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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
一章:アウロと竜の少女
10/107

1-9

「たっだいまー!」


 アウロが宿舎の自室に戻ってから約三十分後。

 黒いローブを着た少女が唐突にベッドの上へと現れた。


「いやー、それにしても図書館ってすごいね! 色んな蔵書があるもんだから、つい長居しちゃ――」

「静かにしろ」


 デスクから立ち上がったアウロは素早くカムリの口元を抑えた。

 半ばベッドに押し倒される形となったカムリは、「うー!」とうめき声を漏らす。

 が、しばらくすると諦めて静かになった。アウロはそのタイミングを見計らって手をどけた。


「むぅ、いきなりなにするんだよ、主殿」

「どうも隣の部屋の男にお前の存在がバレかけてるらしい。あまりぎゃあぎゃあと騒ぐな」

「あ、そうだったの。でも、いきなり口を塞ぐことはないのに……」

「口頭で注意するより速いだろ?」


 アウロの台詞にカムリは唇を尖らせた。


「主殿は従者に対して、もうちょっと優しくすべきだと思うな」

「善処する。ところで随分と帰りが遅かったな。図書館は午後五時で閉館だったはずだが」

「えと、その後もしばらく本を読んでたんだよ。こう、鍵が閉められた後にもう一回魔法で忍び込んでね」

「なるほど。その服は外で買ったのか?」

「この黒いやつ? そうだよ。市場で丁度フード付きのが売ってたんだ」

「そうか。ただ、そいつは魔術師用のローブだぞ」


 アウロはデスクに座り直しつつ言った。

 恐らく、どこかの魔術師の使っていた中古品が市場に流れたのだろう。

 元々カムリは細身なので、ゆったりしたローブはよく似合っていた。

 これで後は杖と魔術書を持たせてやれば立派な魔女の完成だ。


「うーん、でも他にいい服がなかったからさ。地味な服でフード付きってなると、どうしても魔女か盗賊に見られちゃうよ」


 カムリはベッドから体を起こし、


「そういえば主殿、一つ聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「アルトリウスの活躍ってさ。今の時代にはどういう風に伝わってるの?」

「……そうだな」


 アウロは口元に手を当てた。


 アルトリウス・ペンドラコンは今から二百五十年前に実在したログレスの国王だ。

 この偉大な王は【円卓の騎士】と呼ばれる数多の騎士たちを率い、ログレスに襲いくる蛮族たちを撃退し、更には蛮族の王を打倒してアルビオン全域を統一したとされている。


 やがて、アルトリウスはアルビオン周辺の島々も征服するのだが、このことが原因で東大陸の帝国から目を付けられ、戦争に突入してしまう。

 その後、彼は東大陸に侵攻して敵の皇帝を打ち倒すものの、この間に本国で甥のモードレッド卿による反乱が発生。

 最終的にはキャメル川のほとり、カムランの戦いでモードレッドを打ち破るが、自身も致命傷を負って、アヴァロンと呼ばれる楽園に運ばれたという。


「【赤き竜王】アルトリウスの治世はこの国の人間にとって、もっとも輝かしい時代だったとされている。なにせアルビオンの全域を支配し、ブルト人の帝国を打ち立てたわけだからな。今でも、アルトリウスがアヴァロンから帰還してくることを望んでいる者は多い」

「なるほどねー。図書館に行ったらさ、ちょっと驚いちゃったよ。アルトリウスに関する文献がこれでもかってくらいにあるから」

「まぁ、竜王の伝説は人気があるからな……」

「それにしてもちょっと美化され過ぎじゃない? わらわの知ってるアルトリウスってのは、ほとんど暴君みたいなもんだったよ」

「そうなのか?」


 アウロは少しだけ椅子から身を乗り出した。

 彼も幼い頃、古い伝説を子守唄代わりに聞かされながら育ったクチだ。

 子供の頃には母にねだって、アルトリウスの伝記を買って貰ったほどである。

 実際の英雄がどんな人物だったかについては純粋に興味があった。


「んー、そうだな。ところどころ記憶に曖昧な部分があるけど……」


 カムリはそう前置きした後で言葉を続け、


「元々、アルトリウスは王って言うより将軍向きの性格だったんだよ。自分が先頭に立って敵陣に突っ込むのが大好きで、騎士や兵士たちからは無茶苦茶人気があった。おまけに本人の戦闘力も異常に高い上、戦争の天才だったもんだから行く所負けなし。わらわもあいつと戦った連中には同情したね」


 「ただ」とカムリは顔を曇らせ、


「国の政治はほとんど他人に丸投げだった。そもそも本人が戦地に留まりっぱなしだったから、国内は荒れ放題。おかげで最終的には各地で反乱を招いて、嫁に見捨てられた挙句、甥っ子に殺される羽目になるんだけど」

