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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
一章:アウロと竜の少女
17/107

1-16

 ルシウスとの決闘が終わった後、アウロはシドカムやロゼを始めとした開発科の面々とささやかな祝勝会を開いた。


 ささやか――と言ってもハンガーを貸し切り、各自作った料理を持ち込みつつ、ワインを開けてどんちゃん騒ぎを繰り広げたのだから、養成所の側としてはたまったものではない。

 結局、当初は大目に見ていた教官たちも午後九時を過ぎたところで彼らに一喝を浴びせた。

 アウロとしても宴会に歯止めがかかったのはありがたかった。なにせ、それまではエンジニア魂を刺激された開発科の連中から、『あの真紅の機竜を見させてくれ!』と幾度となく頼み込まれていたのだ。


(先にカムリを逃しておいて正解だったな……)


 ハンガーから出たところでアウロはひっそり安堵の息をついた。


 その左手には様々な料理を乗せた大皿が、右手には開けかけのワインボトルとグラスが握られている。

 宴がお開きになった後、アウロは余った食べ物と酒を密かに回収していた。

 別に自分で口にするわけではない。これは自室に待機しているカムリの分だ。

 決闘に勝ったらなにかいいものを食べさせてやる――という言葉をアウロはきちんと覚えていた。


 一方、既に片付けを終えた開発科の面々もばらばらと宿舎に戻りつつある。

 ただ飛行科と開発科とでは宿舎が別なので、アウロと同じ方角に向かっているものはいない。

 唯一、同じ飛行科の訓練生であるロゼは早々に酔い潰れ、一足先に自室へと運び込まれていた。


「……ん?」


 と、アウロは宿舎のエントランスに差し掛かったところで足を止めた。

 日の沈んだこの時間、本来なら他の訓練生たちも自室に閉じこもっているはずだ。

 にも関わらず、通路の薄闇には一人。壁に寄りかかる形で佇む人影があった。


「やぁ、アウロ。随分と遅くまでハンガーにいたんだね」

「……ルシウス?」


 薄闇の中、赤銅色の髪を持つ青年はかすかに笑みを浮かべた。

 次いで、アウロの手にある皿とボトルにちらりと視線をやると、


「それ、今から持って帰って食べるつもりなのかい?」

「……まぁ、そうだ。お前こそどうしてここに?」

「別に大した用事じゃないよ。一応、報告だけしておこうと思ったのさ」


 言って、ルシウスは壁際から背を離した。


「開発科の新型機とデータバンク、それにロゼのアーマーを壊した犯人が判明した。ジョンズにハンス、ケイン。この三人がそれぞれ手分けして破壊工作を行ったそうだ」

「お前が問い詰めたのか?」

「いいや、違う。流石に被害額が大きすぎるからな。今日の午後、王都の役人がここへ来たんだ。で、とある訓練生からジョンズたちがハンガーに忍び込むのを見た、っていう証言が上がった」

「……偽証だろう? 奴らが動いたのは朝の七時前のはずだ。こんな時間から起きてる奴がいるとは思えないが」

「僕からはなんとも言えないよ。本当に見たのかどうかはジェラードの奴に聞いてくれ」

「ジェラード――ジェラード・ブランドルか」


 アウロは目をすがめた。


 ブランドル侯爵家はこのログレス王国における大貴族の一つだ。

 飛行科全体を見ても、王族であるルシウスを除けば一番の家柄と言ってもいい。

 ただアウロ自身はジェラードと親交がなかった。会えば話くらいはするが、せいぜいそれだけだ。


(むしろジェラードはルシウス側の人間だったはず。つまり……)


 あの三人組は『見限られた』ということだろう。


「だが、いくら侯爵家の御曹司とはいえ、ジェラードの証言だけで犯人だと断定されたわけではあるまい」


 アウロの言葉にルシウスは「そうだね」と頷いた。


「結局、彼らが犯人だと分かったのは本人たちの自白があったからだよ。役人たちに問い詰められて、ハンスとケインがあっさり喋ったんだ。ジョンズだけは最後まで犯行を否認してたみたいだけど……」

「で、連中は今どこに?」

「カムロートの王都警備隊本部に連れてかれてる。なんでもあそこの衛士が、貴族か豪商しか持っていないはずのソリダス金貨を換金していたらしいんだ。その関係でまた取り調べを受けてるんだよ」

