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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
101/107

4-28

 出撃の日の早朝。アルカーシャは一人、塔の上へとやって来ていた。


 城塞都市であるグロスターには敵を見張るための望楼がいくつも存在する。

 彼女がいるのもそんな物見塔の一つだった。西側に位置するこの塔は、故郷であるモンマスにもっとも近い。どちらにしろ目で見える訳ではないので、結局は気分の問題なのだが。


(とうとうこの日が来た……)


 アルカーシャは一人、ぐっと拳を固めた。

 その手には母から贈られた銀のバレッタが握られている。

 今、彼女の紅色の髪は初夏の風を浴びてそよそよと揺れていた。以前、アウロの手でざっくり切り落とされた頭髪は、ここ一年で再び元の長さを取り戻していた。


 ――一年。一年だ。それだけの月日が経った。


 モンマスを追われてから一年。

 幾多の障害を乗り越え、彼女たちはとうとう故郷を取り戻すための戦いに挑もうとしていた。


「姫様、ここにいらっしゃっいましたか」


 ふいに背後から声をかけられ、アルカーシャは振り返った。


 物見塔の上に現れたのは赤ら顔の大男だ。

 ガーランド家の騎士、ジュトーである。出撃前とあって、アルカーシャと同じくインナースーツの上からジャケットを羽織っている。


「ジュトーか。どうしたんだ?」

「姫様を探しておりました。あと一時間ほど出撃ですから」

「そうか。ごめん。ちょっと風に当たりたい気分だったんだ」

「謝る必要はありません。なにしろ、これから始まるのは我々にとって敗北の許されぬ戦いです。我輩とて感傷に浸りたい気持ちはあります」


 ジュトーは目をすがめ、東の空から昇りつつある太陽を見つめた。


 ――四侯爵の一角、ガーランド家には双槍と呼ばれる二人の騎士がいる。


 【赤槍(バイセルゴッホ)】ジュトー・アプ・マシスと、【青槍(バイセルグラス)】オリヴァン・パーシアス。

 彼ら二人は陸と空、異なる戦場で多大な戦功を収めた武人だった。ガルバリオンからの信も厚く、兵を統率する指揮官としての役割をこなし続けてきた。


 だが、なんの因果か前線で鎬を削り続けていた二人より、総大将であったガルバリオンの方が先に死んでしまった。

 残されたのは年若いアルカーシャだけだ。結果、ガルバリオンの下についていた貴族の多くが彼女を見限り、裏切り者のモーディアへと走った。

 一方、アルカーシャの元に残った貴族も少なくなかった。ジュトーとオリヴァンはその筆頭格だ。むしろこの二人が真っ先に忠誠を誓ったからこそ、他の騎士たちも後に続いたのだと言える。


(今日、この日を迎えられたのは私だけの力じゃない。アウロやジュトー、オリヴァンや他のみんなが私を支え続けてくれたおかげだ)


 アルカーシャは自らの横に控えた男の顔を、ちらりと盗み見た。

 彼女にとってジュトーとオリヴァンは幼い頃から自分に――正確にはガーランド家に仕えてきた騎士だった。

 が、その心中についてあれこれ尋ねたことはない。彼らは今日まで主君と臣下という立場を崩さなかった。


「なぁ、ジュトー。今だから聞くけど、お前やオリヴァンはどうして私に付いてきてくれたんだ?」


 つい、そんな質問が口をついて出る。

 ジュトーは太い眉を寄せると、「そうですなぁ」とわざとらしく両腕を組んだ。


「我輩としては何故モーディアめに味方せねばならぬのか、逆にお尋ねしたい気分ですな」

「いや、だって向こうの方が軍備も兵力も上だったじゃないか。なにより私は故郷を追われた十八の小娘だぞ。こんな頼りない主君に忠義を尽くすなんて変だよ。それも命を賭けてまで」

