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僕の願いが世界を変える──泥より出でて、泥に染まらぬもの  作者: 露隠とかず
メインストーリー

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第28話 【過去編】冷たい手

 時折爆発音が響く中、二人は非常階段を下りていた。


「あの人は誰? 銃持ってた人と同じ顔だったけど…」

「俺が殺した男の双子の弟…俺を助けてくれたやつだよ」


 しんたろうは答えるとそのまま無言になった。禊もそれ以上何も聞けずに俯く。

 その時直樹が息を切らせながら、非常階段を駆け上がってきた。


「しんたろう! 大丈夫か!?」

「直樹さん…」

「出血が酷いんです! 早く病院に!」

「分かった。俺がしんたろうを背負うから、禊ちゃんは先に龍己に言って車を回してくれ!」

「はい!」


 直樹はしんたろうを背負いながら叫んだ。禊は頷くと、急いで階段を駆け降りていく。

 背負ったしんたろうの体は出血のせいで熱かった。背広に滲む血の滑りに、直樹は歯を食い縛る。


「車に乗ったら、龍己と禊ちゃんから手当を…」

「…直樹さん…俺…人を殺した」

「!」


 消え入りそうなほど小さな声で、しんたろうは呟いた。唐突な告白に直樹は思わず息を呑んだ。


「父さんの、燈火の…仇を…」

「…お前は間違ってない。俺ならそれ以上の事をしても足らん」

「あいつは父親が違う弟…だった…」

「…いいからもう話すな。治ってから聞く」


 何年も自分を苦しめ、大切な者を奪った相手にさえ、しんたろうは殺人の罪悪感を抱くのか。その優しさが直樹にはもどかしく、そして痛ましかった。

 苦しそうに話すしんたろうに、直樹は悔しさを滲ませながら告げる。


「……なんで…こんな手段しか…」

「…お前は間違ってない」


 直樹は、同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。


 なぜ俺でなく、しんたろうや真一郎なんだ。

 なぜこんな優しい男を苦しめる…?!



「しんたろう…あと少しだから…!」

「うん…」

「車出すぞ! しっかり掴まってろ!」


 禊と龍己二人がかりでしんたろうを後部座席に乗せると、直樹は運転席に乗り込み、急いでシートベルトを締めた。

 二人はしんたろうを挟むように座ると、肩と太ももを強く押さえる。特に肩は圧迫止血がしづらく、中々血が止まらない。


「直樹さん! しんたろうはオレが抱えてるんで、お願いします!」

「分かった、お前らもシートベルト締めろ、飛ばすぞ!」


 強く踏み込まれたアクセルに、体がシートに軽く押し付けられる。起きている状態で、車に乗るのも久しぶりだと、場に似つかわしくない思考が頭を過る。


(……やっと、帰れるんだ…)


 安心感が張り詰めていた神経を弛緩させて、しんたろうは痛みと出血に、意識が遠のいていくのを感じた。


「しんたろう!? お願い起きて!」

「ごめん…む、り…」

「しんたろう! しんたろう!!」


 しんたろうは、凭れかかっていた禊の膝の上に倒れ込み、意識を失った。

 禊は慌ててその体に触れたが、尋常でない熱さに目を見開く。服に滲む血は、禊の服も染め始めていた。目を合わせた龍己も、険しい表情を浮かべる。


「くそっ!!」

 直樹はルームミラーで三人を見ながら、歯を軋らせ更にアクセルを踏み込んだ。あの日、腕の中で息絶えた真一郎の姿が脳裏に過り、瞠目する。


(やっと助け出せたのに、死なせて堪るか!)


