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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
二章:斧の反乱
21/107

2-3

 翌日の昼過ぎ、アウロはカムリと共に街へ赴いていた。


 今日の目的はカムリの住処を探すことである。

 が、その前に二人はカムロートの中央市街に立ち寄った。

 カムリの強い要望で、まず腹ごしらえをすることになったのだ。


 そうして袖を引かれるままアウロが到着したのは、貴族街の近くにあるこじんまりしたレストランだ。

 店の規模としては二、三十人程度で一杯になってしまう程度だろう。通りに面した明るいテラスとオーク樹を用いたテーブルが、おしゃれな雰囲気を醸し出している。


「ここが白い仔羊亭か」


 アウロは羊の形をした看板を見上げ、


「思ったより落ち着いた店だな。とても食事を売りにしているとは思えないが」

「まぁね。でも、かなりいい羊肉料理を出してくれるんだって」

「……そういう情報はどこから仕入れてくるんだ?」

「色々だよ。最近は屋台のおっちゃんとも仲良くなってるし、後は酒場でおすすめ店の話を聞いたりとか――」


 食事に関してはアクティブなカムリである。

 得意げに語る少女にため息をこぼしつつ、アウロは扉を押し開けた。


 途端、食欲をそそる香辛料の匂いが溢れ出す。

 休日の昼下がりとあって店内にはかなり人が多い。

 客層の大半は裕福な商人や、貴族の下働き辺りだろう。

 人の話し声がざわめきとなっている一方で、食器の音はほとんど聞こえなかった。


「ええと……お二人様で?」


 近寄ってきた若い女の店員は、赤い制服を着ているアウロと、いかにもうさんくさい黒ローブのカムリとを交互に見た。

 勿論アウロは頷いた。店員は訝しげな表情を見せつつ、熱気の充満した店内を振り返った。


「ごめんなさい。今は満席に近い状態なんです。あちらのお客様と相席でよろしければ、お席をご用意できるんですけど」


 ちらりと視線の向けられた先には、四人がけのテーブルに向かい合った男女の姿がある。

 その内、男の方は赤いコートを羽織り、下には黒い乗馬ズボンを履いていた。胸元には赤い竜の紋章も見える。


「あれ? あの服って養成所の制服だよね」

「そうだな」


 アウロは声をひそめ、


「カムリ、お前の姿を見られるとまずい。店を変えよう」


 と身を翻しかけたものの、相手はいち早く二人の姿に気付いてしまった。


「ん、そこにいるのはアウロじゃないか?」


 背後から呼び止められ、アウロはぴたりと足を止める。

 振り返った先で意外そうな表情を浮かべているのは、よりにもよって隣室のロゼ・ブラッドレイだった。


「奇遇だな。君もこの店に?」

「……まぁな」


 アウロは素早くカムリを背中に隠した。

 が、明るい店内で真っ黒なローブは明らかに目立つ。

 ロゼはすぐさまカムリの存在に気付いた。そして、浮き足立っている僚友の様子を見てにやりと笑みを浮かべた。


「丁度いい。君もこっちに来て座ったらどうだ? 今は満席なんだし」

「待て。お前は良くとも、そちらのご婦人は構わないのか?」


 ロゼの向かいには白いワンピースを着た女性が座っていた。

 年齢は恐らく十五、六くらい。頭の後ろで亜麻色の髪を一纏めにしている。


「ロゼさんのお友達ですか? もちろん構いませんよ」


 少女はにこりと微笑んだ。

 こうなってしまうともはや逃げられない。

 カムリは困惑の表情でアウロの顔を仰いだ。


【主殿、どうする?】

【……仕方あるまい。ここで固辞するのは逆に変だ】


 念話を交わした後、アウロはカムリを連れてロゼたちの座るテーブルに向かった。


「悪いな。二人っきりのところを邪魔して」

「気にするなよ。君たちこそ、デートの最中だったんじゃないか?」

「そんな色気のある話じゃない。ただ食事をしに来ていただけだ」


 そう言ってアウロはロゼの隣に腰を降ろした。

