムはしばしためらうような様子を見せつつ、口を開いた。


「間違いありません。養成所に通う弟から話を聞いたんです」

「そうか。ロゼ君も今は養成所の訓練生だったな」

「ええ、はい」


 カラムはひどく複雑そうに眉を寄せ、


「久々に会ったんですが、なにかと勘繰られましたよ。侯爵様の真意はどこにあるのかと……」

「相変わらず勘のいい子だ」

「勘が良すぎると言うのも考えものです。まだ我々の計画に気付いている様子はありませんが」

「しかし、王家の連中は《ワイバーン》を強奪されたことで我らを疑い始めただろう。――ダグラス、機竜とアーマーは今どこに?」

「《エクリプス》、《ファイアドレイク》、《ハンドレページⅡ》と共にラグネルの森の拠点に隠してある。サンバイル……俺の隊の魔術師が隠蔽の術を使っているから、魔術師が捜索に出て来ない限りはばれないはずだ」


 「なるほど」とブレアは頷いた。


「感謝するぞ、ダグラス。お前のおかげで貴重な戦力を手に入れることができた。代わりにお前の同胞を失ってしまったのは残念だが」

「ブレア、それはお前が気にすべきことではない。死んだ三人も我らの理想に共感していた。第一、戦士というのは遅かれ早かれ、いずれ戦場で死ぬものだ」

「……相変わらずだな。その台詞はモーンで共に戦った時も聞いた気がするよ」


 ブレアは目を細め、どこか懐かしむかのような口調で言った。


 ダグラスとブレアの二人はかつて共に肩を並べて戦った経験があった。

 今から五年以上前。まだモーン島が蛮族たちによって支配されていた頃の話だ。

 その後、ダグラスは蛮族鎮圧の功績によってモーン辺境伯となり、領地の近いブレア・アクスフォードと親交を深めた。


 ダグラスが王家に対して反旗を翻した時も、ブレアは積極的に戦線へは参加していない。

 それどころか、彼は反乱が起きた当時から秘密裏にキャスパリーグ隊と連絡を取り合っていた。

 ブレア自身は紛れもない純血の人間である。しかし、彼はダグラスたちに同情的だった。

 多くの亜人と触れ合った経験を持つブレアは、彼らが自分たちと同じ生き物であるということをよく知っていたのだ。


「今の王国は――」


 ブレアは視線を宙に彷徨わせ、


「すっかりおかしな形にねじ曲がってしまった。役人たちは私腹を肥やすことばかりに夢中になり、民から財を搾り取って、異端を排除することが正しいことと思い込んでいる」

「役人だけではない。天聖教の司祭どもが幅を利かせているのも問題だ。我らが迫害を受けるようになった理由の一端には、連中の存在がある」

「とはいえ、大陸から天聖教を招いたのも宰相の一派です。あの薄汚い商人めが諸悪の根源と言ってもいいでしょう」


 刺々しいカラムの言葉に、ブレアは「うむ」と首肯した。


「みな、勘違いするなよ。我らは王家に対して弓を引くのではない。我々の目的はこの国に巣食う病巣を取り除くことだ。宰相モグホースとその一派。きゃつらを駆逐せぬ限り、ログレスに未来はない」

