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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
105/107

4-32

 ドラク・ルシウスには物心ついた時から三人の兄がいた。


 一人は長兄ドラク・マルゴン。父ウォルテリスの跡を継ぐ次期王位継承者。

 一人は次兄ドラク・ガーグラー。王家の忌み子にして凶眼を持つ半竜の魔人。

 一人は三男ドラク・ナーシア。後に機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の団長となる誇り高き武人。


 他にも幾人か兄弟がいたらしいが、彼らの多くはルシウスが生まれる前に病死、ないしは不幸な事故によって夭折していた。

 唯一、異母兄弟として生き残っていたのは父王の愛妾、ステラ・ギネヴィウスの息子であるアウロだ。ただ、ルシウスは養成所に入るまでこの同い年の兄弟と顔を合わせたことが一度もなかった。


 兄弟の中でルシウスと仲が良かったのは、三男であるドラク・ナーシアだ。上二人の兄とはまともに言葉をかわした記憶すらない。

 そもそもマルゴンとは年齢が離れすぎているし、ガーグラーは王宮の一角に隔離されていて、外に出てくることすら稀だった。

 これはナーシアも同様であったらしく、冷え切った兄弟間の中で彼ら二人は唯一と言っていいくらい頻繁に顔を合わせていた。






「ルシウス、今のままではこの王国は立ち行かなくなるぞ」


 その日、兄の自室に招待されたルシウスはふいにそう告げられた。


 ふいに――とはいっても、ナーシアの発言はそう唐突なものではない。

 元々、彼とモグホースは性格的に反りが合わなかった。特に先日ナーシアが機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の団長に就任してからというものの、二人の関係は以前にも増して冷え込んでいた。


「モーンの乱は叔父上の活躍で収まったが、諸侯間に残ったしこりはそのままだ。これ以上あの白豚侯の専横を許せば、いずれ一部の貴族が結束して王家に反旗を翻すことだろう」

「……兄さん」


 ルシウスは相槌を打つこともできず、ただ軽く酒盃を傾けた。


 アルコールが回ってきたのか。ナーシアの顔はほのかに赤く染まっている。

 プライドの高いこの男が愚痴をこぼすのは、決まって酒に酔った時だ。

 相手をするのはもっぱらルシウスだった。これも昔からそうだ。普段は居丈高に振舞っているナーシアだが、それは己の矮小さを隠すためでもある。

 幼い頃から上二人の兄――特に同じ武人であるガーグラーと比較され続けてきたナーシアは、表からは見えない卑屈な部分があった。ただ、その『弱み』を知っているのはルシウスとガルバリオンくらいなものだ。


「ルシウス、今のお前は王国の抱えている問題についてよく理解していまい」

「そうですね。宰相が政権を牛耳っている、ということくらいしか。でも、その話が本当だとしたら父上は何故あの人を放置するのか……」

「そこが厄介なところだ。なにしろモグホースは大陸と繋がっている」

「大陸?」

「正確には大陸を支配する国家だ。特に今、ログレス王国との交易が盛んなのはフランク王国――ないしはローマ帝国と呼ばれる国だな。モグホースの背後にいるのも奴らだろう」

「え……つ、つまり、宰相はローマのスパイってことですか?」

「それは分からん」


 ナーシアはむっつりと眉を寄せた。


「だが恐らく、奴は裏でローマと取引をしているだけだろう。あの豚が他人の意向を受けて動くような人間とは思えん」

「取引……ですか。そういえば、宰相がこの国に来てからは以前より大陸との貿易が活発になったと聞きました」

「事実だよ。そもそも、大陸間交易を先導しているのはモグホースだ。先ほどの話にも繋がるが、領土拡張を続けるローマ帝国はログレス王国で産出される燃料――魔光石を求めている。そして、モグホースは光石を輸出する代わりに帝国の富をこの地にもたらしている訳だ。そういった事情があるからこそ、父上も簡単にはあの男をブタ箱送りには出来ん。今、我々が口にしているぶどう酒でさえ元は大陸から流れてきた代物だからな」