「今更です。そもそも、姫様は忠義というものをどのようにお考えですか?」

「なんだか漠然とした質問だな」


 アルカーシャは紅色の毛先をくるくるしながら考え込んだ。


「うーん、忠義っていうのはやっぱりこう、誰かに尽くしたいって気持ちの表れなんじゃないのか? その対象が個人じゃなくて家そのものって場合もある。オリヴァンやジュトーは『ガーランド家』に忠誠を誓ってるんだろ?」

「槍の侯爵家が我らにとっての主家なのは事実です。しかし、それだけが理由ではありません」

「っていうと?」

「我輩は――いえ、我輩やオリヴァンを始めとする槍の騎士たちは、姫様が姫様だからこそ忠誠を誓っているのです」

「私が私だから?」

「そうです! 姫様が姫様であるが故に、姫様は我らの忠誠を得ているのです!」


 「ちょっとよく分からない」とアルカーシャは言った。


「ええと……つまり、お前やオリヴァンはガーランド家だけじゃなくて、私自身にも忠誠を誓ってくれてるってことかな」

「はい。気に入らん主に仕えるほど我輩は辛抱強くありません。姫様には姫様の魅力がおありです。そもそも、我輩には姫様の力がモーディアめに劣っているとは思えんのです」

「それはいくらなんでも買いかぶり過ぎだよ。モーディアは父上と共にいくつもの戦場を駆け抜けた戦士だ。歳だって三十近く離れてる」

「その通りです。しかし、姫様。現状を振り返ってご覧なさい。追い詰めているのはどちらで、追い詰められているのはどちらなのか。考えるまでもなく一目瞭然でしょう」

「……勝ってるのは同盟軍で負けてるのは王国軍だ。私の力じゃない」


 アルカーシャは物憂げな表情のまま呟いた。


 彼女は自分自身の力を正確に把握しているつもりだった。

 機竜乗り(ドラグナー)としての腕前はアウロやジュトーに遠く及ばない。無論、兵法や軍略に明るい訳でもない。

 所詮はルシウスと同じ、名目上だけの旗頭だ。偉大な父の威光と、その臣下に頼り切りの小娘――


「姫様」


 そこでふいにジュトーは硬い声で告げた。


「臣下として諫言いたします。父君を、ガルバリオン公を必要以上に尊崇するのはおやめなさい」

「それは――」

「死者と戦って勝つことなど永遠にできません。ましてや姿なき亡霊に囚われ、復讐のみに生きるなど愚の骨頂。仇討ちを否定するつもりはありませんが、それだけに身命を捧げるのは間違いです」

「ジュトー、お前がそれを言うのか?」


 アルカーシャはつい刺のある言い方をしてしまった。


 彼女は今まで、ジュトーやオリヴァンたちが自分の選択を認めてくれているのだと思っていた。

 モンマスを奪還し、両親の仇を討つ。その目的は今のアルカーシャにとって生きる全てといっても過言ではない。


「私だって今の自分が歪んでるってことくらいは理解してる。けど、仕方ないだろう。私は同じ日に両親を失った――いや、殺されたんだ。その絶望を忘れることなんてできない」

「人の死を忘れろとは言いませぬ。それは胸に刻みつけておくべき事柄です」


 「しかし」とジュトーは語気を強め、


「姫様、あなたはもう『復讐』という支えなど必要としていないはずです。姫様のお傍にはアウロ殿やクリスティア嬢、ルシウス殿下やブランドル家の侯子といった戦友が数多くおられます。無論、我輩やオリヴァン翁を始めとするガーランド家の臣もおります」

「それは……うん。そうだけど……」


 アルカーシャはつい口ごもってしまった。


 彼女だって本当は分かっているのだ。

 確かに、両親を失った直後の自分は本当に余裕がなかった。復讐という目的に縋らなければ、心がバラバラになってしまうほどだった。

 だが、あの惨劇から一年が経ち、彼女の内面にも変化が訪れている。友と一緒に卓を囲んでいれば自然と笑いがこぼれるし、以前のように悪夢を見て飛び起きることもほとんどなくなっていた。