「ブレア、その事実にはもっと早く気付いておくべきだったな。でなければ我らが矛を交える必要性もなかったものを」

「分かっているさ。だが、今は過去を蒸し返す時ではないだろう?」

「……その通りだ。すまない。嫌味を言ったつもりはなかった」


 潔く頭を下げるダグラスに対し、ブレアは「気にするな」と笑みを浮かべ、


「五年前は対立する形となったが、今度はお前が味方で頼もしく思うよ」

「期待には応えよう。ブレア、お前が臆病風に吹かれない限り」

「どのみち今更引き返すことなどできんさ。頼むぞ、ダグラス。作戦の成否はお前とカラムの手にかかっている」

「ええ、我らの力で必ずやこの国を立て直しましょう!」


 カラムは希望に満ちた表情で力強く答えた。


 そこでふいに、応接室の扉がノックされる。

 ブレアが入室を促すと、黒いベストを着た使用人が一同の前に姿を見せた。


「失礼します、主様。カムロートからの使者がここに――」

「ほう、丁度いいタイミングだ。この部屋に通してくれ」


 主君の言葉に、初老の使用人は「かしこまりました」と頷いた。

 その間、ハーマンとカラムは部屋の入口から侯爵の隣へと移動していた。

 言うまでもなく――万が一の事態に対する備えのためだ。


「よろしいのですか?」

「口で説明するより分かりやすいだろう」


 尋ねたハーマンは、「なるほど」と口の端にかすかな笑みを浮かべる。


 数秒後、再び乾いたノックの音が室内に響いた。

 応接室へとやって来たのは、薄手のチュニックの上から鎖帷子を身につけた中年の騎士だ。

 羽織った外套には赤い竜の紋章が刻まれ、小脇にはミスリル製のヘルムを抱えていた。


「失礼します、閣下。この度は急な来訪となって申し……わ……け……」


 口上を述べかけた騎士はそこでぴたりと動きを停止した。

 彼の目には、応接室の入り口付近に佇むダグラスの姿が映っている。

 黒髪猫耳の大男。元が矮躯のケットシー族の中において、この条件に当てはまる者はそう多くない。


「な……まさか……そんな……」


 騎士はしばしの間、言葉を失っていた。

 が、やがて顔面を蒼白にしながらも唇を開き、


「しょ、正気か、アクスフォード卿。賊と、【モーンの怪猫】と手を結ぶなど……」

「わしはいつでも正気だ。ところで、なにか用件があったのではないのかね?」


 泰然自若としている侯爵を前に、騎士はぐっと小さく喉を鳴らした。


「――ドルゲラウ侯ブレア・アクスフォード。貴殿にカムロート王立裁判所から出頭命令が出ている。悪いことは言わん。大人しく従いたまえ。今ならばまだ弁明の機会が得られるぞ」

「そうか。だが、あいにくとこの身は潔白でな。弁明すべきことなどない」

「貴殿、まさか王家に反旗を翻す気か?」

「如何にも」


 その回答に、騎士はたじろいだ様子で二、三歩後ずさった。

 どっ、と背中から壁にぶつかり、身に纏った鎖帷子が甲高い音を鳴らす。

 直後、騎士は固めた拳を思いっきり扉へと叩きつけた。まるで己の中にある怒りを撒き散らすかのように。


「ならば仕方がない――やれ!」


 放たれた合図に合わせ、応接室の扉が外部から押し開けられる。

 間髪入れずに室内へと飛び込んだのは、黒い外套に身を包んだ暗殺者たちだ。

 数は六。手にはそれぞれ、錐のような形をした刺突剣スティレットが握られている。


 この奇襲に対し、真っ先に反応したのは歴戦の戦士であるダグラスだった。

 漆黒のブロードソードを抜き放ったダグラスは、ブレアへと襲いかかる刺客を三人纏めて横薙ぎに切り伏せた。

 しかし、その隙に二つの影が男の脇をすり抜け、更に残る一人が懐から小型の魔導銃を取り出す。


「ち……!」


 ダグラスは舌打ちを漏らしつつ、背後へと振り返った。

 暗殺者たちは腰だめにスティレットを構え、ブレアへと突撃をかけている。

 その勢いはまるで放たれた矢のようだ。ここから生きて帰ることなど微塵も考えていない。


「おのれっ!」


 そこで、ブレアの右手に立っていたハーマンが凶刃の前へと飛び出た。

 こちらも決死の行動だ。自らの身をもって主君の壁になろうという魂胆である。


 ――しかし、ハーマンのつき出た腹が串刺しにされることはなかった。


 ダグラスとほぼ同じタイミングで動いた隻腕の用心棒ベディクが、暗殺者たちめがけて己の槍を繰り出していたからだ。

 神速の刺突は彼らの頭蓋を粉砕し、断末魔の声を上げることすら許さず息の根を止めた。

 更にその手から投擲された槍が、魔導銃のトリガーを引きつつあった刺客の鳩尾を正確に貫き通す。


「ぐ……げぇぁ!?」


 投槍の直撃を受けた男は鉄の穂先ごと扉にぶち当たると、二、三度身を震わせ、最終的にはだらりと四肢を垂らし、昆虫標本のような姿のまま絶命した。


 数秒。ほんの数秒の間に、室内には血をぶちまけた死体が六つ出来上がった。

 ただ一人だけ残されたのは、使者として寄越された中年の騎士だけだ。

 ダグラスは呆然と佇む彼の喉元に、愛剣の切っ先をぴたりと押しつけた。


「な……あ……!」

「ブレア、どうする?」


 漆黒の刃で騎士を牽制したまま、ダグラスは背後へと首を巡らす。

 ここでブレアが頷いていれば、ダグラスはなんの躊躇も見せずに彼の喉笛を切り裂いていただろう。

 だが、ブレアは小さく首を横に振り、


「殺すな。彼には使者になって貰わねばならない」


 ドルゲラウ侯は革張りのソファから立ち上がると、怯え、縮こまる騎士の前に立ち、

 その両肩に己の手をずっしり置いたまま低い声で告げた。


「伝言を頼むぞ、騎士殿。王都に帰ったら、宰相殿にこう伝えておいてくれ。

 ――『糞食らえ』と、な」






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 暗殺者の襲撃をはね除け、使者を帰した後、ブレアは凄惨な死体置き場となった応接室を離れて自室に戻ってきていた。