 ナーシアは銀の酒盃を、そこに溜まった青紫色の液体を忌々しそうに睨んだ。


「かといってアレを放し飼いし続ける訳にはいかん。奴の最終目的は間違いなく、この国の全権を掌握することだろう」

「全権を? それなら今だって……」

「いや、違うな。奴の影響力はあくまで王政の面にしか及んでいない。四侯爵を始めとする地方領主はモグホースに反目しているし、王国軍を仕切るガルバリオンも奴の存在を快く思ってはいまい」


 「だが」とナーシアは酒杯の中身をあおり、


「逆に、宰相の味方に回る者も多いのだ。宮廷魔術師のデュバン・サミュエルやドルムナットはその好例だな。金をばらまかれただけで媚びを売る阿呆ども。奴らは貴族とは名ばかりの駄犬だよ。美しさの欠片もない」

「辛辣ですね、兄さん」


 ルシウスは調子を合わせるかのように苦笑した。


 実際のところ、彼は王国の現状に危機感を持っていなかった。

 宰相の力が日に日に強まっているのは確かだ。しかし、あの男は王に成り代わろうとまでは思っていまい。せいぜい、玉座の影で権勢を振るう程度だろう。

 彼の存在が国益に繋がるのであれば、多少のわがままは許しても良いのではなかろうか。当時のルシウスはそんなのんきな考えすら抱いていた。


 ――あの頃の彼はまるで知らなかったのだ。


 宰相が自らの野望を阻む者たちを、あらゆる手段を使って取り除いていたこと。

 自らの腹違いの兄弟たちが、ことごとく何者かの手にかかって暗殺されていたこと。

 宰相の進める政策のために、多くの無辜の民たちが迫害され、犠牲になっていたこと。


 宰相モグホースは正しく、王国にとっての癌だった。

 加速度的に自らの勢力を広げ、宿主の血肉を侵す不治の病。

 一部の人間がその危険性に気付いた時には、既になにもかもが手遅れとなっていた。


「良いか、ルシウス。いずれ父上が死ねば、その後は兄マルゴンが新王としてこの国の頂点に君臨することとなるだろう。モグホースの専制に対抗するためには、我ら竜公家の兄弟が結束し、力を合わせねばならん。お前もその時のために腕を磨いておけよ」

「はい、兄さん」


 兄の忠言に、ルシウスは弟らしい従順さで頷いた。






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






 皮肉なものだ、とルシウスは思う。


 結局、宰相に対して反発していたナーシアは王国に残り、

 その存在を許容していた自分は祖国に弓を引いている。

 本来、二人は共に轡を並べて戦う兄弟だったはずだ。

 それがなんの因果か。異なる陣営に分かれて矛を交えることとなってしまった。


(……兄さん)


 ルシウスは複雑な気分のまま空の果てを見据えた。


 煌々と輝く太陽。

 その正円を描く日輪を背に、一機の機甲竜騎士(ドラグーン)が飛翔している。


 燃える炎のような紅色に塗りたくられた装甲。

 主翼の他に一対の前翼カナードと垂直尾翼を有する六枚羽のシルエット。

 右腕甲には長大なガンランスを、左腕甲には機関砲を内蔵した盾を携えている。


 ――《ヘングロイン》。


 モンマス公ガルバリオンの愛機。

 王族専用機の中でも最強と謳われていた、火竜の骸装機(カーケス)である。


 元々、この機体は一年前のモンマス動乱の最中、ガーグラーの駆る《スプマドール》との戦いに破れ、主ともども撃墜されたはずだった。

 しかし今、ルシウスと対峙しているのは幻影ではない。紛れもなく本物の《ヘングロイン》だ。

 恐らくは王国の技術者が大破した機体を修復リペアしたのだろう。当然、その乗り手も異なっていた。

 ルシウスはヘルムの側面に手を当て、敵の機竜乗り(ドラグナー)へと語りかけた。


「久し振りだね、兄さん」

『ああ、久し振りだ。しかし残念だよ。まさか、お前とこうして争うことになるとはな』


 その発言とは裏腹に、通信機越しの声には興奮の色が滲んでいる。


 ルシウス率いる第一中隊が、敵別働隊の襲撃を受けたのはつい数分前のこと。

 敵はたったの二機。しかし、その内の一方は機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)団長、ドラク・ナーシアの駆る《ヘングロイン》だった。


