第37話 父の矜持
「えっ!? こ、寿っこの先は海…!」
「大丈夫、行くよ! 掴まってて!!」
港から海に向けて走り出した寿に、しんたろうは驚いて思わず声を上げた。
寿は港を飛び出すと、そのまま地面が続いているかのように、海面を走りだした。
寿の足元で僅かにへこむ海面を見て、重力操作か磁場の反発かと、しんたろうは寿の知識に舌を巻く。
スルが物理学者だったため、彼から得た知識なのだろう。
納得と共に妙に落ち着いてきたしんたろうは、自分を軽々と抱えて走る寿の顔を見上げた。
「……俺重くない?」
「へーき! しんたろう軽すぎるよ!」
「そう? しかし海の上を抱えられて走るなんて、想像もしなかったなあ」
「波に乗るともっと面白いよ!」
「へえ! サーフィンみたいだなあ」
斎や關鍵への心配を振り切るように、二人はとりとめのない会話を交わしていた。
状況は最悪に近い。覆すためにはえいじを倒すしかない。倒せる可能性が絶望的なものだとしても。
「あの島に行くのも久しぶりだなあ…また行ける日がくるなんてね」
「…スルたち、大丈夫かな…」
「まだ大丈夫だよ。少なくとも俺たちが到着するまでは」
えいじはどこまで追ってきているのか。
しんたろうの血を引く寿のその力と知識は、えいじが彼に求めているものをはるかに上回る。
衰えていくばかりのしんたろうより、寿をとることは火を見るよりも明らかだ。
……えいじにどこまで対抗できるのか。これまで一度も拳が届いたことはないというのに。
「島が見えてきた! ここから飛ぶよ!」
「ああ、頼む!」
寿はしんたろうを強く抱き寄せると、海からの接触を阻む鼠返しのような島の縁を、空を舞う事で何なく乗り越える。
えいじに日本へ連れて行かれた時のヘリポートに降り立つと、辺りを警戒するように見回した。
深夜1時近いためか、そこには静けさが広がっているだけだった。
十数年前に暮らしていた時より、大分くたびれた建物を見上げ、しんたろうは小さく息を吐く。
「……あれ…?」
「どうしたのしんたろう?」
「……なんか、死にたくないなあって…」
しんたろうはここに来て不意に、死を恐れている自分に気づいた。
そんな感覚はとうに忘れていたはずなのに。
不思議だな。もっと生きたいと感じるなんて。
少しでも長く、寿を見ていたいと思うなんて。
……死ぬ事が怖いなんて。
「死ぬのが怖いのは、当たり前じゃないか!」
「あ、心読んだでしょ?」
「…ちゃんと日本に帰んないと、斎が怒るよ」
寿はふいっと顔を逸らしたが、その頬は少し赤かった。
自分を見ていたいと思うという言葉も聞いて、嬉しさを隠せないのだろう。
「ははっ、照れてる寿かわいいね」
「うるさいなぁもう! スルのとこ行くよ!」
照れ隠しに大声を出すと、寿はさっさと扉を開こうとした。
しんたろうもにこにこと笑いながら、寿の後を付いていく。ふとポケットに仕舞いっぱなしだった試料を思い出し、歩みを止める。
「あーそうだ。見せたいものが、ここでならできるかも」
「ちょっと、何してるの?」
「五分待って。すぐ済むから」
ガラスのケースに試料を放り込み、目にも留まらぬ速さでキーを叩くと、しんたろうはふうと息をついた。
モニタには作業が開始したことを知らせる、赤文字のカウントダウンが表示されている。
「育つのに一時間か。まぁ仕方ないな」
「何したの?」
「秘密! すぐに分かるよ」
それはこの島に生まれ育った寿は、一度も見たことがないもの。日本に来たのも冬に近い季節だったため、目にする機会はなかっただろう。
寿の驚く顔を思い浮かべ、しんたろうは少し微笑んだ。
柔らかいその笑みを見て、寿は自分の服の裾を握りしめながら決意したように話しかけた。
「…ねえ、しんたろう。全部終わったら…」
その時、地面が激しく揺れた。
重力異常が起こり、立っていられないほどの揺れに翻弄される。
「何これ!?」
「うわ、地震か!?」
床に激しい亀裂が生じ、バランスを崩したしんたろうの体が寿から離れた。
「しんたろうっ!」
「ことぶき…!」
伸ばした手は届かず、二人の間に巨大な溝が広がっていく。
床が軋みながら瓦解していく中、しんたろうは転びかけながらなんとか体勢を保った。
寿はほっと息をつき助けに行こうと飛びかけたが、しんたろうは大きな声で叫んだ。
「俺のことはいいから、スルたちのとこに行ってくれ!!」
「しんたろうを置いていけないよ!」
「はははっ! 泣かせるねぇ」
突然背後からかけられた声に振り返る間も無く、しんたろうは頭を強打され地面に叩き付けられた。
「しんたろう!!!」
「…ッ…」
加減なく殴られたせいで、脳震盪を起こしかけて視界が揺れる。
しんたろうは、意識を失うまいと唇を噛んだ。
「気を失うには早いだろ? しんたろう」
「えいじ…っ」
そこには招かれざる来訪者…えいじがいた。
起き上がろうと手をつくしんたろうを嘲笑いながら、残酷な笑みを浮かべる。
「何を小細工してたんだか知らねぇが、もうお前は用済みなんだよ。やっと殺すことが出来る」
「やめてよ! しんたろうに手を出さないでっ!!」
「きゃんきゃんうるせえぞガキが。この島も今日で終わりだ」
「…! 《人型》がこんなに…!」
「島の連中を皆殺しにしてこい。一人残らずな」
にやりと笑いながら、自身の背後に控える《人型》に、えいじは冷酷な指示を下した。
自分にとって不要とみなした人間を、えいじは笑いながら殺害する。ゴミでも捨てるかのように。
「えいじ…!」
「行かなくていいのか? この島の《人型》二人で守りきれるかねえ」
「…!」
イキガとウナイは二人揃えば、寿に匹敵する超能力を発揮できる。
だが戦う術を持たない四人の人間を守りながら、どこまで力を使う余裕があるか分からない。
寿と同じく、二人に戦った経験はないのだから。
逡巡する寿の焦りを愉しそうに見ながら、えいじは嗤う。
自分がここに留まれば、しんたろうは助けられる。
そこまで考えていた寿に、しんたろうが大声で叫んだ。
「俺は大丈夫だから、行ってくれ寿!!」
「でもっ…」
「頼む! もう誰も死なせないでくれ。寿ならできるよ!」
「っ…! すぐ…すぐ戻るから!!」
今にも泣きそうな顔で、寿は真っ直ぐ施設の奥へと飛び立った。
その背を静かに見つめ、しんたろうは小さく溜息を吐いた。
「…お前一人で、俺に敵うと思ってんのか?」
「……」
えいじが起こした重力異常が、じわじわとしんたろうに絡みつき、しんたろうはえいじを強く睨んだ。
超能力を持たない自分が敵わないことくらい、分かりきっている。
「殺せるものなら、殺してみろよ…!」
「フン、寿命も大して残ってねぇのになァ。最期の意地か?」
瓦礫に凭れかかりながら、しんたろうはフラフラと立ち上がる。
目に入りかけた血を拭い、低く威嚇するように叫んだ。
えいじは鼻で笑いながら銃を構える。
「……親心だよ…!!」
「ふ……っははははは!! どこまで粘れるか試してやるよ!」




