第44話 最期のわがまま
「關鍵!!」
「……驚いたネ。みんな帰ってくるなんテ」
ようやく元の施設まで戻ってくると、港の係船柱に腰掛けた關鍵を見つけた。
直ぐ側には荘助たちの姿も確認できる。寿は珍しく驚いた表情の關鍵に抱きついた。
「よかった……關鍵死んじゃうかと思った…」
「ふふ、ボクはまだ死なないヨ」
ぽんぽんと頭を撫でながら、關鍵は困ったように微笑んだ。
その様子を優しい目でしんたろうは見つめている。そこに嗄れた男の声がしんたろうの名を呼んだ。
「しんたろう… 四十年ぶりか」
「直樹さん…?」
「ああ、分からないのも無理ねえな。俺もだいぶ歳をとった。お前は……変わってないんだな」
しんたろうは首を振ると直樹の元に駆け寄り、手をしっかりと握り締めた。
四十年という時間を感じる皺だらけの手に、しんたろうは胸が締めつけられる。
直樹は逆に、四十年前とほとんど変わらないしんたろうの姿に、悔しそうに歯を軋らせた。望んで今の身体になったわけではないことを、聞くまでもなく理解したからだ。
しんたろうは全て察しながら、小さく首を振った。
「俺や父さんをずっと守ってくれた直樹さんを、俺が分からないわけないでしょ。やっと会えて嬉しいです」
「…すまない。俺は結局何もできなかった」
「そんな事ないですよ。彼らや寿を助けてくれたのは、直樹さんでしょう?」
呆然としんたろうを見つめる荘助たちに振り返り、しんたろうは微笑んだ。
その穏やかな笑みと反して、血に塗れたしんたろうの姿に荘助たちは苦しそうに顔を顰める。
「あなたは荘助さん、ですよね? 寿を助けてくれてありがとう」
「いや俺は……あの時の約束を、守りきれずすまない…!」
「え?」
数十年前に一度しか会ったことがないため、しんたろうは少しだけ自信なさげに尋ねつつ礼を告げた。
だが一転して荘助の急な謝罪に呆気に取られた。荘助は悔しそうに歯を食いしばった。
「あんたの息子を守ると言ったのに…寿を危険な目に遭わせてしまった。挙句、逆に守ってもらって…」
「そ、荘助!」
「…いや、あの」
「本当に申し訳ない! あんたを殺そうとしたのにろくに謝罪も出来ずに…!」
食い気味に謝罪しながら深く頭を下げた荘助に、しんたろうは困ったように微笑んだ。
目の前に立つと、荘助の肩に手を添える。
「頭を上げてください。俺はあなたを憎んだことはないから」
「……しんたろうさん…あんたは…」
「あなたが寿を助けてくれたから、俺も今ここに立っていられるんです。本当にありがとう」
驚いて頭を上げる荘助に、今度はしんたろうが頭を下げた。
「むしろ…あなた方全員を巻き込んで、本当にすみませんでした。謝って済む話じゃないけど言えてよかった」
「俺があんたなら同じように生きただろう。あんたが非を感じる必要はない」
「…ありがとう」
「なんかみんな謝ってばっかだねえ」
「もう終わったのにネ」
不思議そうに呟いた寿に、關鍵も呆れたように溜息を吐いた。
それでも全員の顔に浮かぶ表情には、もう憂いはなかった。それが嬉しくて寿はにこりと笑む。
「寿っ! 無事で良かった!!」
「あっ、仁! 良かった怪我してない?」
大人たちの影から、今に泣きそうな顔で仁が寿に飛びついてきた。寿は驚きつつも笑顔で抱きとめる。
ようやく安堵できる場所に戻ってこれた実感に、全員が緊張感を緩めはじめていた。
そんな雰囲気の中、關鍵は薬を手渡した時の事を思い出していた。
それは寿が施設を訪れる数日前、ようやくプログラム細胞死《玉匣》が完成した夜のことだった。
***
「生きてさえいればなんとかなるなんて言葉は、抗いようのない絶望を知らない者の詭弁だよ」
《玉匣》の入ったシリンジを受け取り、しんたろうは一旦それを引き出しにしまった。
ベッドに腰掛けるとおもむろに話し始める。
「何度諦めようと考えたか分からない。何もかも失って生き続ける事に、理由は一つしかなかった」
「それは何ネ?」
「…えいじへの報復。俺はただそれだけを胸に、何十年も生きてきたつもりだったんだ」
關鍵の手を握ると、しんたろうはにこりと微笑んだ。
しんたろうの突然の行動に、關鍵は首を傾げる。
「でも、今は違う。いや、最初から違ったみたいだ」
「……そウ」
「ありがとう。最期に嫌な役を押し付けてごめんな」
「…いいヨ別に。ボクしかできないって、思ってくれたんだしネ」
