4-30
同盟軍の諸侯に油断があったかといえば、それは否だ。
盟主ルシウス及び陸攻型機竜の護衛任務についていた各機は、第三、第四中隊が敵編隊との交戦に入った後も警戒を怠らなかった。
そもそも、彼らが受けた攻撃は奇襲であって奇襲ではない。
彼らは最初から本隊に迫る敵影に気付いていた。ランドルフ家の骸装機、《ブリリアント》が有するレーザー測量システム、〝クリスタルゲイザー〟のおかげだ。
とはいえ、敵の数はたったの四機。対する同盟側は第一、第二中隊合わせて三十二機の機甲竜騎士を擁している。内、八機は空戦能力の低い陸攻型機竜だが、一個小隊に負けるような戦力ではない。
――もっとも、それは相手が量産機だった場合の話だ。
「くっそ、あの野郎……!」
ジェラードは苛立たしげに拳をシートの縁へと叩きつけた。
その間にも、レーダーに映る光点がまた一つ消え去る。
同時に通信機から響く氷塊の砕ける異様な音。断末魔の叫び。死の静謐。
先程から同じ展開だ。ジェラードら第二中隊は2マイルほど先の敵から執拗な狙撃を受け続けていた。
正体は分からない。恐らく敵の魔導兵装だろう。他に氷塊を矢に変えて飛ばすような技術をジェラードは知らない。
(だが、よりにもよって【氷竜伯】の爺さんとは!)
アルヴォン辺境伯、ルウェリン・グウィネズ・アプ・グウィン。
百年近くもの間、王国北部の雪山地帯に根付いている貴族の名前だ。
一応、王国の枠組みに組み込まれてはいるものの、中央の式典には顔を見せないし、他の貴族と慣れ合うこともしない。
それで不満が出ないのは我儘を押し通せるだけの実力があるからだ。辺境伯である彼の軍事力は四侯爵のそれと同等。特に伯個人の武力はあのドラク・ガーグラーに匹敵するという噂だった。
『ジェラード! ジェラード、無事か!』
ふいに、ルシウスの呼びかけがヘルム内に満ちる。
ジェラードは「俺はな」と苦渋に満ちた声で答えた。
「ただ、隊の連中が一方的に撃ち落とされてる。まずいぜ、殿下。奴はこちらの射程圏外から直援隊を削り切るつもりだ。しかも、アウロの見立てによるとあの集団には薔薇の殿下までいるらしい」
『通信は聞いてたよ。こうしてお喋りをしてる時間も惜しい。……ジェラード』
「いいのか? 連中の目的は俺ら第二中隊を引き剥がすことだぜ?」
『構わない。彼らが、ナーシア兄さんが僕の命を狙いに来るっていうのなら、受けて立とうじゃないか』
「分かった。すぐにアウロの奴も来るはずだ。それまでどうにか耐えてくれ」
ジェラードは両手で握り直したハーネスを、ぴしゃりと鞍上に打ち付けた。
アフターバーナー最大。自機のスピードが跳ね上がる。全身に襲いかかる加重に筋肉を硬直させながら、ジェラードはすっと息を吸い込んだ。
「第二中隊各機へ通達! 我々は第一中隊の直掩を外れ、敵別働隊の撃滅任務に当たる! 今まで好き放題してくれた礼を、存分に果たしてやれ!」
『了解!』
怒りに燃える僚機を引き連れながら、鋼の機竜は加速する。
瞬間、雲海の向こうで光が瞬いた。
敵の攻撃。ジェラードは半ば反射的に盾を構えた。
視界が塞がれ、遅れて衝撃がアーマーを揺るがせる。しかし、竜鱗を張った盾はびくともしなかった。
「直撃か! だが、効かないな! こいつの硬さを舐めて貰っちゃ困る!」
ジェラードの乗機はブランドル家の骸装機、《ブリガディア》。
無骨な大剣のようなフォルムと肉厚のウィング、刺々しいテールを備えた、格闘特化型の機竜である。骸装機としては機動力が低いものの、その装甲強度は正に空飛ぶ城塞だ。
しかし、氷弾を通じないのを見て取ったのか。敵はあっさりジェラードの随伴機を狙う方針に切り替えた。
再び氷の砕ける音が響き、狙撃を避け損なった騎士が悲鳴を上げて地に落ちる。
たまらず、ジェラードは臓腑が煮え立つのを感じた。遠距離から一方的に敵を嬲り殺す。これではただのハンティングゲームだ。
「各機、足を止めるな! 直線運動を続ければ狙い撃ちにされる! 既に格闘戦に突入してると思え!」
『了解!』
すぐさま回避機動――ローリングシザーズに移る中隊各機。
が、相手は全くお構いなしに直撃弾を量産していた。
恐ろしく目がいい。それに勘もだ。こちらの動きを完璧に読みきっている。
(くそっ。冷淡なタイプだがアウロともまた違う。あの野郎、脳味噌まで凍りついてんのか!)