「……なんというか、少し想像と違うな。俺の知っているアルトリウス王は獅子の勇猛さと、賢者の知恵を持つ理想的な王ということになっていたが」

「理想はあくまで理想さ。現実とは違う」


 カムリはアウロの言葉を、ばっさり切って捨てた。


「結局のところ、アルトリウスは好き勝手暴れ回った挙句、足元をすくわれて死んだ大馬鹿野郎だよ。勿論、色々と運の悪い部分もあったけどね」

「つまり彼は王の器ではなかったと?」

「いや、そんなことはない。わらわの目から見ても、アルトリウスは間違いなく偉大な英雄だった。現にあいつの業績はこのカンブリアに、二百五十年もの平和をもたらしたんだもの」


 カムリの台詞は正しい。

 アルトリウスが引き起こした戦いの中で、円卓の騎士はほとんどが死に絶えた。

 しかし、幸運にも生き残っていた彼の従兄弟が公王となって国を纏めたのだ。

 その末裔が今のログレス王国に君臨している王家――ドラク・ウォルテリスを始めとした、【竜公ドラク】の名を持つ一族だった。


「少なくとも、今の腐った王国よりかは百倍マシさ。こんなんじゃアルトリウスも浮かばれないよ」

「そういえば、アルトリウス王は最終的に湖の乙女の手で、アヴァロンへ運ばれたことになっているが――」

「それは嘘だね。あいつは死んだよ。わらわはその瞬間を見る前に意識を失っちゃったけど、あの大怪我で生きているはずがない」


 「だから」とカムリはその真紅の瞳で、真っ向からアウロを見据えた。


「主殿も過去の英雄が帰還してくるなんてことを信じてるなら、そんな妄想、今すぐゴミ箱に投げ捨てた方がいい。単なる時間の無駄だからね」

「……分かってるさ。ただ聞いてみただけだ」

「むしろ、わらわとしてはアウロにアルトリウスを越えて欲しいと思ってるんだけどな」

「過去の英雄王を、か?」

「いいや、単なる戦争好きの暴君をさ」


 カムリは言った。口元に笑みをたたえて。

 アウロは一度口を開きかけたものの、結局は声を呑み込んだ。

 自分がアルトリウスを越えるかどうかはこれから行動で示せばいいことだ。


「……とりあえず、カムリ」


 代わりに、アウロはこれからの方針を指示しておくことにした。


「お前はしばらく図書館と町中で知識の整備をしてこい。ついでに今の時代の常識も身に着けろ」

「らじゃー。で、いつまで情報収集してればいいの?」

「十三日後の休日、つまりルシウスとの決闘が行われる日までだ。その時にはお前の力が必要になるかもしれない」

「でも、決闘は機甲竜騎士(ドラグーン)同士で行われるんでしょ?」

「そうだ……が、決闘中に妨害が入る可能性もある。お前にはそれを防いで貰いたい」

「分かった。ところで決闘前は大丈夫なの?」

「というと?」

「ええと、つまり相手が機竜に細工をしてくるとか、直接アウロを狙って攻撃してくるとか……」


 「ああ、なるほど」とアウロは頷いた。


「確かにその可能性もある。が、決闘前になにか俺の身に起きれば、真っ先に疑われるのはルシウスだ。俺の知る限り、あの男はそこまで馬鹿じゃない」

「まー、そうだけどさ。念には念をってこともあるでしょ? 取り巻き連中が暴走する可能性だってあるし」

「そうだな……。なら夕方からはシドカムの護衛についてくれ」

「シドカム? 誰それ?」

「開発科の主任、ケットシー族の男だ。目立つオレンジ色の髪をしてるからすぐ分かる。朝から夕方までは開発科のハンガーにいるはずだから、宿舎に戻る夜以降が危険だろう」

「りょーかい。でも、主殿の周囲を警戒した方がいいんじゃ?」

「さっきも言ったが、既に四対一という環境を整えている以上、対戦相手である俺を直接狙ってくる可能性は低い。連中の性格を考えるなら、むしろ危険なのは俺の周りの人間だ」


 恐らく、候補に上がるのはシドカムとロゼの二人だろう。

 だが、アウロは弁護人として決闘に参加するロゼより、戦いとは無関係なシドカムを狙ってくる可能性の方が高いと踏んでいた。

 実際、シドカムが入院でもしたら《ホーネット》の開発も滞るわけで、アウロの勝ち筋は限りなくゼロに近くなってしまう。


「んー、じゃあわらわはシドカム君の護衛につくけどさ」


 カムリは少し眉を寄せ、


「アウロが乗る機竜の方は大丈夫かな。機体に変な仕掛けをして、空中で爆破四散させるとか……」

「その可能性もありうる。が、こればかりは専門外だ。それに素人の仕掛けならシドカムが気付くだろう」


 アウロはエンジニアとしての彼に絶対の信頼を置いている。


「あとは直接、機体をバラバラに破壊するとか――」

「そんなことをしたら俺は決闘に参加できん。相手方にとっても本末転倒だ。第一、機甲竜アームドドラゴンは一機でソリダス金貨三千枚の価値があると言われているんだぞ。そんなものを壊しでもしてみろ。バレれば最悪放校だ」

