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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
104/107

4-31

 モンマス上空の決戦は主に三つの空域に分かれて展開されていた。


 後方では盟主ルシウス率いる本隊に、ドラク・ナーシアを筆頭とする敵別働隊が襲いかかり。

 本隊の直掩に回っていたジェラード率いる第二中隊は、氷竜伯(ブリザード)の猛攻に苦戦を強いられていた。


 一方、先鋒として敵の本隊と砲火を交えていたのは、アルカーシャ、ジュトーを中核とする第三、第四中隊である。

 対するはモンマス侯モーディア・ガーランド。アルカーシャにとっては自らの叔父であり、父を謀殺した仇でもある男だった。


『ちぃぃぃっ……。どけ、虫けらども! 私の邪魔をするな!』


 もっとも、当のモーディアはアルカーシャのことなど眼中になかった。

 彼の目的はアウロだ。息子の命を奪い去った怨敵を討ち果たすことだ。


 そのアウロは現在、アルカーシャのいる空域を離れていた。

 奇襲を受けたルシウスの援護に回るため、単独で後方に下がってしまったのだ。

 モーディアはその後を追おうとしていた。骸装機(カーケス)である《パーシモン》の機動力を持ってすれば、《ワイバーン》を振り切ることなど造作もない。


「行かせない! モーディア、お前はここで……!」


 が、アルカーシャの駆る《レギナ・ヴェスパ》は単なる量産機ではなかった。

 中隊を離れた彼女は、たった一機でモーディアを猛追していた。

 《レギナ・ヴェスパ》の最高速度は220ノット。アフターバーナーを全開にすれば、骸装機(カーケス)相手だろうと追い縋ることくらいはできる。


 なにも追いつく必要はないのだ。真後ろから圧力をかけ続けるだけでも十分。

 アルカーシャは先行する機影にシールドの先端を向けた。内蔵砲が火を噴き、敵機の傍で砲弾が炸裂する。

 たまらず、相手はぐらりと飛行姿勢を崩した。モーディアからしてみれば、走り出そうとした直前につま先を引っかけられたような気分だろう。


『ち……しつこいぞ! 貴様のような小娘に構っている暇はない!』

「お前になくとも私にはあるんだよ!」


 ぴしゃりとハーネスを打つ。推力全開。

 迫る《レギナ・ヴェスパ》に対し、モーディアは苛立たしそうにランスを一閃させた。


 《パーシモン》の武器は迅雷槍“パーディタ”。

 雷竜の魔力を応用した魔導兵装だ。二叉の穂先から放たれる雷光は、電撃の特性故に極めて回避しづらい。

 加えて、防御面ではバリア状の電磁魔導結界マギネトーシスを有している。骸装機(カーケス)特有の竜鱗装甲(スケイルアーマー)と相まって、その堅牢さは並みの機竜の比ではなかった。


(くそ、もう何発も至近弾を食らわせてるはずなのに……)


 アルカーシャは歯噛みした。


 彼女は先ほどから幾度となく、離脱を試みる《パーシモン》に特殊弾頭をお見舞いしていた。

 敵機に搭載された電磁結界は放射エネルギーを偏向、ないしは分散させる防御兵装だ。要はビームをねじ曲げるバリアである。

 ただしその干渉力も万能ではなかった。“スティンガー”から射出された徹甲炸裂焼夷弾には、敵の魔導結界に反応して爆発する機能が組み込まれている。結果、敵機は墓穴を掘るような形で爆風に煽られ受け続けていた。


