ep2.運命の出会い
たった五分前まで、そこは陽光が木々の隙間からこぼれ落ちる、穏やかな山道だったはずだ。
だが、道の真ん中に、空間を切り裂いたような漆黒の亀裂が浮かんでいた。
覗き込もうと一歩、その境界を跨いだ瞬間だった。
内側から溢れ出した不思議な力に背中を押され、シリウスの身体は吸い込まれるように闇の中へと転じ、光と影が反転する。
――そこは、ただの『夜』だった。
だが、見上げる空はあまりに異常だった。
太陽の残滓すら残っていない真っ暗な天頂に、見たこともないほど巨大な星々が、宝石をぶちまけたように不気味なほど近くで瞬いている。星座の形も、星の色も、シリウスが今まで見てきたものとは、何一つとして一致しなかった。
混乱で足がすくむシリウスをあざ笑うかのように、闇の奥からカサカサと不気味な音が響いた。
現れたのは、岩のような外殻に覆われた、手のひらより二回りほど大きいだけの丸い魔物だった。だが、それが十数匹。赤く光る目を向け、シリウスを包囲するように集まってくる。
「くっ……これなら!」
シリウスは、おじいちゃんから貰ったばかりの剣を、震える手で抜いた。
まだ10歳の細い腕には、鋼の重みすら頼りない。
「くるな! くるなよ……っ!」
一番近い一匹が、弾丸のような速度で跳ねた。
――ガツッ!
必死に剣を振るうが、もらったばかりの剣術は空を切り、魔物の鋭い外殻がシリウスの右足を深く切り裂く。
「いたっ……!? がぁっ……!」
激痛と共に膝が折れる。小さな魔物たちの群れが、傷ついた獲物を仕留めようと、一斉に回転を上げて加速を始めた。10歳の少年には、あまりに絶望的な包囲網。
「師匠! こっち、こっちから子供の声がしたよ!」
その時、静寂を切り裂くような、鈴を転がす少女の声が響いた。
――キーン!
直後、銀色の閃光が闇を薙ぎ払い、シリウスを襲おうとした魔物たちが一瞬で弾け飛んだ。二振りの剣を構えた男が、守護者の如くシリウスの前に舞い降りたのだ。
「危なかったね、君、大丈夫!?、こんな夜中に森の中を歩くなんて危ないよ」
駆け寄ってきたのは、二振りの剣を構えた男とシリウスと同じくらいの年齢――十歳ほどの少女、ミラだった。
「怪我をしてるのかい? これは、ミラにお願いしようかなぁ」
「はーい。丁度持っててよかったわ、わたし特性の回復薬よ! テストはしてあるから大丈夫!」
彼女はシリウスの足の傷を見るなり、背負った奇妙な筒――科学銃を迷わず引き抜き、シリウスに銃口を向けた。
「え! えぇぇぇぇ!……っ」
シリウスはとっさに手を上げた。
「大丈夫よ! 動かないで! これ、回復薬を詰めた特製なんだから。……いくよ!」
「いや、そんなこと言われても、動けるなら動きたいよぉぉぉぉ!」
――パシュンッ!
