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ハンナの家は外観通り、亜人街にある他の一軒家と比べて三倍近い広さがあった。
開放的な広間と大きなベッドが並べられた寝室。使い勝手の良さそうな台所に、薪のくべられた暖炉もある。
それでもなお手狭に感じるのは、住人の数が多いせいだ。この家にはハンナ、ハンナの妹、そして総勢十一人にも及ぶ子供たちが暮らしているのだった。
「ここは亜人街で唯一の孤児院なんだよ」
と、既に屋内にいたシドカムが説明する。
部屋の中はひどく薄暗い。ここには魔導式のランプはおろか、ガラスをはめ込んだ採光窓すらないのだ。
高価な魔光砂を燃料とする魔導具は、もっぱら貴族や豪商のみが使える代物である。ガラスも同様だ。おかげで室内はどこか湿っぽい感じがした。
「いやー、でも驚いたよ。アウロが助けた女の子ってのはハンナさんだったんだね。しかもこの街で偶然、再会するなんて……」
「今日は知り合いの家探しをしていたんだ。が、途中で袋小路に迷い込んでしまってな」
「仕方ないさ。ここは同じような家ばっかり並んでるから」
板張りの床に腰を降ろしたシドカムは、そう言って苦笑を浮かべた。
その背中には五、六歳くらいのクーシー族の少年がまとわりついている。
クーシー族というのは、犬耳とふさふさの尻尾を持った亜人の一種だ。目つきが鋭く、尖った犬歯を持っているのが特徴である。
「だが、驚いたな。亜人街にこんなところがあったとは……」
シドカムの対面にあぐらをかいたアウロは、おもむろに室内へと視線をやった。
今、この家にいる子供たちの中でも比較的年上の数名は、庭に出てハンナと共に洗濯物を取り込んでいた。
が、残る年少組は好き勝手に遊び回っている。おかげで室内は喧々囂々たる有様だ。
子守役に抜擢されたカムリに至っては、背中にエルフ族の少年を乗せたままお馬さんごっこの馬役をやらされていた。
「我はブルト人の偉大なる竜王、アルトリウス・ペンドラコンであるぞ! 者ども、進め! 進め!」
「……ぎゃおーん」
いや、どうやら馬ではなくドラゴンだったらしい。
カムリはずりずりと四本足で床を這いながら、虚ろな目をアウロに向けた。
「主殿ー……代わってよー……」
「断る」
アウロの返答は至極簡潔だ。
「それにしても懐かしいな。アルトリウスごっこか。俺も小さい頃はよくやったもんだ」
「そうなの? なんか想像できないね。アウロにそんな少年時代があったなんて」
くくっと喉を鳴らすシドカムも、先ほどから背中の子供に頭を弄ばれていた。
三角形の耳が引っ張られたり折り曲げられたりしている。
「しかし、シドカム。お前こそどうしてこの孤児院に?」
「んー、なんて言えばいいのかな。一応、慈善活動になるのかもしれないけど」
「慈善活動?」
「実家に内緒でね、商会の食料をこの孤児院に届けてるんだよ。まぁ、週末だけなんだけど……」
「あら、謙遜することないじゃない。『俺は偉いことやってるんだぞっ!』って胸を張ればいいのに」
そこでキッチンから、黒白のエプロンドレスを着たケットシー族の少女がひょっこり顔を出した。
ハンナの妹リコット。この孤児院の母親的存在だ。
鼻の周りにはそばかすが残っており、姉のハンナに比べると活発な印象を受ける。
「それにしても驚いたわ。街で噂の王子さまがうちに来るなんて。それがお姉ちゃんの恩人ってことにもびっくりしたけど……」
「あの、リコ。アウロは一応、貴族だからね」
「あ、ごめんなさい。アウロ様って呼んだ方がいいんですか?」
「いや、好きに呼んでくれていい。貴族といっても所詮は最下級の地主みたいなものだ」
「そうですか? なら、アウロさんって呼ばせて貰いますね!」
と言って、明るい笑顔を浮かべるリコット。
そこには亜人街の片隅で姉と二人、孤児たちの面倒を見ている気苦労など欠片も伺えない。