「……そうか」


 賄賂を受け取っていた衛士も、相手が養成所の貴族であったことには気付いていたはず。

 後は本人の証言と照らし合わせれば、犯人を絞り込むことはそう難しくない。

 このまま取り調べが続けばいずれ亜人街での所業もバレるだろう。

 結局は自業自得。身から出た錆というわけだ。


「すまなかった、アウロ」


 と、そこでルシウスは唐突に謝罪した。


「今回の一件、否があったのは僕の方だったらしい。彼らの言うことを真に受け、決闘を申し込んでしまうなんてね」

「よせ、ルシウス。お前に謝られる筋合いはない」

「君は僕を恨んでないのか?」

「当たり前だろ。もし俺を潰すつもりで決闘を申し込んだとしたら恨みもするが、結局はお前も連中に騙されただけのようだからな」


 アウロはそこでちらりとルシウスの顔を見た。

 通路は暗闇に包まれている。だから、その表情をはっきり伺うことはできない。

 それでも、こちらに伝わってくる雰囲気がひどく沈んでいることは分かった。


(やれやれ……)


 アウロは今までルシウスのことを深慮遠謀を巡らせる、油断のならない男だと思っていた。

 が、今日矛を交えてみて気付いた。この男の本性はどうもアウロの抱いていたイメージと全く違うらしい。


 恐らく、ドラク・ルシウスは単なる正義感の強いお人好しだ。

 アウロは勝手に相手の行動を深読みし、勘違いしていただけに過ぎない。

 むしろ『脳みそお花畑』と評したカムリの見解の方が正しかったのだろう。


「とりあえず、ルシウス」


 アウロは両手に料理とボトルを抱えたまま、小さくため息を漏らした。


「言うまでもないが、お前はログレス王国の第八王子だ。友人を作るなとは言わないが、もう少し付き合う相手は選べ」

「……それ、ジェラードにも同じ事言われたよ」

「当たり前だろう。てっきり、俺はお前がジョンズたちを支配下に置いているものと思ってたんだ。それがまさか獅子の皮のように利用されていただけとは――」

「はは、ひどい例え方だね」


 そこでルシウスは初めて、うっすら口の端に笑みを浮かべた。


「だが、言いたいことは分かるよ。僕も彼らにちやほやされていい気分になってたのは確かだ。流石に今回の一件で目が覚めたけど」

「そいつは良かった。俺もお前のことを色眼鏡で見ずに済みそうだ」

「色眼鏡?」

「いや、こっちの話さ」


 アウロはなんとはなしに苦笑した。

 一方、ルシウスもふっと張り詰めさせていた空気を緩めると、


「まぁ、なんとなく分かるよ。僕も今まで君のことを勘違いしてたみたいだから」

「というと?」

「僕は君のことを人間嫌いの孤独主義者だと思っていた。ついでに言えば、王家の人間に対して憎しみを抱いているとも」

「……あながち間違っていない気もするが」

「君は正直だな。重要なのは、今までの僕が相手の欠点しか見てなかったってことさ」


 暗闇の中で赤銅色の瞳が瞬く。


「実は決闘の前、ロゼから今回の件のいきさつを聞いたんだよ。アウロ、君は亜人街でジョンズたちの手から一人の女性を救ったらしいね」

「成り行きでそうなっただけだ。それに今日の決闘、最初からお前が本気で来ていたら俺の方が負けていただろう」

「それを言ったらジョンズたちの妨害はどうなる。あれがなければ君はもっと簡単に勝ててたんじゃないか?」

「お互い、たらればの話をしても仕方ないさ。ただ……」


 アウロは空を仰いだ。


 最後の、ルシウスのガンランスが自機へ向けられたあの一瞬。

 恐らく《ホーネット》ではアウロの手綱さばきに反応できなかっただろう。

 あの空中停滞コブラはカムリの持つ高い運動性があって、初めて実現できたことだ。


「――ただ、俺にはお前と違って勝利の女神がついていた」

「へぇ、君でもそんな冗談を言うんだな。ちょっと驚いたよ」

「確かにらしくないな。今の台詞は忘れてくれ」

「分かった、忘れよう。君の勝利に免じてね」


 ルシウスは口元を緩め、


「なんだか君とこういう風に話すのも懐かしいな。今日は色々とあったけど、久しぶりに兄弟らしい会話ができた気がするよ」

「……そうだな」


 アウロは軽く頷いた。


