ep1.プロローグ
そこは、昼という概念すら置き去りにされた、永遠の夜が支配する領域だった。 空を見上げれば、視界のすべてを埋め尽くすほどの星々が、狂おしいまでの輝きを放っている。それは単なる光の点ではない。青白く燃える巨星、紅蓮の炎を撒き散らす変光星、そして銀の砂をぶちまけたような天の河が、ベルベットよりも深い漆黒を極彩色に染め上げていた。
幾億、幾兆という星々が発する光は、大気に反射してプリズムのような残像を生み出し、空間そのものが宝石箱をひっくり返したかのように煌めいている。呼吸をするたび、星の欠片が肺に流れ込んでくるのではないかと錯覚するほど、その暗闇は美しく、そして残酷なまでに澄み渡っていた。
その『世界の果て』とも呼べる場所で、二つの影が揺りかごを囲んでいた。 彼らは知っている。この美しい光景が、実は滅びゆく世界の断末魔であることを。
「私たちはここで、最後の一瞬までこの世界を見守りましょう」
「ええ。ですが、この子は……この、星の運命を背負う必要のない場所へ」
揺りかごの中で眠る赤ん坊。その小さな胸の奥には、時空を跳躍し、次元の壁を穿つ、神にも等しい力が宿っていた。 やがて、星々の輝きが一点に収束し、眩い光の渦が赤ん坊を包み込む。
「さようなら、私たちの――」
光が弾けた。 星降る夜の静寂だけが、そこに残された。
◇◇◇◇
「じいちゃん! なあに、改まって呼び出してさ」
抜けるような星空の下、少年――シリウスは首を傾げた。その前で、祖父は古びた布に包まれた「何か」を恭しく捧げ持っている。
「シリウス、今日でお前も十歳じゃ。……さあ、この剣を手に取りなさい」
促されるまま布を解けば、中から現れたのは一振りの鋼の剣だった。装飾こそ質素だが、手入れの行き届いた刃は陽光を跳ね返して鋭く光っている。
「わあ、すごい……! これ、俺にくれるの?」
「ああ。だがシリウス、これはわしからお前への、形ある最後の贈り物じゃ。……いいか、心にも一本の剣を持ちなさい」
「心に、剣?」
「そうじゃ。決して折れない、何物にも負けない剣じゃ。気持ちが折れてしまえば、どれほど名剣を持とうと何もできん。心に一本の剣を常に持っていれば、これから先、何があっても大丈夫じゃ」
シリウスは贈られたばかりの剣をしっかりと握りしめ、力強く頷いた。
「わかった。ありがとう、じいちゃん!」
「はっはっは、似合っておるぞ、シリウス。だが、あまり振り回して怪我をするなよ?」
「わかってるって。ねえ、じいちゃん、ばあちゃん。俺さ……やっぱり、もう一本ほしいな。二刀流って格好いいだろ? その、心の剣じゃなくて敵を倒せる剣がさ!」
「欲張りだねぇ、シリウス。剣を二つも持って、どうするんだい?」
「だってさ、守りたいものが二つあったら、一本じゃ足りないだろ? じいちゃんの言う心の剣で三刀流さ!」
「三刀流か、そいつはすごいなぁ。お前ならなれるじゃろう」
屈託のない少年の言葉に、老夫婦は顔を見合わせた。 二人は少しだけ足を止め、山の頂が見える開けた場所で腰を下ろした。
「……シリウス。お前が十歳になったら、話そうと決めていたことがあるんだ」
祖父の声が、いつもより低く、重く響いた。 シリウスは首を傾げる。
「なあに? 改まって。もしかして、本当は俺、王様の後継ぎだったとか?」 「ふふ、そんな大層なものじゃないわ。……私たちはね、十年前の今日、この山で赤ん坊のお前を拾ったんだよ」
シリウスの動きが止まる。 風が木々を揺らし、ざわざわと騒がしい音が耳を通り抜けていく。
「拾った……? 俺を?」
「ああ。空から降ってきたような、不思議な光に包まれてな。お前が持っていた産着には、この世の文字とは思えない紋様が刻まれていた。私たちは確信したよ。お前は、この小さな村に留まるべき存在ではないと。これを10歳の誕生日に渡そうと思っていたんだ。受け取りなさい。これは、ばあさんからだよ。お前が身に着けていたペンダントだ」
シリウスがペンダントを受け取った瞬間に青い光がペンダントに宿りとてつもない光を放った。
「……おおっ! ペンダントもお前の誕生日を祝っているようじゃ」
「じいさんや」
「シリウス。お前がもう一本の剣を欲しがるのは、お前の魂が『もっと広い世界』を、あるいは『失われた何か』を求めているからなのかもしれん、お前は旅に出なさい。そして多くを学び、疲れた時には家に帰ってくるといい」
祖父は少年の肩に手を置いた。
「もう一本の剣は、どうしようかのぉ」
「わかったよ、じいちゃん、ばあちゃん、もう一本の剣は自分で見つけるよ! 一本目はこの剣さ!大切にするよ!」
「あ、見て! 流れ星だ!」
シリウスが指差した先、昼の光に負けないほどの輝きを放つ星が、ゆったりと尾を引いて流れていく。それを見送っていた祖父が、慈しむように目を細めて呟いた。
「ほう……。どうやら、世界の方がお前を見つけたようじゃな」
「ええ。あの子の歩む先が、どうか光で満たされていますように」
おばあさんが祈るように胸の前で手を合わせる。 その言葉に応えるかのように、天に広がる無数の星々が一斉に瞬いた気がした。
◇◇◇◇
隣を歩く老婆が、困ったように、けれど慈しむような視線を少年に向けた。
シリウスは力強く頷いた。胸には青い光を宿したペンダント、腰には誕生日にもらったばかりの剣。そして、心には祖父の言葉が宿っている。 旅立ちを決意したシリウスは、二人に深々と頭を下げた。
「行ってくるよ、じいちゃん、ばあちゃん! 必ず、強くなって帰ってくるから!」
「ああ、気をつけてな。いつでもお前の帰る場所はここにある。心の赴くままに」
「あんたなら大丈夫だよ。気をつけて、お行き」
優しい声に送られ、シリウスは一歩、また一歩と踏み出した。 これまで何度も歩いた、山を下り、町へと続く小道。買い物の手伝いで、祖父母と手をつないで歩いた思い出の道だ。 変わらない風景。鳥のさえずり、草木のざわめき。 たった五分ほど歩いただろうか。見慣れた道の先に、異質なものが現れた。
そこだけ、空間が切り取られたように途切れている。 真円の、漆黒のゲート。 まるで、夜空の一部が、この穏やかな山道に落ちてきたかのようだ。 吸い込まれるような闇が、その奥に何があるのかを語らず、ただひたすらに不気味な沈黙を保っている。
「……なんだ、これ?」