 カムリもその対面、ワンピースを着た少女の横に着席する。フードの下で赤い髪がさらりと揺れた。


「ん? アウロ、その子もしかして……」

「名はカムリ。悪いがそれ以上のことは聞かないでくれ」


 アウロは先に釘を刺しておいた。ここでカムリの素性を詮索されるのはまずい。

 ロゼもその余裕のない態度で事情を察したのだろう。「分かった」とだけ頷き、それ以上の追求はしなかった。


「一応、こっちも自己紹介しておこうか。俺はアウロの友人、ロゼ・ブラッドレイ。そして、こちらが――」

「シルヴィア・アクスフォードです」


 少女は穏やかな笑みをたたえたままそう名乗った。


 シルヴィアはすっきり垢抜けた、美しい顔立ちの少女だった。

 ただ目つきが少し悪い。瞳孔が三白眼に近い形をしているのだ。

 しかし、それがある種の中性的な魅力になっているようにも思える。

 アウロは『男装が似合いそうだな』とやや失礼な感想を抱いた。


「アウロ・ギネヴィウスです。はじめまして」


 自己紹介をした後で居住まいを正し、


「しかし、アクスフォード侯爵家の令嬢が何故こんなところに……?」

「あら、ここはいいお店ですよ。私、父と一緒に王都へ来た時はいつもここへ寄ってるんです」


 と、どこかとぼけたような返事をするシルヴィア。

 一方、その横に座るカムリはフードの下で怪訝そうに眉を寄せた。


【ねぇ、主殿。侯爵家ってことはこの子、かなりのお嬢さんなんじゃないの?】

【まぁな。アクスフォードといえば、王国に四つしかない侯爵家の一角だ。別名『斧の侯爵家』とも呼ばれている】


 現在、ログレスで公爵デュークの称号を持つのは王弟ガルバリオンのみだ。

 そのため貴族の最高位は事実上、侯爵マルケスとなっている。

 ブランドル、アクスフォードなどの四侯爵。そして、宰相モグホースだけがこの爵位を持っていた。


 当然、そんな家の令嬢ともなれば滅多に表に出ない。温室で育てられる花のごとく大切に扱われる。

 いくら王城に近いとはいえ、街の食堂で平民に混ざり、のんきに紅茶を啜っているのは奇妙だった。


「シルヴィアはちょっと破天荒なところがあるんだ」


 とロゼは苦笑気味に付け加えた。


「家の中に閉じこもってるのが嫌らしくてね。領地にいる時もよく外を出歩いて、侯爵を困らせているらしい」

「あら、そんなことはありませんよ。今日は兄さんと一緒ですから特別です」

「兄さん?」

「彼女は俺の従兄弟なんだ。叔母がアクスフォード侯爵家に嫁いでるんだよ。おかげで、今は家族ぐるみで仲良くさせてもらってる」

「……なるほど」


 そう言われてみると、ロゼとシルヴィアの間にある空気は兄弟のそれに似通っていた。

 が、別に恋人と言われても違和感はないし、どこか長年連れ添った夫婦のようにも見える。

 そもそも単なる従兄弟同士が二人きりで食事をしているというのも変だ。


【主殿、わらわはこの二人を男女の仲と見たね!】

【いや……どうかな。案外プラトニックな関係かもしれんが】


 どちらにしろ下手に勘ぐってやぶ蛇を突きたくはない。


 アウロはそこで手を上げ、店員を呼び寄せた。

 エプロンを着た店員は小走りに近寄ってきて「ご注文は?」と尋ねてくる。


「ローストラムのランチセットと紅茶。……カムリ、お前は?」

「えーと、わらわも同じのを。あと仔羊のステーキも」

「8オンス、10オンス、12オンスの大きさがございますが」

「12オンス三枚」


 そこで店員はぎょっとカムリの顔を見た。

 12オンスの肉は大の男でも満腹になってしまうほどの量がある。

 それを三つ。しかも別にランチセットを頼んでいるのだから、店員が訝しげな視線を向けるのも無理はなかった。


「や、焼き加減はどうなさいますか?」

「どっちもレアでお願い。あ、それと」

「はい?」

「飲み物、羊のミルクをジョッキで」


 「………………承りました」と、店員は打ちのめされた様子でその場を後にした。

 恐らく、彼女の中でこの不審なローブの客は二度と忘れられない存在となったことだろう。


(こいつ……絶対、他の店でも顔を覚えられているな)