ジェラードが手をこまねいている間に、更に三機の機甲竜騎士が撃墜され、十二機編成の中隊は六機に半減した。
あまりにも手痛い損失だ。それでも、仲間の死を代償に第二中隊各機は敵別働隊との距離を詰め切った。
が、そこで四機の別働隊は更に二機ずつ二手に別れた。
一方は真っ直ぐジェラードたちに向かってくる。そして、もう一方はルシウス率いる本隊目掛けてぐんぐん加速を始めた。
『若、奴らは直接ルシウス殿下を狙うつもりのようです』
「連中の思い通りにやらせるのは癪だが……。ここは殿下とアウロを信じる」
『では、我らの仕事は一つですな』
「ああ、これ以上じじいの的当てゲームには付き合えん」
吐き捨てるように言って、ジェラードは右腕甲のガンブレイドを構えた。
鋼竜の牙を等間隔に並べたローラーチェーンが稼働する。
唸りを上げる鎖鋸。更にジェラードはシールドに内蔵された機関砲を、ディスプレイを横切った敵影へと叩きつけた。
挨拶代わりの牽制射だ。一組の敵機は揃って右方向へ旋回した。僅かな隙と共に敵がその姿を晒し――そこでジェラードは思わず目を疑った。
「なん……だ、あの武器は!?」
先頭を駆ける白銀の機竜。
その背に跨ったアーマーは左腕甲に巨大な複合弓を抱えていた。
異常な装備だ。本来、騎士甲冑用の射撃武器としては、遠近に取り回しの利きやすいガンランスが一般的である。片手で撃てる弩弓ならまだしも、両腕の塞がる長弓はあまりにも外道だった。
「おいおい、アルヴォンの男は洒落てんなぁ。あんなもので六機の機甲竜騎士をぶっ潰したっていうのか」
『若、魔導兵装に常識を求めるのは間違いですよ。今は奴を叩く方が先です』
「分かってる。ふた手に分かれて連中を追い込むぞ。ブレイド、敵の頭を塞げ」
『了解』
数が減ったとはいえ現状は六対二。おまけに【氷竜伯】の乗機はどう見ても遠距離戦特化型の機竜だ。ここまで近付いてしまえば、こちらの側に分がある。
デルタ編隊を組んだジェラードは僚機と共に敵を追い込み始めた。
一方の隊が敵機の鼻先に回りこみ、もう一方がその背に縋りつく。
前後からの挟み撃ちを受けた敵分隊は、互いの軌道を交差させながら進路を転換した。クロスターン。死中に活を求めるかの如く、追撃をかけていたジェラードに正面から立ち向かってくる。
「この《ブリガディア》とやり合う気か! 上等!」
ジェラードは自機のエンジンノズルから茜色の排気炎を噴かせた。
突撃に応じたのは、【氷竜伯】の乗機ではなくその随伴機である。
アフターバーナーを全開。右腕甲にはガンランス。既に鋭い穂先はジェラードの喉元にぴたりと向けられている。
ランスチャージの構えだ。重装甲の《ブリガディア》に対し有効打を与えるためには、他に方法がないと判断したのだろう。素晴らしい。ジェラードは内心で喝采を送った。呆れるほどに間違った考えだ。
「ブレスポッド解放! スロットル全開! 燃え唸れ、〝ライトキャバリー〟!」