 ブレアの部屋はベッドと本棚、机や椅子などごく僅かな調度品以外は装飾の類がなく、どこか閑散としている。

 室内に通されたカラム・ブラッドレイは主の勧めに従い、オーク樹の椅子に腰を降ろした。


「しかし、まさかこのドルゲラウで攻撃を受けるとは……。閣下、このようなことが今まで何度もあったのですか?」

「まぁな。その度にベディクやハーマン、部下の騎士たちに助けられておる」

「そうですか……。ただ、私は不安です。いつか閣下の元まで敵の凶刃が届いてしまうのではないかと」

「わしはまだ死なんよ。少なくとも、この国を立て直すまではな」


 机の前の椅子に腰掛けたブレアは、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「ああ、それとベディクは前線に回すことにした。本人にももう伝えてある。カラム、君の方で色々と便宜を図ってやってくれ」

「よろしいのですか? 元々、彼は閣下をお守りするための用心棒なのでしょう?」

「いや、彼は革命家だ。最初からこの国を蘇らせるという目的の元、我々の側に加わっている。それにあれだけの戦闘力を持つ男を、このドルゲラウで腐らせておくのは惜しい」

「……分かりました。閣下がそうおっしゃるのであれば」


 頷きつつも、カラムは胸に不安の影が広がるのを抑えられなかった。

 今回の一件で、侯爵が敵勢力から奇襲をかけられたのは三回目になる。

 しかも先程の六人は明らかに訓練を――それも特攻兵としての訓練を受けている者の動きだった。その内、爆弾を持ったまま突っ込んでくる刺客が現れてもおかしくはない。


「なに。奴らもわしがダグラスと組んだということを理解したのだ。今度は暗殺などという手段ではなく、真っ向から軍隊を送ってくるだろうさ」


 ブレアは言いつつ、椅子から身を乗り出し、


「ところでカラム。君はもうドナルの元へ行ったのか?」

「いえ。ですが、手紙を送りました。ブラッドレイ家とは縁を切らせて貰うと」

「……そうか。すまないな。君にばかり面倒事を背負わせて」

「閣下が気を病む必要はありません。自分は閣下の騎士です。閣下のために働けるのでしたら、それ以上の喜びはありません」


 カラムは晴れやかな表情のまま答えた。


 現在、ブラッドレイ家当主の座にはカラムの父親、ドナルが就いている。

 何事もなければカラムは父の跡を継ぎ、ブラッドレイ伯爵となっていたはずだ。

 しかし、カラムは家を捨て、ブレアと共に戦うことを選んだ。その際、実家に迷惑がかからないよう絶縁状まで叩きつけている。


「カラム、君はまだ若い。今ならまだタウィンの地に戻れるかもしれないんだぞ」

「今更、逃げ帰るつもりはありません。自分は閣下のお力になりたいだけなのです」

「……分かった。ならば、これ以上はなにも言わん。貴公の力、頼りにしているぞ」

「はっ。ご期待に添えるよう尽力いたします」


 胸に手を当て、やや芝居がかった動きで頭を下げるカラム。

 そこでふと部屋のドアが軽い音とともにノックされた。

 一瞬、身構えたカラムだが室内に響いた声は少女のものだ。


「お父様、いらっしゃいますか?」

「シルヴィアか。どうした?」

「少し、お聞きしたいことがあるのです」

「いいだろう。入りなさい」


 促され、シルヴィアは扉を開けた。

 丁度、寝るところだったのだろう。身に纏っている服は薄手の白いチュニックだ。

 いつもは頭の後ろで纏められている髪も解かれ、腰の辺りで亜麻色の毛先が揺れている。


「あら、カラムさん? いらっしゃっていたのですか?」


 目を瞬かせるシルヴィアの前で、カラムは「はい」と小さく頭を下げた。


「お久し振りです、シルヴィア様。こうして顔を合わせるのは一年ぶりでしょうか」

「……やめて下さい、そんな他人行儀な挨拶」

「はは、すまない。ところでシルヴィ、最近調子はどうだい?」

「体調は悪くありません。心の中は不安でいっぱいですが」


 シルヴィアはむっつりした顔で言った。


「カラムさんこそ休まなくて平気なんですか? このドルゲラウに着いたのは昨日今日のことなのでしょう?」

「まぁね。しかし、問題ないよ。君の顔を見たら元気になった」

「あら、相変わらず口が上手ですね」


 微笑みかけたシルヴィアだが、ふいにその目が伏せられる。

 少女は両手で服の裾を握ったまま、ぼそぼそと自らの父に尋ねた。


「教えて下さい、お父様。お父様は本気で戦争を起こす気なのですか?」

「そうだ。まさか、戦争をやめろなどと言いに来た訳ではないだろうな」