 ルシウスは「久しぶりに――」と言ったが、実際のところ、今まで自分とルシウスが親しく話したことはなかったはずだ。

 私生児であるアウロはルシウスに対してコンプレックスを抱いていたし、同じ父を持つ兄弟という感覚も薄かった。

 だが、今のアウロは王紋を保持している。つまり自身とルシウスは正真正銘、血の繋がった兄弟だったということだ。


「そういえば……」


 アウロは無意識の内に、王紋のある右腕を押さえながら尋ねた。


「俺とお前、どっちが兄になるんだ? 生まれた月は同じだったはずだが」

「僕の誕生日は十月十日だ。君は?」

「八日だ。ということは俺が兄か」

「そうだね、兄さん」

「……やめろ。背筋が冷たくなったぞ」

「はは、ごめん。確かに突然兄さん呼ばわりするのも変だな」

「今まで通りでいい。所詮は二日の違いだ」


 憮然とした様子でアウロは言った。


「それじゃ、俺はそろそろ部屋に戻る。こんな時間に立ち話を続けるのもなんだしな」

「分かった。明日はまた編隊飛行の訓練だから、君も開発科の実験に協力するなんて理由をつけてサボっちゃ駄目だよ」

「……ああ」


 以前は嫌味にしか聞こえなかったルシウスの台詞だ。

 しかし、結局はこれも単なるお節介なのだろう。

 アウロは口の端に自嘲の笑みを浮かべつつ言った。


「じゃあな、ルシウス」

「うん。おやすみ、アウロ」


 ルシウスは就寝の挨拶を告げた後で、くるりと身を翻した。

 決闘に負け、友人と思っていた人間を失ったにも関わらず、その足取りはしっかりしている。

 アウロはしばしその場に佇んだまま、ルシウスの背中が通路の闇に溶け込むのを見送った。


(兄弟、か)


 ふと考える。

 つい先日まで、アウロは他の王位継承者たちを排除すべき敵として見てきた。

 勿論、今でもそれは変わらない。ただ王紋を手に入れたことで心に余裕ができただけだ。


 どうやら、ルシウスは本気でアウロのことを実の兄弟だと思っているらしい。

 そう考えると今まであれこれ忠告をしてきたのにも説明がつく。

 今回の決闘によって王家から目をつけられた可能性はあるものの、王位継承権を持つ四人の王子の中に、自分に対して好意的な人間がいると分かったのは大きな収穫だった。


「なるほど……兄弟ならば、仲良くしておくべきだろうな」


 ――少なくとも利用できる内は。


 心の中でそう付け加えて、アウロは自室へと戻った。






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 木製の扉を押し開けると、月の光に照らされた室内では、赤髪の少女がベッドの上に倒れ伏していた。

 傍から見ると寝ているようにも見える。が、その割に顔色は悪い。

 アウロはデスクに料理とボトルを置き、ランプを灯した後で少女に声をかけた。


「カムリ、どうした?」

「……あ、おかえり主殿」


 ゆるゆると瞼を開いたカムリは、そこで幾度か瞬きを繰り返した。

 しかし、真紅の瞳には今一つ力がない。とろんとした目つきはどこか病人のようだ。


「調子が悪そうだな」

「ん……まぁね。なにせ久しぶりに空を飛んだもんだから、筋肉痛で動けなくなっちゃって……」

「なるほど。それじゃあ食事をとるのも難しいか」

「そんなわけないじゃない!」


 たちまちベッドから跳ね起きるカムリ。

 が、やはり体が痛むのか。途中でがくりと膝を折ると、前のめりにシーツの上へと倒れ伏してしまう。


「いたたた……」

「無茶するなよ。動けそうか?」

「う、動くのは厳しそう。主殿、ちょっと椅子引いてくれる?」

「こうか?」


 アウロがデスクの椅子を引くと、その瞬間にカムリの姿が消えた。

 ベッドから動くことなく、『転移』の術で椅子の上へと移動したのだ。

 眼前にいきなり人間が現れ、アウロは思わず一歩下がってしまった。


「……こら、驚かせるなよ」

「あ、ごめん。ところでこの料理どうしたの?」


 カムリはデスクの上に置かれた料理へと視線を落とした。

 大皿の上に盛られているのはミントソースをかけた羊肉に鴨のソテー、羊の乳で作ったアコーンチーズの塊にマッシュポテト、そして付け合せのパイだ。適当に見繕っただけだがかなりの分量がある。