 アウロは頭を抱えたい気分になった。


「だ、大丈夫なんですか? ここのお肉、結構お腹に溜まるんですよ?」

「ん? 平気だよ。どうせすぐ消化しちゃうし」


 不安そうなシルヴィアにカムリは平然と答える。

 そんな二人のやり取りを見て、ロゼはくくっと忍び笑いを漏らし、


「こういっちゃなんだが、なかなかユニークだな、アウロの彼女は」

「………………」


 ぐうの音も出ないとはこのことだ。


 それから十数分が経ったところで注文した料理がやって来た。

 どうやらロゼたちも同じランチセットを頼んでいたらしく、四人がけのテーブルはたちまち四つのプレートで一杯になってしまう。

 プレートの内容は胡椒をかけたローストラム、薄切りにされたバゲット、羊乳のチーズにオニオンと生野菜のサラダだ。

 この内の一つはすぐさまカムリの胃袋へと消え、代わりに三枚重ねの分厚い骨付きステーキ肉がテーブルの上にどん! と乗せられた。


「……す、すごい大きさですね」


 パンケーキのごとく積まれた肉の迫力に、目を丸くするシルヴィア。


 大皿に盛られたステーキは注文どおりレアに仕上げられていた。

 網目の残った表面と、熱が通って変色した部位。生に近い真っ赤な筋肉繊維が三つの層を描いている。

 上からかけられているのは、肉汁に蜂蜜とりんご酒を混ぜたグレイビーソース。それと肉の匂いを消すためのハーブだ。


「それ、本当に全部食べ切れるのかい?」

「へーきへーき」


 頬を引きつらせるロゼの前で、カムリは食器を手にとった。

 さくり、とナイフが柔らかな羊肉を切断する。たちまち血の混じった肉汁が溢れ、皿の上にピンク色の模様を描いた。

 カムリは切り取った大ぶりの肉片をフォークで取り上げると、ほとんど咀嚼もせず丸呑みにしてしまった。


「んー、これはいいお肉だ。柔らかくて、しっかり羊の味がする」


 カムリは上機嫌そうに呟いて、再びラムステーキにナイフを通した。

 そうしてみるみる内に二切れ目が消え、三切れ目が消え、四切れ目が消滅し――

 気付いた時にはもう、靴底ほどの大きさがあった羊肉は三枚とも綺麗に平らげられてしまっていた。


「……つくづく、ふざけた胃袋だな」


 思わずアウロも呆れ返ってしまう。

 カムリの大食いっぷりを見るのはこれが初めてではない。

 が、一体あの細い体のどこにあれだけの量が詰め込まれているのか不思議だ。胃に穴でも開いているのかと勘繰りたくなる。


 ランチセットとステーキ三枚を食べ終えたカムリは、最後にミルクの入ったジョッキを傾けた。

 白い喉が何度か前後し、一息で容器の中身を空にする。

 カムリは口元からジョッキを離したところで、「ぷはっ」と息をこぼした。


「ああ、食べた食べた。でも、まだお腹に余裕があるかな。これならあともう二枚くらいはいけたかも」

「……とりあえず口元を拭け。ミルクの跡がついてるぞ」

「え、ホント?」


 慌ててナプキンで口元を拭うカムリ。

 一方、ロゼとシルヴィアの二人は揃って呆気に取られていた。


「ええと、なんというか、その……」

「アウロ。君の彼女、本当に人間かい?」


 口ごもるシルヴィアに対し、ロゼの物言いは極めてストレートだ。

 勿論アウロは平然と答えた。


「人間に決まってるだろ」


 大嘘である。


 とはいえ、流石に「こいつはこの国の守護神である赤き竜で――」なんて説明ができるはずもない。

 アウロはキリキリと胃が痛むのを感じつつ、サイコロ状に切られたローストラムを口に運んだ。

 蜂蜜を塗った上で蒸し焼きにされた羊肉は、甘く、柔らかかったが、今のアウロにそれを堪能するだけの余裕はなかった。






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 その後、四人は食事を終えたところで白い仔羊亭を出た。

 時刻は午後三時頃。太陽は徐々に傾きかけているものの、外はまだ明るく、活気に満ちている。

 ロゼは通りの喧騒を眺めながらふと尋ねた。


「そういえば君たち、今日はこれからどこへ行くつもりなんだい?」

「亜人街まで足を伸ばすつもりだ。こいつの家探しをしなきゃならないんでな」

「ん、亜人街? というと、そっちのカムリちゃんはエルフ族か?」

「外見的にはそうだ。……が、よく分かったな」

