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僕の願いが世界を変える──泥より出でて、泥に染まらぬもの  作者: 露隠とかず
メインストーリー

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第6話 【過去編】Rebirth<前編>

 《──東京地方、今夜は雨がぱらつくでしょう。お出掛けの際は傘をお忘れなく》


 ラジオが天気情報を流し、軽快な音楽に変わる。

 携帯電話に着信が入り、直樹は読んでいた書類をテーブルに投げ出した。液晶には部下・龍己の名前が表示されている。


「なんだ?」

『お疲れ様っす、今日はいらっしゃるんですかぁ、若』

「ああ、事務所に顔出しに行く」

『了解っす、お待ちしてますねぇ』


 通話を切り携帯電話を折りたたむと、陽がとうに落ちた夜の街へ向かうべく、直樹は簡単に身支度を整えた。

 鏡の傍らの棚に置いたままの学生時代の写真に、一瞬目をやり小さく溜息を吐く。


「……真一郎。一体どこにいるんだ…」


 その写真に映る人の良さそうな友人──真一郎は、教え子と結婚するのだと嬉しそうに話していた。そんな幸せそうだった彼が、急に行方を暗ませてから、もう二年近い時が過ぎようとしている。

 人間関係のトラブルや、職場での問題なども特になく、姿を消す理由も見当がつかない。


 心あたりがある場所は全て探した。だが、彼の持ちうる全ての情報網を駆使しても、真一郎の行方はつかめなかった。

 そしてその教え子は、ショックから大学を中退し、実家へ戻ってしまったらしい。




 遠雷が低く響く。


 一雨来るかと空を見上げ、直樹は傘を忘れたことに気付いた。戻るのも面倒でタクシーを拾えばいいかと、直樹はそのまま階段を降りていく。


「……直樹」


 降りた先の狭い路地に男が一人、立っていた。すやすやと眠る赤ん坊を抱えて。

 立ち竦んだ直樹は、その男の顔を認識し、目を見開いた。


「真一郎!? お前…一体どこにいたんだ!!」


 伸び放題の髪と髭。眼鏡も服もボロボロで、体中薄汚れていた。裾から覗く左足首には、鉄の枷が嵌ったまま血を滲ませている。

 直樹はごくりと喉を鳴らす。


 唯一、腕の中の赤ん坊だけは清潔な毛布に包まれ、すやすやと眠っていた。

 赤ん坊を抱き寄せる真一郎の眼から涙が溢れ、毛布に染みを作っていく。


「……一体何があった…」

「僕はもう、真一郎として生きることはできない」

「…!?」


 遠い目をしながら、真一郎は小さな声で呟いた。真一郎の身に、何が起こったのか直樹には想像もつかない。


「その子は…」

「この子はしんたろうっていうんだ。僕の…息子だよ」


 真一郎の言葉に、直樹は遂に言葉を失った。

 今に泣き出しそうだった空から、ポツポツと雨が降り始める。


「──話は上で聞くからウチに上がれ。すぐ医者呼ぶから。安心しろ、ウチの医者だ。口は堅い」

「で、でも迷惑が…」

「あァ!? 俺がどれだけ心配してたと思ってんだ! 迷惑じゃねえよ!!」


 真一郎は、直樹の剣幕にビクリと肩を竦ませた。

 遠慮しがちな真一郎の性格をよく知っている直樹は、そのまま二の句を告げさせなかった。すぐさま闇医者に連絡を取る。


「あー先生? ちょっと俺んちまで来てくれねえか? カチコミじゃねえよ。いいから、怪我してんだよっよろしくな!」

「あ、あの…なお」

「俺のことを最初に思い出してくれたんだろ? 最後まで頼れよ。友達なんだから」


 にやりと頼もしい笑みを浮かべる直樹を見て、真一郎の瞳から再び涙がこぼれ落ちる。


「直樹…怖かったんだ。君まで変わってたらどうしようって…」

「…何言ってんだ…?」

「君にまで道具を見るような目で見られたら、僕はもう……」


 真一郎の言葉の意味が分からず、直樹は眉根を寄せた。

 無言で真一郎の肩を抱くと、そのまま部屋へと促すためエレベーターを呼んだ。




 程なくして闇医者が直樹宅を訪れた。

 左足の枷を二人がかりで外すと、化膿しかけた足首があらわになり医者は顔をしかめる。


「まだ歩けるか? 若、風呂に入ってもらってもいいか?」

「ああ、服なら準備しとくから、赤ん坊も入れてやれよ」

「う、うん…ありがとう」


 しんたろうを抱きかかえると、真一郎と直樹は風呂場へと向かった。

 一通り説明した後戻ってきた直樹は、換気扇の下に移動しつつ煙草に火を付ける。


「…彼は、どこかに監禁されてたんじゃないか?」

「俺もそう思う。だが真一郎は誰かに恨みを買ったりはしねえはずだ」

「だったら子どもができたのが原因か? いやそうなら子どもを連れて逃げたりは…」

「若ぁ、赤ん坊の服とか、粉ミルクとか買ってきましたぁ」


 闇医者も煙草に火を付ける。二人で話をしても埒が明かない。

 そこに間延びした声で部下の龍己がやってきた。直樹の家に赤ん坊の服などなかったため、細々した買い物をしてくるよう連絡していたのだ。


「ああ、急に悪かったな」

「いえいえ、遂に女孕ませて押しかけられたんだろうなと思ってきたんでぇ。違ったんですねぇ」

「……お前俺をなんだと思ってんだ。んなヘマするかっての」


 靴を脱ぎ散らかしながら家に上がると、龍己はさっさと台所に入った。

 コーヒーを飲む直樹の家のキッチンには、いつでもお湯が入ったポットがある。


「赤ん坊に洗濯前の服着せられないんで、洗濯して乾くまでは直樹さんの服着せましょうかぁ」

「タツ、歳の離れた弟多いんだったか。よく分からんから助かる」


 手際よく哺乳瓶の準備をしながら、龍己は壊された足枷をちらりと見やる。

 玄関に入った時に見たボロボロの靴も相まって、思わず龍己の眉間に皺が寄る。


「真一郎さん見つかったんですねぇ。しかし足枷? 今どきオレらも使わないすよそんなもん」

「ああ、口外すんなよ? どこのどいつか知らねえが、やった奴ァ絶対許さねえ」


 煙草を一気に吸い込みながら、直樹は眦を吊り上げる。抑えてはいるものの、直樹の怒りは頂点をとうに超えていた。

 その時脱衣所の扉を開けて、真一郎がリビングへ戻ってきた。


「お風呂ありがとう。服はこれ着ていいの?」

「ああ、置いといたやつ着ろよ。赤ん坊の分は──」


 腰にタオルを巻いただけの真一郎の姿を見て、直樹は言葉を詰まらせた。

 大きく深い裂けたような傷跡が、背中を中心に上半身を覆っている。真一郎にこんな傷はなかった。


「…大丈夫だよ、新しいのも治りかけてるから」



 窓の向こうでは、本格的に雨が降り始めていた。

 空に垂れ込める黒い雲が、ただ不穏な予感をもたらしていた。



 ──今となっては直樹しか知らない。

 これは、寿もしんたろうも知ることのない、真一郎の戦いの記録。

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