「ハンガーから持ってきたんだ。あの後、開発科の連中と祝勝会をやったんだよ」

「えー、羨ましいなぁ。わらわも参加したかったのに……」

「お前は単に飲み食いしたいだけだろ」


 アウロは上着を脱ぐと、ほのかに温かなベッドの上へと腰掛けた。


「それに一応、この養成所は部外者の立ち入りを禁じているんだ。特にハンガー内へは国の官僚であろうと、外部の人間は絶対に入れない。なにしろ機竜ってのは国家機密の塊だからな」

「むぅ……ま、いいや。こうしてわらわの分も持ってきてくれたんだし」

「食事を食べさせると約束しただろ? もっとも少し冷めてしまっているが」

「問題ないよ。今からあっためればいいもの」


 カムリは右手を料理の上へとかざす。

 その手の平にぽっと赤みがかった光が灯った。

 次いで、淡色の唇が朗々と祈りの言葉を読み上げる。


「『我は炎の巫女、ベリサマの祈り手なり。ごはんよごはんよ、あったかくなーれ!』」

「……なんだその適当な詠唱は」


 アウロは思わず呆れ顔になった。


 とはいえ、魔術としての効果はきちんと出たらしい。

 カムリの手の下で冷たくなっていた肉類は温かな湯気を立て始めた。

 たちまち、食欲を刺激する香りが部屋の中へと満ちる。アウロは本に肉の臭いがつくことを心配した。


「あ、チーズ溶けちゃったな……。まぁ、その内固まるか」


 呟きつつ、カムリはナイフとフォークを手に取った。

 大ぶりの羊肉を器用に切り分け、口いっぱいに頬張る。

 途端にカムリは「む!」と奇妙な声を上げた。


「こへ、おひしひね!」

「食べてから喋れ」

「いぇあ」


 ごくり、と肉を嚥下した後でカムリは言った。


「このお肉、かなりいい羊を使ってるんじゃないの? なんか今まで食べたのと全然違うんだけど……」

「肉は変わらない。ただ胡椒がかかってるんだ。開発科に所属してる連中は平民と言っても、ほとんどが豪商や地主の息子だからな。実家から香辛料を持ってきた奴がいたんだよ」

