第34話 父と子の対話
「……っ」
隣に眠る關鍵を起こさぬよう、何とか声を飲み込んで寿は目を開いた。
「…行かなきゃ」
眠ってから一時間ほどで、寿はしんたろうの記憶の夢から目覚めた。
あの首の傷の事を、死ぬ気なのではないかと、早く確認したくて気が急く。
サイドボードに置かれた時計は二十二時を指していた。
まだ起きているだろうと、寿はそっとベッドを抜け出ししんたろうの部屋へと向かった。
しんたろうは自室で落ち込んでいた。
寿の泣きそうな顔が、瞼の裏に焼き付いて消えない。
「はぁ……やっぱ最初に、すぐ返事できなかったのが良くなかったなあ…」
『僕のこと復讐の為に造ったんでしょ!』
寿に泣きそうな顔でそう言い募られた時、考えもしなかった言葉に動揺して、曖昧な返事をしてしまった。
今さらどう言葉を重ねても、言い訳にしか聞こえないだろう。
「……そもそも話ができてない……うう……」
反抗期に悩む父親のように、しんたろうは頭を抱える。一体誰がそんな戯言を吹き込んだのか、逆に問い詰めてやりたい気分だった。
關鍵にも協力してもらいたかったが、寿にあまり関心がないせいか反応はイマイチだった。
ベッドに横になりながら、悶々としていたしんたろうは、いつの間にかうたた寝していた。
いつものように帰る見慣れた街並み。
禊と燈火と話をしながら、公園のベンチに座り込む。
空はどこまでも青く、高かった。
「直樹さんとこのテキ屋のバイト代、結構貯まったよ」
「おーじゃあ、今度は海とか行くか!」
「じゃあ鋸南行こうよ! 青い海で泳ぎたい~」
明日から夏休みが始まる。
前から話していた小旅行の行き先を話し、三人で笑っていた。
電車で何時間かかるのか、泊まるならどこに?
そんな取り止めのない話をしていたが、しんたろうは不意に違和感に気づいた。
「…俺、何か忘れてない?」
「何を?」
(……俺は何か忘れてる…)
二人の顔はいつもと変わらないのに、この日常はいつもと変わらないのに、胸の内にどんどん不安が広がっていく。
急に小さな金属音が鼓膜に響いた。
目をやると禊が着けていた筈の指輪が、アスファルトの上でくるくると回っていた。
指輪を中心に、地面がじわじわと血に染まっていく。
「……そうか。これは夢か…」
学生だった三人は、いつの間にか大人になっていた。
禊と燈火は立ち上がると、しんたろうを心配そうに見つめる。
「しんたろう…まだ頑張るの…?」
「分かってんだろ? このまま行けばどうなるかくらい」
「……わかってる。けど寿の力になりたいんだ」
禊と燈火は目を合わせて笑うと、差し伸べかけた手を引いた。
「…ホントにお前、言い出したら聞かないよなあ」
「分かった! あの子をよろしくね」
にこりと微笑みながら、二人の姿が少しずつ消えていく。
「……」
電気をつけたままの明るい部屋で、しんたろうは眼を覚ました。頬に冷たさを感じ、触ると涙で濡れていた。
夢の中でも、二人は決してしんたろうを責めない。それが哀しく辛かったが、今日は違った。
「…もう少し待っててくれ」
何十年ぶりかに言葉を交わした夢。
それはとても幸せで、哀しい夢だった。
***
しんたろうは起き上がると、サイドボードの引き出しを開けて、そこに入れていたシリンジを手に取る。
それは關鍵から受け取った、最後にして唯一の切り札。
「はー…いよいよか」
寿がこの施設に来て、明日で丁度六日目になる。えいじの性格を考えれば、そろそろ動きがあるとしんたろうは踏んでいた。
しんたろうはシリンジを宛てがうと、ゆっくりと中身を注入していく。全て入れ終わり手を軽く捻ってみるが、特に変化は見えない。
(……今回は痛みとかないって言ってたな。助かった)
過去に《非時》を打たれた時は、直後から五日間激痛に苛まれたが、この薬はそうはならないらしい。
多少の痛みは覚悟していたため、しんたろうはほっと息を吐いた。
『それ体内にある《非時》を、活性化させるトリガーでもあるかラ、使ったらもう命の保証ないからネ』
『物騒なもん寄越すなぁ』
『でも必要ネ? しんたろうが、したいことをするためニ』
