第9話 Time to Know
朝になっても中々起きてこない寿に、心配しながら信乃は部屋をノックした。
返事はなかったが、小さくすすり泣く声が聞こえて、信乃はそっと引き戸を開いた。
布団にくるまったまま、寿は肩を震わせて泣いている。
「どうしたの、寿くん…?」
「…しんたろうのお父さんが死んじゃって…しんたろうが泣く記憶をみた…」
泣き腫らした目を擦りながら答える寿に、信乃はぐっと唇を噛む。
「寿くんは、しんたろうさんの記憶が見れたのね」
「……怖かったし、悲しかった…」
「寿くんにとっては夢だけど、しんたろうさんにとっては紛れもない現実なのよ」
「…しんたろうは…今もずっと悲しいままなんだね」
感覚を共有して見た記憶は、まるで自身が体験したように生々しかった。
殴られた痛みも、大切な人を失った痛みも、強い怒りや悲しみも、寿は知らない感情だった。
今もそれに苛まれているのかと思うと、寿の胸は言いようがないほど痛む。
「…これからも何度か見るかもな。お前はしんたろうさんの息子だから」
「…うん」
信乃との会話を黙って聞いていた荘助は、眉根を寄せながら寿の頭をくしゃりと撫でる。
息子とは言ったものの、父ではなくしんたろうと呼ぶ事に、荘助は何とも言えない思いを抱いていた。
そもそも寿は恐らく《人型》だ。先日の無邪気さを思いながら、荘助は拳を握りしめた。
「過去に科学者たちが大勢拉致された事件があった、ということは世間にも知られている。だが、その中心にしんたろうさんがいたことや、事件が今も続いているということは、誰にも知られていない」
「そうね、あまりに酷かったから報道も自主規制して、断片的な情報しかないから」
荘助たちは一部を除き、しんたろうの過去を殆ど知らない。過去に発覚したその事件は、イドラの極一部の上層部が暴走したとして逮捕者が出たが、そこまでだった。
事件の発覚とともに、イドラから救出されたはずのしんたろうは、いつからかは分からないが再度拉致され今に至る。
初めて出会った時、しんたろうの体は酷い怪我だらけだった。暴行された直後だったのかもしれない。
ただそれでも目の奥に強い光を宿していた事を、今でもはっきりと覚えている。
「警察だってあてにならない。捕まった連中には、警察の上層部もいたって話だからな」
──俺達の村の時だって、と過去を思い出し忌々しげに話す荘助を、寿は黙って見ていた。
「……しんたろうを助けたい」
しんたろうが拉致された経緯を知り、寿の中に初めて怒りが湧き始めていた。自分が受けた仕打ちも、しんたろうの記憶も、寿に新たな感情を教えている。
そして自分を復讐のために造ったとしても、助けたいという気持ちが生まれてくる。
「…一旦終わりにしましょ! 今日も街を案内するわ。顔洗って、朝ごはん食べましょ?」
「う、うん、分かった」
信乃は両手を叩いて無理矢理空気を変えると、寿をひっぱり起こし洗面所に押し込んだ。
***
信乃は仁と寿を連れて再び街を散策しはじめた。
先日とは変わって公園や水族館など、一度も行ったことのない場所に寿の胸は躍る。だが見たばかりの事実を思うと、心から楽しめなかった。
「寿ー? なんかぼーっとしてるけど大丈夫?」
「う、うん! 大丈夫だよ!」
仁が不思議そうな表情で寿の顔を覗き込んだ。
仁にはしんたろうの記憶の話をしていない。寿は少しぎこちない笑顔を向けた。
「おっ、ここもチョコパフェあるじゃん。休みましょうよ信乃さん!」
「ええ、そうしましょうか」
(しんたろうにも、ちょこれーとぱふぇ食べさせてあげたいな)
ぼんやりとパフェのサンプルを見ながら、寿はしんたろうを想う。囚われたままのしんたろうはきっと、この食べ物だって食べられない。
しんたろうが父と過ごしていた温かい時間。それが無惨に壊され奪われたことを思い、寿は唇を噛みしめる。
「……いつかしんたろうさんも連れて行きましょうね」
「うん、絶対一緒に行く」
寿は小さく微笑むと信乃の手を掴み、喫茶店のドアを開けた。
微笑んだ寿の唇には、微かに血が滲んでいた。
***
「ただいま、支度しながらでいいんで聞いてくれ」
家に戻り、夕飯を支度していた寿たちに、どこからか戻ってきた荘助が、椅子に座りつつ全員を見た。
「明日の夜なんだが、直樹さんと都合がついた。いつものバーで落ち合うぞ」
「直樹さん…しんたろうのお父さんの友達だよね?」
「ああ、記憶で見たのか。直樹さんは俺たちに物資や家を融通してくれる協力者なんだ」
「そーそーオレの功績!」
寿の言葉に頷きながら、荘助は直樹との関係を話し始めた。
陽気でノリが軽い仁だが、実はパソコンに精通しており、ハッカーの真似事ができるレベルの腕前だった。そんな彼はネット上での情報収集中に、直樹の組織から逆アクセスを受けた。
トラップでは無い事を徹底的に確認し、開いたメールには資金と物資の援助を申し出る旨が書かれていた。
そこにイドラやえいじの名前、何よりしんたろうの事が触れられていなければ、荘助は会おうなどとは思わなかっただろう。
過去のイドラの事件は報道規制が自主的に行われ、最大の被害者であるしんたろうの名前は、一般人の知るところではなかったからだ。
「あんたが荘助さんか?」