ジェラードは右腕甲に携えたチェーンソーを高々と振りかぶった。
その雄叫びに応え、鎖鋸の根本からオレンジ色の炎が吹き上がる。
《ブリガディア》の主兵装、〝ライトキャバリー〟。内部に炎嚢を組み込んだ魔導兵装だ。エンジンの唸り声とともに、炎を纏った回転刃がおびただしい量の火の粉を撒き散らす。
直後、両機は真っ向から衝突した。鈍色の槍穂と燃える鎖鋸がぶつかり、やがて、一方が打ち負かされる。
――いや。
実際のところ、敵機の構えたランスは打ち合うことさえ出来なかった。
〝ライトキャバリー〟の赤熱刃は迫る切っ先を一瞬で蒸発させると、アダマント合金製の槍をシロップの如く溶解させ、それを握る腕甲までも貪欲に飲み干してしまった。
やがてチェーンソーが振り抜かれた後、敵機の鞍上には半壊したアーマーだけが取り残された。搭乗者は即死だった。浸透した熱波によって蒸し焼きにされてしまったのだ。
「よし、これでまずは一機――」
呟きかけたジェラードだが、そこで再び例の氷砕音が響く。
撃墜されたのは彼の後方に位置する《ワイバーン》だった。
白銀の骸装機はジェラードが雑兵に気を取られている隙に、その僚機を狙い撃ちしたのだ。
ジェラードは舌打ち一つこぼすと、首を巡らして敵機の姿を探した。敵の隠密性は低い。白銀の装甲が鏡のように陽光を反射している。【氷竜伯】は弓を構えたまま、急旋回して《ブリガディア》の後方に回り込もうとしていた。
「こいつ!」
すぐさま手綱を捌き、格闘戦に応じるジェラード。
二機の機竜は螺旋状の円運動を繰り返しながら、互いの尾を食い合った。
慌てて残る四機も隊長機の後を追ったが、骸装機の機動力に追いつけない。ぐんぐん高度を下げる機影に置いてけぼりを食らってしまう。
『若、速過ぎます! 我らの足では――!』
「構わん! みすみす僚機が落ちるのを見ていられるか! 俺が追い込む! お前たちは奴の頭を塞げ!」
ジェラードは叫び返しながら、機関砲を乱射した。
光弾が敵機の尾翼をかすめる。敵は急旋回しながら右腕甲を鞍の脇にやった。
白銀の骸装機の側面には箙が吊り下げられていた。中に収まっているのは金属製らしきシャフトだ。【氷竜伯】はその内の一本を引き抜き、左腕甲に握った長弓へと番えた。
(あいつ、何を……)
シャフトの長さは10フィート前後。
人の背丈の二倍近い長さを有するそれは、矢というよりもはや鉄の棒である。
ただ、機甲竜は鉄棒を食らって落ちるほどやわではない。それに原始的な狩猟具を魔導兵装とは呼ばない。
ジェラードは旋回による重圧の中で見た。
敵が弓を引き絞った途端、番えられた矢の周囲で蒸気が凝結するのを。
雪の粒は氷塊となってシャフトに絡みつき、更には捻りを加えることで螺旋状の鏃を作り出す。
氷竜の骸を用いた魔導兵装。恐らくはガントレットの内部に仕込まれた炎嚢の力だ。第二中隊の機甲竜騎士を片っ端から叩き落としたのは、あの即席氷細工で間違いない。
――ガンッ!