『小癪な真似を! この程度の火力でこの《パーシモン》が落ちるとでも!』


 出足を止められ続けたモーディアは、とうとう機体を反転させるとアルカーシャ目掛けて一直線に突っ込んできた。

 その輝く装甲には焦げ跡一つ残っていない。元々、竜鱗装甲(スケイルアーマー)は熱に強いのだ。執拗な曳下(えいか)射撃にも堪えた様子はなかった。


「だったら!」


 アルカーシャは槍を振りかざすモーディアに、ランスチャージの構えで応じた。


 が、敵は突撃をかわすとすれ違いざまにランスを一閃させた。

 〝パーディタ〟の強みはその攻撃範囲だ。大気を伝う放電は、間合いの離れた標的に対しても効力を及ぼすことができる。


「ひぎっ! くぅ……!」


 雷光に打ち据えられ、アルカーシャはたまらず悲鳴を漏らした。

 痛みはない。電流が装甲の上を駆け巡っただけだ。しかし、空気の膨張による衝撃波のせいで、《レギナ・ヴェスパ》は釣り針にかかった魚のように速度を失ってしまった。


『他愛もないな、小娘! ……そこだ!』


 その間にインメルマンターンを敢行した敵機は、左腕甲に仕込まれた機関砲を乱射した。

 迫る光芒。避けようのない攻撃。アルカーシャは思わず息を呑んだ。

 しかし着弾の寸前、その射線上に一機の機甲竜騎士(ドラグーン)が立ちはだかった。颯爽と翻るマントには槍の紋章が刻まれていた。


『姫様!』

「ジュトー!?」


 機関砲の掃射をシールドで受け止めたジュトーは、お返しとばかりにガンランスをぶっ放した。

 だが、効果はない。敵の電磁結界は健在だ。機体を覆う不可視の障壁が、あらゆる攻撃を弾き返してしまう。


『姫様、一人で先走るのはおやめ下さい。ここは我らと協力を!』

「ん……そうだな。ごめん、ジュトー。助かったよ」


 アルカーシャは大人しく謝罪した。


 熱くなると周りが見えなくなるのは彼女の悪い癖だ。

 もっとも、アルカーシャは今日まで復讐を成し遂げるためだけに生きてきた。両親の仇を前に冷静でいろというのも無茶な話である。

 闘志は熱く、思考は冷たく。父ガルバリオンの教えを、彼女はもう一度胸に刻みつけた。


『ジュトー? マシスの息子ジュトーか。久しいな』


 一方、モーディアはやや距離をとって二人の様子を伺っていた。


『同盟に付いたとは聞いたが……ふん、相変わらず小娘の犬か。飽きぬ奴め。貴様や青槍のじじいはいつまで死んだ人間に忠誠を誓っているんだ?』

『あいにくだが我々は貴様ほど尻軽ではない。そうたやすく主を変えはしないのだ』

『生意気な口を! まったく正気を疑うな! 貴様もオリヴァンも何故、私を選ばない! 何故、そんな小娘に肩入れする!』

『笑止! 誰が主殺しの男に味方するかよ!』


 冷ややかな魔導砲の応射を受け、モーディアは舌打ちを漏らした。


『どいつもこいつも物分りの悪い! 貴様らとて既に聞き及んでいよう! この内戦、最初に火種を持ち込んだのは殿下の方なのだぞ!』

「……それは」


 アルカーシャは口ごもった。


 彼女は既に知っていた。

 ガルバリオンが現王家の打倒に向け、軍を整えていたことを。兄ウォルテリスの死と新王の戴冠が、父に軍事蜂起を決意させたことを。

 王国はあくまで、先手を打って動いただけに過ぎないのだ。


『道理を知らぬ愚か者どもめ。貴様らに私の気持ちが分かってたまるものかよ! 元々、私はあの方を――ガルバリオン殿下を心の底から敬愛していたのだ。何故だか分かるか!?』

「そんなの……父上が優秀な人だったからだろう」

『いいや、あの方が私と同じ末弟の生まれだったからだ! その上で逆境を物ともせずモンマス公の座まで上り詰めたからだ!』

「だったら、なんでだ! 何故、父上を裏切った!」

『決まっている! あの方が王家に槍を向けたからさ! 殿下は甥に屈服することを良しとせず、自ら玉座に就こうとした。私は失望したよ。私が憧れたあの男も、結局は功名心に駆られて動くような人間だったのかと!』

