表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の願いが世界を変える──泥より出でて、泥に染まらぬもの  作者: 露隠とかず
メインストーリー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/46

第5話 父の記憶──喪失

 真っ暗な闇の中、寿はたゆたうように逆さまのまま浮かんでいた。そこには以前と同じく、シャボン玉のように揺れる映像があった。

 たくさんの声と感情が頭に響き、寿は思わず耳をふさいだが、映像は止まることなく流れていく。


『知らない声…僕の記憶じゃない?』


 恐る恐る虹色に輝く膜へ手を触れると、強い力に体を引っ張られ──次の瞬間、寿は知らない家の中にいた。

 目の前で知らない眼鏡の男が、本を読みながら座っている。テーブルの上にあるティーカップは既に空になっていたが、男は本に集中しているのか気づいていない。


「ただいまー腹減ったー」

「おかえり、しんたろう」


 玄関の引き戸を開ける音が聞こえて、男はふと顔を上げた。

 廊下を歩く音が聞こえ、男の前まで来たしんたろうは男に話しかける。

 ぱたんと読んでいた本を閉じると、男は微笑みながらしんたろうに視線を向ける。その笑みはしんたろうに似ていた。


「カレーってまだ残ってたっけ?」

「うん。今支度するね」

「父さんも一緒に食べようよ。お茶準備するよ」


 体が勝手に動いたと感じた瞬間、寿の意識はその体から抜けた。

 呆然と二人が台所へ移動するのを見つめている内に、今何が起こっているのか不意に気づく。


『違う、これはしんたろうの記憶だ……』


「先に手を洗っておいで、しんたろう」

「はーい」


 応えながらしんたろうは蛇口を捻った。当たり前に交わされる親子の会話に、寿は胸がちくりと痛む。

 自分も同じように、しんたろうから温かく迎えてもらえるだろうか。


 と、その時玄関からチャイムが響いた。


「ん? こんな時間に誰だろ?」

「禊ちゃん、にしては遅いか」

「さっきまで会ってたから違うんじゃないかな。何だろう」


 ちらりと時計を見ながら、しんたろうは手を拭くと台所から玄関を覗いた。

 ガラス戸の向こうに、長身のシルエットが映る。


「回覧板かな? ちょっと行ってくる」

「うん。ご飯の支度しとくね」


 ゆっくりと玄関へ向かうしんたろうを見ながら、寿の胸に嫌な予感が過る。


(なんでだろう。あのドアを開けちゃいけない気がする…)


「どちら様?」

「書留ですー鏡也様宛に」


 父宛てのものかと、しんたろうはサンダルを履くと、何の気なしに玄関の鍵を開け引き戸を開いた。

 目の前には何も持っていない金髪の男──えいじが立っていた。その顔に赤い刺青はなかったが、冷淡な光を宿す蒼の瞳は寿を見下ろしたあの目だった。驚愕に寿は息を飲む。


「…書留じゃないな。あー勧誘とかなら間に合って…」

「平和な脳みそだな」


 言うが早いかえいじは拳をしんたろうに叩き込んだ。

 咄嗟にガードした腕に走る、じりじりとした痛みは、記憶と共に現実のものとして寿の腕にも伝わってきた。

 よろけて上がり(かまち)まで後ずさったしんたろうをにやりと見ると、えいじはそのまま玄関に押し入る。


「っ…何だお前…!?」

「いい反応じゃねぇか。想定外だ」


 笑いながらえいじは反対の手で追撃を仕掛けた。

 同じようにガードしたしんたろうだったが、防いだ瞬間焼けるような激痛が走り思わず膝をつく。


「ぐ、ぅ…っ」

「こういうのは初めてだろ? お坊ちゃん」


 にやにやと笑うえいじの手の中で、スタンガンがばちりと唸る。

 初めて受けた衝撃に戸惑うしんたろうに、えいじは容赦無く二打目を打ち込んだ。しんたろうの体が痙攣し、廊下に仰向けに倒れ込む。

 激痛に声が出ないしんたろうの胸倉を掴み上げた瞬間、鏡也が台所から飛び出してきた。


「しんたろうを離せ! お前一体…」

「騒ぐなよ鏡也さん…いや──真一郎?」

「なっ…!」


 真一郎と呼ばれ、鏡也の顔に動揺が走る。えいじの顔が愉悦に歪んだ。


「昔は帝大の准教授だったらしいな」

「そうよ。そして私の夫。久しぶりね先生」

久是(くぜ)…! 君と結婚した覚えはないっ!!」


 えいじの影から、久是と呼ばれた女が微笑みながら現れた。その顔に吐き気を堪えるように、鏡也は口元を押さえる。

 捕食者を思わせる冷酷なその笑みに、寿の背筋を冷たいものが這い上がる。


 父さんの妻…母さん?

