第36話 LOVELESS
施設は港に面した場所にあった。
今はほぼ使われていないらしいそこは、巻き込んでしまう他人はおらず、しんたろうは安堵の息を吐いた。
「……やってくれたわね斎ィ…!!」
港から島へ向かおうとした三人を、沿岸で待ち構えていたのは先回りしていたイツメだった。
土埃と血に塗れたイツメは、思い通りに行かない状況に完全に逆上していた。
イツメの足元から何体もの骸骨が立ち上がり、行く手を阻んでいる。
(ここで全員が足止めを食うわけにはいかない…私が残って)
斎はそこまで考えたところで、しんたろうの意図に気付き、悔しそうに歯を食いしばった。
「…しんたろうさん、あなたは全部知っていて行くんですね」
「うん。それが俺のすべき事だから」
「…?」
斎が自分の考えに気付いたと察し、しんたろうは困ったように微笑んだ。
しんたろうを失いたくない。本当なら縛り付けてでも行かせたくなかった。
それでもしんたろうが行くことを望むとわかっている以上、斎に止める事は出来ない。
「…分かりました。一つだけいいですか」
「何? んんっ!」
「キャーー!?」
斎はしんたろうの襟元を掴むと、思い切り引っ張りしんたろうに口付けた。
寿はびっくりして顔を真っ赤にしている。キスの意味は知っていても、見たのは初めてだったからだ。
「…これくらい、私の我儘を許して下さい」
「斎…」
唇を離して、ぷいっと顔をそむけながら斎は呟いた。
襟元を掴まれたまま、しんたろうは再度困ったように微笑む。
「…ごめんね」
「しんたろうっ危ない!!」
「うわっ!?」
寿は二人の間に放たれたイツメの骸骨を、盾のように障壁を発現させ辛うじて退ける。イツメはやにやと嗤いながら斎を見た。
しんたろうを背に庇う寿に、斎は唇を固く引き結び叫んだ。
「イツメは私が食い止める。しんたろうさんを頼む!」
「で、でも…」
ここで戦うことは自分にしかできない。
しんたろうを助けられるのは、えいじと対峙できるのは寿だけだということを、斎自身が一番分かっている。
斎は歯を軋らせる。
「何度も言わせるな! お前はお前にしかできないことをやれ!!」
「~〜斎っ! 負けたら許さないから!!」
「任せろ!」
「斎…っうわ!?」
寿はしんたろうを抱え上げると、一気に上昇した。
追いかけようとするイツメの前に、巨大な氷壁を叩きつけると斎は不敵に微笑んだ。
「お前の相手は私がしてやる」
「あら?あらあら? さっきので調子に乗ってるの? まぁだイジメられ足りないのかしらぁ?」
行く手を阻まれ、不快さを顕にしたイツメが壮絶な笑みを浮かべる。
斎は目を細め獣と化した右手を翳した。寿の力を見様見真似で再現した桃色の光が舞う。
「今の私を、幼い頃と同じと思うな!!」
──しんたろうさんに、初めて会った日の事はあまり覚えていない。
その頃の私は、イツメから繰り返される虐待に絶望しきっていた。
部屋の隅で縮こまる私を、悲しそうな顔で見つめながらしんたろうさんは毎日話しかけてくれた。それはお伽話だったり、しんたろうさんの友人や…家族の話だった。
血と暴力しか知らなかった私にはそれがとても不思議で、やがてもっと聞きたいとせがむようになった。そうやって長い時間をかけて、私と彼との距離は近くなっていった。
大きな手で優しく頭を撫でてくれた事を覚えている。
悪夢にうなされる私が眠るまで、子守唄を歌ってくれた事を覚えている。
……成長していく私の顔を見て、ただ一度きり深い悲しみを見せた事も。
私の顔は、私の体は、私の命は、しんたろうさんのお嫁さんの遺伝子でできている。
それを知ったのは、イツメがしんたろうさんを暴行した時に、嗤いながら吐き捨てたからだった。
えいじとイツメが、しんたろうさんを苦しめるためだけに作った存在。それが自分だと知った時、消えてしまいたいぐらい苦しかった。
その事実を知った後も、しんたろうさんの愛情は、変わる事はなかった。
「私を見る時、悲しそうな顔をするのは、私が…禊さんと同じだからですか?」
一度だけ尋ねた時、彼はやはり優しく微笑み言った。
「斎は斎だよ。他の誰でもない。そう見えていたならごめんね」
私は堪らない気持ちになってらしんたろうさんにしがみついた。そんな風に見えたことなんかない。私が勝手に囚われていただけです。そう言いたかったが、言葉にならなかった。
しがみついた私に少し驚いたようだったけど、しんたろうさんはいつものように優しく頭を撫でてくれた。
私は禊さんの代わりにはなれない。なれる者などいない。
でもせめてずっと側にいて、あなたを守る事を許してほしい。
それ以上は望まないから。
「お前達に、しんたろうさんの命は渡さない!!」
「なっ、ギャァッ!?」
寿の超能力を思い出しながら、斎は地中と空気中の原子を再構成する。
鋭い鎌状の塊を渾身の力で振り下ろし、予想外の展開に硬直したイツメの体を切り裂いた。
断末魔が胸に悪く響く。
「…えいじ…… 私…あなたの目が好きよ…」
「……」
イツメは楽しげに微笑みながら息絶えた。漆黒の髪が風に揺れる。
イツメは冷たい絶望を映すえいじを愛している。えいじに自分と同じこの世の終焉を見ていたからだ。
彼女の歪な愛情は、彼を良くしたいと思うものではなく、ただ共に滅んでいくだけの破壊願望だ。
「私もお前と同じだ…自分のエゴで、しんたろうさんを守り続けている」
生命活動を止めたイツメのそばにしゃがみこみ、斎は自虐的な気分で呟いた。
破壊を愛しえいじと共に滅ぼうとしていたイツメの身勝手さとは違い、斎はしんたろうを想い死地へ向かう彼を送り出した。
それはイツメとは違う、生かそうとする愛だと斎にはまだ分かっていなかった。
しんたろうが自分を娘のように思っていると分かっている。それでも彼への愛情が止められない。
しんたろうの息子だと知っていながら、寿に攻撃した事も、守るという詭弁で誤魔化した嫉妬に過ぎない。
「……最低だな私は…」
悔しさで滲む涙を強く拭い、斎は海を見据えた。
まだ終わってない。二人を追わねば。
斎は夜の暗い海へ走りだした。