「す、すみません。リコはちょっと世間知らずなところがありますから……」
丁度、そこで洗濯物を取り込んでいたハンナが室内へと戻ってくる。
遅れて、その向こうから子供たちがわらわらとリコットの足元へ押し寄せた。
「リコ姉ちゃん、ご飯は?」
「お腹すいたよ。早くおゆはんにしようよ!」
「今日はシドちんが来てるから林檎を食べてもいいんでしょ!?」
飢えた小鳥のように群がる子供たちを、リコットは「はいはい」となだめ、
「えーと……シドはここで食べてくでしょ?」
「うん。ちょっとだけでいいけどね」
「アウロさんたちはどうします?」
「食事は済ませてきたところだ。必要ない」
「分かりました。姉さんは?」
「私もいりません。お腹いっぱいですから」
と言った直後、ハンナはぐぅと腹の虫を鳴らした。
たちまち白い頬にかぁっと赤みが差す。
リコットは呆れ果てた様子で言った。
「あのね、姉さん。嘘ついてまで我慢しないでよ。うちの稼ぎ頭が倒れちゃったらどーすんの」
「ご、ごめんなさい」
ハンナは申し訳なさそうに目を伏せた。
どうやらこの姉妹、力関係ではリコットの方に軍配が上がるらしい。
「という訳でアウロさん、ちょっとだけ待ってて下さいね。すぐご飯を済ませちゃいますから!」
「……ああ」
アウロはリコットの気迫に面くらいつつも頷いた。
そこでようやく子供たちから解放されたカムリが、地べたを這うようにしてアウロの元に戻ってきた。頭を隠していたフードは剥ぎ取られ、美しい赤髪もくしゃくしゃになっている。
「うう、ひどい目にあった……。あんな屈辱的な扱いを受けたの初めてだよ!」
「落ち着け、相手は子供だぞ」
「むぅ。そんなこと言ったら、わらわだって生後一ヶ月の幼竜なんだけど」
「そういえばそうだったな」
忘れがちだが、カムリはあくまで先代の記憶を受け継いでいる転生体だ。
「でも、ここは本当に和やかな託児所って感じだね。騒々しいけど血の匂いはしない」
「そうだな。どうも彼らはキャスパリーグ隊とは無関係らしい」
「シドっちの疑いも晴れたの?」
「少なくとも嘘は言っていない。まぁ、他にも理由はあるようだが」
アウロはひそひそと声を交わしつつ、亜人たちの食事風景に目を向けた。
この家にはテーブルや椅子がない。だから彼らは車座になって床に置かれた大皿を囲んでいた。
三つの大皿にはそれぞれ火で炙ったパンと煮豆、つやつやと輝く林檎が盛られている。
肉や魚のない、いかにも質素なメニューだ。それでも子供たちは笑顔だった。
「ごはん! ごはんだー!」
「今日は柔らかいパンが食べれるぞ!」
「こら、がっつかないの! お祈りが先でしょー!」
ぱしん、とリコットに手をはたかれた子供たちはしぶしぶ引き下がる。
即席の食卓が静かになったところで、ハンナは両手を合わせた。
「有角の主ケルヌンノスよ、あなたのお慈悲に感謝してこの食事をいただきます。ここに用意された食物を祝福し、現世の魂を支える糧としてください」
同じようにシドカムやリコット、子供たちも祈りの言葉を捧げる。
そうして彼らは粛々と食事を開始した。パンを盛られた大皿に手を伸ばし、直接素手で豆をすくい取る。
が、静かだったのは最初だけだ。やはり大勢の子供がいることもあって、徐々に室内は騒がしさを増し始めた。
「あっ、ミリアったら林檎ばっかり食べてる!」
「ずるいぞ! みんなの分がなくなっちゃうだろ!」
「リコ姉ちゃん! ジョンがパンを二個も食べたよ!」
「あっ、こいつ。よくもばらしやがって! ぶっころしてやる!」
しまいには食料を争って取っ組み合いを始める始末である。
その度にハンナやリコットが子供たちを引き剥がすのだが、ほとんどキリがない。まるで戦争状態だ。
「うーん、このクソガキどものごはんに対する執着はわらわ以上だね」
