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僕の願いが世界を変える──泥より出でて、泥に染まらぬもの  作者: 露隠とかず
メインストーリー

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第7話 【過去編】Rebirth<中編>

 僕の専門は生物学の中でも遺伝子だった。

 まだ世間はヒトゲノムの解読さえ終わっていない状況だったけど、新しい研究成果が発表される度、食いつくように論文を読んでは胸を躍らせていた。


「先生の手…素敵ですね。何でも創り出す魔法使いみたい」


 そう言いながら目を輝かせて、僕の研究を手伝ってくれた女学生。

 名前を久是(くぜ)と言った。


 学問一辺倒だった真一郎は、これまで女性との付き合いもろくになく、真っ直ぐな好意を向けてくる久是にすぐ夢中になった。

 大学を卒業するときに両親を事故で失い、早々に一人になってしまった彼にとって、親友の直樹とは違う意味で大切な人になるのに時間はかからなかった。




 行きつけの喫茶店で、いつものようにお互いの近況を話していると、真一郎は何かを思い出したように微笑んだ。

 目ざとく気づいた直樹は、コーヒーを飲みながらからかうように笑った。


「なんだニヤニヤして。久是って子と進展でも?」

「へへ~、分かる? 今度プロポーズしようと思って」


 照れくさそうに笑む真一郎に、直樹は一瞬驚いたが嬉しそうに笑った。

 親友が惚れ込んだ女なら、きっと良い子なんだろうと思いながら。


「そりゃ良かった! お前はとっとと身を固めろよ」

「直樹がそれ言うの~?」

「俺はいいんだよ。結婚する気もねえし」


 直樹は大学を卒業すると同時に、家業を継ぎヤクザの十二代目組長となっていた。だが、幼い頃から共に育った二人の友情は、何ら変わることなく続いていた。

 数年後に帝大の助教授となった彼の立場を思い、直樹は表立った付き合いを避けた。それでも真一郎は直樹とこうして会っては、互いの近況をよく話していた。


「近々彼女の家に挨拶へ行く予定なんだ」

「そうか、そろそろ必要かと思って持ってきたんだが、ビンゴだったな」


 直樹は微笑みながらカタログを手渡すと、肩をばしんと叩いた。

 手渡されたカタログの表紙を見て、真一郎は目を丸くする。


「えっ! これ、指輪のカタログ…?」

「お前のセンスだと不安だからな。折角だし可愛いの買ってやれよ?」

「ありがとう直樹! 結婚することになったら絶対式に呼ぶから!」

「ああ、期待してるよ。そんじゃ俺は先に帰るわ」


 ひらひらと手を振りながら、直樹は店を後にした。

 真一郎は熱心にカタログを読み、一組のマリッジリングを買いに街へ出た。


「久是くん。僕と…結婚してください」

「…! 先生…うれしいです…! もちろん喜んで」


 久是は感極まったように両手で顔を覆い、小さく肩を震わせた。真一郎は微笑みながらその肩を優しく抱きしめた。

 柔らかな黒髪が真一郎の腕にふわりと絡みつく。


「私…ずっとこの日が来ることを信じてたの…」

「僕もだよ! ありがとう、久是くん。親御さんにも挨拶に行かなきゃね」


 柔らかい笑みを浮かべる久是を、真一郎は愛おしげに見つめた。

 スーツはどこにしまったかを考えつつ、真一郎は帰路についた。



 三時間以上電車に揺られ、着いた先は山間にある村だった。

 無人駅がポツンとあるだけで、目立った店もビルもないが、どこか懐かしい雰囲気があった。

 先に到着していた久是と待ち合わせをして、駅から二人で並んで歩いた。


 そこの山を背にした広大な土地に、久是の家があった。

 最早屋敷と言っても過言ではない大きさに、真一郎は内心冷や汗をかく。


「き、緊張してきた……」

「そんなに固くならないで先生、お母さんただいま。真一郎さんを連れてきたわ」

「おかえりなさい久是。初めまして真一郎さん」


 付き合いが長くなっても、久是は真一郎の事を先生と呼ぶ。

 名前で呼ばれ慣れていないため、少しこそばゆい気分になりながらも、真一郎は玄関の門をくぐった。


「初めまして真一郎と申します。久是さんと…お付き合いさせていただいています」

「お話は久是から伺っておりますわ…どうぞお入り下さいな」


 品の良い女性に微笑まれ、真一郎はガチガチに緊張していた体から少し力を抜いた。広い和室に通され、良い香りのお茶を出される。


「久是くんの家って、随分大きいんだね…」

「ふふっ旧いだけですよ。父を呼んできますから、どうぞゆっくりしてて」


 一人残されてぼんやりと中庭を見ながら、真一郎は出された茶を飲んだ。

 なんと伝えればいいか、どのタイミングで話せばいいか。

 緊張から喉が乾いてしまい、あっという間に湯呑のお茶はなくなっていた。


(……あれ? 久是くんのお父さんって、亡くなってなかったっけ…)