關鍵は首を傾げながら告げる。しんたろうは困ったように笑った。
『そうだな。ありがとう關鍵』
『…保証ないのニ、礼言うとか変なしんたろう』
《非時》が活性化しても過度に使わなければ、少なくとも一ヶ月は問題ない計算だ。もし読みが外れて動きがなくとも、十分余裕がある。
戦いが始まり《非時》が過剰に働き出せばその限りではないが、それは承知の上だった。
全てを精算する時がきた。
失った者のために。自身のために。
遺される息子のために。
小さなノックの音とほぼ同時にドアが開き、しんたろうはぎくりと竦む。
そこからそっと顔をのぞかせたのは寿だった。
「…しんたろう」
「な、なに?」
空になったシリンジを引き出しに戻しながら、動揺した声でしんたろうは答えた。
今まで一度も声をかけてこなかったのに、何があったんだろうと頭の中がぐるぐる回る。
「………突き飛ばして、ごめんなさい」
「…いいよ、気にしてないよ」
思い切り眉間に皺を寄せる寿を見ながら、しんたろうは優しく微笑んだ。
寿はゆっくり部屋に入ると、しんたろうから少し距離を取りつつベッドに腰掛けた。
沈黙が部屋に落ちる。
「……しんたろう。死んじゃうの?」
「え?! な、何で」
何をどう話したものかと、考えあぐねていたしんたろうは、唐突な寿の言葉に驚いて顔を上げた。
「斎に言われた。僕が来たら、しんたろうが危険だって」
「…心配してくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと過敏になってるだけだよ」
困ったように頭を掻きながら、しんたろうは小さく笑った。だが寿は無言でしんたろうの腕にしがみついた。
「誰かが死ぬのは…いやだ。しんたろう死なないで」
「…寿」
しがみつく大きな息子は、泣きそうな声を出して懇願する。
なんだ…大きく見えてもまだまだ子どもじゃないか。
俺がついてないと…まだ駄目じゃないか…
「こんな小さい子どもを残して、死なないよ」
「子どもじゃないもん…」
頭をぽんぽんと撫でると、寿は不満そうに頬をふくらませた。
その仕草が余計に子どもに見えると、自覚はないらしい。
「気にし過ぎだよ。俺はそう簡単に死なないって」
ごめん寿。
ダメな父親でゴメン。
「でもこの首の怪我…自分でやったんでしょ?」
「何でそれを…斎にも話してないのに」
「僕しんたろうの記憶が見れるんだ。全部じゃないけど……さっき燈火って人が…その後に首を切ったの見た」
しんたろうは今度こそ心底驚愕した。
寿の超能力は凄まじい事を知ってはいたが、まさか遺伝子から自分の記憶まで見ることができるとは、夢にも思わなかった。
「……怖いものを見せてごめんね。俺は弱かったから。あの時はもう、本当に無理だったんだ」
しんたろうは目を伏せて、ぽつりぽつりと話し始めた。
目の前で燈火を、父を失ったあの日の事は、一度たりとも忘れた事はない。
結局全てを人質に取られ、死ぬ事すら出来なくなったが、死なずに済んでよかったと、今なら心から言える。
「ずっと、泥の沼を這うような気分だったよ。でもね知ってるかい? 泥の中からだって咲く花もある」
とびきり綺麗な花がね、としんたろうは笑う。
「生きる事がそれだけでも戦いだったけど、美しい世界があるから俺は生きていたい。それに寿にも会えたしね」
自分も生きる理由に含まれていると知って、寿の頬が朱に染まる。
嬉しさが隠しきれず、寿は思わず両手で頬を覆った。
「それに見せたいものもあるんだ。でも季節がなあ」
「季節? 何のこと??」
きょとんとした顔で自分を見る寿ににこりと微笑むと、しんたろうは寿の頭を撫でながら言った。
「俺の好きなモノ。ニッポン人のココロだよ」
「サッパリわかんない…」
「はは、何とかして見れるようにするよ」
しんたろうは目を細めて笑う。今は生憎冬に近い季節で、まだ蕾すらつけていないそれ。
確かサンプルがあったなと思い出しながら、しんたろうは引き出しの中を探る。
「あったあった、俺この樹が好きだから、部屋に置いておいたんだ」
試料の入ったチューブを取り出すと、しんたろうは嬉しそうにポケットに仕舞い込んだ。