「お前と一緒にするな。先ほどの会話から察するに、普段の彼らはまともな食事をとれていないんだろう」
「多分、一日にかったいパンが二個だけってところかな? 昔の平民にはよくあったことだけど、今のカムロートじゃちょっと珍しいね」
と、興味なさそうに呟くカムリ。
一方、アウロはやや複雑な感情を抱いていた。
なにしろ自分はつい先ほど中央市街で豪勢な昼食を取ったばかりだ。
しかし、この孤児院の人間にとっては柔らかいパンと林檎が最高のごちそうなのである。恐らく、彼らは羊の肉など口にしたこともないのだろう。
「なんだかショックを受けたような顔をしてるね、アウロ」
そこでいち早く食事を終えたシドカムが、アウロの隣にぺたんと腰を降ろした。
「でも、あんまり気にしない方がいいよ。一日にパン二個の食生活だってそう悪いもんじゃないし」
「試したことがあるのか?」
「んー……なんていうか、僕も最初は自分だけいいご飯を食べてるのに後ろめたさを感じてたんだ。結局、リコに叱られてやめたんだけどね」
苦笑をこぼした後でシドカムは尋ねた。
「えっと、アウロ。聞き忘れてたけどそっちの子は?」
「名はカムリ。ちょっとした知り合いみたいなものだ」
「へぇ、赤い髪のエルフ族なんて初めて見たな。僕はシドカム。アウロと同じ養成所に所属してるエンジニアだ」
「えーと……よろしく」
どうも初対面という感じがしないのだろう。カムリはあいまいに頷いた。
「ところでシドっちは天聖教の教徒なの? さっきお祈りしてたけど」
「いや、違うよ。天聖教のやり方に似てるけど、あれは僕らの神に祈りを捧げていたのさ」
「有角の主ケルヌンノス……だっけ。名前だけは聞いたことあるよ」
「ケットシー族やクーシー族が崇拝してる古い神様だよ。スケルスを奉るエルフ族には、馴染みが薄い名前かもしれないけどね」
と、シドカムは説明した。
アウロも亜人にそれぞれ独自の文化と宗教があることは知っていた。
が、こうして実際に見るのは初めてだ。シドカムも養成所では人目につかないようにしていたらしい。
「そういえば、シドカム」
アウロはそこでふと尋ねた。
「お前、姉と妹。どっちの方が好きなんだ?」
「ぶっ……!?」
ごぼっ、とシドカムは喉奥からつっかえたような音を漏らし、
「な、なに言ってんだよ。僕は別に女の子目的でここに来てる訳じゃ……」
「ごまかすなよ。ただ食事を届けるだけなら、わざわざ孤児院に滞在する必要はないはずだ」
「いや、それはリコとハンナさんの手伝いをできたらと思って――」
「リコットはあだ名でハンナはさん付けか。なるほど」
シドカムはしまったという表情を浮かべた。
しかし、一度吐いた言葉は飲み込めない。
カムリは黙り込むシドカムに、びしりと指を突きつけた。
「本命はリコットだね! 間違いない!」
「お、大きな声を出さないでくれよ……!」
慌てて食卓の様子を伺うシドカム。
が、幸いハンナたちはこちらの会話に気付いていなかった。子供たちの世話で手一杯のようだ。
シドカムはほっと息をついた後で声を潜め、
「確かに下心があったことは認める。でも、ここにいる子たちを不憫に思う気持ちも嘘じゃない」
「それくらい分かっているさ。お前はお人好しだからな。亜人街で女を襲っている連中に比べたら遥かにマシだ」
「……そう言うアウロこそ、カムリさんとどういう関係なんだよ。君が女の子と一緒にいるのなんて初めて見たぞ」
「カムリは単なる部下みたいなものだ。お前が思っているような関係とは違う」
「そうなのか? でも、最近は彼女ができたって噂も聞くし……」
「単なる噂だろ?」
アウロは平然と言った。
幸い、開発科のシドカムはロゼと違って宿舎周りの事情には疎い。
疑わしそうな視線を向けつつも、それ以上の追求はしてこなかった。
それから数分が経ったところで孤児院の面々は食事を終えた。
床に残されたのは空っぽの大皿だけだ。豆の煮汁やリンゴの皮まで綺麗に平らげられている。