「へぇ。ところでこのボトルはなに? ぶどう酒?」

「そうだ。余ったのを貰ってきた。アルコールは大丈夫か?」

「大丈夫……だけど、お酒ってあんまり好きじゃないんだよ。初代の赤き竜は蜂蜜酒に酔ってるところを、地面に埋められて死んじゃったから」

「なら俺が飲もう」

「あ、ちょっと待って。折角だから半分こにしようよ」


 と、ボトルに手を伸ばしかけたアウロをカムリは押し留めた。

 代わりにデスクの脇に置かれていた水差し(ピッチャー)用のコップを手に取って、アウロの持ってきたグラスの隣に並べる。

 ワインボルトを傾けると、赤褐色の液体は二つの容器を満たしたところで空になってしまった。


「はい、どうぞ」

「ああ」


 アウロは受け取ったグラスを軽く掲げた。


「では今日の勝利に」

「かんぱい!」


 ぐっ、とカムリはコップを傾ける。

 その横でアウロはちびちびとワインを啜った。


 それからしばらくの間、アウロはカムリの食事風景をぼんやり眺めていた。

 皿に乗せられていた料理は三人分ほどあったはずだが、彼女はそれを瞬く間に平らげてしまう。

 あれほどの量をどうやって胃の中に押し込んでいるのか不思議だ。人間とは根本的に体の造りが違うのかもしれない。


 結局、ものの数分で食事を終えてしまったカムリは、コップに残っていたワインを飲み干した後で、熱っぽい息をついた。


「んー、美味しかった。今日はまともな食事にありつけてなかったから、久しぶりに人心地つけたよ」

「ああ……朝はトラブルがあったし、昼は魔光砂を流し込んだだけだったからな」

「そうだよ! 全く、主殿はもう少しわらわのことを尊重するべきだと思うな。今日の決闘だって誰のおかげで勝てたと思ってるの?」


 脳にアルコールが回り始めているのだろう。カムリの態度はどこか挑発的だ。

 が、アウロはうっすら口元に笑みを浮かべたまま答えた。


「お前のおかげだ。ありがとう、カムリ」

「えっ……あ、うん。ど、どういたしまして」


 ストレートに返されるとは思っていなかったのか。カムリはきょとんとした顔を見せた後で、かすかに頬を赤く染めた。


「な、なんか意外だな。主殿、面と向かって人に『ありがとう』なんて言うタイプじゃないと思ってたのに」

「今日、ルシウスに勝てたのは間違いなくお前がいてくれたからだ。礼の一つくらいは言うさ」

「そう? でもわらわ、あんまり活躍できなかったし。むしろ足を引っ張ってたんじゃないかって……」

「不安になったのか?」


 切り込むようなアウロの台詞にカムリは目を伏せた。


「別にそういうわけじゃないよ。ただ自信を喪失したっていうか」

「というと?」

「……だってさ。昔のわらわは空の上じゃ、ほとんど無敵に近かったんだよ? なのに今の時代には機械仕掛けの竜がいる。それも本物のドラゴン以上の力を持った――」

「そういえばお前、最初は機竜のことを舐めてかかってたな」


 アウロはふと思い出した。

 赤き竜としてのプライドがあったからだろう。カムリも戦いが始まる前までは、傲慢に振舞っていたはずだ。

 それが決闘の途中で鼻っ柱をへし折られ、意気消沈してしまった。最終的には泣き言ばかり漏らしていた気がする。


「一応、機甲竜騎士ドラグーン竜騎士ドラゴンナイトに取って代わったことにはそれなりの要因があるんだ。機竜は調教の手間がかからないし、資金の許す限り数を揃えることができる。勿論、性能面でも機甲竜騎士(ドラグーン)の方が上だ」

「うん。それは今回の件でよく分かった。正直、今日勝てたのは主殿の腕前があったからだと思う」

「半分はそうかもしれない。だが、もう半分はお前の力だよ」

「……ありがと」


 カムリははにかむように笑った。


 それから、彼女は再び『転移』の魔法で椅子の上から姿を消した。

 背後でぎしりとベッドが軋むような音を立てる。アウロは自らの背中に、カムリの小さな体がもたれかかってくるのを感じた。


「ね、主殿はこれからどうするつもりなの?」

「どう、というと?」


 じっとワインの湖面に視線を落としたまま、アウロは尋ね返す。

 カムリは男の肩甲骨を指先でなぞりながら囁いた。


「今日、王位継承者の一人に決闘で勝ったじゃない。でも確か、この国には全部で四人の王子がいるんでしょ? 後の三人とも戦うつもり?」

「場合によってはそうなるだろう。だが、なにも正面から叩き潰す必要はない。今はむしろ多くの味方を作っておく方が重要だ」


 つらつらと答えてから、アウロは一度グラスを傾けた。

 赤褐色の液体が喉奥に流れ込む。アルコールにひたされた胃がじんわりと温かくなった。


「……カムリ。ブルト人の守護者であるお前が蘇った以上、近い将来この国は戦争に巻き込まれるはずだ。俺たちはまず、この戦いを乗り切るための準備を進めなくてはならない」

「なら玉座を目指すのは後回しってこと?」

「ああ。そもそも、俺の目的は王になることじゃないんでな」

「む、そういえば前にも似たようなこと言ってたね。目的を達する過程で、国のトップに立つのが一番手っ取り早いとかなんとか」


 「なら」とカムリはアウロの背後で身動ぎした。


「主殿の目的ってなんなの?」

「このログレス王国に過去の栄光を取り戻すことだ」

「具体的には?」

「――アルビオンの統一」


 アウロは静かに告げた。


「お前も図書館で歴史書を読んだのなら知っているだろう? アルトリウス王の死後、彼の支配していた領域には様々な国家が勃興した。サクス人たちの七王国ヘプターキー。ピック人たちのアルバニー王国。他にも国外から流入してきた人間が、このアルビオン島に勢力を広げている」


 一息置き、


「その一方でここ二百年近く、ログレス王国の版図は小さくなるばかりだ。かつては東大陸まで進出していた大帝国が、今ではこのカンブリア地方を支配するだけに成り下がっている。このままではいずれログレスは他国に征服され、滅びてしまうだろう。俺はそれを止めたい。もう一度、この国をアルビオンの覇者にしたいんだよ」