指定された廃倉庫で一人待つ荘助の元に、暗がりから嗄れた声が響き、荘助は驚いて振り返った。
そこには老人と若い男が立っていた。
「…そうです。伏一族の生き残りです」
「急に呼び出してすまなかったな。俺が直樹だ」
老人は杖に頼ってはいたが、すくっと立つ姿には、言いようのない威圧感があった。
鋭い眼光とその顔は、過去に新聞で見たことがある。まさかとは思ったが、老人──直樹は日本で上位に入るヤクザのトップだった。
「こちらも半信半疑だったんだが、しんたろうの名前を知っているなら間違いないな」
「何故あなたが、しんたろうさんを知っているんですか? それになぜ俺たちに協力を…」
「…あいつの父親は俺の親友だった。しんたろうの事は生まれた頃から知ってる」
ただでさえ強い威圧感が一気に深まり、荘助の背に冷や汗が落ちる。
拉致事件の中で、しんたろうの父はイドラに殺害されている。その事を知っている荘助はごくりと喉を鳴らした。
「俺はあいつに、真一郎に約束した。しんたろうを必ず救うと。だがイドラは狡猾で俺にも手が出せねえ」
苦々しい表情で直樹は歯を軋らせる。
ヤクザの中でも武闘派のトップに立ち、フロント企業も国内外有数の企業まで育て上げ、今や相当な権力を持つ男にもイドラという組織は巨大過ぎた。警察のみならず、政治家にも太いパイプを持ち、現首相はイドラの一族の者だった。
しんたろうの命を盾にされている状態では、強行手段を用いることも難しい。
「だからあんたらに託したい。超能力が使えるんだって? だがそれだけじゃあ心許ないだろ」
直樹が手を上げると、傍らに控えていた部下が重々しいケースを床に置き開いた。開いたケースの中には、あらゆる重火器が並べられていた。
「この国でこいつが手に入るルートは、限られてるからな」
「…こ、れは……」
「使ったことはねえだろうが、ウチの施設で使い方を教えてやる。拠点も俺が何とかしてやるから使ってくれ」
日本でも最大規模に入る組織に今なお君臨する直樹。直樹も手が出せないが、えいじも直樹に手が出せない。直樹は荘助に深く頭を下げる。
「俺にはあいつを助けることがもう出来ない。どうか助けてやってくれないか」
「もちろんです! 俺の弟はあの人に助けられたんです…必ず…!」
「オレも話したことあるけど、目付きがやばいだけで良い人だったよ。ヤクザだけどさ」
「やくざってなに??」
「えーとーー強くてヤバい人たち?」
「ふーん? なんか分からないけどいい人なんだね!」
寿に尋ねられた仁は、目を背けつつ曖昧な説明をした。大分ズレた理解をされてしまったが、まあいいかと特に訂正しなかった。
「ともかく、まずは夕飯だ。食べたら支度して行くぞ」
***
「いつものバーって、最初のお店のことだったんだね」
「そーそー大概ここでやりとりしてるね。店か何か分かりにくいし、隠れるにはうってつけってわけ」
何故か得意げに話す仁を苦笑いで見ていた誠は、重々しい扉が開く音に目線だけ向けた。
「──お待ちしてました。直樹さん」
「ああ、少し時間が空いちまったな」
直樹は軽く手を上げながら微笑む。寿はドキドキしながら服を強く掴んでいた。
「俺は直樹。お前が寿だな?」
「う、うん。寿です。初めまして」
真っ直ぐ寿を見ると、直樹は懐かしそうに目を細めた。ゆっくり手を伸ばすと、寿の頭をわしゃりと撫でる。
これまで見たことがない老人の、皺だらけだが温かい手に、寿はくすぐったそうに笑む。
「しんたろうによく似てる。あいつの息子か。会えてよかった。俺はしんたろうの父、真一郎の友人だ」
「……しんたろうのお父さんの友だち…」
「普通に爺ちゃんの友だちでいいだろ、まどろっこしい」
「…うん」
歯切れの悪い返答を返す寿を見て、直樹はその原因に気付いたように話し始める。
「荘助さんに聞いたぞ、お前のこと。もしかしてそれを気にしてんのか?」
「…だって僕は、しんたろうの子どもじゃなくて、復讐するための《人型》かもしれないんだ。もしそうなら息子じゃない……」
「俺には人間と変わらなく見えるがな」
さらりと返す直樹に、寿は顔を勢いよく上げた。今に泣きそうな表情で直樹に噛み付くように叫ぶ。
「僕はしんたろうに作られたんだ…! だから」
「生まれ方なんてどうでもいいだろ。大事なのは今どう思うか、あいつがどう思っているのかだ」
「……そんなこと言ったって…」
もし自分が《人型》だったら?
自分を作ったのは復讐のためだったら?
そう考えるほど、自分の事もしんたろうの事も怖くなって仕方なかった。
「しんたろうも真っ当に生まれたわけじゃない」
「え?」
予想もしなかった言葉に、寿は目を丸くした。
荘助たちも知らなかったのか、驚愕に息を呑んでいる。
「あいつの母親は、真一郎に無理矢理子どもを作らせた。そしてその母親は……えいじの母でもある久是だ」
「じゃあ……えいじは…」
「父親は違うがしんたろうの弟だ。血縁上は、な」
予想だにしなかった事実に、全員が目を見開いた。
ますます疑問が湧いてくる。
なんで兄弟なのに、えいじはしんたろうを傷付けるんだろう。
なんであんなに…しんたろうを憎んでいるんだろう。
兄や姉が大好きな寿には、理由が全く分からなかった。




