2-6
『ダグラスたい……じょ……。もうじわけ……ありま……』
全身から黒い煙を上げた騎士甲冑が、地響きを上げて前のめりに倒れ伏す。
カムリはその眼前でぜえぜえと息をこぼした。額には汗が浮かび、白い肌はピンク色に染まっている。
「ああ、もうっ! 余計な手間をかけさせて!」
カムリは苛立たしげに吐き捨てると、黒焦げになったアーマーを背に養成所の敷地を駆け抜けた。
カムリがこの養成所に辿り着いたのは今から五分ほど前だ。
彼女はそこで、運悪く外を警邏していた《グレムリン》と遭遇してしまったのである。
それでも、ただの人間相手ならば容易に逃げることができただろう。しかし、クーシー族のランティは狼のように執念深かった。
彼は小刻みに『転移』の術を使いながらハンガーに向かうカムリに対し、背後から幾度となくライフルをぶっ放したのである。
おかげでカムリも足を止め、反撃に転じざるを得なくなってしまった。
結局、《グレムリン》一体を始末するまでにかかった時間は五分。金より重い五分間が露と消えた。
カムリは自身の無能さに歯噛みしつつも、口の中でぶつぶつと呪文を唱えた。
「『我は草原の白馬、エポナの駆り手なり! 我が身よ、風となれ! いと速きものと化して大地を疾走せよ!』」
ぱっとその体がかき消え、100フィート先へと移動する。
足幅百の距離。それがカムリの扱う転移術式の限界だ。
無詠唱の場合はせいぜい10フィートの移動距離しか出せない。
竜に戻って空を飛んだ方が、遥かに速いくらいである。
【主殿! 主殿! 今そっちに行く!】
並行してアウロに声をかけるも返事がない。
カムリはぞっと背筋に冷たいものが走るのを感じた。
途端、かつての情景が頭の中にフラッシュバックする。
カムランの丘の果て、折れた槍を手に額から血を流す甲冑姿の騎士。
反逆した甥にとどめを刺した直後、自らも致命傷を負ったかつての主――
竜王アルトリウスの最後がまざまざと脳裏に蘇ってしまったのだ。
「く……」
カムリは歯噛みしながら、もう一度口の中で『転移』の呪文を唱えた。
既に、視界には円筒を縦に割ったような形状のハンガーが映っている。目標座標はあの内部だ。
屋内に飛び込んだカムリはその瞬間、頭部にライフルを突きつけられたまま倒れ伏す《センチュリオン》の姿を見た。
「っ……貴様ぁっ!」
すぐさまカムリは手から無詠唱の火球を放った。
狙い違わず、炎は《グレムリン》の携えていたライフルの銃身を焼失させる。
遅れてガチリとトリガーが引かれるも、半壊したライフルは沈黙したままだ。正に紙一重のタイミングだった。
『なんだ、女……? いや、小娘!?』
《グレムリン》は驚愕の声と共に、バイザーを闖入者の方角へと向ける。
そうして相手が戸惑っている間、カムリはざっとハンガー内の状況を確認した。
入り口付近に二人の男。そこからやや離れた位置に二機のアーマー。
建物の奥には作業服を着た開発科の面々が身を潜めている。
ただし、ハンガーに保管されていたはずの機竜が見当たらない。屋内に残っているのはケーブルに繋がれた《ホーネット》だけだ。
そして、倒れた《センチュリオン》の肩から溢れる真っ赤な血を見て、カムリはおおまかな事情を把握した。
「貴様ら……よくも、よくもやってくれたな! ここから生きて帰れると思うなよ、虫けらども! 全員、焼き殺してくれる!」
ぼうっ! と音を立て、その両腕に炎が灯る。
カムリは激昂していた。
竜には逆鱗と呼ばれる部位があるとされているが、彼女にとっての逆鱗は自らの主――アウロ・ギネヴィウスに他ならない。
それが手ひどく傷つけられたのだ。真紅の瞳は怒りに爛々と燃え、その唇からは呪詛の言葉が迸った。
「『我は太陽の化身、ルーの導き手! 全ての大地を照らす者なり! 全能の光よ、灼熱と化すがいい! 紅蓮の槍となって我が手に集え! 燃え盛る穂先で敵を焼き尽くせ!』」
直後、突き出された両手から極熱の閃光が放たれた。
呆気にとられていた《グレムリン》はその攻撃に対し、回避はおろか反応すらできなかった。