満腹になった子供たちは早くもうとうとし始め、その内の幾人かは早くもごろりと横になっていた。
「あ、こら! 床で寝ないの! ちゃんとベッドに行きなさい」
「うー、めんどくさいなぁ」
「どうせベッドも床も大して変わんないのに……」
叱りつけられ、渋々寝室に向かう子供たち。
と、リコットは扉のない部屋の入り口で足を止め、
「シドもこっち来て。子供たちを寝かしつけるの、手伝って欲しいの」
「ん……? ああ、分かったよ」
シドカムはちらりとアウロに視線をやった後で、リコットと共に寝室へと消えた。
残されたのはアウロ、カムリ、ハンナの三人だけだ。外は完全に日が沈み、部屋の中はほとんど真っ暗になっている。
ハンナは空の大皿を片付けてからアウロの前に両膝を揃えて座った。
「すみません、お待たせしちゃって……。なにか飲みますか? といっても、水くらいしかご用意できるものはないんですけど」
「いや、構わない。それより幾つか聞かせて欲しいことがあるんだが」
「はい。なんでしょう?」
根が生真面目なのだろう。ハンナは真剣な顔で聞き返した。
「そう身構えなくていい。ただこの孤児院について教えて欲しいんだ」
「ここについて……ですか?」
ハンナは小さく首を傾げた。
アウロの隣に座るカムリも怪訝そうに眉を寄せ、
【主殿、ここはもうシロじゃないの?】
【いや……キャスパリーグ隊の件は関係ない。単に俺が知りたいというだけだ】
アウロは今まで最下層の人々の暮らしを知識では知っていても、実際に目にしたことはほとんどなかった。
だが、アウロ・ギネヴィウスは曲がりなりにもアルビオン島の覇権を握るという野望を抱いている。
そのためには多くの人間の生活を知っておくべきだ。でなければ、王になることなど出来はしない。
「ええと、そうですね。では、この孤児院の成り立ちから……」
頭の中で慎重に言葉を選んでいるのだろう。ハンナはしばし視線を宙にさまよわせた。
「そもそも――最初は妹が街の裏路地から、一人の子供を拾ってきたのが始まりでした。もう三年近く前のことです」
「子供を拾ってきた? 犬猫のように捨てられていたのか?」
「はい。あ、といってもこの亜人街ではそれなりに珍しいことなんですよ? 今までに見つけた子供たちは二十人ちょっとだけです……し……」
ハンナはそこでふいに目を伏せた。
見つけた子供は二十人強。今この家にいる子供は十一人。
単純計算では数が合わない。つまり半数近くは拾われた後、病かなにかで命を失ってしまったのだろう。もしくは発見された時には既に、瀕死の状態だったのかもしれない。
カムリは気まずそうに天井を見上げた。
「それにしてもここはちょっと暗いね。明かりを点けようか」
「……えと、すみません。この家には蝋燭がないんです」
「そう? なら、これで代用しよう」
ぴっと人差し指を立て、
「『我は火の精霊、サラマンダーの支配者なり。炎よ、我が道を照らせ。闇を打ち払い、ほのかな光をもたらし給え』」
静かに、染み入るように、詠唱の言葉が紡がれる。
直後、その爪の先にぽっと小さな光が灯った。
鬼火のごとく空中で揺らぐそれは魔法によって生み出された炎だ。
これを見たハンナはぽかんとした表情を浮かべていた。
「か、カムリさんは魔女だったんですか?」
「ん? まぁ、本職は違うけどね」
言いつつ、カムリはふっと指先に息を吹きかける。
すると豆粒ほどの大きさをした炎が宙を舞い、空の一点に留まった。
たちまち即席の光源がおぼろげな光で室内を照らす。
「はわ……すごい。杖もなしに魔法を使うなんて……」
「そう? これくらいの術式なら、ある程度の才能さえあれば誰だってできるよ」
「わ、私にもですか?」
「それは無理だね。ケットシー族は魔力の保有量が極端に少ないから」
あっさり前言を翻され、ハンナは「そうですか」と肩を落とした。