 亡くなったんじゃ…真一郎って……


 しんたろうの疑問が寿の思考に入り込んでくる。

 えいじはその様子に気づいたのか、膝を着きしんたろうの顔を覗き込みながら囁いた。


「真一郎ってのは、お前の父親の本当の名前だ」

「……!?」


 えいじの言葉に、しんたろうは混乱する。

 だがその言葉が真実だと、父の顔を見て悟った。


 なんで名前を…


「まさか先生があんな事までして、その子と逃げるとは思わなかったわ」

「当たり前だ! しんたろうは僕の大事な息子だ!!」


 強い目で睨みつけながら、真一郎は拳を握り締める。

 久是はにやりと笑うと、サイレンサーのついた銃を向けた。


「いやねぇ、先生…その子は私の息子でもあるのよ。私達が世界を変えるための、大事な道具なのよ?」


 しんたろうは、母は自分を生んだ後、病死したと聞かされていた。だが女は自分を母親だと嗤う。

 温かみなど一切感じさせない声で。


「まだそんな事を言ってるのか…まさか……!」


 真一郎の目が驚愕に見開かれる。久是は口の端を吊り上げた。


「機は熟したわ。あなたはもう要らないのよ、先生」

「久是…っ!」


 カチンと撃鉄の下りる音が静かに響き、真一郎はがくりと崩折れた。

 左腕で押さえた腹から血が滲んでいく。


『あ、ああ…!!』


 しんたろうの気持ちが寿の心に流れ込み、経験したことがない深い悲しみが胸を貫く。

 寿は目を見開き震えながら口元を押さえた。


「と、うさ…ん……!!」


 震える腕を必死で伸ばすが、指先は空を掻くばかりで、しんたろうは悔しさに顔を歪めた。涙が溢れて視界が滲んでいく。

 荒い息の下で、真一郎はしんたろうに僅かに微笑んだ。


「しんたろう……君は生きて、幸せに…」

「父さ、ん…!!」

「さよなら、先生」


 二人のやり取りを見ながら冷笑を浮かべる久是は、再度真一郎を撃った。

 真一郎は言葉を発することなく崩れ落ち、じわじわと血溜まりが広がっていく。


「あ、ああああ…っ!!」

「うるせえ男だな」


 慟哭を上げるしんたろうにえいじは冷ややかに吐き捨てると、しんたろうの首筋にスタンガンを叩きつけた。

 しんたろうの意識が捥ぎ取られるように消失し、寿の視界も黒く塗りつぶされていった。


「丁重に扱いなさいよ。大事な道具なんだから」

「チッ、分かったよ。ここは焼き払えばいいか?」

「ええ、何の痕跡も残さないようにね」


 消えていく意識の中で最後に聞こえた会話は、目の前で起こったことに何の痛痒も感じていない声だった。



『しんたろうも…僕と同じでさらわれたんだ…』


 再びシャボン玉の浮かぶ空間に戻され、寿は呆然と呟いた。

 深い悲しみはまだ尾を引き、寿は胸の前に組んだ手を強く握り締めた。


 現実の世界に戻るのかと思ったが、新たな映像が浮かび上がってくる。

 真一郎でもしんたろうでもない、あまりに強い誰かの意識が、寿にしんたろうも知らないはずの記憶を見せていた。



 ***



 吊り目気味のその男は、燃え上がるしんたろうの家の前で動揺に瞳を揺らした。

 強い怒りと後悔の念が、寿の心を焦がさんばかりに入り込む。

 彼の中にフラッシュバックする記憶は、彼が真一郎の友人で直樹という人物だと伝えてくる。



「真一郎ぉ!!! 離せ龍己っ!!」

「直樹さん! あんたまで危ないっすよ!!」


 直樹は龍己の制止を振り切り、燃え盛る家の中へと突っ込んだ。煙を吸い込まないよう布で口元を覆い、床に低く身構えながらあたりを見回す。

 廊下にうつ伏せに倒れた真一郎の姿が目に入り、直樹は慌てて駆け寄った。


「真一郎! しっかりしろ真一郎!!」


 揺すっても動かない真一郎を抱きかかえ、直樹は突き当りの勝手口を蹴り破り脱出した。

 煤にまみれた真一郎の体は、火災によるものとは思えぬほど、血にべっとりと塗れていた。そしてその傷跡が銃創だということに瞬時に気づき、直樹は血の気が引くのを感じた。


「なんでこんな…」

「な、ぉ…」


 うっすらと目を開けて、真一郎はか細い声で直樹に話しかけた。

 言葉を紡ぐたびに血が溢れ、直樹は歯を軋らせながら傷口を押さえた。


「真一郎しゃべるな! 今救急車が…」

「…しんた、ろ…攫わ、れ……た、すけ、て…」

「!! 分かった、絶対に助ける!! だから、もう…!」

「あり、が、と……」


 真一郎は力なく微笑むと、そのまま目を閉じた。

 その体から力が抜けて、直樹は瞠目する。


「真一郎っ…真一郎……!!」


 銃創の場所と出血量で、助からないことは分かりきっていた。何故危険を察知できなかったのかと、深い後悔が直樹を襲う。

 まるで心の一部を音も無く失い、虚が広がるような喪失感に心臓が冷たく脈打つ。足から力が抜けて崩れ落ちそうになった。だが友に託された最期の言葉が、凍てつき止まってしまいそうな心を、辛うじて繋ぎ止める。



「……心配はいらねえ。俺が必ず…!!」


 腕の中で冷たくなっていく体を抱きしめながら、直樹は強く決心する。



 絶対にしんたろうを救い出し、あの女を殺すと。




 爆発するような感情は、直樹の記憶を寿に伝えた。寿はあまりの光景に絶句した。

 こんなに強烈な怒りと憎しみの感情は知らない。



 閉ざされていく闇の中、寿は強く両手を握りしめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