4-27
モンマスは東西を川に挟まれた守りやすく、攻め難い都市である。
ただ、その防衛力も一定数の兵士がいて初めて発揮される。
現在、モンマスの地を守るのは四侯爵の一角――『槍の侯爵』モーディア・ガーランドだ。
義兄であるガルバリオンを裏切り、新王に味方することで広大な領地と侯爵位を手に入れた彼だが、今は王国軍の敗北によって逃げ場のない窮地へと追い詰められつつあった。
加えて、彼にとって想定外だったのはアルカーシャの活躍だ。
ガルバリオンの遺児である彼女は、先の二度に渡る空戦で華々しい戦果を上げていた。おかげでガーランド派の貴族の中でも、モーディアを見限り同盟へ転向する者が後を絶たない。
今、モーディアの周りを固めているのは古くから彼に付き従っていた者たちだけだ。王国は彼の援軍要請を拒否した。自ら手を回して主君を裏切らせた男を、使い捨ての道具の如く見限ったのである。
もっとも、見捨てられたのはモーディアだけではない。
モンマスにはモーディアの手勢以外にも、ナーシア率いる機甲竜騎士団の精鋭たちが滞在していた。
こちらも開戦当初に比べてその数を四分の一以下に減じさせている。欠員の内、半分近くは同盟との戦いで戦死。残る半分は理由をつけて領地へ戻ってしまった。脱走兵よろしく無断で姿を消す者も少なくなかった。
彼らは紛うことなき、敗残者だった。
「――ナーシア様? 大丈夫ですか、ナーシア様」
ふいに肩を揺さぶられ、ナーシアは机の上から身を起こした。
微睡みの中、離散していた意識が急速に形を取り戻す。
どうやら、執務室で考え事をしている内にうっかり寝入ってしまったらしい。
普段の彼ならば考えられない失態だ。それだけ、心労が溜まっているということだろう。
「誰かと思えば……ソフィアか」
寝ぼけ眼をこするナーシアの隣では、作業服を着た少女が心配そうな表情を浮かべていた。
『王立航空兵器工廠』の技師長ソフィア。【魔導伯】デュバンの実妹である。
エドガー・ファーガスが死に、ロゼ・ブラッドレイの姿が消えた後も、彼女だけはナーシアの傍に残り続けていた。見た目が幼児体型でなければ、ロマンスの一つでも始まっていたかもしれない。
「ノックをしたのに返事がないから何事かと思いましたよ。服毒自殺でもしてしまったのかと」
「冗談にしては笑えんな」
ナーシアは息一つつくと、デスクの前から立ち上がった。
ここは飛行場の傍にある邸宅だ。現在、ナーシアはこの建物をモーディアから借り受け、指揮所として運用していた。
夕日に照らされた飛行場はひどくうら寂しい。周辺にはほとんど人影が見えず、通りを行き交う兵士たちも押しなべてしけた面をしていた。
王国最強と名高かった機甲竜騎士団だが、それはもはや過去の話だ。
ブリストル海峡の決戦以降、彼らは同盟軍の機甲竜騎士部隊に幾度となく惨敗を喫していた。挙句、王城の貴族たちからも後ろ指を指される始末だ。清々しいまでの負け犬っぷりだった。
「で、ソフィア。なにか報告があったのではないのか?」
「はい。例の機竜の修復作業が終わりました。後は魔導回路の細かい調整を行うだけで実戦投入が可能です」
「そうか。すまんな、余計な手を煩わせて」
「そんな……謝らないでくださいよ。ナーシア様らしくもない」
「私らしく、か。ソフィア、一つ聞くがね。お前の考えるドラク・ナーシアとはどんな人間だ?」
「え? そうですね」
ソフィアは指先でおとがいをひと撫でし、言った。
「傲慢でプライドの高いナルシストってところでしょうか。でも、意外と几帳面で繊細なところもあるんですよね」
「お前が私のことをどう考えているのかよく分かった。近くに来い。教育してやる」
「わ、やめて下さい。冗談ですよ、冗談」
ころころと笑うソフィア。空元気ではあったが、室内に華やいだ空気が満ちる。
それでもナーシアの気は晴れなかった。そもそも、彼はソフィアの評価したような傲岸不遜な性格をしている訳ではないのだ。
元々、ドラク・ナーシアは公王ウォルテリスとその妻モリアンの三人目の息子として、この世に生を受けた。
王子としては五番目。兄たちに次ぐ第五位の王位継承者だ。
ただし三番目、四番目の兄が夭折したため、公式の場では第三王子として扱われることが多かった。