「えーと、それよりさっきの話の続きをしてよ。孤児院を始めて、その後はどうなったの?」
「あ、はい。家に行き場のない孤児たちを引き取り始めてからは、私が針仕事で日銭を稼いで、リコが子供たちの面倒を取るという形を取って来ました。ただ私の稼ぎだけではとても十三人分の食費を賄えません。亜人街のみなさんや、シドカムさんのような方々の援助のおかげで、どうにか子供たちを養っているのが現状です」
「なるほど。なら、この家も?」
「親切な方から譲って頂きました。ちょっと床が冷たいですけど、いいお家ですよ。お庭だってありますし」
ハンナは家屋に隣接した庭へと視線を向けた。
庭といっても実際は単なる空き地同然だ。雨水を貯めるための貯水槽以外は、背の低い雑草がまばらに散らばっているだけである。
「だから、少しだけ残念です」
ハンナはふっと寂しげな表情を浮かべ、
「アウロさんは知ってますか? 来月から亜人街の取り壊しが始まることを」
「なに……? いや、初耳だ。それはもう決定事項なのか?」
「そう、みたいですね。噂によると、取り壊しの計画自体は随分昔から立案されていたそうです。でも、それが実際に行われることになったのは――」
「……キャスパリーグ隊か」
アウロの言葉にハンナはこっくりと頷いた。
キャスパリーグ隊は亜人街を拠点にしていることで有名だ。
昨夜もこの街でジョンズとハンスの二人が殺されている。
だからこそ、政府が対応策を取るのも当然といえば当然なのだが――
(いくらなんでも乱暴過ぎる……)
アウロは声もなくうめいた。
亜人街が消えればここに住んでいる人々は路頭に迷ってしまう。
他の場所に移住しようにも、亜人が亜人街以外に居を構えるためには莫大な税金を納めることが必要だ。多くの者は税を払うことができず、カムロートを離れることになるだろう。
つまり、政府は王都から亜人たちを叩き出すつもりなのだ。まるで害虫ごと花壇を焼き払うかのように。
「どうもこの国のトップは頭が悪いね」
カムリは呆れ返ったかのように言った。
「あいつら、本気でキャスパリーグ隊を捕まえる気があるのかな。街を壊したところで賊がいなくなる訳じゃない。むしろ、そこに住んでる人たちの反発を買うだけだってのに……」
「か、カムリさん。そんなこと言っていたら、反逆罪で捕まってしまいますよ」
慌てるハンナの前でアウロは「いや」と呟いた。
「キャスパリーグ隊のことはついでだろう。連中の目的は恐らく、亜人たちをこの街から追放することだ」
「でも、なんでそんなことする必要があるのさ。国民が減って困るのは王様の方でしょ? 死なない程度に飼い殺しておけばいいのに」
ひどく冷たいカムリの台詞だが、言っていること自体は間違っていない。
が、人間というのはそう単純な生き物ではないのだ。
私生児として虐げられているアウロには、政府の考えがなんとなく分かった。
「カムリ、これは理論じゃないんだ。連中は自分たちの街に、『人間ではない生き物』がいることが我慢ならないんだろう」
「……つまり感情論で物事を決めたってこと?」
「そうとしか考えられん。王城には昔から亜人排斥派がいた。それがキャスパリーグ隊という口実を得て、亜人街の撤去を推進したに違いない」
苦々しげに言い放つアウロの前で、ハンナは「そう、ですか」と力なく俯いた。
「……私たちは一体どうすれば良かったんでしょうか。黙っていれば迫害を受け、反発したところで居場所を失うだけ。やはり、キャスパリーグ隊のように力で国を変えるしか――」
「それは違う」
アウロは低い声で言った。
「キャスパリーグ隊のようなやり方では、人間と亜人の間にある溝を拡大させるだけだ。今の彼らがやっていることは単なる犯罪行為でしかない」
「でも、もし――」
「もしキャスパリーグ隊が今の政府を倒したとしても、彼らが政権を握ることはできない。人間と亜人の数に開きがあるし、ログレスは多くの貴族によって構成される国家だ。諸侯に叩き潰されるのがオチだろう」
