第40話 父の記憶──親
「しんたろう。いよいよ明日だな」
「ああ…俺が連れ戻された後は、寿を頼むよ」
『……しんたろうの記憶…』
手を握られたことで、寿はしんたろうの記憶の海に直接飛び込んでいた。
目の前で展開されるのは、日本で一番最初に見たしんたろうの記憶…自分が胎児の時の記憶だった。
しんたろう自身の記憶のためか、画像も声も一切乱れず進んでいく。
「ありがとう。あんたらがいなかったら、とても俺は…」
「それは俺も同じだ」
スルはしんたろうと固く握手すると、ゆっくり抱きしめた。
「しかし《オオナオビ機構》か…皮肉だな。これがあの男を殺す唯一の手とは…」
水槽を見上げながらスルは呟く。しんたろうは水槽に手をつくと、目を細めて言った。
「でもこの子は復讐のためなんかに、生まれてくるんじゃなくてさ」
「そうだな。そんな事のために俺は協力したんじゃない」
『…え?? 復讐のためじゃなくて……?』
しんたろうの心の声が聞こえてくる。
この子はそんなことの為に、生まれてくるんじゃない。
水槽に手を押し当てて、俺と禊のDNAを受け継ぐ子を見つめる。
この子の名前は…寿。
寿の名前は禊と考えていた二人目の子どもの名前だ。幸せになって欲しいと願い、考えた大事な名前だった。
寿には慶や禊の分まで幸せになって欲しい。どんな形で生まれたのであれ、自身の大切な子供だから。
「うん。この子は幸せになるために生まれてくるんだ」
二人で微笑みながら改めて水槽を見上げる。
明日には生まれてくる我が子を思い、しんたろうは祈るような気持ちで手を強く握りしめた。
『……!!』
波間に島の映像が見える。
それはしんたろうが、日本に連れ戻される前夜の記憶だった。
「不本意だが付き合いは長い。お互い何考えてるかぐらい大体分かるよ」
「……そうか。しんたろう本当に苦労してるんだな」
スルの心底労う言葉に、しんたろうは苦い笑みを浮かべる。だがすぐ真顔になると、カップをテーブルに置いてスルを真っ直ぐ見つめた。
「寿には指一本触れさせない。えいじは俺が殺す」
「…無理はしないでくれ。寿が悲しむ」
「……それは嫌だな。寿には、いつまでも笑っててほしいよ」
愛しい寿を思い、しんたろうは柔和に微笑む。
この先もう会う事は無いかもしれない。
寿はしんたろうを知らないまま、自分は命を落とすかもしれない。
『……なに考えてるの…そんな事絶対させないのに!』
もし、そうなっても後悔はなかった。
自分はただ自分のエゴの為に、えいじを殺そうとしている。
寿にはそんな憎しみを背負わせたくなかった。
場面は寿がしんたろうと話をした夜に移る。
ベッドに腰掛けながら、寿は不安げにしんたろうに尋ねた。
「しんたろう…死んじゃうの?」
「え?! な、何で」
何をどう話したものかと、考えあぐねていたしんたろうは、唐突な寿の言葉に驚いて顔を上げた。
「斎に言われた。僕が来たら、しんたろうが危険だって」
「…心配してくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと過敏になってるだけだよ」
「誰かが死ぬのは…いやだ。しんたろう死なないで」
「…寿」
しがみつく大きな息子は、泣きそうな声を出して懇願する。
なんだ…大きく見えてもまだまだ子どもじゃないか。
俺がついてないと…まだ駄目じゃないか…
「こんな小さい子どもを残して、死なないよ」
「子どもじゃないもん…」
頭をぽんぽんと撫でると、寿は不満そうに頬をふくらませた。
その仕草が余計に子どもに見えると、自覚はないらしい。
「気にし過ぎだよ。俺はそう簡単に死なないって」
ごめん寿。
ダメな父親でゴメン。
『…しんたろう…!!』
深い闇の奥に一筋の光が差してくる。
それは僕がいつも感じていた温かい光。
声が聞こえる。何度も…偽りの記憶ではない、僕の名前を呼ぶ声が。
「寿…今幸せに生きてるかい?」
想像もつかないほど、長く辛い時を生き続けてきたしんたろう。
だけどそれはえいじに復讐するために、僕を待っていたのではなくて。
『ただ僕の幸せを願うため……』
寿はしんたろうの記憶を知ってから、会う事に恐怖を抱いていた。
復讐の為に造られたと思ってたから。それを本人の口からだけは聞きたくなかった。
考えるのは自由だ。しんたろうの状況を考えれば、仕方ないとも思う。
それでも知らなければ無いのと同じだから。
『でも本当は…!!』
「この子は幸せになるために生まれてくるんだ」
更に画面が変わっていく。
施設でもないそこには、しんたろうと女性がいた。
女性のお腹に手を当てて、しんたろうは涙を浮かべながら微笑む。