王族としては微妙なポジションである。長兄マルゴンは既に王の後継者としての地位を固めていたし、次兄ガーグラーは軍部に独自の立ち位置を確保していた。彼は生まれた時から周回遅れの状態にあった。
そうして、幼い頃から兄たちの存在を意識し続けてきたせいだろう。
幼い頃のナーシアは今とは似ても似つかないほど卑屈で臆病な性格だった。
いや、惰弱な本性は今でさえそのままだ。ナーシアは傲慢な言動と行動で、無理やり自身を奮い立たせているだけに過ぎない。それも結果が伴わなければ単なる道化で終わってしまう。
(違うな。道化ならばまだ良い)
耐えられないのは自身が愚か者扱いされることだ。
兄たちに及ばぬと知ったナーシアは、せめて正しく美しくあろうと思った。
自身の有能さを周囲に知らしめ、己の価値を証明しようとした。
彼は努力した。人目につかぬ場所で体を鍛え、空戦の腕を磨いた。その結果、失脚したガーグラーの後を次いで機甲竜騎士団の団長というポストを手に入れたのだ。それは彼にとって自らの力で勝ち得た勲章だった。
「ナーシア様? どうしたんですか、ぼうっとして」
「……ああ、いや。なんでもない」
ナーシアは思わず苦笑をこぼした。過去の栄光に縋りつくなど、現実逃避以外のなにものでもない。
「例の機体については私がパイロットとなる予定だ。《ラムレイ》の魔導回路をそのまま移してしまって構わない」
「え、いいんですか?」
「仕方なかろう。一から機体を調整している時間などない。同盟軍は既にモンマスの目と鼻の先まで迫っている。つい先日、正式に降伏勧告が届いたよ。それとは別に個人的な便りもな」
「個人的な……?」
「アウロの奴が非公式にこちらと連絡を取ってきたんだ。大方、女に走ったどこぞの馬鹿が手を回したんだろう。今投降するならば、私を含む団のメンバーに対して温情を加える、とね」
「つまり、命の保証はしてくれるってことですよね」
「だろうな。アウロは冷徹だが義理堅い男だ。盟主であるルシウスの性格を考えても騙し討ちの危険性は低い」
「だから」とナーシアは少女の目を見て言った。
「ソフィア、お前は同盟軍に降れ」
「えっ……」
「技師であるお前まで私の美学に付き合わせるつもりはない。私はこれから連中に対し、最後の決戦を挑むつもりだ。が、これに勝利したとしても今の王国に未来はなかろう」
「ま、待って。ちょっと待って。待って下さいよ、ナーシア様」
顔面を蒼白に変じさせたソフィアは、いつになく余裕を失った様子で自らの上司へと詰め寄る。だが、ナーシアは微塵も動揺を見せなかった。
「反論は聞かん。これは決定事項だ」
「冗談じゃありません! 殿下はここで玉砕する気ですか!?」
「まさか。最初から死ぬ気で戦うつもりはないさ。そのためにあの機体まで用意したんだ。――せめて奴らに一矢報いてやる。でなければ、今までの戦いで倒れた者どもが浮かばれん」
「では、降伏するおつもりは?」
「ない。今更、兄である私が弟であるルシウスに降れるか」
ナーシアは吐き捨てるように言った。
古くから兄たちに劣等感を抱き続けてきた彼は、その骨の髄まで血統主義に凝り固まっている。
だから、私生児としての分を弁えないアウロを嫌悪した。忌々しい存在だと思った。立場にも身分にも血統にも左右されず、純粋に理想だけを追い求める。それはきっと彼が幼心に憧れた生き方で――
(……いや)
ナーシアは首を振る。
自分はあの男とは違う生き方を選択したのだ。それを悔い、つまらない考え方に囚われるのは美しくない。
「ソフィア、お前は例の機体の調整だけ終わらせてくれればいい。それがお前にくれてやれる最後の仕事だ」
「いえ、そんな、でも」
「私の元に残るつもりなら私の命令に従え。それができんというのならここにお前の居場所はない」
「う、うう、横暴ですよ! 私にだって技師のプライドは――!」
抗弁しかけたソフィアだが、そこで唐突にノックの音が響く。
ナーシアはぴくりと眉を動かした。この執務室を尋ねてくる人間は多いが、中でも破城槌のように重々しい扉の叩き方には覚えがあった。
「……どうぞ」
ナーシアが声をかけると、すぐさま扉が開き、その向こうから背の高い人影が姿を見せる。