鈍い音と共にリムがたわみ、氷弾が放たれる。
スパイラル回転した矢は、上空の乱気流を物ともせず突き抜けた。それも旋回の先を狙った偏差射撃だ。
ジェラードは慌てて盾を構えた。途端、ハンマーで殴りつけられたかのような衝撃が全身を襲い、バランスを崩した《ブリガディア》は失速降下してしまう。
「く、舐めやがって! 氷の塊をぶつけられたくらいで!」
すぐさま飛行姿勢を整えるジェラード。
その間、敵機は旋回を取りやめ悠々と矢を番え直していた。
狙いは《ブリガディア》ではない。氷の鏃はジェラードの元へ急行しつつあった《ワイバーン》の一群に向けられていた。
待て。ジェラードは心の中で叫んだ。お前の相手は俺だろう、と。
しかし、【氷竜伯】はためらいなく矢を放った。絶望的な破砕音。通信機越しに響く悲鳴。消えるシグナル。
白銀の骸装機は更に箙からシャフトを引き抜く。製氷。狙撃。破砕音。悲鳴。シグナルロスト。
「お前っ……!」
ジェラードは激昂した。
並々ならぬ自制心を持つ彼だが、この暴挙には我慢ならなかった。
理屈は分かる。敵の弱いところを狙うのは戦の常道だ。
しかし、十数年来の戦友を撃ち落とされて冷静でいられるほど、ジェラードは若くもなければ達観してもいなかった。
肩を怒らせ、力任せにハーネスを打つ。アフターバーナー全開。
茜色の排気炎を吐き出した《ブリガディア》は、三度目の狙撃を敢行しつつあった敵機に真下から食らいついた。
白銀の骸装機はすぐさま矢の狙いを変えた。間髪入れずに放たれた氷弾が、迫る《ブリガディア》を迎撃する。
ジェラードはそれをシールドで斜め後方へと受け流した。
衝撃に肩が痺れたものの、これならばスピードのロスは少ない。
一方、敵は射撃の勢いを活かして下方宙返りし、百八十度反転しようとしていた。だが、こちらが直撃弾を受けて足踏みするものと考えていたのだろう。僅かに反転のタイミングが遅い。
「逃がすか!」
ジェラードはすぐさま敵の後を追った。
旋回。次いで、上空でロール。上下反転した視界の中、銀の装甲をディスプレイに捉える。大地を見下ろす太陽の視点。
敵は2000フィートほど下方を這いずり回っていた。再び弾芯を引き抜き、氷の矢を生み出そうとしている。
――そうはさせない。
ジェラードは下方旋回を交えながら、一気に敵との距離を詰めた。
バレルロール・アタック。上方から急降下し、直接〝ライトキャバリー〟を叩き込む狙いだ。
頭上で唸るチェーンソーに気付いたのか。敵はそこで初めてアフターバーナーを使用した。蒼銀の炎を噴かせた骸装機は、急加速によって《ブリガディア》の突撃をかわす。
しかし、そのせいで敵機はジェラードの眼前に飛び出してしまった。
すぐさま防御軌道に移る敵機。ジェラードは小刻みにハーネスを捌き、旋回を繰り返す敵機を追尾した。
「往生際が悪いぜ、爺さん!」
既に《ブリガディア》は敵の追尾可能領域に潜り込んでいる。
目の前ではためく外套には、氷竜伯の紋章が刻まれていた。ジェラードはその青白い竜を象った紋章めがけて機関砲をぶっ放した。
ぱっぱっと弾ける閃光。収束砲ほどの威力はないとはいえ、至近距離での直撃弾に白銀の骸装機はたまらず姿勢を崩した。
敵機失速。会敵以来、最大の好機だ。
ジェラードは機竜乗りの本能に従い、ぴしゃりとハーネスを打った。
――瞬間。
ディスプレイ一面が星屑のような煌めきに満たされた。
光の弾丸。尾部に配置された魔導砲による迎撃か。
いや、違う。これは氷。水蒸気を結晶化させたダイヤモンドダスト――
「ぐっ……!」
直後、敵機の後方にばらまかれた氷片群がジェラードに襲いかかった。
敵の魔導兵装である。原理は氷弾とほぼ同じ。氷竜の息吹によって、金属片を拳大の氷塊へと変えているのだ。