「………………」
ハンナは顔色を青ざめさせた。
アウロの台詞に打ちのめされたのか。それとも、自分が危うく反逆罪に問われかねないような発言をしかけたことに気付いたのか。
どちらにしろ、彼女はひどくショックを受けた様子のまま黙りこんでしまった。
(……言い過ぎたか)
アウロは少しだけ罪悪感を覚えた。
が、彼はどうしてもハンナの――と言うより、一般的な亜人たちの本心を聞いておきたかったのだ。
彼らがこの国になにを期待しているのか。どのような方向に進むことを求めているのか。どんなことに不満を抱いているのか。その全てを。
「あ、そろそろ火が消えそうだよ」
ふいにカムリは頭上を仰いだ。
先ほど、魔術によって生み出された炎はいつの間にか小指の先ほどの大きさに縮まっていた。
やがて、三人が見ている前でふっと光が消滅する。室内は再び暗闇に包まれてしまった。
「……そろそろ、養成所の門限になるな」
アウロは小さく息をつき、その場から立ち上がった。
「すまない。今日のところはこれで失礼させてもらおう」
「あっ……は、はい。すみません。ろくにおもてなしもできずに」
ハンナは肩を縮めながらも、ちらりとアウロの顔を見上げた。
「その、気を悪くされましたか?」
「そんなことはない」
アウロはかすかに笑みを浮かべ、
「今日はいい話が聞けた。機会があればまたここを尋ねさせて貰うよ」
「は……はいっ! お待ちしてます!」
アウロの言葉に、ハンナはぱっと顔を輝かせた。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
――深夜の孤児院はひどくもの寂しい。
アウロ、カムリ、シドカムの三人が消えると、たちまち孤児院の中は静かになってしまった。
室内に響いているのはかすかな寝息だけだ。リコットは子供たちが寝静まったのを確認した後で広間へと戻った。広間の中央には姉であるハンナがぼんやりと佇んでいた。
「姉さん?」
「……リコ」
振り返ったハンナの目はどこかうつろだ。
彼女は一度口を開き、そして、しばしためらった後で言った。
「なんでもありません。それより、子供たちはもう寝ましたか?」
「うん、ぐっすり。ところで姉さん」
「なんですか?」
「あの人たちとなに話してたの?」
「大したことじゃありませんよ。孤児院での暮らしについて少し話しました。私たちの生活に興味を持たれたようでしたので」
ハンナは答えた。
続く声は彼女の背後から響いた。
「フン……下々の人間の話を聞き、その管理方法を思案する。ケルノウンの私生児といっても所詮は貴族だな」
ゆらりと暗闇の中で影が揺れる。
だが、振り返ったハンナの目は背後に佇む男の姿を正確に捉えていた。
彼女たちケットシー族は瞳孔を拡大させることで、闇夜の中でもある程度ものを見ることができるのだ。蝋燭の炎など元より必要ない。
「……父さん」
それは身長7フィート5インチを越す大男だった。
黒い髪の生い茂る頭頂部には尖った耳が揺れ、ズボンの裾からは長い尻尾がはみ出ている。
薄暗く濁った瞳は右が黒。左が黄金の金銀妖瞳だ。彫りが深く鼻梁の通った鋭い顔立ちで、その肉体はまるで幾つもの岩が組み合わさったかのようにごつごつとしていた。
――【モーンの怪猫】ダグラス・キャスパリーグ。
現在、王都を騒がせているキャスパリーグ隊の隊長であり、そして、ハンナとリコットの父親でもある男だった。
「まさか赤服の貴族がこの孤児院に来るとはな。少し背筋が冷たくなったよ」
「……それは昨夜、養成所の訓練生をくびり殺したからですか?」
ハンナの口調は変わらない。だが、その声色は日陰に移ったかのようにひんやりと冷たくなっている。
ダグラスはぐっと喉の奥から笑い声を漏らした。彼のズボンの裾には、剣を収めた鞘がぶら下がっていた。