 ナーシアの目的は言うまでもなくルシウスの命だ。

 同盟の盟主を討ち取り、敗色濃厚の戦況を挽回しようという狙いである。

 だが、ルシウスは一騎討ちを求めるナーシアの挑発に乗らなかった。追尾してくる敵機から逃げ回り、増援到着までの時間を稼ぎ続けている。

 おかげで周辺に僚機の姿はなかった。骸装機(カーケス)の機動力に振り切られてしまったのだ。


(けど、これでいい)


 友軍機が近くにいれば、余計な被害ばかりが広がってしまう。

 兄弟喧嘩のとばっちりで死人を出すなんて馬鹿げた話はない。


 とはいえ、逃げの一手を続けるのも限界だった。

 元々、最大速度の面で《グリンガレット》は《ヘングロイン》に劣ってしまっている。敵機との間合いは刻一刻と詰まりつつあった。


 いい加減、覚悟を決めなくてはならない。

 ナーシアと――血の繋がった兄と戦う覚悟を。

 ルシウスはハーネスを握り直し、大きく息をついた。


「兄さん」

『なんだね?』

「そろそろ始めようか」


 自ら、開幕を宣言する。


 直後、反転したルシウスは後方の敵機めがけて決別の砲撃を叩き込んだ。

 空を駆け抜ける閃光。ナーシアは機体をロールさせ、収束砲の射線をかわす。

 見事な手綱捌きだ。《ラムレイ》とはまるで特性の異なる機竜のはずだが、ナーシアは不慣れな乗機を完璧に制御していた。


『追いかけっこは終わりか! よろしい! 世間知らずのお坊ちゃんがどれだけ成長したか、この兄に見せてみろ!』

「言われずとも!」


 ルシウスは収束砲を連射しつつも、鞍上から身を乗り出し、槍の穂を迫る敵機へと向けた。

 ランスチャージの構え。アフターバーナーを噴かせた機体が瞬時に加速する。

 ナーシアはその動きに乗ってこなかった。《グリンガレット》の突撃を躱し、すれ違いざまに機関砲を掃射する。オレンジ色の装甲の上でまばらに光芒が散った。


「どうした、兄さん! 接近戦は苦手かい!?」

『このっ……口の減らぬ奴め!』


 苛立たしそうに収束砲をぶっ放すナーシア。


 その反応を見て、ルシウスはやはりと内心で呟いた。

 今までナーシアの乗機だった《ラムレイ》は、ランスを持たない射撃特化型の機竜だ。故にナーシア自身も近距離でのやり取りには慣れていないのだろう。

 そうと分かればルシウスの方針は一つだった。彼は急旋回して敵の側面に回ると、収束砲で圧力をかけつつ、執拗にランスチャージを敢行した。


『ふ、ははははっ! 小狡い知恵が回るようになったじゃないか! アウロに影響されたのか!?』

「かもしれないな! けど兄さん、あなたは相変わらずだ! どうして未だにモグホースの味方をする。僕たちと手を取り合う気はないのか!?」

『戯言を! 王家に反逆した貴様が!』


 ナーシアは罵声とともに収束砲の狙いを定めた。


 《ヘングロイン》の武器は〝紅蓮の咆哮(ブレイズロア)〟4.5インチ対機甲砲。

 《ラムレイ》の有する〝ファイアブレス〟ほどではないものの、竜鱗装甲(スケイルアーマー)を貫くには十分な威力を秘めた魔導兵装だ。


 ルシウスは一旦距離を取りつつ、発射された熱線をかわした。

 対するナーシアは急旋回で《グリンガレット》の背に付こうとする。近距離戦を嫌い、格闘戦ドッグファイトに引き込もうという狙いだろう。