「さっきフードの下から、ちらっとだけ尖った耳が見えたんだよ」


 ロゼの言葉に、シルヴィアは「そうだったんですか」と納得の声を漏らした。


「道理ですごく綺麗なお顔をしてると思ったんです。エルフ族に美人が多いという話は本当だったんですね」

「そう? あなただって十分可愛らしいと思うけど」

「いえ……私は、その。黙っていても人を睨んでいるように見えるらしいですから」


 シルヴィアは気まずそうに顔を俯かせた。

 どうやら本人も目つきの悪さは気にしているらしい。


「ロゼ、お前たちはこれからどこに?」


 聞き返したアウロの前で、ロゼはおもむろに空を仰いだ。


「まだ日は高いが……今日はもう家に帰るよ。今は色々と治安が悪くなってるし」

「キャスパリーグ隊の件か」

「ああ。君も知ってるかもしれないが、昨夜亜人街で殺人が起きたそうだ。あそこへ行くなら十分気をつけろよ」

「分かった」


 小さく頷き、アウロはロゼたちと別れた。

 向かう先はカムロート外縁の亜人街だ。


 カムリの住居を探す上で中央市街から離れたのには理由がある。

 まずカムリの外見はエルフ族に近い。そして、亜人がカムロートの中央に住むためには莫大な税金を納めることが必要だ。

 逆に亜人街にはややこしい制約がなく、売り手と話さえつけば簡単に住居を得ることができた。


「なーんか、卑怯なやり口だよね。強制はしてないけど、裏から人の流れをコントロールしてるなんて」


 カムリは不機嫌そうに呟き、


「そもそもさ、どうして今のログレスじゃ亜人たちが差別されてるの? 二百五十年前はこんなことなかったのに」

「だろうな。聞くところによれば、亜人差別が始まったのはここ百年のことらしい」


 市の並ぶ広場を横切りつつ、アウロはちらりと周囲に視線をやった。

 今日は休日だ。多くの人々が街中を出歩いている。しかし、その中に亜人はほとんどいない。

 彼らの大半は亜人街に家を持ち、そこで食料や日用品の買い出しを済ます。

 この中央市街に来ているのは、豪商や金貸しなどごく一部の裕福な者だけだ。


「そもそも、カムリ。お前は亜人というのがどんな生き物か知っているか?」

「人間と妖精の混血でしょ? それがそのまま、種族として定着したのが亜人って呼ばれてるはずだけど」

「そうだ。有名なところだとケットシー族、クーシー族、エルフ族、ドワーフ族――どれもかつては妖精の一種だったが、今では大元の血統が絶滅し、人間と混ざり合ったあいの子だけが残っている。それが亜人だ」


 アウロは足を止め、広場に面した建物の一つを見上げた。


 それはドーム状の屋根を持つ白亜の建築物だった。

 高さは周囲の家々の倍近い。敷地面積は十倍以上だろう。

 窓にはステンドグラスを嵌めこまれ、天辺には金色の鐘を吊るした塔がある。

 その鐘楼の更に上には、円と十字を組み合わせた車輪のような紋章が掲げられていた。


「ログレスで亜人に対する迫害が始まった原因は、あの太陽十字クロッソレイユにある」

「教会……? ってことは天聖教?」

「なんだ。ルアハの教えはアルトリウス王の時代からあったのか?」

「うん。でも、別に亜人への迫害なんてしてなかったよ。教義が変わったの?」

「いや、教義は同じはずだ。変わったのは組織の方針だろう」


 言って、アウロは再び歩き始めた。


 ――天聖教。


 この宗教は元々、機竜や魔導具などと同じく大陸から伝えられた代物だ。

 基本骨子となる教義はごく単純である。すなわち、『汝、善行を積め。さすれば来世で救われよう』。

 ルアハの教えは輪廻転生を肯定しているのだ。そして、教義に反する者は死後地獄に落ちると説いている。


「そもそも、天聖教は自らの教義の中で人間を神の造物としている」


 大通りを歩きながらアウロは言葉を続けた。


「だが、そうなると妖精の血を引く亜人たちはどうなるのか? という問題にぶち当たってしまう。そこで教会は百年ほど前に会議を開いて、亜人を純粋な人間ではないと定義付けた」

「……いや、それは当たり前のような気もするけど」

「重要なのはそれまで曖昧だったものに、明確な線引きがされてしまったことなんだよ。結果、大陸には選民思想がはびこった。つまり亜人はヒトにあらず、家畜と同じである――という訳だ」