「むむー。でも、不安だなぁ。この国の貴族って、ガキをそのまま大きくしたようなのがほとんどだし、なにするか分からない怖さがあるんだよ」

「……いいだろう。そこまで言うなら、開発科の連中に注意を払うよう伝えておく」

「それだけでいいん?」

「他にやりようがない。シドカムとハンガーの両方を護衛することはできないし、二十四時間見張りをつけるもの非現実的だ。お前が『分身』の魔術でも使えるなら話は別だが」

「あー、それは無理。大体、わらわが使える魔術はそこまで多くないんだ。『転移』と『人化』と『回復』と『念話』と……後は炎の攻撃魔術くらいかな。『透明』の魔術とかもあれば良かったんだけど」


 指折り数えるカムリにアウロは尋ねた。


「お前、その魔術は誰に習ったんだ?」

「ん? マーリンっていうエロジジイだよ。本人は『わしはインキュバスの血を引いてるから、おなごの尻に惹かれるのは仕方ない』とか言ってたけど、ありゃ嘘だね。単なる変態だよ」

「……そうか。伝承によると、魔術師マーリンは今もどこかで生きているという噂だが」

「や、あのバカは湖の魔女をたぶらかそうとして逆に幽閉された。流石に二百五十年も経ったし、もう死んでるんじゃね?」


 カムリの口調は投げやりだった。

 彼女にとっては魔術の師に当たるはずだが、あまりいい印象は抱いていなかったらしい。


「ともかく、あんまりわらわに魔女としての力は期待しないで欲しいな。元々、竜は荒事以外苦手なんだから」

「分かった。こういったことを頼むのはできるだけ控えよう。もっとも、お前の力が必要となる展開は当分後だろうが」

「ふふ、それはどうかな? 案外早くわらわの力が必要になるかもしれないよ?」

「なに?」


 尋ね返すアウロだが、カムリは答えることなく背を向けた。

 そして羽織っていたローブを脱ぎ、ベッドの上で横になってしまう。


「それじゃ、おやすみ。主殿もそろそろ寝たほうがいいよ」

「……ああ」


 見れば、既に時計の針は零時を回っている。気付かぬ内にすっかり話し込んでしまったようだ。

 アウロはデスクから立ち上がると、上着を椅子にかけ、魔導式のランプを消し、枕元に腰を降ろした。

 カムリはいつの間にか、こちら側に向き直っていた。月光の満ちる薄闇の中、赤い瞳が星のように瞬いている。


「……ね、主殿」


 耳に届くのはかすかな囁き。


「なんだ?」

「腕、ぎゅってしていい? 嫌だったらやめるけど」

「別に構わないが……なにかあったのか?」

「んー、なんていうか。ちょっとせんちめんたりずむに浸ってみたり?」


 カムリはどこか陰のある表情で笑った。


 同時にアウロはなんとなく理解した。

 彼女は転生体。前世の記憶を持ったまま、この世に生を受けている。

 恐らく、カムリは伝説化したかつての記録を見たことで、心細くなってしまったのだ。

 過去の栄光を思い出すと同時に、それが失われた時のことまで脳裏に蘇ってしまったのかもしれない。


「不安なのか?」


 尋ねるアウロの前で、カムリはそっと目を伏せた。


「まぁ、その、少しだけね。主殿の人生がアルトリウスと同じ結末になったらいやだなー、と思って」

「彼は偉大な王だったんだろう?」

「うん。でも、それと本人が幸せだったかどうかはまた別の話だよ」


 「そうか」とアウロは言った。


 毛布の中に潜り込むと、カムリはおずおずと彼の腕に抱きついてきた。

 意外に豊かな双丘がぎゅっと押し付けられる。カムリはそのまま、アウロの腕に両手を絡めた。


「うー、あったかい」

「いいから早く寝ろ。俺はまた明日早起きしなきゃならないんだ」

「そっか。ところで主殿」

「なんだよ」

「こういう風におっぱい押し付けられたら欲情しない?」

「生憎と俺はドラゴンを愛する趣味はない」

「でも、今は女の子の姿をしてるんだよ?」


 アウロは瞼を開け、暗闇の中で少女の顔を見た。

 紅色の瞳には、どこかいたずらっぽい輝きが宿っている。


「………………」


 結局、アウロはなにも言わずにもう一度目を閉じた。

 カムリは「ちぇ」と声をこぼしつつも、毛布をかぶり直す。


 隣から静かな寝息が響き始めたのは、それから十数秒後のことだ。

 カムリは眠っていた。主の腕に抱きついたまま、幼子のように。


 その後、更に数分が経ったところで、アウロの意識も闇に沈んでいった。

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