「ナーシア兄さん、あなただって分かってるはずだ! 今の王国を変えるには、外からの変革が必要だってことを!」

『だから反乱を引き起こしたと!? よく言うものだよ! アウロやブランドル家の能無しどもにそそのかされ、担ぎ上げられただけの貴様が!』

「確かに最初はそうだったかもしれない。けど、今は違う! この場にいるのは僕自身の意志だ! 自分から動く勇気すらなかったあなたと一緒にするな!」

『こいつ、生意気な口を……っ!』


 ぎり、と奥歯を噛みしめる音。

 ナーシアは砲弾をばら撒きながら怒声を上げた。


『私は機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の団長! 多くの騎士たちを束ねる将だぞ! 今更、弟の軍門に下り、王家に槍を向けることなどできるか!』

「そんな感情的な理屈で――!」

『感情? 違うな。これは美学だ! 無様に生き恥を晒すくらいならば、華々しく戦場に散る方がよいわ!』

「っ……あなたは昔からそうだ! くだらない『美しさ』とやらにこだわり過ぎなんだよ! そんなに地べたを這いずり回るのが怖いのか!」

『言ったな、愚弟!』


 瞬間、ナーシアはアフターバーナーを使い一直線にルシウスへと突っ込んできた。

 しかし、がむしゃらな突撃で旋回中の《グリンガレット》を捉えられるはずもない。

 敵機と交錯したルシウスは、すぐさまその背に向けて収束砲を放った。一方の《ヘングロイン》は急降下して砲撃を凌ぎつつ、ディスプレイの外へと姿を消す。


(く……どこに)


 すぐさま周囲へと視線をさまよわせたルシウスだが、敵機の姿は見つからない。


 ただ、レーダーに映る位置座標はほとんど動いていなかった。

 変化しているのは高度だ。ルシウスは妙な寒気を感じ、空を仰いだ。

 視界いっぱいの青。輝く太陽。その脇に紅色の星が浮かんでいる。

 ナーシアの駆る《ヘングロイン》はルシウスの直上、高度25000フィートの高さを陣取っていた。


「上!? バーティカル・リバースか!」

『どうかな!』


 天頂で反転する敵機。

 ナーシアは急上昇から一転、機首を大地に向けたまま猛禽の如く《グリンガレット》へと襲い掛かった。

 更には降下中にアフターバーナーを全開。亜音速まで機体を加速させながら、槍を振りかぶる。


(直接来るのか!?)


 ルシウスはエンジンを限界まで振り絞り、敵の降下攻撃を振り切ろうとした。


 その甲斐あってか、チャージしてきた《ヘングロイン》は紙一重のところでランスを外す。

 が、そこから下方旋回に繋げたナーシアは一瞬で《グリンガレット》の背後を占位した。肉体にかかる負荷など度外視。運動性の高い《ヘングロイン》だからこそ可能な空戦機動(マニューバ)だ。


「く、後ろを……」

『そこだっ!』


 間髪入れず、機関砲から光弾がばら撒かれる。

 これはあくまで牽制だ。本命はやはり右腕甲の収束砲。

 ルシウスは迫る死の足音に息を止めた。しかし、その思考は目まぐるしく逆転の一手を探し続けていた。


 ルシウスは兄に比べ、技術も経験も劣っている。

 それでも、彼とて漫然と日々を過ごしていた訳ではない。

 祭り上げられただけのお飾りという自覚はある。自らの力不足に関しても承知している。


 だからこそ、ルシウスは日々努力を続けてきた。

 全ては、兄弟たちに追い付くために。


(ここっ……!)