 「なにそれ」とカムリはフードの下で眉をひそめた。


「無茶苦茶な理論だね。誰がそんなの信じるっていうのさ」

「残念ながら貴族の大半は亜人に対していい感情を抱いていない。その上、教会自身も迫害を推進している節がある。なにしろ、公王ウォルテリスに亜人街の建設を勧めたのはカムロートの大司教だからな」

「ふーん、つまり教会が諸悪の根源って訳だね」

「見ようによってはそうだ。少なくとも、今ログレスが荒れている一因は連中にある」


 アウロは声に苦々しさを滲ませた。


 勿論、アウロ自身は亜人に対する偏見など抱いていない。

 元よりアウロ・ギネヴィウスは私生児である。自分の生まれを馬鹿にされる苦しみは嫌というほど知っている。

 しかし、亜人に対する差別は加速しつつあるのが現状だ。迫害された亜人たちが反発し、それが更なる迫害につながる悪循環だった。


(実際、謹慎を食らったジョンズたちも亜人街での狼藉に関してはお咎めなしで済んでいる……)


 法の番人である裁判所ですら亜人を軽んじているのだ。

 だからこそ、王都を荒らすキャスパリーグ隊のような集団が出てくる。

 貴族ばかりを狙う彼らは、いわば亜人たちの怒りを代弁する存在だった。


「……ん?」


 と、そこでアウロはふいに前方を歩くオレンジ頭に気付いた。

 ほぼ同時にカムリも「あれ」と声を上げ、


「あの格好、また主殿と同じ養成所の制服だ」

「シドカムか。今日は知り合いによく会うな」


 呟きつつも、アウロは心の中になにか引っかかるものを感じていた。


 シドカムはいつぞやと同じように、バスケットにパンと林檎を満載したまま亜人街の方角へと歩いている。

 が、本来彼の家は中央市街にあるはずだ。買い出しをして帰るにしても、亜人街に向かっているのはおかしい。


(商会の届け物か? いや、それなら使い走りの者に任せるだけで十分なはず……)


 思案顔のまま黙りこむアウロを、カムリは不思議そうに仰いだ。


「どうしたの、主殿?」

「いや、シドカムは亜人街になんの用事があるのかと思ってな」

「……? 実家に帰るだけじゃ?」

「あいつの実家はシドレー商会という中央市街にある店だ。一応、商会は亜人街にも拠点を持っているが、商会長の息子であるシドカムが使い走りをさせられるとは考えにくい」

「うーん、なら誰かに会いに行くとか? でも、それだとあんな一杯食料を持ってるのは変だね……」


 と、首を傾げたカムリはふいに「あ、そうだ」と呟き、


「ちょっと前、主殿が亜人街で三バカから逃げたことがあったじゃない。あの時も確かシドっちと一緒だったよね」

「まぁな。ただ、あの時は俺と一緒に養成所へ戻っただけだ。だからこそ俺も単に亜人街で買い物をして帰る途中だと思ったんだが……」


 アウロはおとがいに手を当てた。


 どうにもシドカムの行動は不可解だ。

 問題はあの食料をどこへ運ぶつもりなのか、という点である。

 亜人街に住む知り合いを尋ねるだけならば良い。だが――


(……もし、シドカムがキャスパリーグ隊と繋がっているとしたら)