いや、そもそも単なる熱線ならばアダマントの装甲を貫くことなど不可能。避けるまでもない。
しかし、カムリの放った〝灼滅五炎大槍〟の術式は、《グレムリン》の前面装甲を突破し、内部にいた人間の体を焼き尽くした。
およそ筆舌に尽くしがたい悲鳴がコックピットから漏れ、巨大な騎士甲冑がどうっと横向きに倒れ伏す。
遅れて、黒ずんだ機体のあちこちから細い煙が立ち上った。パイロットは即死である。密閉されたアーマーの内部で、蒸し焼きにされてしまったのだ。
その一部始終を見たダグラスはぼそりと呟いた。
「あの女、魔術師か」
「し、しかもあの呪文! あれは古代魔術師の術です!」
「赤髪のドルイド……そういえば、先月の頭に王城を襲ったのも赤い髪の魔術師だったらしいな」
「では、まさかあの女が――」
サンバイルは怯えの混じった視線をカムリへと向けた。
丁度その時、カムリは《センチュリオン》の傍らに膝をつき、アウロの治療をしようとしていた。
しかし、彼女の腕力ではうつ伏せになったアーマーをひっくり返すことができない。なにしろ本体だけで3000ポンドの重さがあるのだ。
仕方なく、カムリは手をかざして分厚い装甲越しに魔力を送り込んだ。
「『我は生命の母、ドーンの癒し手なり! 恵みの光よ、戦士に活力を与え給え! 傷を癒し、大地より立ち上がらせ給え!』」
慌ただしい詠唱と共に完成する術式。
おぼろげな白い光が降り注ぐと、ようやく溢れ出ていた血が止まった。
とはいえ、完全に傷が塞がった訳ではない。アーマー越しの治療では限界がある。
「ああ、もうっ! この分厚いのどうやって剥がすんだよっ!」
カムリは苛立たしげにアダマントの装甲を殴った。
竜……竜の姿に戻れば、《センチュリオン》を叩き壊すこともできるかもしれない。
が、そんな乱暴なやり方では中のアウロまで殺してしまう。魔導兵器に疎いカムリには手の打ちようがなかった。
「女、そこの小僧とどういう関係だ?」
と、ふいに背後から声がかかる。
カムリは振り返るなりケットシー族の男を睨みつけた。
身の丈7フィート超の巨人。恐らく、この男がダグラス・キャスパリーグだろう。
「そうだ……忘れてたよ。まずは貴様をブチ殺さなくっちゃな」
「待て。それより聞きたいことがある。一ヶ月半ほど前、王城に襲撃をかけて近衛兵を蹴散らしたのはお前か?」
「答える義理はない!」
カムリは問答無用とばかりに火球をぶっ放した。
燃え盛る炎が一直線にダグラスの元へと飛翔する。
だが、ダグラスは危なげなく身を翻して攻撃を避けた。火球はそのまま外に飛び出し、飛行場の上で轟音と共に爆発した。
「無詠唱であの威力か。恐ろしいな」
ダグラスはうっすら口の端をつり上げ、
「女、我々は今、政府を打倒するための力を必要としている。お前にその気があるなら、我らに協力して欲しい」
「政府を打倒する……? まさか、お前たちは革命でも起こす気なのか?」
「そうではない。今のログレス王国は腐り切っている。我らはその膿を取り除くのだ。お前もエルフ族ならば俺の言いたいことが分かるだろう」
「分からないね! 御託はいいからさっさと死ねよ!」
乱暴に言い放ち、カムリは再び片手に炎を宿した。
交渉決裂である。すぐに身構えたダグラスだが、今度は横合いから飛び込んできたサンバイルが前方にワンドを差し出した。
「『我は水の精霊、ウンディーネの支配者なり! 流水よ、巻き上がれ! 盾となって我が身を守れ!』」
ざあっ! と音を立て、サンバイルの背後で蠢いた霧がその眼前に分厚い水の壁となって凝結した。
結果、カムリの放った火球は水壁によって相殺されてしまう。
同時に蒸発した水分が、煙幕となってダグラスたちの姿を覆い隠した。
「隊長! これ以上は!」
「……ああ。《ワイバーン》も全機離陸したようだ。もうここには用がない。さっさと離脱するぞ」
霧の中で、ダグラスたちの気配が遠ざかる。
カムリはすぐにその後を追おうとした。しかし、一歩目を踏み出したところで動きを止める。