「名前、どうしよっか」
「…慶…はどうだろ? めでたいとか祝い事って意味の」
「そうね、私たちの子どもだもん!幸せになるように…」
「そんでさ、二人目の子どもには寿ってつけるんだ」
「しんたろうったら、気が早いよ!」
その女性こそ、禊と言う名の母だと寿は気づく。
二人の声は温かく、その心は唯自分たちの子どもへの幸せを祈っていた。
どう生まれたかなんて些細な問題だ。
それでも俺は君に会いたかった。
「……ああ…!」
時間にして、それは三十秒ほどだっただろうか。しんたろうの記憶の海から戻った寿は、目を見開いて感嘆を漏らした。
寿はしんたろうの記憶を垣間見た。ノイズ混じりの映像ではなく、本来の真実の記憶を。そして自分に対する切ないまでの愛を知った。
力なく滑り落ちたしんたろうの手を取って、寿は微笑みしんたろうを抱きしめた。
「ことぶ、き?」
「…慶は…僕の兄弟の名前だったんだね…」
「なんで、その名前を…?」
しんたろうがどんな思いで自分を造ったのか。生み出したのか。初めて知った事実に歓びが溢れる。
「僕を生んでくれて…ありがとう。お父さん…」
自分を強く抱きしめる寿に少し驚いた顔をして、しんたろうは微笑んだ。
「やっと、笑ってくれた…」
「うん…」
寿の胸に手を押し当てて、しんたろうは小さな声で呟く。
「慶には会えなかったけど、寿と会えて…ホントに嬉しいよ…」
「…お父さん…」
「ありがとう…寿…」
記憶の最後にしんたろうに話しかける祖父・真一郎の声を聞いた。その声もしんたろうのように優しく、ただ幸せを祈る声だった。
『しんたろう…見えるかい? これが世界だよ。広くて綺麗だろ?』
柔らかく頭を撫でながら、愛情に満ちた声が優しく響く。
『君がどんな生まれ方をしようとも、僕の大事な息子だって事は永遠に変わらないから』
赤ん坊のしんたろうを強く抱きしめて、真一郎は微笑んでいた。
***
孤島に送られて二年が過ぎ、やがて寿が生まれた。
生まれて間もない寿を抱きながら、しんたろうはにこにこと微笑んでいた。
「寿ちゃん♡ はぁ〜可愛すぎる天使でちゅね〜♡♡♡」
「……幸せそうで何よりだよ」
初めて会った時から想像もつかないほど、蕩けた表情を寿に向けるしんたろうに、スルは少し呆れつつ笑う。
赤ん坊の世話は思っていた以上に大変で、それでもしんたろうは幸せだった。
時には同じポーズで眠り、初めて離乳食を自分で食べた時は感動して涙目になった。
今は終わりがくると分かっていても、この微睡みを大切に過ごしたい。
きっと寿の人生は、自分以上に大変なものになるだろう。
そんな業を背負わせてしまう事へ、後悔はあった。
でもそれ以上に、寿にはこの世界を知って欲しい。
醜い感情ばかりではない、生きるに値する美しい世界を。
スルたちにも話していない、密やかに計画している最期の希望は、自分の死と引き換えだ。
それでも寿の幸せを守れるなら。自己満足だと、利己主義だと言われても。
「──”蓮は泥より出でて泥に染まらず”」
あの日、えいじに誘拐されたあの日から俺の人生は大きく狂わされた。
それでも今日まで生きていられたのは、心の支えとも言える島の人間に会えたから。
たとえ地べたを這い蹲り、泥水を啜り生きていくことになろうとも。あの島で生きている寿の成長を胸に、俺は立ち上がることができる。
子どもの頃読んだ漫画に「自分の父が誘拐され、殺された」と言うストーリーがあって、俺はそれを信じられない気持ちで読んでいた。
自分にとって「父」は無敵のヒーローで、自分を守る最強の存在だったから。
だから「父」は誘拐なんてされないし、ましてや負けるなんてありえない。そう思っていた。
さすがにそれなりの年齢になって「父」は「鏡也」という一人の人間なんだと理解した。
それでも父は俺にとって「父」で、「息子」である俺を全てを捨ててまで守ってくれた。最期まで自分より、俺の心配ばかりで。
父の年齢をとうに超え、腕に息子を抱きながら俺は考える。この子にとって、俺は無敵のヒーローになれるだろうか。そこまで考えて現状に苦笑が浮かぶ。
何十年も前に拉致されてから抵抗するも敵わず、幾度も殺されかけてきた。今日まで一度たりとも、拳がえいじを捉えたことはない。
無敵のヒーローなんてとんだ夢物語だ。俺はヒーローになんかなれない。
ただエゴイスティックに、生き意地汚なく足掻くことしかできない。
父さんがかつてそうしてくれたように、俺は君を守るよ。今度こそ守りきってみせる。
これから遠く離れる事になるけど、どうか幸せに生きてほしい。
父さんが俺に教えてくれたこの世界の美しさを、君にも感じて欲しいんだ。