 そんなことを考えていると、不意に眠気が襲ってきた。

 複数の男たちを連れて戻ってきた久是が、微笑みながら真一郎に語りかける。


「どうしたの先生?」

「な、にこれ……」


 手にした湯呑みが滑り落ち、机の上に転がった。

 異常な眠気に座っていることすらできず、真一郎は畳に倒れ伏した。理解できない自身の状態に、困惑と恐怖が湧き上がるが、眠気がそれを許さない。


「ずっと待ってたの。先生が私に心を許しきるこの日を」


(く、ぜ…?)


 にこりと微笑む笑顔はいつもと変わらないはずなのに、真一郎は背筋に何か冷たい物を感じた。

 尋ねようにも声も出せず、力の入らない体で藻掻こうとするが、指一つ動かせなかった。


「おやすみなさい先生。また後でね」


(なに、が……)


 真一郎はもはやホワイトアウトに近い睡魔に、久是に優しく頭を撫ぜられながら意識を手放した。





「…い、先生」

「……ここ、は…いたっ…」

「急に起きちゃ駄目よ、先生」


 パチパチと火が燃える音がかすかに聞こえる。

 久是に何度か呼びかけられて、真一郎は薄っすらと目を開いた。眼鏡をかけていなかったため、全てが滲んで見える。

 サイドボードに置かれていた眼鏡をかけると、急激に覚醒した真一郎はがばりと身を起こした。


 そこは、高い位置に鉄格子のはまった窓が一つあるだけの座敷牢だった。痛む頭を抱えながらあたりを見回す。部屋の前面を覆う鉄格子が、久是と自分を冷たく分かつように聳えていた。

 ベッドに寝かされていたものの、足に違和感を感じてシーツを剥がすと、その足に枷がはめられていて真一郎は絶句する。


「おはよう先生。ごきげんいかが?」

「……久是くん…!? ここはどこだ! 君は一体…」

「ふふ、ここは家の地下。大声を出しても疲れるだけよ?」


 格子の向こうから久是が微笑みながら真一郎を見つめていた。思わず声を荒らげる真一郎に頓着せず、ゆっくりその場にしゃがみ込む。

 その瞳はまるで実験動物を見るかのような、無機質な光を宿していた。


「──はるか昔からねぇ、私の家は学者の家だったの」

「……!?」


「選ばれし血族を絶やすまいと、優秀な者達と交わりを繰り返し、遂に私が生まれた」


 さぁっと真一郎の顔から血の気が引いていく。

 考えたくない可能性に、強くシーツを掴んだ指先が白んでいた。


「私が優秀なのは、先生が一番ご存知よね?」

「君は…僕の事を…」

「貴方のことを調べて…私とても感激したの! 貴方が我が一族の大願を叶える者だって分かって」


 狂気すら感じさせるその目に気圧されて、真一郎は言葉を失う。

 初めから頭脳が目的で自分に近づいてきたのだと確信し、真一郎の目から涙が溢れた。


「僕は君を…愛していただけなのに…」

「私も貴方を愛しているわ。その類稀な才能をね」


 格子の向こうで微笑む彼女の顔は、真一郎が知っている顔とは異質なものだった。

 圧倒的な人としての断絶を感じたその瞬間、真一郎はどんなに言葉を重ねても無駄だと悟った。




 ***




「…地下に監禁されてたのか」

「うん…村全部が久是の一族しかいなくて、逃げることもできなかった」


 闇医者から治療を受けつつ、真一郎は己の身に降り掛かった出来事をぽつりぽつりと話し始める。

 まさか結婚まで考えていた女が真一郎を監禁したとは思わず、直樹はもっと徹底的に調べるべきだったと唇を噛みしめる。


「真一郎さんは、その女と結婚するつもりだったんですよねぇ? すぐ手に入る相手をなんでわざわざ…」

「……そうやって丸め込もうとした久是の父親が、発狂して自殺したかららしい。僕も当然断ったよ。でも…」

「……力ずくでやらせようとしたんだな?」


 静かに抑えた声で尋ねる直樹に、真一郎は悲しみと憤りが混ざる表情を向けながら頷いた。



 直樹は、ちょうど消毒されている背中の傷を苦々しい表情で見つめた。

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