「ジュトーの忠告はありがたいよ。でも……」

「我輩も急に生き方を変えろとは言いませぬ。ですが今回の作戦でモンマスを取り返し、モーディアめを討ち果たしたのならば、それを一つの区切りとしても良いのではないでしょうか」

「一区切りして、その後はどうすればいいんだよ。モンマスを奪い返しても王国との戦いは続くんだ。いずれは父上を討ったガーグラーとも決着をつけなくっちゃならない」

「当然ですな。しかし、若い娘が戦いにどっぷり浸かったままというのは勿体無いと思いませんか? ここは色恋の一つでもしてみたらどうでしょう。姫様にはガーランド家の跡継ぎを産んでもらわねばなりませぬし」

「急に生々しい話するなよ」


 アルカーシャはげんなりと肩を落とした。


 二人の間でこういった話題が出るのはこれが初めてではない。

 なにしろガーランド家にはアルカーシャの他には、裏切り者のモーディアしか直系の血を引く人間が存在しないのだ。

 おまけにアルカーシャ自身、今年で十八歳と娘ざかりの年頃である。同年代の令嬢の中には既に子を産んでいる者も少なくなかった。


「結婚相手としては、そうですなぁ。ルシウス殿下はいかがでしょう。あの方はいずれこの国の玉座につくであろうお方です。性格は温厚篤実。釣り合いという点から見ても申し分ない」

「あー、もう。人の恋路なんてどうでもいいだろ。家畜の交配じゃないんだから、他人が横から嘴を突っ込んでくるなよ」

「失礼しました。姫様の本命はアウロ殿でしたな」

「ばっ……!」


 アルカーシャは一瞬で全身を真っ赤に染めた。

 その直後、間の悪いことに第三者が監視塔の上へと姿を現す。


「アルカ、ここにいたのか」


 かつん。石畳の上で靴音を鳴らしたのは、陰気な風貌をした青年だった。

 くすんだ赤髪。中肉中背の体躯。硬質の声からは人を拒むような雰囲気がにじみ出ている。

 だが、鬱蒼と生い茂る前髪の向こうでは、赤みがかった瞳が強い意志の輝きを放っていた。華美な装飾を取り払い、ただ実用性だけを追い求めた無骨な剣のような男だった。


「ひゃっ。あ、アウロ? ど、どうしてここに?」

「なんだよ、その反応は。ジュトー殿と二人でなにを話してたんだ?」

「いや、別に。大した話じゃないけど」


 アルカーシャはもごもごと弁明した。


 とはいえ、こめかみに冷や汗を滲ませ、視線を右往左往させている有様では『なにかありました』と言っているようなものだ。

 ジュトーもそれに助け舟を出そうとはしない。髭面に似合わぬ生温かい笑みを浮かべているだけだ。

 なんとなく状況を察したアウロは、ため息一つこぼしてから口を開いた。


「アルカ、出撃三十分前だ。早く飛行場へ戻れ。クリスが心配していたぞ」

「あ、ごめん。ひょっとして私を探しに来てくれたのか?」

「まぁな。なにしろジュトー殿まで戻ってこないものだから……」

「む、申し訳ない。つい話し込んでしまいました」


 ジュトーはちらりと飛行場の方角に視線をやった。


 既に駐機場(エプロン)には五十に迫る機甲竜騎士(ドラグーン)部隊がその搭乗者ともども勢揃いしている。

 居並ぶ機甲竜(アームドドラゴン)が黎明の光を浴び、鈍色の装甲をきらめかせるさまは壮観の一言だ。モンマス奪還を賭けた決戦とあってか、飛行場の周囲には異様な熱気が渦巻いているようだった。