少し拗ねたように返事をすると、關鍵はしんたろうに抱きついた。
驚いたのか微かに息を呑む音が聞こえた。
「關鍵?」
「…ボクこそありがとウ、しんたろう」
しんたろうは何も言わず、關鍵の肩を軽く叩いた。
俺は全てを失ってなかった。島のみんなや關鍵や斎。俺はこんなにもたくさんの人に守られていた。
自暴自棄になっていた俺に、手を差し伸べてくれてありがとう。
寿を守ってくれて本当にありがとう。
「えいじは俺が連れていく。それが俺の、最期にやるべきことだよ」
微かに笑みながら伝えられた言葉に、關鍵は何も言えなかった。
***
全員に挨拶を済ませたしんたろうは、一人座ったままの關鍵の元に歩み寄った。
お互いの顔を見ると、思わず苦笑が浮かんでしまう。關鍵は立ち上がるとしんたろうの頬に触れた。
「おかえりなさイ。これまでで一番ボロボロ。頑張ったネ」
「…ああ、やっと全部終わるよ」
数えきれないほどの人間を巻き込んで、それを利己主義だと言われても、彼らはただ一つのものを追い求め続けた。
本当に欲しかったものを。
「うん、後は任せテ」
しんたろうの傷だらけの頬を優しく撫でながら、關鍵は穏やかに言葉を返した。
その頬に小さなヒビが入り、關鍵はぴたりと指を止める。
「…お礼を言えてよかった。關鍵のお陰だよ」
「うん……キミの最期のわがままも、今叶うヨ」
「ありがとう。ごめんね」
言い終わるなりしんたろうの身体が傾ぎ、關鍵はそれを支えながらしゃがみ込んだ。
仁と話していた寿は、慌ててしんたろうのもとに駆け寄った。斎も声にならない悲鳴を上げて、しんたろうの手に縋り付いた。
「しんたろう!? ど、どうして…」
「しんたろうさんっ、なんで…っ」
「えいじを殺したのは、俺の中にある《玉匣》なんだ…」
「え…? それ、じゃ…しんたろうも…!?」
苦しげに浅い呼吸を繰り返しながら、しんたろうは寿の手を力なく握った。
少しずつ下がっていく体温に、握りしめたしんたろうの手に小さなヒビが走ったことに、寿の顔が蒼白になる。
「ここまでなんとか、もったけど…もう……」
「しんたろう! なんで…死なないで!!」
「どうか、し、あわせ…に……」
しんたろうは呟くと、静かに目を閉じた。その体から力が抜けて、寿は關鍵に変わってしんたろうを抱き寄せた。
慌ててしんたろうの胸に触れると、脈拍がどんどん弱くなってゆく。
「嘘だろ…やっと助けられたのに…!!」
直樹が愕然としながら、崩れかける身体を杖に預ける。
寿が抱きかかえるしんたろうの様子は、真一郎を喪った時と同じで、直樹の手に震えが走った。
「何でこんなことしたの…しんたろうも死んじゃうのに…!」
「しんたろうの細胞が一つでも残ったラ、第二のイドラが出るネ。だから自分を全部消ス、そう言ってたヨ」
關鍵はしんたろうの腕を取り、微かに残る注射の跡をなぞる。
《玉匣》の細胞死プログラムが、すぐにしんたろうの身に影響を及ぼさなかったのは、えいじと違い使われた《非時》が不完全だったためだった。
だが不完全でも《非時》であることに変わりはない。細胞死のプログラムは、ついにしんたろうの身体を滅ぼし始めた。
「……やだ…そんなの、いやだ…」
「…寿。君は幸せに生きテ。それがしんたろうの最期の願いだヨ」
首を振って拒否する寿に、關鍵は哀しげに告げた。
全て協力していた關鍵は、しんたろうの願いを一番理解している。
「しんたろう! こんなのやだよ!」
「今まで体がもった事が奇跡に近イ。もう時間がないって分かっていたかラこそ、しんたろうはこの方法を選んだネ」
細胞死プログラムがなくとも、しんたろうの不完全な《非時》はもう限界を超えている。
しんたろうの強い精神力だけが、今日まで彼を生かし続けていた。
「ううん…! 出来ないことなんてないよ。しんたろうが一番知ってるじゃない…!」
寿は涙を拭うとしんたろうを横たえ、その胸に両手で触れながら《非時》の塩基コードの解読と修復を始めた。同時に崩壊しそうな細胞を修復する。えいじと違い不完全な《非時》であったが故に、進行が遅いのが幸いしていた。
いつ終わるとも知れない煉獄の中、しんたろうはそれでも生きる事を、自分自身を諦めなかった。
「だから僕も諦めない!!」
寿の両手に集まる光の粒子が、しんたろうを包み込んでいく。