 アウロは最後まで言い切った後で、グラスに残ったワインをあおった。


 彼が自らの野望を誰かに話すのはこれが始めてだった。

 なんら権力を持たない私生児が語るには、荒唐無稽過ぎる夢である。

 実際、アウロも一度は諦めた。それが再び望みを抱くようになったのは、自身の前にカンブリアの赤き竜が現れたためだ。


「………………」


 一方、アウロの言葉を聞いたカムリは沈黙していた。


 背後にいる彼女の表情を、アウロは伺うことはできない。

 だから最初は呆然としているのかと思った。次は返答に困っているのかと思った。

 しかし、背後からかすかな嗚咽が漏れ始めたところでアウロは気付いた。


「……おい、なんで泣くんだよ」


 それはあまりにも予想外過ぎる反応だった。


 振り返ったアウロの前でカムリははらはらと涙をこぼしていた。

 目尻からこぼれた雫が頬を伝い、顎先から滴り落ちている。

 にも関わらず、彼女はアウロに言われて初めて自分が泣いていることに気付いたようだった。


「あれ……なんで、こんな……」


 カムリはシーツに点々と染みこむ水滴を不思議そうに見つめた。

 慌てて手の甲で目元を拭うも、あふれる涙は止まらない。


「ご、ごめん。わらわもなんで涙が出てきたのか分からないんだよ。ただ主殿がアルトリウスと同じことを言うから、つい……」

「アルトリウス王と?」

「うん。あいつは小さい頃からアルビオンの統一を夢見てたんだ。今のアウロと同じようにね」


 カムリは困惑した様子で顔を俯かせた。

 どうやら彼女自身も己の感情を持て余しているらしい。


「なんでかな。一瞬、主殿がアルトリウスと被って見えた。二人とも全然似てるとこなんてないのに」

「酔ってるんだろ。さっさと眠ったらどうだ?」

「う……相変わらず手厳しいね、主殿。人が泣いてる時くらい優しくしてくれたっていいじゃない」

「例えばどういう風に?」

「えっ? そ、そりゃあこう、なにも言わずに抱きしめるとか――」


 カムリが言い終える前にアウロはその細い手首を引いた。

 すとん、と音を立てて少女の小さな体がアウロの腕の中に収まる。

 食事を終えた直後だからか。カムリの肌は妙に温かかった。


「あ、あの、主殿……?」

「注文したのはそっちだろう?」


 目の前で細長い耳が怯えるように震えている。

 アウロはカムリの赤い髪を指で梳いた。さらさらした毛先はほとんど引っかかりを感じず、上質の絹のように滑らかな手触りがした。


「今は寝ろ。しばらく傍にいてやるから」

「……うん」


 最初の内は体を硬直させていたカムリだが、髪を梳かれている内に段々と緊張がほぐれてきたらしい。

 やがて全身から力を抜いた彼女はずるずると倒れこむと、主の膝に頭を乗せたまま静かに寝息を立て始めた。

 まだ瞼は腫れ、頬にも涙の乾いた跡が残っている。

 だが、その寝顔は安らかだった。


(……こうして寝ている分には単なる小娘にしか見えないな)


 アウロはぴくぴく震える少女のまつ毛をじっと見下ろした。


 改めて見るとカムリはひどく美しい。

 化粧っけのない横顔はいかにもあどけないのに、その肉体にはぞっとそそられるような妖艶さがある。


 アウロは手を伸ばし、白い首筋から鎖骨にかけてのラインを指先でなぞった。

 既に眠りに落ちているカムリは眉を寄せ、くすぐったそうに「ん……」とうめく。

 アルコール混じりの息がひどく生ぬるい。薔薇色の唇の奥には、なまめかしく動く舌が見えた。


「……俺も酔ってるな」


 アウロは小さく息をつき、手に持っていたグラスをデスクの上へと置いた。

 魔導式のランプを消すとたちまち辺りは薄闇に包まれる。

 窓から差し込む月光が少女の頬を寒々しく照らした。


「アルトリウ……ス」


 ふいにうめくような声を漏らすカムリ。

 どうやら二百五十年前の夢でも見ているらしい。

 アウロは少女の体に毛布をかけてから、どさりとベッドの上に倒れ込んだ。


「竜でも夢を見るのか」


 ぽつりと呟き、目を閉じる。

 やがて妙に穏やか気分のままアウロは眠りに落ちた。

 こうして、アウロと竜の少女の長い一日はようやく終わりを告げた。

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