連中を焼き殺してやりたいのは山々だが、瀕死の主を放置したまま敵を追うことはできなかった。
「うう、くそっ! 覚えとけよ!」
小悪党じみた台詞を吐きつつ、カムリは倒れた《センチュリオン》の元へと戻った。
そこで隠れていた開発科の面々も機材の陰から顔を出す。
シドカムは賊が去ったのを確認すると、すぐさま同僚たちに指示を飛ばした。
「アルヴィン、カーシー! アウロを助け出す! 手伝ってくれ! チャールズとブライアンは宿舎に行って教官たちに連絡を!」
ひとしきり命令し終わったところで、シドカムは怪訝そうにカムリを見た。
「君は確か、アウロの――」
「主殿を助けたいんだ。シドっち、どうにかしてよ」
カムリは《センチュリオン》の前に膝をついたまま、涙目でケットシー族の青年を見上げる。
シドカムは「当然だ」と頷くと、
「アウロは命の恩人だし、なにより親友を見殺しにはできない」
愛用のスパナを手にアウロの元へと駆け寄った。
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ほぼ同時刻、王城敷地内の飛行場から二機の機甲竜騎士が緊急発進していた。
出撃したのは機甲竜騎士団、ブリーズ小隊所属のマックス・ウェアラムと、ゴーファー・チャールトンである。
『ああ、クソ。ついてないぜ。よりにもよってこんな時に出撃命令が出るなんて』
『ぼやくなよ、マックス。俺だって今日は女と約束があったんだ』
『ほお、娼館の女にか?』
『まさか。この前、街で知り合った娘さ。せっかくコツコツ贈り物をしてたってのに台無しだぜ』
軽口を叩き合いながら、二人の騎士は慣れた手綱捌きで《ワイバーン》を駆る。
彼らは今、竜騎士団本部のレーダーが捉えた十二機のドラグーンを追尾していた。
その機影がどこから現れたのか、何故カムロート近郊を飛行しているのかは不明だ。
ただし、相手は所属不明機ではなかった。識別信号自体はログレス王国のものを使用している。つまりは友軍機だ。
『こちら本部司令室。ブリーズ各機、聞こえているか?』
と、そこで騎士団本部から通信が入る。
マックスはハーネスから離した手をヘルムの側面に押し当てた。
『こちらブリーズ1。聞こえてるよ。で、なにか新しいことが分かったのかい?』
『先ほど竜騎士養成所から連絡があった。どうも貴官らの追跡している未確認機は、養成所に保管されていた《ワイバーン》らしい』
『はぁ? どういうことだ。頭のいかれた訓練生どもが夜のドライブでもしてるのか?』
『いや、違う。格納庫にキャスパリーグ隊らしき賊が現れ、機体を奪取したそうだ』
『待った待った。連中、アーマーはどこから調達してきたんだよ。まさか生身で機竜に乗ってる訳じゃないだろう』
『事実だけを伝えよう。賊は空戦型の騎士甲冑を保有している。今のところ、それ以上の情報は分からない』
『チッ!』とマックスは舌打ちを漏らした。
『で、俺たちはどうすりゃいいんだ。このまま楽しく追いかけっこを続けるのか?』
『ブリーズ各機、本部からの命令を通達する。貴官らは逃走する《ワイバーン》を追跡し、これを撃墜せよ』
『無茶言うな。こっちは二機だぞ。応援をくれ』
『現在、ブラスト小隊がそちらへ向かっている。他になにか質問は?』
『……相手の武装を教えろ。養成所の機体ってことは訓練機なんだろ?』
『敵機の装備はガンランスとシールドのみだ。ただし、ガンランスに実弾は装填されていない』
『ふん、要するにランスチャージだけしかできない特攻仕様って訳か。それにしても、十二機もの《ワイバーン》を落としちまっていいのかね?』
『それは貴官らの心配することではない。――命令は以上だ』
ぶつりと音を立てて通信が途切れる。
マックスはため息をつき、
『聞いたか、ゴーファー? 今日の俺たちはつくづく運が悪いらしい』
『全く勘弁して欲しいね。とりあえず、連中の足止めをすればいいのか?』
『二人で十二人のお嬢さんの相手をするってのは現実的じゃないな。後ろからはナーシア殿下が来ている。応援を待ってから戦う方針で行こう』