「違う! 父上はモグホースの専横を許せなかっただけだ!」

『はっ、理由などどうでもいいのだ! 恵まれた環境でぬくぬくと育てられた娘になにが分かる! 我らの無念、貴様ら如きに量られてたまるか!』


 モーディアは喝破するなり、雷火を散らす槍をアルカーシャに差し向けた。


 互いの相対距離は8000フィートほど。

 本来なら、〝パーディタ〟の放電が届くような間合いではない。

 が、アルカーシャは見た。二叉の槍の間に青白い光が凝縮されるのを。異様なプレッシャーに背筋がぞわりと粟立つ。


「ジュトー、あれは……!」

荷電粒子放射砲ガウス・キャノンです! 雷竜の息吹を球状に押し固めた《パーシモン》の切り札! 当たればただでは済みません!』

「要は当たらなければいいんだろ!」


 アルカーシャは機体を旋回降下させ、敵機の側面へ切り込もうとした。

 対するモーディアはお構いなしに腕を振り抜いた。輝く球電が一瞬で加速。投射される。


 ――ばうんっ!


 そして、次の瞬間にはアルカーシャの全身を衝撃が貫いていた。

 視界を覆う雷光。頭で理解するより先に、体の痛みで被弾したことを悟る。

 アルカーシャはパニックに陥りかけながらもハーネスを握り締めた。大丈夫。機体は動く。ただし、荷電粒子をもろに受け止めた左腕甲は、シールドごと吹き飛ばされてしまっていた。


「く……なんて威力!」


 すぐさま機体を立て直そうとするも、ハーネスの反応が鈍い。

 駆動系に異常あり。放電によって人造筋肉繊維(ファイバーサルコメア)の一部が麻痺してしまったらしい。最悪だ。


『姫様!』


 ふいに響く、切羽詰まった男の声。

 アルカーシャははっと頭上を仰いだ。いつの間にか、敵機がすぐ間近まで迫ってきている。

 《パーシモン》はウィングに刻まれた犬歯ドッグトゥースで大気を食い破りながら急降下した。シールド内に仕込まれた機関砲が火を噴き、飛行姿勢を崩した《レギナ・ヴェスパ》目掛けて光弾がばら撒かれる。


 そこに再びジュトーの駆る《ワイバーン》が割り込んだ。


『ぐぬっ……!』


 機関砲の猛打を食らい、ジュトー機はぐらりと姿勢を崩す。

 アルカーシャは臍を噛んだ。これでは先ほどと全く同じ展開だ。


「くっ……ジュトー、また私を庇って……」

『はっはっは、小娘のお守りは大変よなぁ!』


 哄笑を上げながら、モーディアは背面飛行から下方反転(スプリットS)を敢行。

 再び二叉の槍に電光をチャージし始める。機動力を削がれたアルカーシャたちに砲撃から逃れる術はない。


(こんな時、父さんなら――)


 思わず、自身の中に残る面影に縋りかけてしまう。


 が、よくよく考えれば彼女は父が苦戦するところなど見たことがなかった。

 モンマス公ガルバリオンは優れた空戦の技術と、王族専用機たる《ヘングロイン》の性能によって、常に敵を圧倒し続けてきた。

 それでは駄目だ。今のアルカーシャに必要なのは逆境を打破する力。知恵を凝らし、強者を打倒するための力だ。


 ――ならば、むしろ己が学ぶべきは。


 少女は脳裏に一人の男の姿を思い浮かべた。


『姫!』


 瞬間、敵機のランスから放たれた雷球がジュトー機を打ち据える。

 例によってアルカーシャの盾となった形だ。炸裂した稲妻が、既に穴だらけとなっていたシールドを腕甲ごと蒸発させた。


「ジュトー、無事か!?」

『む、無論ですとも。しかし、まずいですぞ。このままでは我ら諸共に討ち滅ぼされてしまいます。ここは吾輩が囮となって――』

「待った」


 アルカーシャはヘルムの側面に手を当て、秘匿回線に切り替えた。


「囮役は私がする」

『姫様!?』

「奴も私が囮になるとは思わないだろ。お前はその隙に側面からチャージを仕掛けてくれ」

『む、無茶です! なにより、姫様の身を危険に晒すような真似は――』

「私の身を案じてくれるのはありがたいよ。だが、ジュトー。お前の主は誰だ?」


 ふいに尋ねられ、ジュトーは言葉に詰まった。


 もしこれがガルバリオンの命であったのなら、彼は一も二もなく頷いただろう。

 共に戦場を駆け抜けた二人の間にはそれだけの信頼感がある。一方、アルカーシャは父の跡を継いでからまだたったの一年。十八の小娘が獅子と呼ばれた英雄に及ぶべくもない。

 だが、アルカーシャはもう空戦の素人ではなかった。彼女はブリストル海峡とペンドラコンウッドにおける二度の決戦を経て、十機以上の機甲竜騎士(ドラグーン)を撃墜しているエースパイロットなのだ。