とはいえ、《ブリガディア》は鋼竜の骸装機。氷の粒くらいで参るような造りはしていない。
問題は搭乗者の方だった。盾を構え損なったジェラードはまともに細氷を浴び、その内の一片はよりにもよってアーマーの頭部に直撃していた。
脳を振盪させる衝撃。クモの巣状にひび割れるバイザー。青年の視界がふっと暗闇に包まれる。
『若! 若、いけません! お逃げ下さい!』
「っ……!」
副官の叫びを受け、ジェラードは意識を取り戻した。
前後不覚に陥っていたのはほんの数秒だけだ。
が、その間に敵は《ブリガディア》の後方を陥れていた。
その右腕甲には金属板を張り合わせた複合弓が握られ、左腕甲には弾芯たるシャフトが摘まれている。
『いい腕だな、ブランドル家の侯子。覚悟と度胸もある。だが――』
通信機から響くのは、年齢を感じさせない凍てついた声だ。
【氷竜伯】は弓を引き絞った。成形される氷弾。重装甲の《ブリガディア》もその背面はがら空きである。
『あまりにも幼い』
バチン。弦が弾かれ、凍結した矢が放たれる。
ジェラードは咄嗟に横方向へのローリングでそれをかわした。
しかし、所詮はその場しのぎの防御機動だ。続く二射目は直撃を食らい、左の腕甲をシールドごと吹き飛ばされてしまう。
他の多くの機甲竜騎士同様、《ブリガディア》は後方の敵を取り除くための手段を有していなかった。
援護を求めようにも僚機の位置は遠い。格闘戦のさなか、遥か彼方へ引き離されてしまっている。
(こいつ、たった一機で俺たちを手球に!)
氷竜伯のやり口は実に老猾だった。
第二中隊の列機を狙うことでジェラードを挑発し、わざと隙を見せた後は隠し持っていた魔導兵装で反撃を仕掛ける。
悪趣味な手法だ。が、その有効性は今の状況を振り返れば歴然である。ジェラードは為す術もなく唇を噛んだ。
「く……すまん、アウロ。ルシウス殿下を頼むぜ……!」
かくなる上は特攻覚悟で反転するしかあるまい。
ジェラードは萎えそうになる心に活を入れ、ハーネスを握り締めた。
対する氷竜伯は三度、箙から弾芯を引き抜いていた。
だが、そこで彼はふいに動きを静止させた。森に棲む獣が、狩人を前に耳をそばだてているかのような反応。
直後、白銀の骸装機は機体を急降下させ、《ブリガディア》の真後ろから退避した。遅れて、極細の熱線がその頭上を駆け抜ける。
友軍機の援護。それも収束砲によるものだ。驚きとともに首をひねったジェラードは、ひび割れたディスプレイに映る一粒の光を見た。
「あの光は……《ブリリアント》!? クリスか!?」
『ジェラード、無事!?』
アフターバーナーを噴かせながら駆けつけて来た《ブリリアント》は、砲身が焼けつかんばかりに収束砲を乱射する。
その姿を見て、ジェラードはさっと全身の血の気が引くのを感じた。
「馬鹿、どうして来た! ルシウス殿下は!?」
『アウロさんが間に合ったわ。私たちはジェラードの援護に回されたの!』
「なら、せめて前に出るな! お前の敵うような相手じゃない!」
『知ってるわよ! でも、あなたを見殺しにする訳にはいかないでしょ!』
クリスティアはぴしゃりと乗機に鞭を入れた。
虹の如く降り注ぐ閃光。その勢いに押されてか。氷竜伯は機体を急降下させる。
ようやく執拗な追撃から逃れたジェラードだが、息をついている暇はなかった。
旋回を交えながら上昇した敵機は、既に弓を引き絞りかけていたのだ。
狙いはジェラードではない。その僚機でもない。
氷の矢弾は空域に到着したばかりの《ブリリアント》に向けられていた。
「逃げろ、クリスティア!」
ジェラードは叫んだ。
それ以外、今の彼にできることはなかった。
『女だてらに戦場へ出てきたのは賞賛しよう。しかし……』
氷竜伯の口調はどこまでも冷淡だ。
そこには慈悲や憐情といったものは欠片も期待できなかった。彼は機械的に弓の狙いを定め、流れるような動きで矢を解き放った。