「そう睨むな、ハンナ。ところで侯爵からの文は?」
「ここにあります」
ハンナは部屋の片隅に置かれたバスケットへと歩み寄ると、裁縫道具と共に積まれていた古着の中から、折りたたまれた紙片を取り出した。
受け取ったダグラスは手紙を広げ、しばし文面に目を走らせた。
そして、傷だらけの顔をわずかにしかめ、
「リコット」
「はーい」
「お前は見張りを頼む。ハンナは付いて来い」
「分かりました」
ハンナは頷いた。
二人が向かったのは広間の一角にある暖炉の元だ。
ハンナは火かき棒で中に入っていた薪を取り出し、その下から現れた鉄製の蓋を持ち上げた。
蓋は、正確には扉だった。扉の先には縄梯子があり、この孤児院の下に築かれた地下室へと繋がっているのだ。
ダグラスとハンナは梯子を伝い、地下室へと降った。
レンガ造りの地下室には光が灯っていた。見るものが見れば、それが魔導式ランプによる光だと気付いただろう。
ランプの周りには幾つもの木箱が置かれ、その上には亜人族の男たちが六人。輪となって座っている。
それぞれ手に持っているのは剣や槍、魔導銃などだ。彼らは降りてきたダグラスを見て武器を降ろした。
「隊長、見回りお疲れ様です」
「そちらはなにかあったか?」
「まさか。こんな穴蔵の底じゃあなにも起きませんよ」
苦笑したのは右目に眼帯をつけたエルフ族の青年だ。見た目こそ若いが、もう四十過ぎの中年だった。
他の男たちも同じ年配である。彼らは一様に体に傷を持ち、暗く濁ったような瞳をしていた。
ここにいる面々はダグラスがモーン島で活動していた頃からの古参兵であり、同時に、キャスパリーグ隊の中核を為す幹部でもあった。
「みんな、待たせてすまなかった」
と言って、ダグラスは空いた木箱の一つに腰を降ろした。
ハンナはその後ろに給仕担当のメイドのごとく控える。
途端に地下室の湿っぽい空気がぴしりと引き締まった。
ダグラスは一度、室内を見渡した後で言った。
「侯爵からの連絡が来た。亜人街を破壊するという政府の方針に変更はないらしい」
「では」
「ああ。手筈通りに事が進めば、十日後ラグネルの森に《センチュリオン》が送られてくるはずだ」
ダグラスは一度言葉を区切り、壁際に視線を向けた。
そこには彼の身長と同じくらいの巨体が、四つ横並びに整列していた。
だらりと両腕を垂らしたその姿は人間によく似ている。
しかし、ランプの光を受けて輝いているのは黒い夜間迷彩を施されたアダマント鋼だ。
野太い腕。丸みを帯びた装甲に覆われた脚部。そして、両手の指を組んだような形をした胸部コックピット。
刺々しい装飾の施された頭部は、三角形のアンテナと相まってまるで悪魔のようにも見えた。
――夜間攻撃用陸戦型騎士甲冑《グレムリン》
キャスパリーグ隊がモーンの反乱で用いた兵器の、数少ない生き残りである。
「ゴゲリフ、《グレムリン》は?」
「整備は完了しておる。いつでも出せるわい」
顔の下半分を髭に覆われた老人がくぐもった声で答える。
ドワーフ族である彼は、もっぱら地下に隠された機体の整備を担当していた。
長年、地下に篭もっているため身なりは薄汚いが、メカニックとしての腕前は本物だ。
「しかし、《スパンデュール》と《ブラックアニス》はどうする? あれも出すのか?」
「いや、アニスは我々にとっての切り札だ。一応用意しておくが、できれば使いたくない」
「なんじゃ、お前さんはまた生身で敵地に乗り込むつもりか」
「少なくとも当面の間はな」
ダグラスは苦笑を漏らした。
立っ端のあるダグラスは普通のアーマーを装着することができない。
そこで、彼は《スパンデュール》という専用の騎士甲冑を用意していた。
が、今その機体はこの孤児院にない。もう一つの切り札である《ブラックアニス》共々、ラグネルの森の奥に隠してあるのだ。
「……貯水槽の水をどこかに移しておかなくてはなりませんね」