 キャスパリーグ隊は亜人街を拠点に長期間、活動を続けている。

 とはいえ彼らも生き物だ。飲まず食わずでは生きていられないし、衣服の調達なども必要だろう。

 だからこそ、それらの問題を解決する存在。つまり彼らを背後から支援している集団があるのではないか、ということは随分前から言われていた。


「ねぇ、主殿。いっそのこと後をつけてみる?」

「……そうだな」


 カムリの提案にアウロはしばし考え込んだ。


 【モーンの怪猫】と同じケットシー族とはいえ、シドカムがキャスパリーグ隊に通じているとは思えない。

 事実無根ならばそれで良いのだ。が、万が一ということもある。


「よし」


 アウロは呟き、雑踏に覆われた通りへと一歩足を踏み出した。


「シドカムを追いかけるぞ。カムリ、ついてこい」

「待って、主殿。その格好はちょっと目立ち過ぎだよ」


 言われてアウロは自分の服装を見下ろした。


 今のアウロは養成所の真っ赤な制服を着ている。

 赤は人間の目にもっとも強い印象を与える色だ。そうでなくとも、派手なデザインの制服は周囲の目を引いてしまう。

 尾行をする上でこれほど不向きな格好もなかった。


「……分かった。カムリ、お前が先行してシドカムを追跡してくれ。俺は後から追いかける」

「らじゃ! ならまた後でね」


 カムリは片手で敬礼し、人混みの中へと飛び込んだ。


 その後、しばしの間を置いてアウロも亜人街へと歩き出す。

 既にシドカムとカムリの姿は、大通りの向こうにかき消えてしまっていた。






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【えー、こちらカムリ。追跡任務を完了した。どーぞ】

【こちらアウロ、了解した。とりあえず、一度こちらに戻ってきてくれ】


 赤みがかった光に照らされた路上で、アウロはカムリと念話を交わした。


 シドカムの尾行をしている内に、空は段々と夕焼け色に染まりつつあった。

 どうやら、シドカムは休日の夕方に食料を持って亜人街へ通っているらしい。

 以前アウロと遭遇した時はその途中だったのだろう。


「やっほー」


 と、ふいに頭上から声が響き、アウロは空を仰いだ。

 直後、隣家の屋根から飛び降りたカムリが石畳の上に着地する。

 アウロは思わず後ずさりかけてしまった。


「……お前、なんでいきなり屋根の上から降りてくるんだよ」

「いや、いきなり路上に転移するのはどうかと思ってさ。あんまり目立つのも良くないし」

「安心しろ。十分目立っている」


 通りを歩く人々の視線を感じつつ、アウロは額に手をやった。


 それから二人はカムリの先導で亜人街の奥へと向かった。

 奥――といってもこの街はどこも似たような区画が続いているので、今どの辺りを歩いているのかよく分からない。

 カムリは途中、何度か足を止めつつ通りを進んでいった。最終的に辿り着いたのは袋小路の奥に建った一軒家だ。


「ここが?」

「うん。さっきちらっとだけど、中に子供がいるのが見えたよ」


 子供? と内心で首を傾げつつ、アウロはその建物を見上げた。


 画一的な建物の多い亜人街の中では珍しく、やや横に平べったい形状をしている。

 ざっと見て敷地は他の家の三倍、いや、四倍近くあるだろう。

 また、家屋の隣には雨水を貯めるための貯水槽を擁する庭があった。


「どうもキャスパリーグ隊の拠点って感じじゃないな」


 アウロは庭に干された大量の子供服を見て、目をすがめた。


「少なくともこの家には子供がいる。シドカムの奴め、まさか子持ちだったのか?」

「……いや、それは無茶なような気もするけど」

「どうかな。あいつも一応、二十過ぎの男だ。亜人街に愛人を囲っているのだとしたら、自分一人で食料を届けに行ってもおかしくはない」

「う、うーん、そう言われてみれば確かに……」


 と頷きつつもカムリは納得していない様子だ。

 実際、アウロ自身もどこか引っかかりを感じていた。彼の知るシドカムは女よりも機械の方が好きな人間だ。

 恋人くらいはいるかもしれないが、いきなり子持ちの愛人というのはしっくり来ない。


「むー、主殿どうする?」

「……とりあえず、今日は日も暮れてきたし一旦養成所に戻ろう。後で俺がシドカム本人に詳しいことを聞けばいい」

「分かった。でも結局、お家探しの時間はなくなっちゃったね」

「仕方ないさ。また今度だ」


 アウロの言葉に、カムリは「はーい」と上機嫌のまま答えた。

 二人の背後で砂利を踏む音がしたのは直後のことだ。


「……あの、うちになにか用ですか?」


 遠慮がちにかけられた声に、アウロとカムリは揃って振り返った。


 影の差した路地に佇んでいるのは、若いケットシー族の女性だった。

 フードの付いた外套を身に纏い、片手には古着と裁縫道具の入った籠を抱えている。

 髪と瞳の色は黒。背が低く、たれ目がちで気弱そうに見えるが、顔立ちは整っていた。


(ん……?)