「そこまで出しゃばった真似はいたしません。お父様がそうお決めになったのなら、きちんとした理由があるのでしょうし」


 シルヴィアは息継ぎをするかのように一呼吸起き、


「ですが、このことをドナルの伯父さんやロゼさんはご存知なのですか?」

「いや、彼らには伝えていない。ドナルは……あれの性格を考えると、間違いなくわしの行動に反対するだろうからな」

「そうですね。父上は融通の利かない部分がありますから」


 カラムは苦笑を浮かべた。

 その向かいでブレアは額に拳を当て、


「それと、ロゼ君に関しては最初から我々の計画を伝えるつもりはなかった。話せば、協力してくれたやもしれん。だが――」

「僕が止めたんだよ。兄弟二人が揃って反体制側に付いたら、ブラッドレイ家は取り潰されてしまう。僕としてもそんな未来は望んでいない」

「けれど、逆に言えばロゼさんとカラムさんが戦うことも考えられるんじゃないですか?」

「その可能性は低いと思う。多分、ロゼはタウィンに入るだろうからね」

「なら、カラムさんは他の場所へ? ドルゲラウを離れるのですか?」

「えっと、それは……」


 カラムに詰め寄りかけたシルヴィアを、ブレアは片手で押し留めた。


「シルヴィア、あまりカラム君を質問攻めにするな。彼だって疲れているんだ」

「……そうでしたね。すみません、カラムさん」


 シルヴィアは肩を落として引き下がった。

 が、すぐにハシバミ色の瞳でじっと父の顔を見つめ、


「でも私、心配なんです。父さんのことも、ロゼさんやカラムさんのことも、この国がこれからどうなるのかも」

「なに、全てが上手く行けば誰も死なずに済む。勿論ドナルやロゼくんもな」

「上手く行かなければ?」

「我らは二度とこのドルゲラウの地を踏むことはできないだろう」


 「そうですか」とシルヴィアは硬い表情のまま言った。


「私もアクスフォード家の人間です。覚悟はしています」

「いや、お前の身柄はハーマンに任せることにした」

「どういうことです?」

「お前はハーマンと共にここから逃れろ。この地は戦場になる。女子供を残しておくわけには行かない」


 この言葉には流石のシルヴィアも黙っていられなかった。

 少女は眉根をつり上げ、怒りを宿した三白眼でブレアを睨みつけた。


「私だけ生き延びろというのですか! 馬鹿にしないで下さい! 私もこの街に残ります!」

「わがままを言うな。第一、お前がドルゲラウに残ったところでなんになる」

「意味は無いかもしれません。でも、騎士の方々は戦場に行くのでしょう? なのに領主の娘が逃げ出すなんて恥ずかしいと思いませんか?」

「言いたいことは分かる。だが、それでもわしはお前に生きていて欲しいのだよ」

「っ……お父様!」

「この話はこれまでだ。シルヴィア、今日はもう寝ろ」


 ぴしゃりとはねのけられ、シルヴィアはぐっと唇を噛んだ。

 少女は悔しげな表情のまま、振り返りもせず部屋から出て行ってしまう。

 ばたん! と閉じられた扉の音だけが寒々しく室内に響いた。


「よかったのですか?」

「あれでは説得などできんよ」


 遠慮がちに尋ねてくるカラムの前で、ブレアは深々とため息をこぼした。


「シルヴィアは頑固な娘だ。全く誰に似たことやら」

「子は親によく似ると言いますが」

「わしはあそこまで強情ではない」


 ぶっきらぼうに答える主君の前で、カラムはかすかに笑みを浮かべた。


「それにしてもまだ十六になったばかりというのに、彼女は随分と立派な考えを持っていますね。王都の連中に見習わせてやりたいくらいです」

「うむ……わしとしてはもう少し、お淑やかに育って欲しかったのだがな。あれでは嫁の貰い手もつかんだろうに」


 苦笑しかけたブレアは、そこでふいに「いや」と頭を振り、


「どちらにしろ、わしが反乱を起こせばあの子が幸せな結婚を遂げることなどできなくなるか」

「……閣下」


 カラムは沈んだ表情を見せる男に、なにも声をかけることができなかった。

 そもそも、ブレア自身が慰めの言葉など必要としていない。

 彼はもう覚悟を決めていた。今更、逃げ出すことなどできないのだ。


「カラムよ。もし全てが終わった後、我らが生きていたら、またみなでマウザハの浅瀬に行きたいものだな」

「……ええ、そうですね」


 その可能性が限りなく低いと分かっていながら、カラムは主君の言葉に心から頷いた。

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