『身の程をわきまえるがいい、小娘』
がしゃん。響く破滅の音。
ジェラードは氷弾の直撃を受けた《ブリリアント》が、装甲の破片をまき散らしながら墜落するのをただ呆然と見送った。
現実感のない光景だった。まるで白昼夢を見ているような気分。目を開ければ、きっとそこにはいつもの空が――
『じぇら……ど……』
「――――っ!」
少女のかすれた末期の声が、ジェラードを否応なしに現実へと引き戻した。
遅れて、ディスプレイの端に映っていた平面位置表示器が消える。
《ブリリアント》の魔導兵装がその効果を失ってしまったのだ。だが、ジェラードの目にはそんな瑣末な変化など映っていなかった。
彼の双眸はただ一点。雲海を漂う銀の骸装機へと据えられていた。
不可逆の絶望に凍りついていた体が、一瞬で激情の炎に包まれる。
震える手指がハーネスを握り締め、やがて、ジェラードは慟哭にも似た叫びを上げた。
「氷竜伯……貴様ぁ!」
出力全開。限界までエンジンを絞り上げた《ブリガディア》は、炎の尾を引き伸ばしながら一瞬で敵機との距離を詰める。
白銀の骸装機は旋回でその動きに応じた。ただし追撃を振り切るのではなく、敢えてこちらに背を向けている。
敵の狙いは一目瞭然だ。しかし、ジェラードは手綱を緩めなかった。
何が来ようと知ったことではない。今はただ、あの怨敵を切り刻むことだけ考えればいい。
刹那、霰をはらんだ逆風がジェラードを襲った。
敵の魔導兵装。機体後部からばら撒かれた細氷が、機関銃の如き勢いで《ブリガディア》を殴りつける。ジェラードはすぐさま右腕甲のチェーンソーを稼働させ、燃える回転刃で頭部を庇った。
――ガガガガガガリッ!
ヘルム内に満ちる不快な合唱。
怯むことはない。所詮は氷の礫。鋼竜の骸装機である《ブリガディア》を押し留めるには力不足だ。
問題は搭乗者の方だった。防ぎきれなかった氷弾がアーマーにぶち当たる度、ジェラードは全身に痺れが走るのを感じた。逆巻く吹雪の中、痛みと衝撃に意識が遠のきそうになる。
「が……ぐ……!」
それでも、ジェラードは決して手綱から手を離さなかった。
奥歯を食いしばり、機体を加速させる。感情の原動機に『怒り』という名の燃料を注ぎ込む。
敵は、すぐ目の前だ。脚は《ブリガディア》の方が速い。あとほんの少しで手が届く。無残に撃ち落された、クリスティアの仇を――
『エレリ』
ふいに氷竜伯は何かの名を呼んだ。
次いで、ジェラードは見た。氷嵐の中、眼前の影がおもむろに弓を構えるのを。
更に氷竜伯はハーネスを引き寄せ、両かかとでペダルを踏み込み、機体を上方向にピッチさせた。
当然、鎌首をもたげるような形となった敵機は失速する。だが、白銀の骸装機はそこから更に百八十度、機体を上下反転させた。
空戦の定石を無視した異様な空戦機動。しかも敵は不安定な背面飛行姿勢から即座に矢を放った。狙い違わず、氷弾はジェラードの右腕甲からチェーンソーをもぎ取ってしまう。
「クルビット……!? そんな曲技飛行で!」
すぐさま、ジェラードは予備のブレードに手を伸ばした。
が、その前に敵は再び乗機を縦方向にピッチさせた。白銀の機竜は空中で一回転し、元通りの水平姿勢に戻る。
ただし、失速のためその位置は《ブリガディア》の後方まで下がっていた。高度こそ失っていないものの速力の低下は明白である。貴重な空戦エネルギーをゴミ箱に投げ捨てるかの如き所業だ。
しかし、実際に追い詰められているのは紛れもなくジェラードの方だった。
既に氷竜伯は彼の背後で矢を番え直し、氷の鏃を装填しつつある。
手慣れたやり口だった。その動きは幾度となく死線をくぐり抜けてきた老兵のものだ。そこには僅かな感情のさざ波すら感じられなかった。
(く、今の俺じゃあこいつには勝てない……!)