ハンナは呟きつつ頭上を仰いだ。
この地下空間は家屋の隣にある庭まで続いている。
そして、庭の一角を占める貯水槽の底は地下室と繋がっていた。
四機の《グレムリン》はその隠しハッチから運び込んだ代物だ。後から水槽に雨水を貯めておけば、見回りの衛士たちが搬入路に気付くこともない。
これらの事実は無論、子供たちに知らされていなかった。
先ほどアウロに語った話はほとんどが真実だ。
元々、ここは単なるキャスパリーグ隊の拠点だったが、リコットが子供を拾ってきたため、なし崩し的に孤児院となってしまったのである。
とはいえ、その方が衛士の目を誤魔化し易かったし、広い家に住んでいる理由を簡単に説明できた。
彼らにとっては子供たちを利用している形になるが、その程度、今までの罪状に比べれば些細なものだ。
「ウィンギル、ドロブル、ウィルン――アーマーの動かし方は忘れていないな?」
次いで、ダグラスはケットシー族の三人組に声をかけた。
彼らは揃って頷き、
「当たり前です」
「まぁ、ブランクがあるのは否定しませんがね」
「なーに、戦場に戻れば思い出しますよ。なんたってうちらは無敵のキャスパリーグ隊ですから」
傷だらけの顔に浮かんでいるのは余裕の表情だ。背丈こそ低いが、彼らはみな歴戦の勇士だった。
更に、その隣に座っていたクーシー族の男が腰を浮かせ、
「た、隊長、俺は?」
「ランティ、お前の出番もあるぞ。今回は俺とお前たち《グレムリン》小隊、サンバイルと侯爵の手勢で攻撃を仕掛ける」
「そ、そうか。うん。そうか」
「だが、それは十日後の話だ。しばらく大人しくしてろ」
「うん、分かった。ランティ、大人しくしてる」
少しばかり知恵の足りない返答を寄越しつつ、ランティは木箱に座り直す。
最後にキャスパリーグ隊の副隊長、エルフ族のサンバイルが口を開いた。
「いよいよですね、隊長」
「……ああ」
ダグラスはもう一度、黄金色に輝く左目でその場に集った面々を見渡した。
「もうすぐだ。もうすぐ、我々はこの暗い地の底から出ることができる」
響く声には積年の思いが込められている。
彼らキャスパリーグ隊はずっと、ずっと、ずっとこの闇の中で息を潜め、牙と爪を研いでいたのだ。
その間ダグラスは義賊を名乗り、亜人たちの仲間を増やし続けていた。
結果、今のキャスパリーグ隊には百を越える戦闘員が所属している。
そして、カムロートの警備隊はこの事実を把握していない。
彼らはダグラスを単なる犯罪者と見誤っていた。
「モーンでの失敗から丁度五年だ。俺たちは今度こそ目的を果たさなくてはならない。そのためにはみなの力が必要だ」
淡々と紡がれる言葉に一同は無言のまま頷く。
「かつての戦いでは多くの同胞たちが命を失った。恐らく、今回も俺を含め、ほとんどの者が生きては帰れんだろう。しかし、それは意味ある死だ。我々が明日を得るための尊い犠牲だ」
深く息をつき、
「……これ以上は語るまい。今更、発破をかけずともお前たちには既に覚悟と決意が備わっているはずだからな」
「当然です。でなければ、ここまで隊長に付いてきていませんよ」
サンバイルの台詞に、ダグラスは「そうか」と笑みを浮かべた。
ここにいるメンバーは互いに十年以上もの付き合いだ。
いわば家族以上の絆で結ばれた仲間であり、決して裏切ることのない莫逆の友である。
彼らの悲願はただ一つ。今の政府を打ち倒し、亜人たちに対する差別と迫害をなくすこと。
そのためには武力に訴えることすら辞さない。それがキャスパリーグ隊という組織だった。
「では、我々の攻撃目標を伝えよう」
男の片手に握られていた紙片が音もなく広げられる。
しんと静まり返る地下室の中、ダグラスは重苦しい声で告げた。
「我々が最初に攻撃をかけるのは――カムロートの王立機甲竜騎士養成所だ」
直後、ハンナはひゅっと小さく息を呑んだ。