 ――なにより。


 アルカーシャは幼馴染であるアウロの戦いっぷりを、その僚機という立場から間近で見ている。それは父と違う強さを知っているということだ。


「行くぞ、モーディア。私が相手だ!」

『っ……姫様!』


 アルカーシャは悲鳴じみた声を上げるジュトーを無視し、アフターバーナーを噴かせながら敵機との間合いを詰めた。


 モーディアはすぐさま機関砲の掃射で応じた。

 あくまで有効射程圏外からの牽制だ。本命はやはり右腕甲の迅雷槍である。


(一度見た技だ。二度目は避けられるはず……!)


 アルカーシャは〝パーディタ〟の穂先に集中する雷光を睨みつけた。

 あの荷電粒子放射砲ガウス・キャノンは予備動作があるから、発射のタイミング自体は読みやすい。

 問題はその弾速だ。骸装機(カーケス)の収束砲は、マズルフラッシュを確認してから防御機動を取れば躱せる。が、あの電球はコンマ数秒の速度でこちらに着弾していた。見てから動いたのでは遅い。


『出てきたのは小娘の方か! お前に私の相手が務まるとでも!』


 通信機越しに膨れ上がる殺意。

 直後、アルカーシャは己の勘に従ってラダーペダルを踏み込んだ。バンクする機体。遅れて、紫電を纏った砲火が左ウィングのすぐ脇を駆け抜ける。

 回避成功。しかし、喜んでいる暇はない。アルカーシャはすぐさま機体を立て直し、ガンランスを正面に構えた。


『避けたか! だが、その程度のスピードで!』


 相手はチャージに応じてこない。距離を開けたまま、すれ違って突撃をやり過ごそうとしている。

 単純な機動力の勝負では、さしもの《レギナ・ヴェスパ》も敵機に追いつけなかった。

 横合いから回り込んだ《パーシモン》はすぐさま急旋回し、こちらの後背を占位しようとする。

 空戦の定石。お手本のような動きだ。そして、それ故に読みやすい。


(よし……乗ってきた!)


 アルカーシャは敵を振り切ることなく、あえて自らの真後ろに誘い込んだ。

 レーダーを確認する。攻防どちらにも優れた魔導兵装を有し、速力にも秀でた《パーシモン》を仕留めるにはこのやり方しかない。


 アルカーシャは歯を食いしばり、小刻みに旋回を繰り返した。追撃を振り切るための防御機動シザーズだ。

 本来、敵に後ろを取られるのは機甲竜騎士(ドラグーン)にとって圧倒的に不利な状態である。しかし、敵機が優速の場合は話が別だ。

 追手がスピードを出し過ぎれば当然、追われている側の目の前に飛び出(オーバーシュート)してしまう。そうなれば趨勢は逆転だ。だから、骸装機(カーケス)であろうと多少は足を緩めざるを得ない。


 そして、もう一つ。


『こいつ、ちょこまかと……!』


 機関砲から光弾をばら撒くモーディアは、未だこちらの背を捉えることができなかった。

 火力、装甲、機動力。あらゆる面で量産機を凌駕している骸装機(カーケス)だが、唯一、運動性――つまりは旋回性能だけは並みの機竜と変わらない。

 力でただ敵を圧倒するのではなく、敵の弱点を突き、自らの機体特性を活かす。これはアルカーシャがアウロから学んだ戦いの駆け引きだ。


 それでも、幾度となく旋回を繰り返していると体が痛みで真っ二つに引き裂かれそうになる。

 女の身ではなおさらだ。どんなに鍛えたところで、彼女の肉体は成人男性のそれより遥かに脆い。

 それでも、目的としていた座標付近まではどうにか辿り着いた。あと一息だ。平面位置表示器インディケーターにはくっきりと三つの光点が――


「……え」


 そこでアルカーシャは声を失った。


 ふいにレーダーに映る光点が三つまとめて消失した。

 それはつまり、《ブリリアント》とのデータリンクが途絶えたということでもある。

 恐らく、クリスティアの身に何かあったのだ。だが、今は彼女の安否を慮る余裕はない。

 足の遅い量産機で囮攻撃を成功させるためには、正確な敵機の位置情報が必要不可欠だ。レーダーがなければこの作戦の成功率はがくんと下がる。


(く、今から仕切り直す余裕はない!)