「しんたろう…死ぬんじゃないぞ…!」


 祈ることしかできない身が恨めしかった。



 宿直明けの眠い目を擦りながら、病院の外にある喫煙所に向かう大国の前に、黒塗りのセダンが飛び込んできた。

 救急入り口の前に急停車すると、運転席と後部席がほぼ同時に開け放たれる。

 中から出てきた人物に、大国の眠気は一気に吹き飛んだ。


「禊!?」

「大国先輩! 助けてください!!」

「早く手当てしてくれ! 弾を二発食らってるんだ!!」


 二人の悲鳴に近い声に、急患を迎える入り口から看護師が何人か飛び出してきた。ストレッチャーに乗せられ、意識のないしんたろうに次々とコードが取り付けられていく。


「空いてる手術室は!?」

「手配済みです!」


 ばたばたと繰り広げられるやりとりに、手が出せない三人は、ただ見ていることしかできなかった。


「この男…先日の爆発事故で、俺が治療したやつじゃないか」

「……前に話した、恋人です」

「…お前の言ってたことは、本当だったんだな」


 こくりと頷いた途端に、我慢していた涙が廊下に零れ落ちた。


「…約束しただろ。もしこの病院に運ばれてくるなら、俺が絶対助けてやるって」


 目を真っ赤にした禊の肩に手を添えて、大国ははっきりと言い切った。



「あーあ…失恋だなあ…」


 ぼそりとつぶやくと、大国は手術着に着替え始めた。



 ***



 しんたろうは真っ暗な空間に一人、立ち尽くしていた。ここは何度も、死にかけた時に見た場所だった。

 出血量も怪我の深度も相当なものだったために、生死を彷徨っているであろうことは想像に難くない。

 何もない空間を仰ぎながら、ふうと溜息を吐いた。


「…三途の川なんて嘘だよなあ」

「そうだな、まあ個人差あるって言うし」

「…燈火?」


 普段なら独り言に応える者などいないはずのそこに、目の前で命を落とした燈火が立っていた。


「やっと逃げられたんだな…ほんとに良かった」

「と、燈火……俺はっ…」

「謝るなよ? 謝りたいのは俺の方なんだから。六年も助けられなくて本当にごめん」

「そんな事ない! お前は俺を…助けてくれたじゃないか!」


 嗚咽を漏らしながら、しんたろうはがくりと膝をついた。涙が溢れ、黒い地面に染みをつくっていく。

 と、おもむろに燈火はしんたろうに片手を差し出した。


「…?」

「きっとこれからもお前は、一人で苦しみ続けるんだろうと思ったら、放っておけなくてさ」

「……」

「なあ、俺といかないか?」

「…連れていって……くれるのか…?」


 燈火は微笑むと、小さく頷く。泣きそうな顔で笑いながら、しんたろうは燈火の差し出した手を掴んだ。

 掴んだ燈火の手は、氷のように冷たかった。



「…なんだ…?」


 麻酔で意識がない筈のしんたろうの右腕が、何かに掴まれたように微かに上がった。

 同時に不安定だったバイタルサインの数値が一気に下がり、警報音が鳴り始める。


「強心剤を!」


 大国の必死の努力も虚しく、しんたろうのバイタルサインは沈黙していく。数値はゼロに限りなく近づいていくのに、右腕は持ち上げられたままだった。

 かつて不自然なこの状況を、何度か見たことがあった。患者が生きる事に絶望し、諦めた時に起こる…どんな科学も太刀打ちできない、死への(いざな)いだ。



「しんたろう…生きる事を諦めないで…!」

「…真一郎……あいつを助けてくれ…!」

「…くそっ、弟分がオレより先にいくなよ…っ」


 急に慌ただしくなった手術室の前で、三人は両手を強く握りしめた。



「海に行こうかー、なんて言ってたんだよなあの日」

「ああ…こんなことにならなきゃ、鋸南の海で遊んでただろうな」


 他愛のない話をしながら、二人は暗闇を歩いていた。だが不意に燈火は立ち止まり、天を仰いだ。


「…あーそうか。そうだよな」

「燈火…? なんで手を…」

「ごめん。やっぱまだやめとくわ」


 掴んでいたしんたろうの手を唐突に離すと、燈火は困ったように笑った。


「こっち来た方が楽なんじゃないかとか考えたけど、お前なら大丈夫だよ」

「大丈夫なもんか…! 誰も助けられなかった…みんな俺のせいで…っ!!」

「なんだよそれ。俺やおじさんがばかみてぇじゃんか」


 眉根を寄せ、燈火は溜息を吐いた。


「俺は自分の選択が正しかったと、今も思ってる。お前のせいじゃない。俺の意思だ」

「僕だってそうだよ。君が生まれてくれたから、僕はすごく楽しい人生だった」

「燈火…父さん…!」


 燈火の横に音もなく真一郎が立っていた。ゆっくり近づくと、両腕でしんたろうを抱きしめながら、軽く背中を叩く。


「苦しい人生にしてしまってごめんね。それでも僕は、しんたろうに生きて欲しいんだ」

「なあ、しゃんとしてくれよ。お前は幸せにならないといけないんだぜ? 俺やおじさんの分までさ」


「…ああ」

「直樹も禊ちゃんも、しんたろうを待ってるよ」

「おっと、生きるのは罰とか考えんなよ?」


 小さくもはっきりした声で言葉を返したしんたろうに、二人は満足したように笑った。


「泣いてもいいから、それ以上に禊たちと笑って生きてくれよ」

「直樹によろしくね。一緒に生きることができてよかったって、伝えてくれないかな」

「…うん。父さん…俺を生んでくれてありがとう」


 真一郎はにこりと微笑む。


「僕の息子に生まれてくれてありがとう。しんたろうは、僕の全てだよ」

「また今度会おうぜ。しんたろう」

「…ああ、暫く待っててくれ。今度会う時は、また昔みたいに…」


 二人は微笑みゆっくりと消えていった。しんたろうは涙を拭うと、振り返らずに光の指す方向へ歩み出す。



 ──俺は二人に誇れるように、人生を全うしてみせるよ。




 ぱたりと力を無くした右腕がベッドに落ち、危険だった容体が安定値を示しだした。

 大国はほっと息をつく。


「まだ死んじゃだめだ。あんたを信じた女の為にも」




「…み、そぎ」

「しんたろう…! おかえり…」


 ベッドの横にいた禊は目を真っ赤に腫らしながら、しんたろうの左手を強く握りしめた。


「…俺…危なかった…?」

「うん、そう聞いたよ」

「そう、か……夢かもしれないけど…燈火と父さんに会ったよ」

「二人が助けてくれたんだね…」

「うん…俺に……幸せに…なれって……」


 しんたろうは再び目を閉じた。涙が頬を伝う。

 まだ右手には冷たさが残っていた。

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