「うわああああぁっ!? 痛ぇぇっ、何すんだよ」
着弾の衝撃にシリウスが叫ぶ。だが、ミラは腰に手を当てて、勝ち気な笑みを浮かべた。
「うるさいなぁ、痛くない! ほら、よく見てみなさいよ、治ったでしょ?」
見れば、傷口は見る間に塞がっていた。痛みは引き、温かく不思議な力が巡っている。
「……治ってる!」
震える声でまくし立てるシリウスを、男――師匠が静かに遮った。
「君はここで何をしていたんだい?」
「あそこの穴から来たんだ! いつも町へ行く道を歩いていたら、変な穴が開いてて……。気になって入ってみたら、朝だったのにいきなり夜になっちゃって、見たこともない魔物に襲われたんだよ!」
シリウスが必死に指差す先。だが、師匠は鋭い眼光をそちらへ向けたものの、怪訝そうに眉を寄せた。
「穴……? 何も見えないが、そこに何かあるのかい?」
最強の剣士である彼の目を持ってしても、そこにはただ静まり返った夜の闇が広がっているだけだった。
「えっ、見えないの!? ほら、あそこだよ! まだうっすらと黒いモヤみたいなのが……っ」
シリウスが焦り、何度も指を突き出す。すると、横で何やら小さな機械をいじっていたミラが、身を乗り出すようにして空間を睨んだ。
「……師匠。そこにあるわ、私も見える」
「ミラも見えるのかい? 分かった。とりあえず、夜になってしまったから、早く小屋に行こう。魔物も集まってくるかも知れないからな、もしかしたら運命の導きかな。ミラと同じ何かの運命を背負った子なのかもしれないな……」
シリウスはミラの治療を受け、師匠の肩を借りながら、岩壁の影に建つ小さな小屋へと向かった。
焚き火の爆ぜる音が夜の静寂に響く中、三人はようやく一息つく。
「俺、シリウスです。じいちゃんの家から旅に出たばかりで……」
「私はミラ、この人は師匠よ! ぶっきらぼうだけど、腕だけは確かだから」
ミラが胸を張って紹介すると、師匠は遠くの空を見つめ、静かに語り出した。
「俺は、ここで、空から降ってきた『星の剣』の様子を見ているんだ。……昔、俺の仲間が空から落ちてきた剣を抜いてしまい、その魔力に心を乗っ取られた。今もどこかの村を襲っているかもしれないが、消息は不明だ。だからこの新しい剣を見つけた時、監視を決めた。抜こうにも重くてびくともしないが、邪悪な気配は感じないからな」
「へぇ……重くて抜けないなんて不思議だね。本当に、空から降ってきたの?」
シリウスの純粋な疑問に、師匠は立ち上がり、顎で外の岩場を指した。
「あれが俺たちの家で、あっちの岩場にあるのがその剣だ。――言葉より、見せた方が早そうだな」
三人は夜の岩場へと歩を進める。そこには、星明かりを吸い込んだように白銀に輝く一振りの剣が、大地に深く突き刺さっていた。
「ほら、見ていろ」
師匠がその柄に手をかけ、全身の力を込めて引き抜こうとする。だが、岩場がミシミシと鳴るだけで、剣は一ミリも動かない。
「……こんなふうに、全く抜けそうにないんだ」
「ねぇ、僕もやっていい?」
シリウスの申し出に、師匠は思わず吹き出した。
「はははっ、そうだね。抜けないっていう体験をするのもいい勉強だ。やってみなよ、もしかしたら抜けるかもしれないしな」
冗談めかして笑う師匠と、後ろで見守るミラ。
シリウスはごくりと唾を飲み、両手でしっかりと柄を握りしめた。
「――よいしょぉっ!」
腹の底から声を振り絞り、思いっきり引っ張る。
その瞬間、剣の刀身がキィィィンと澄んだ青い光を放った。
「……え?」
抵抗は、一切なかった。
まるで水面に刺した箸を抜くかのように、銀の剣がスルリと抜け、夜空を切ったのだ。
「あれ? 軽い! てか、抜けちゃったよ!」
シリウスは歓喜の声を上げ、剣を高く掲げる。だが、喜びは一瞬だった。
掲げた瞬間に青い光がフッと消失し、代わりに――惑星ひとつの質量が、少年の細い腕にのしかかった。
「って、あれ!? お、重い! た、助けて師匠ぉっ!!」
凄まじい重圧に足元の岩が砕け、シリウスの体が地面にめり込みそうになる。
「急に重くなった! それに、光も消えちゃったよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶシリウスの姿を見て、師匠は目を見開き、それから深く納得したように頷いた。
「……なるほどな。どうやら、その剣は君を待っていたらしい。君の剣だったのか、シリウス」
師匠は歩み寄り、崩れそうなシリウスを支えながら、その剣を預かった。
「よし、決めた。シリウス、君を鍛えよう! この剣を、君が自分の力で自在に振るえるようになるまでな」
ミラが「ええっ、本気!?」と驚く中、師匠は力強くシリウスの肩を叩いた。
見たこともない星空の下、少年と、二刀の師匠、そして科学の天才少女。
三人の奇妙な、けれど壮大な修行の旅が、今ここから始まった。