 ルシウスは〝ブレイズロア〟の砲口が閃いた瞬間を正確に感じ取った。


 両かかとでペダルを踏み込む。九十度ピッチアップ。

 ウィングを垂直に立てた《グリンガレット》は急失速し、逆に《ヘングロイン》はその鼻先へと飛び出してしまった。

 プガチョフ・コブラ――かつて、アウロがルシウスとの決闘の際に見せた空戦機動(マニューバ)だ。


『なにっ、自ら減速しただと!?』

「貰った!」


 失速中の不安定な姿勢から、ルシウスは兄の背中――はためく黄金のマントへと収束砲を向けた。

 ナーシアは急降下して射線から逃れようとする。だが、遅い。弾速に優れた収束砲ならば、コンマ数秒以下のスピードで敵機を捉えることができる。

 ルシウスのすべきことは簡単だ。トリガーに指をかけ、引き絞る。後は武装の側が自動的に全てを処理してくれる。

 感慨も、感情も、感傷も、感動も、そこには存在しない。


 ――ふいに。


 脳裏に兄と語らった記憶が蘇った。

 ルシウスは家族という言葉から、父でもなく母でもなくまず兄の姿を連想する。

 それは恐らく、ナーシアも同じだろう。自分にも他人にも厳しい彼だが、弟であるルシウスにだけは甘かった。

 殺伐とした竜公ドラクの一族において、彼らは心から通じ合える本当の兄弟であり、家族だったのだ。


(けれど……!)


 今は違う。二人の道は分かたれた。


 ドラク・ナーシアは王国軍を率いる騎士団長であり、

 ドラク・ルシウスは同盟軍を統べる盟主なのだ。


「う……おぁぁぁっ!」


 ルシウスは血の滲むような叫びと共にトリガーを引いた。

 砲口から噴き出す火焔。一条の光が空を引き裂く。


 が、橙色の熱線が捉えたのはまくれ上がったマントの端だけだった。

 不意をついた真後ろからの砲撃。本来なら、回避の間に合うタイミングではなかった。

 しかし、ルシウスの迷い。トリガーに指をかけてからのほんの僅かな葛藤がナーシアの命を救った。時間にすれば一秒にも満たないが、空戦においてそれは致命的な遅れだった。


「しまっ――」

『この阿呆が』


 ナーシアは弟の不出来をごく短い言葉で評価した。


 直後、紅色の機竜は下方宙返りで《グリンガレット》の背後へと回り込んだ。

 すぐさま急旋回で敵を振り切ろうとするルシウスだが、その動きは緩慢だ。なにしろ機体速度が200ノットを下回りつつある。

 これは無茶なポストストール機動の弊害だった。コブラやクルビットのような曲技飛行は、一時的に有利な位置を占めることはできても、その代償として莫大な空戦エネルギーを消費してしまう。


『甘い。甘いな、ルシウス。お前はいつまで経っても甘っちょろ過ぎる。例え弟であっても、お前が真に玉座に相応しい人間であったのなら、私も兄上を見限り同盟に転向していただろう。だが――』


 低速で逃げ回る敵機を捉えたナーシアは、迷うことなくトリガーを引き絞った。


 ――バァッ!


 大気を焼く熱線。〝ブレイズロア〟から発射された炎が、《グリンガレット》の右ウィングをかすめ、更にはガンランスの先端を蒸発させる。

 ルシウスは必死にハーネスを手繰り寄せ、ぐらつきそうになる機体をコントロールしようとした。

 そんな弟の足掻きをあざ笑うかの如く、機関砲の掃射が放たれる。ばら撒かれた光弾はオレンジ色の装甲の上で幾つもの花を咲かせた。


「ぐあっ!」

『だが、その優柔不断さは度し難いな! 王に必要不可欠なのは国を守るための強い覚悟と、それを成し遂げる意志の力。なにより、くだらん感傷に左右されぬ鉄の心だ!』


 姿勢を崩され、更に失速する《グリンガレット》。

 その右側面めがけて、ナーシアはランスチャージを仕掛けた。

 ルシウスにはもはや打つ手がなかった。機体性能で劣る《グリンガレット》が好機をものに出来なかった時点で、勝負の行方は決まっていた。


『ルシウス――残念だが、お前は王の器じゃあないんだよ!』

「っ…………!」


 突き放すような宣告。

 ルシウスは思わず瞼を閉じかけた。

 死の恐怖のためではない。自分の無様さと惨めさに、涙がこぼれそうになってしまったからだ。


 しかし、ふいに滲む視界の端に円形のスコープが映る。

 レーダーを飛び交う光点は二つ。一つは自機でもう一つは敵機。

 ――ではなかった。接近した二機の機甲竜騎士(ドラグーン)は座標が被ったために一つの光点に纏まり、そこへ第三の機竜が猛スピードで迫ってきているのだ。


(っ……ばか! 泣いてる場合か!)