 それから三人は連れ立って飛行場へと戻った。

 出撃直前。ルシウス、ジェラード、クリスティアの三人はそれぞれの愛機の前に佇んでいた。

 両腕を組んだままむっとした表情を浮かべているのはクリスティアだ。彼女は遅れてやってきた三人を見て、「遅いわよ!」と声を上げた。


「もう! 駄目じゃない、アルカ! 今日は大目に見るけど、普段だったら『なにやってんの』って叱り飛ばしてるところだわ」

「ごめん。でも、クリスがここにいるってことはやっぱり」

「ええ、私も《ブリリアント》で出るわ。父さんの許可も取ってる。これが最後のフライトになっちゃうかもしれないけど」

「カーシェンはクリスが出撃することに反対なのか?」

「そうね。どうせなら私生活の面でアルカを支えてあげなさいって。空での助けはアウロさんがいるから必要ないって」

「そ、そうか」


 先ほどの会話を思い出し、アルカーシャは反射的に頬を赤く染めてしまう。


「お、アルカ姫。顔が赤いぜ。アウロとエロい話でもしてたのか?」

「する訳ないだろ、ジュトーだっているのに」


 軽口を叩くジェラードをひと睨みして黙らせると、アルカーシャはルシウスに向き直った。


「ルシウス兄さん、お願いがある。今日は私からみんなに声をかけさせて欲しい」

「分かった。みんなもアルカの言葉を待ってると思う」


 ルシウスはあっさりその場を譲った。

 今まで、出撃前に盟主として激励をかけていたのはルシウスだ。しかし、今日に限って言えばアルカーシャの方が主役である。

 自らの乗機――《レギナ・ヴェスパ》の鞍上に立ったアルカーシャは、アーマー内から引き伸ばしたレシーバーを口元に当てた。


「おはよう、みんな。私はガルバリオンの娘アルカーシャだ」


 この場にいる面子で彼女の名と顔を知らぬ者はまずいない。

 それでも、アルカーシャは自己紹介から入った。

 居並ぶ騎士たちは囁き声一つ漏らさなかった。巫女の神託を待つ民衆の如く、じっと耳を澄ましている。


 アルカーシャは一同を見渡すと、静かな口調で話し始めた。


「いよいよこの日が来た。これから始まるのは、私たちが故郷を取り戻すための戦いだ。一年前、あの地で討たれた者たちの無念を晴らすための戦いだ。私は怒りと復讐心を糧にここまで辿り着いた。道のりは決して楽じゃなかったと思う。みんなの助けがなければ、途中で倒れてたのは間違いない。だから、まずそのことについて感謝の言葉を述べたいと思う。……ありがとう」


 胸に手を当て、一礼。


「正直、私は父さんに比べればまだまだ未熟者だ。それでも、あの人に一点だけ勝ってる部分がある。――それは『生きてる』ってことだ。生の肉体を持って、今この場に立ってるってことだ。私はガルバリオンにはなれない。だが、私は私に付いてきてくれた者たちを決して後悔させはしない。だからどうか、これからも私を支え続けて欲しい。お前たちの選択が間違いでなかったことを、私はこれからの戦いで証明してみせる」


 アルカーシャは力強く宣言すると、拡声器を手放した。

 そして、大きく深呼吸をすると自らの声でもって告げた。


「行くぞ! 誇り高き槍持ち(ガーランド)の騎士たち! 槍をとれ! 盾を構えろ! 過去と決別し、現在いまと決着を付ける時が来た!」


 暁天に響き渡る少女の号令。

 追って、男たちの野太い雄叫びが飛行場の周囲を満たす。

 アルカーシャの呼びかけはガーランド家の人間に対するものだ。

 しかし、ブランドル家の剣士も、ランドルフ家の盾持ちたちも、その他大勢の騎士たち全てが、その声に応えた。


 機は熟し、時は満ちた。

 地平線の向こうで、朝日が一際強い光を放つ。

 アウロはジャケットの裾を翻すと、その場に集った全ての人間に命じた。


「総員、出撃だ」




 聖暦八百十一年、六月末日。

 モンマス決戦の始まりである。


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