 アルカーシャはやむなくヘルムの側面に手を当てた。


「ジュトー、頼む!」

了解ラジャー!』


 次の瞬間、雲の狭間から黒い影が飛び出す。

 前面に槍を構えたジュトーは、アフターバーナーを噴かせながら敵機の横っ腹めがけて突撃を仕掛けた。

 『ブラッディ・クロス』――一機の機甲竜騎士(ドラグーン)が囮となっている隙に、その僚機が敵の側面からランスチャージを仕掛ける連携戦術だ。


『な……小娘は囮か!?』


 寸前で気付いたモーディアだが、その時にはもうジュトーの槍が彼の胸元まで迫っていた。


 通信機越しに響く、鐘をぶっ叩いたかのような金属音。

 振り返ったアルカーシャは二機の機竜が交錯し、灰色の破片が弾け飛ぶのを見た。

 大きく姿勢を崩したのはモーディアだ。その右ウィングは先端の三分の一近くが消失している。

 だが、ジュトーの突き出した槍はモーディア本人に届いていなかった。僅かに狙いが逸れ、広い主翼に当たってしまったらしい。


『く、浅いか――!』


 ジュトーは悔しそうに呟くと、反転して再度敵機に突撃を試みた。


 自身の失点を取り返そうとしたのだろう。ただ、その判断は少々軽率だった。

 瞬時に飛行姿勢を取り戻したモーディアは、迫るジュトー機目掛けて迅雷槍〝パーディタ〟を一閃させた。

 たちまち、青白い発光体が《ワイバーン》を打ち据える。散乱する電光。空に咲く紅蓮の華。爆発に包まれる僚機を前に、アルカーシャは「ジュトー!」と悲鳴を上げた。


『はっ、相変わらずの猪武者だな! 馬鹿にはお似合いの死に方――』

『馬鹿は貴様よ、モーディア!』


 刹那、爆風の中から鈍色の機竜が飛び出した。

 雷球の直撃を受けたジュトー機はひどい有様だった。ヘッドが潰れ、テールが千切れ、両のウィングもひしゃげている。おまけに、その右腕甲はガンランスごと根元からもぎ取られている。

 あれではまともに戦うどころか、空を飛ぶことさえ覚束ないはずだ。にも関わらず、ジュトーはエンジンを振り絞って《パーシモン》へと突っ込んだ。


『特攻する気か!? この死に損ないが!』


 対するモーディアは罵声と共に機関砲をぶっ放した。


 瞬く間に、光の弾雨がジュトーの駆る《ワイバーン》を襲う。

 着弾の度に剥がれ落ちる装甲。砲弾の一部は明らかに搭乗者の体を貫いていた。

 それでもジュトーは怯まなかった。赤槍の騎士は獣のような雄叫びを上げ、乗機を頭から怨敵の跨る《パーシモン》へと突っ込ませた。


 ――一般的な機甲竜(アームドドラゴン)の重量は約3000ポンド。


 これが100ノット以上の速度で突っ込んだのだ。

 派手な衝突音と共に、敵機は文字通り横転した。左ガントレットをもぎ取られ、ウィングを歪まされ、無様に失速降下する。

 ただし、ぶつかった側も無事では済まない。既に虫の息だったジュトーの《ワイバーン》は、衝突時の反動によって限界を迎えた。ウィングがむしられるように脱落し、機体そのものが前後真っ二つに引き裂かれる。