 ルシウスは己を叱り飛ばした。


 まだだ。まだ諦めるような場面ではない。

 機竜乗り(ドラグナー)としての自分は完膚無きまでに敗れてしまった。

 だが、これは一対一での決闘ではなく、軍と軍とで勝敗を競い合う戦争だ。


 大将首の役目は敵のエースを打ち倒すことか?


 ――いや、違う。最後まで生き残り、この戦争を勝利に導くことだ。


「うっ、ぐ!」


 ルシウスは形振り構わず、再度のコブラを敢行した。


 急減速した《グリンガレット》は危ういところで敵機のチャージをかわす。

 とはいえ、所詮はただの一時凌ぎだ。空戦エネルギーを吐き出し、時間を稼いでいるだけに過ぎない。

 対するナーシアは六枚羽を稼働させ、ハイGターン。ほとんど足を止めつつある敵機めがけて砲弾を浴びせかけた。


『この愚弟が! つくづく美しくない戦い方を!』

「兄さん! 僕は、あなたの求めるような人間じゃないかもしれない。それでも――!」


 叫びかけたルシウスの腕からシールドが弾き飛ばされる。“ブレイズロア”の砲火が直撃したのだ。

 ナーシアはそれを見て、側面からのビームアタックを仕掛けた。絶え間なく機関砲を浴びた《グリンガレット》は、たまらずバランスを崩してしまう。


『終わりだ!』


 サンドバックと化した敵の息の根を止めるべく、収束砲を構えるナーシア。


 彼は相手が弟だろうと、トリガーを引くのを躊躇わなかった。

 その指が止まったのはもっと別の理由があったからだ。

 ナーシアは直感的に自らの身に迫る危険を察知していた。突き刺すような殺気。遥か彼方、10000フィート以上もの遠間から自分は狙われている、と。


 ナーシアの判断は素早かった。

 彼は《グリンガレット》への追撃を諦め、即座に防御機動へと移った。

 結果的にその選択は正しかった。虚空の果てから飛来した熱線は、つい先ほどまで《ヘングロイン》がいた一帯を無造作に薙ぎ払ったのだ。


『ち……この火力! ドルムナットを仕留めた魔導兵装か!』


 機体を急降下させたナーシアは、舌打ちと共にルシウスへと砲口を向ける。


 が、今度はその横合いから燃える炎弾が降り注いできた。

 たまらずナーシアはシールドで胴部を庇った。炸裂する紅蓮。

 その向こうで、錆色の機影がフクロウの如く悠然と飛翔していた。


 ――《ミネルヴァ》。


 同盟軍の空軍大将が駆る機甲竜(アームドドラゴン)

 王都とケルノウン半島との間に横たわる海峡上で、都合四十四機もの機甲竜騎士(ドラグーン)を撃墜したことから、【ブリストル海峡の悪夢】とも呼ばれている機体だ。


『よく耐えたな、ルシウス』


 通信機越しに響く、いつも通りの淡白な声。

 それを聞いてルシウスは思わず肩の力を抜いてしまった。

 緊張を途切れさせていい局面でないことは分かっていた。それでも、青年の声には奇妙な安心感があった。


 機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)のエースがナーシアならば、王国軍のエースパイロットは間違いなく彼だ。

 ルシウスは安堵の息とともに、最も信頼する友の名を呼んだ。


「……アウロ」

『後は任せろ』


 錆色の機竜はルシウスの鼻先で反転。

 その搭乗者は炎を纏った槍を構え、番兵の如く宿敵の前に立ちはだかった。


 兄弟喧嘩の第二幕が、ここに切って落とされようとしていた。


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