『了解』
二機の《ワイバーン》はアフターバーナーを吹かせ、夜の空を飛翔した。
敵集団との距離は3.7マイル。徐々にだが間合いは詰まりつつある。
お互いに用いている機体は変わらないが、養成所内の訓練機と違い、マックスたちの駆る《ワイバーン》には最新型のエンジンが搭載されているのだ。
このまま行けば、あと十分ほどで敵機に追いつくことができるだろう。
『しかし、キャスパリーグ隊か……』
マックスは水平飛行を続けながら、ふと声を漏らした。
『ちょっと意外だな。連中が空戦型のアーマーを持っていたとは』
『いや、案外国内に裏切り者がいるのかもしれんぞ。あいつら、五年前の内戦の時はドラグーンを使ってなかったはずだ』
『確かにそうだ。が、あの時も妙な噂があったからな』
『妙な噂?』
尋ね返してくる僚機にマックスは答えた。
『実はな……モーンの反乱が起きた時、あの島の周辺、特にメナイ海峡の直上でドラグーンの墜落事故が二十件近く起きてるんだ』
『事故? それは事故なのか?』
『分からん。が、落とされた夜間攻撃隊の生き残りは、飛行中になにか妙なものと衝突したってほざいてやがった』
『おいおい、冗談だろう? 高度10000フィートの上空で、一体なにとぶち当たるって言うんだよ』
『それは分からんさ。ただ【メナイの死神】が現れるのは決まって夜だった。それも今日みたいに月のない夜だ』
マックスは呟き、奈落のように広がる頭上の闇を仰いだ。
今年三十四になる彼は、五年前のモーン島で発生した反乱にも参加していた。
この際、機甲竜騎士団が動員したドラグーンの数は四十八。
だが、その中で無傷で帰還できた機体は約半数ほどだった。
もっとも墜落した機体のほとんどは表向き事故として扱われている。
人々の間で、竜騎士団が反乱軍を圧倒したかのように思われているのもそのためだ。
確かに彼らは昼間の制空権を獲得していた。敵の頭上を悠々と舞い、幾度となく急降下攻撃で地上の部隊を薙ぎ払った。
しかし、夜は――
夜の闇の中において、空は竜騎士たちの居場所ではなくなった。
モーンの暗闇には死神が潜んでいる。
あの戦に参加した者なら誰しもが知っていることだ。
『ゴーファー、気を付けろよ。ひょっとしたら、この空域にも【メナイの死神】が出るかもしれん』
『おいおい、脅かすな――』
そこでふいに僚機からの通信が雑音と共に途切れる。
マックスはぎょっとして、左斜め後方へと振り返った。
先ほどまで、ぴったりと後ろについて来ていた僚機の姿が見えない。代わりに黒い影が視界を横切った。
『なんだ!? おい、ゴーファーどうした! 返事をしろ!』
必死に呼びかけながら、マックスはハーネスを引いた。
すぐさま斜めに傾いた機体が旋回を開始する。
が、その途中でふいにマックスは前方から凄まじい衝撃を感じた
『うごっ……!?』
アーマーを固定するワイヤーがぎしぎしと音を立て、体全体が機竜の上から飛び出しそうになる。
マックスは慌てて機体の状態を確認した。見れば、《ワイバーン》のヘッドが粉々に粉砕されている。
事故……?
いや、これは攻撃だ。
どこからか奇襲を受けたのだ!
しかし、レーダーに映っている機影は前方にいる十二機の《ワイバーン》のみ。
マックスはバランスを失って急降下する機の上で首をひねり、目視によって敵の姿を捉えようとした。
そしてとうとう、闇の中にぽっかりと浮かぶ黒い塊に気付く。【メナイの死神】は処刑人が持つような片刃の斧を携えていた。
『お前か! お前が……!』
マックスは喚きながらも、ガンランスを構える。
瞬間、死神は空を駆けた。斧を振り上げ、一直線に《ワイバーン》へと迫る。
一拍後、ガンランスの砲口から灼熱の魔導弾が発射されたものの、死神は螺旋状の機動を描きながらその一撃を回避した。
『う、おおおおおおぉぉぉぉっ!』
もはや打つ手もなく、断末魔の叫びを漏らす機甲竜騎士。
直後、彼の頭部は叩きつけられた刃によって胴体から切り離された。