 と、そこでアウロはわずかに眉を寄せた。


「君は確か――」

「あ、あなたは――」


 ほぼ同時に両者の口から声が漏れる。

 アウロは目の前の女性に見覚えがあった。

 そして、どうやらそれは向こうも同じだったらしい。


「あの、すみません。一ヶ月前、この街の裏路地で私と会いませんでしたか?」


 緊張の面持ちで尋ねてくる女性に、アウロは「ああ」とはっきり頷いた。


「久しぶり、と言えばいいのか? まさか、こんなところで顔を合わせるとは」

「私も驚きました……。あ、私はハンナと言います。この前はきちんとお礼を言えなくてごめんなさい」


 そう言って、ハンナと名乗った女性は目を伏せた。

 一方、きょとんとした顔をしているのは事情の呑み込めないカムリだ。


「えーと……主殿、お知り合い?」

「と言うほどのものではないさ。お前も一ヶ月前、俺がジョンズたちと一悶着起こしたことは覚えているだろう?」

「あー、あれね。ってことは、ひょっとして――」

「はい、あの時はありがとうございます。おかげさまで助かりました」


 にこり、とハンナはフードの下で微笑んだ。


 彼女は一ヶ月前、ジョンズたちに襲われていたところをアウロが助けた女性だった。

 もっともアウロにしてみれば、カムリが試練として用意したトラブルに嫌々首を突っ込んだだけに過ぎない。

 結果的にはハンナを救う形になったものの、感謝される謂われはない――というのが正直な気持ちだ。


「あ、あの、よろしければお名前を聞かせてくれませんか?」


 そんな背景を露とも知らないハンナは、無垢な瞳で恩人を見つめている。

 アウロはなんとなく申し訳ない気分のまま口を開いた。


「……アウロ、アウロ・ギネヴィウスだ。この前は俺と同じ養成所の訓練生があなたに無礼を働いてしまった。彼らに代わって謝罪しよう。すまなかった」

「アウロ、さんですか?」


 ハンナはそこで目をぱちくりさせ、


「ええと、ひょっとしてルシウス殿下と決闘したというあのアウロさん?」

「……まぁ、そうだ」

「シドカムさんのお友達の?」

「あいつを知っているのか?」

「はい。この前アウロさんのお話を聞いたんです。多分、今の時間ならうちにいらっしゃってると思いますけど」


 ハンナはちら、と伺うような視線を寄越した。


「その、よろしければうちにご招待させて下さいませんか? 貴族の方にお返しできるようなものはありませんが、せめてきちんとお礼をしたいんです」

「……そうだな」


 アウロは思案した。


 この場でハンナに色々と事情を聞いてみるのも選択肢の一つだろう。

 が、実際に自宅を訪ねてみた方が速いし正確だ。

 なにより女性の誘いを断ることは騎士の流儀に反する。


「分かった。お招きにあずかろう」

「ほんとですか!」


 アウロの言葉にハンナはぱっと顔を輝かせ、


「ありがとうございます! でしたら、ちょっと妹に声をかけてきますね!」


 と言って、小走りに家の中へと消えてしまった。

 そうして夕暮れの路地にアウロとカムリの二人だけが残される。

 真っ赤な斜光に照らされたカムリはアウロの顔を見上げ、


「むー……主殿、わらわはどうしよう?」

「念のため付いてきてくれ。あの家がキャスパリーグ隊のアジトとは思えんが、万が一ということもある」

「分かった。ところで一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「主殿って、ひょっとしてネコミミ好きなの?」


 じーっ、とじと目で睨みつけてくるカムリ。

 常に冷静沈着を心がけているアウロも、この質問にはしばし言葉を失ってしまった。


「……あのな、俺は別にネコミミ愛好者じゃないぞ」

「そうかなぁ。なんか、シドっちとかさっきのハンナって子に対しては妙に態度が柔らかい気がするんだけど」

「気のせいだ」


 アウロはぴしゃりと言い切った。

 が、カムリはなおも食い下がり、


「んじゃあ、犬と猫とドラゴンならどれが好き?」

「いや……その質問は普通、犬か猫かの二択じゃないのか?」


 などとやり取りを交わしている間に、ハンナが表へと戻ってきた。

 中で着替えたのか、服装がねずみ色の外套から粗末なエプロンドレスに変わっている。スカートの下からは長い尻尾がこぼれ出ていた。


「すみません、お待たせして。どうぞ上がって下さい」

「ああ……失礼する」


 アウロは天の助けとばかりにハンナの家へ向かう。

 その背中を、カムリは「あ、待ってよ!」と小走りで追いかけた。

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