第27話 【過去編】血塗られる魂
……また、水の弾ける音がする。
違う。あれは電気が弾ける音…?
何かくぐもった音…呻き声が聞こえる。
──俺の声…?
「う…」
「…気づいたかしんたろう」
スタンガンで意識を奪われていたしんたろうは、見知らぬ部屋で眼を覚ました。
後ろ手に縛られていると気づき、体が強張る。
「…お前さっきの…? なんで顔に刺青が…?」
「あれはえいじ、俺の兄だ。俺はしんじ…今さら何を言ってるんだ?」
しんじは、信じられないといった驚きの表情で、しんたろうを見た。確かに先程の男の格好と違い、しんじと名乗る男は引き締まった筋肉質な体つきで、ベストを着込んでいた。
「ここ六年の記憶がないんだ…ここはどこだ」
「…ここはイドラの研究所。お前はここに六年前拉致されてきた」
イドラという名前に聞き覚えはある。世界規模の製薬会社だ。そこの社員はしんたろうの通う大学にも、何度か会社説明会を行うため来ていたことがある。
理系の大学だったため、学生のうちからインターンで行く者も多数いた。
「何で俺が拉致なんて…」
「…お前が叩きだした数値は、完全に異能の域に入る」
淡々と語るしんじの言葉の意味は理解できたが、それでも納得出来ない。
ならば他の学生と同じように、自分をインターンに誘うなりすればいいだけの話だ。
「…お前が真一郎の息子だから拉致したんだよ」
「…っ!」
真一郎という初めて聞くはずの名前に、頭がズキリと痛む。父の名は鏡也。間違いないのに。
「…思い出せないなら、そのままの方がいい。元々、えいじとのカタは俺がつけなければいけないんだから」
しんじは哀しそうな瞳でしんたろうに言うと、後ろ手に拘束していた縄をナイフで切り裂いた。
「この扉を出て右に行け。研究施設がある。そこの非常口は開けてあるから」
「…いいのか? 俺を逃しても」
「構わない。お前はお前の人生を歩んでくれ」
祈るように告げられ、しんたろうは扉を開いた。しんじが見張っているためか、他の見張りはいないようだった。
指し示された方向へ一気に走りだす。体はまだ痛むが、今は構っていられない。
禊の安否も気になるが、施設が近づいてくるとそれ以上に不安が大きくなっていく。
この廊下を知っている。この先にある施設も…
そっと開いたそこは、明かりが落とされ、低く機械の音が響いていた。
コードだらけの床を注意深く歩きながら、ふとしんたろうは巨大な水槽に目を奪われた。
両抱え以上あるその水槽に、何かが浮いているのを見て、しんたろうは声を上げかける。
(女の子の死体?!)
無数のコードに繋がれて、眼を閉じた女の子がそこにいた。
微かに上下する胸と、呼吸する度に口から溢れる泡を見て死体ではないと気づいた。だが、何故水の中にいるのか理解できない。
「……っ」
頭が割れるように痛む。この女の子を知っている。
この女の子は……《コレ》は自分が…
「ソレは《イツメ》。お前が作ったモノだ」
「がっ!!」
突然発せられた声に振り向く間もなく、肩を撃ちぬかれたしんたろうは、床に倒れ伏した。
必死で血が溢れる肩を押さえるも、尋常ではない痛みに心臓がばくばくと脈打つ。
「記憶喪失ねぇ…厄介な事になったなァ」
「う、うううっ…」
しんじとしんたろうの会話を聞いていたのか、えいじは片耳だけ入れていたイヤホンを外し、つかつかと近づきながら嘯いた。
激痛で震えるしんたろうの体を踏みつけ、再度銃を向けながら厭味な嗤いを浮かべる。
「まあ時間はいくらでもある。ゆっくり思い出させてやるよ」
「ぐあああっ!!!」
えいじは愉しそうに嗤いながら、今度はしんたろうの大腿部を撃った。
痛みに上がる悲鳴を心地良さそうに聞きながら、えいじはしんたろうに跨がり髪を掴みあげる。
「く、そ…やろ、う…」
「記憶を失くしてもそんな口がきけるのか? 二人殺したくらいじゃ足りねぇか」
劇鉄を上げながら言われたその言葉に、しんたろうは固く閉ざされていた記憶へ、ヒビが入る音を聞いた。
痛みに気を失いそうだったが、これまでで一番酷い頭痛が襲い、堰を切ったように記憶が蘇っていく。
なす術なく、父を目の前で殺されたことも。
研究を強いられ、逃げようとしては何度も死にかけるほどの暴行を受けたことも。
「……あ、ああ…っ」
「なんだ…?」
施設を脱走未遂を繰り返した結果。
『こいつを殺したら、お前はどんな顔で啼くのか…見ものだな』