ジェラードは痛感した。
技術、力量、経験。あらゆる面で自分はこの男に圧倒されている。
それでも、ジェラードは黙って敗北を受け入れるつもりなどなかった。
鞍上で体をひねり、腰から抜き放ったブレードをそのまま背後の敵機目掛けて投擲する。無理やり引き伸ばされたワイヤーが数本、張力に負けて根本から吹き飛んだ。
対する氷竜伯も矢を放った。氷弾と鋼刃とが交差し、遅れて、両者の間で冷たい金属音が鳴り響いた。
――決着は、互いにとって極めて分かりやすい形でついた。
二つの機影が離れた後、ジェラードはがくりと全身から力が抜けるのを感じた。
その身を守るアーマーからは両の腕甲が失われていた。氷竜伯の矢は彼の命を奪い損なったものの、唯一残された反抗の手段を摘み取ってしまったのだ。
言いようのない無力感に打ちのめされながら、ジェラードは割れたディスプレイ越しに敵の姿を探した。
「奴は……」
戦闘力を失ったとはいえ、《ブリガディア》は健在だ。
にも関わらず、敵機はジェラードの息の根を止めようとはしなかった。
というよりも、できなかった。彼の投げつけた剣は狙い違わず、白銀のアーマーに直撃していた。
それは撃墜に繋がる致命傷にはほど遠かった。氷竜伯は刀身に胸ぐらを抉られる寸前、右のガントレットで急所を庇っていたのだ。
男は腕甲に突き刺さったブレードを一瞥し、幾度か機械じかけの手指を開閉させ、ふっとかすかな笑みをこぼした。
『製氷機が潰されたか。見事だ、ブランドル家の侯子』
通信機越しの声に浮かんでいるのは怒りではなく、歪んだ喜悦の色だった。
『若造と侮ったのは謝罪しよう。この《アイシングラス》に傷を負わせるとは、王国の貴族もまだまだ捨てたものではないな』
ほとんど独白に近い台詞を残し、氷竜伯は乗機を反転させた。
そして、白銀の機竜は一度も振り返ることなく全速力で空域を離脱した。
入れ替わりのようにジェラードの僚機と、クリスティアが引き連れてきたのであろう友軍機が到着するものの、時既に遅しだ。
『若、お怪我は!』
「ない」
ジェラードは震える指先を握り固め、思いきり風防へと叩きつけた。
みっともない八つ当たり。それでも、腹の中で渦巻く感情を消化することはできなかった。
自分は幼馴染を目の前で落とされ、怒りに我を忘れた挙句いいように翻弄され、結局、完膚無きまでに打ち負かされてしまったのだ。
体が内側から弾けそうなほどの屈辱も、刀折れ矢尽き果てた無力感も、ジェラードにとっては初めて味わうものだった。
「ちく……しょう……」
青年の口から溢れる嗚咽混じりの呻き。
それに答える者は誰もいなかった。