このモンマス一帯の主、モーディア・ガーランドだ。ウェーブのかかった長髪と、骸骨じみた彫りの深い面構え。不景気どころか不吉さしか感じない風貌だが、その体躯だけは歴戦の機竜乗りらしくがっちりしている。
「失礼する、騎士団長殿。お時間を頂戴してもよろしいか」
「結構だ。如何した?」
「先ほど連絡があった。このモンマスに援軍が来るらしい」
「援軍?」
ナーシアは思わず尋ね返してしまった。
彼もモーディアが王都へ援軍要請を送ったことは知っていた。が、これはすげなく断られたはずだ。
実際、今の王国にまともな戦力は残っていない。増援を送りたくとも送れるような状況ではないのだ。
が、それでも可能性があるとすれば――
「ひょっとして、兄さんがここへ来てくれるんですか?」
弾むような口調で尋ねるソフィアに、しかし、モーディアは「いや」と否定の言葉を口にした。
「デュバン・サミュエルは『アーヴァンク』とやらの開発にかかりきりだそうだ。連絡はドラク・ガーグラーから届いた。この地にルウェリンを派遣する、とのことだ」
「ルウェリンさんですか。知らない方ですね」
がっくりと気落ちするソフィア。
対し、ナーシアは口元に浮かぶ笑みを隠しきれなかった。
「ルウェリン……ルウェリン・グウィネズ・アプ・グウィンか。確かに、名前はさほど知られていない。公の行事には顔を見せないし、あだ名の方が有名だからな。【氷竜伯】と言えばお前にも聞き覚えがあるだろう」
「【氷竜伯】? それって王国で一番古い貴族の名前ですよね。アルヴォンに引きこもってる百歳越えのおじいちゃんだとか」
「性格はともかく見た目は老人ではないさ。あれは兄上と同じ凶眼持ちだ。普通の人間より成長は遅いが、その分寿命も長い」
「へー、なんだかすごいですね」
ソフィアはひどく凡庸な感想をこぼした。
ともあれ、戦力が増えるのは僥倖だ。
ルウェリン・グウィネズは将として見た場合、間違いなく当たりの部類である。
大当たりはガーグラー本人がここに来ることだったのだが、そこまで望むのは欲張りと言えよう。
(だが、これでまともに勝負ができる程度には手札がそろった)
今までナーシアは迫る同盟軍に対し、乾坤一擲の賭けに出るつもりだった。
が、援軍が来るのなら話は別だ。敵の空戦部隊に真っ向から挑むことが出来る。
必要なのは勝利だ。今度こそ、あらゆる手管を尽くして勝たなくてはならない。
そう、これは最後の機会なのだ。二度に渡って敗れた自分たちが、失われた名誉を回復するための。
「騎士団長殿、今回は私も《パーシモン》で出る。アルカーシャ姫と、恐らくはあのアウロ・ギネヴィウスも空に上がってくるだろうからな」
淡々と述べたモーディアは、そこで初めて声に感情らしきものを滲ませた。
更には口元に狂的な笑みまでもが浮かび始める。
「ふ……く、ふふ。これでようやく奴と戦える。ヴェスターを討ったあの男と。私はようやく息子の仇を討つことができるのだ。これほど良い報せはない……」
モーディアは節くれ立った指先で顔面を押さえた。それでも、地の底から響くような笑い声はこらえ切れていない。
モーディアの息子、ヴェスターが死んだのはもう半年近く前のことだ。
あの男はナーシアの命を受けてケルノウン半島へ赴き、アウロと交戦。部下ともどもブリストル海峡の藻屑となってしまった。
おかげで今のモーディアには後継者がいない。主殺しの汚名を着てまで手に入れた立場。それを継ぐ息子が早々に退場してしまったのである。モーディアはその怒りと無念を、仇であるアウロに向けているようだった。
――なんとも滑稽な逆恨みだ。
主を殺し、兄を殺し、妹まで手にかけたモーディアは、誰の目から見ても醜悪な裏切り者である。
が、ナーシアは彼を弾劾する気にはなれなかった。元々、ナーシアも生まれながらにして兄たちの下に位置付けられた男だ。
なりふり構わぬ手段で地位を勝ち得ようとする人間を、ナーシアは間違いだとは思わない。ただ、美しくないだけだ。
「策を練り直すぞ、騎士団長殿。このモンマスに迫る愚昧どもを、今度こそ返り討ちにしてくれよう」
「……ああ」
血走った目で協力を求めてくる同志に、ナーシアは機械的な頷きを返した。