「ジュトー!」

『……姫様。いえ、アルカーシャ様。最後までお仕えすること叶わず、申し訳――』


 絞り出すような男の声。


 それを最後に、半壊した機竜は爆光に包まれた。

 あらゆる望みを消し去るかのような鮮烈な華炎。

 忠臣の死にアルカーシャの思考は白く塗りつぶされた。

 だが、感情とは別のなにかが彼女にハーネスを引き絞らせた。

 モーディアはまだ生きている。一時的に無力化されただけだ。機竜乗り(ドラグナー)の本能が敵にトドメを刺せと訴えている。


「く……そぉぉぉっ!」


 アルカーシャは感傷を雄叫びで塗り潰し、敵機へと突っ込んだ。


 ランスチャージ。狙いは敵の最も脆弱な部位だ。

 迫る機影に気付いたモーディアは、無茶な体勢から迅雷槍を薙ぎ払った。

 電光が《レギナ・ヴェスパ》ともども彼女の身を打ち据える。だが、アルカーシャはもはや痛みなど感じていなかった。

 奇妙な気分だ。体は熱い興奮に包まれているというのに、心は氷のように冷え切っている。おかげで視界はクリアだ。敵の姿がはっきり見える。


「こ、れでぇぇぇぇっ!」

『舐めるな! 貴様らのような軟弱者に……!』


 やがて、二機の機甲竜騎士(ドラグーン)はゼロ距離ですれ違った。

 敵機の姿が後方へと消える。その瞬間、アルカーシャはがくりと全身が重くなるのを感じた。

 極度の緊張が途切れたのだ。霞みそうになる眼で右腕甲を見る。ガンランスに装着されたスパイクが根本から消え失せていた。チャージ時の衝撃で折れてしまったらしい。


(けど、手応えはあった)


 アルカーシャは首を巡らし、自らの戦果を確認した。


 モーディアを乗せた《パーシモン》は、しばらくふらふらと空を飛んでいた。

 が、ふいにその鞍上に跨るアーマーが上体を折り曲げ、節くれだった指先で胸甲をかきむしる。

 胸の真ん中に突き立った鋭く、細長い棒――折れたランスの切っ先を掴もうとするかのように。


『ぐ……う……』


 心臓を貫かれたモーディアは、血反吐混じりの呻きをこぼした。


『こ……この私が、よもやお前のような小娘に遅れをとるとは……』


 憎悪と無念が滲み出た、断末魔の声。

 だが直後、男はどこか吹っ切れたかのような笑みをこぼした。


『やはり、おなごであろうと獅子の子は獅子か。……お見事だ、姫よ』


 それは自らの姪に向けた手放しの称賛だった。

 モーディアはぐらりと姿勢を崩すと、乗機である《パーシモン》ごと真っ逆さまになって墜落しだ。

 撃墜確認。アルカーシャは震える手を二、三度開閉すると、シートの背もたれに体を預け、深々と息をついた。


「やった……やったよ、父さん。母さん……」


 ここ一年、ずっと両親の無念を晴らすことだけを考えてきた。

 その夢が叶った。とうとう仇討ちを成し遂げたのだ。

 本来なら喜び、快哉を叫ぶべき場面だろう。


 けれど、彼女の中に感慨らしきものはなかった。

 胸中を占めるのは昔馴染みの臣下を失った喪失感だけだ。

 アルカーシャはぼんやりと空を見上げたまま、呟いた。


「ジュトー、謝るくらいなら最初から死ぬなよ」


 ふいに視界が滲み、涙がこぼれそうになる。

 アルカーシャは目元を拭おうとした。が、顔面を覆うヘルムに手を阻まれる。

 それどころか勢い余ってディスプレイに額をぶつけてしまい、少女は悶絶した。


「く……そ、そうだ! クリスは!」


 空戦中に途絶えたデータリンクは未だ復旧していない。

 《ブリリアント》の、ひいてはクリスティアの身に何かあったのだ。


 しかし、今の《レギナ・ヴェスパ》は度重なる被弾によって飛んでいるのがやっとという状態である。

 これでは空戦に参加したところで足手まといになるだけだろう。そもそも、既に戦闘が終了していてもおかしくないのだ。


(クリス……!)


 少女は遠く離れた空から、親友の無事を祈ることしか出来なかった。


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