足に縋りつき懇願する自分を踏みつけて、えいじが嗤う。
見せしめのためだけに、燈火が拉致されて。
『泣くなよ……お前のせいじゃない…』
『燈火…ごめん……燈火…ッ』
惨い苦痛だろうに、燈火はそれでも俺に微笑んだ。
『お前は生きて、ここを出ろ、よ…』
『燈火…!』
『会えて、よかっ…た』
最期まで、俺を、俺の心配ばかりして。
燈火は俺の目の前で──殺された。
「────っ!!!!」
しんたろうは目を見開き、歯を食いしばった。その瞬間、部屋が揺れるほどの轟音が響き、水槽の水が溢れた。
固定されていなかった機材はいくつか倒れ、割れたガラスが辺りに散らばる。
連鎖する轟音は、しんたろうたちがいる部屋まで徐々に近づいてくる。
「なんだ…!?」
「施設に仕掛けた爆薬が破裂した音だ。全てを消すための……お前もここで死ぬ」
髪を掴んでいた手を払いのけると、しんたろうはゆっくりとえいじを見上げた。空気が張り詰めるほど、確実な殺意の篭る瞳で。
その口から吐き出されたのは、透明なプラスチック製の起爆スイッチだった。
「…記憶が戻ったのか」
「……お前に撃たれなければ、思い出さなかった」
父と親友を失った銃声が、しんたろうの記憶を取り戻してしまった。
しんじが言う「思い出せないなら、そのままの方がいい」という意味も。
「この施設は消える。《大直毘機構》も、お前も全部」
「てめぇも死ぬ気か?」
「…そうだよ」
親友を自分のせいで殺してしまったのだから。
不快感も顕に眼を細めたえいじが、再度しんたろうに銃を押し当てる。その時、入り口から爆煙がなだれ込んだ。
「チッ! ふざけやがって!!」
煙がえいじの視界を覆い、えいじは苛立ちながら怒鳴った。
その刹那、煙に紛れながらしんたろうは手元に落ちていたガラス片をつかみ、えいじの胸に突き立てた。
「く、たばれ…!」
「てめ…ぇ…っ」
仰向けに倒れこんだえいじに跨ると、自身の手が裂けるのも構わず、ガラスを更に深く押し込む。
肉を、骨を抉る感触が手に伝わってきて、しんたろうの顔が歪む。
「くっ、はははっ、てめえも俺と同じ…人殺し、だな…」
「…!」
苦しげに息をつきながら、えいじは心底愉しそうに嗤った。
しんたろうはその言葉に目を見開く。
「ざまぁ、ねえ」
嘲笑と共に赤黒い血の塊が口から溢れ、えいじは動きを止めた。
しんたろうはえいじの上から退くと、床にへたり込んだ。人を刺した生々しい感触が、いつまでも手にこびりついているようで、震えが止まらなかった。
「…ハァ、ハァ…ッううう…」
(もう誰も殺されずに済む…でも)
涙が止まらなかった。えいじを殺しても父も燈火も戻ってこない。
分かりきった現実が襲ってきて、しんたろうはがくりと項垂れた。
人殺し。そんな事は言われずとも分かっている。
燈火を助けられなかったあの日から、自分は人殺しだ。
「……ああ…そうだな。俺はお前と同じだ」
あと一つだけ、やることが残っている。
しんたろうは焦点の合わない瞳で、別のガラス片を拾い上げると、自身の首に押し当てた。
ガラスのひやりとした感触と少しずつ溢れる血に、既視感を覚えながらゆっくり力を込める。ガラスで深く負傷した手では、一気に引けなかった。
(俺が死ねば、もう誰も死なずに)
「やめて!!」
細い白い手が、切り裂こうとしていたしんたろうの腕を止めた。
「……禊…?」
「あなたは何も悪くない、悪くないよしんたろう…!」
直樹の車で龍己と合流した禊は、建物の入口にいたしんじに道を教えられ、研究施設まで単身乗り込んでいた。
爆発音に身を伏せながら見たのは、しんたろうがえいじを刺殺する瞬間だった。驚愕に身が竦む。
だが、禊に気づくことなく、自分の首まで切ろうとしているのを見て、禊は堪らなく駆け出してその手を掴んだのだ。
「俺がいなければ…俺が逃げようとしなければ……燈火は殺されなかった」
涙が止まらない。
あの時燈火は、一度もしんたろうを責めなかった。
いっそ罵ってくれれば、自分を憎み切れたのに。
「あなたが死ぬことを、燈火は望まなかったでしょ…」
「…ああ。だから……辛いよ」
しんたろうの手からガラスが滑り落ちた。禊はそれをそっと摘み上げると、遠くへ放り投げる。
しんたろうの銃創を薄いカーディガンとスカーフで強く縛ると、肩に腕を潜らせながら禊は立ち上がった。
「行こうしんたろう。早く治療しないと」
「…うん」
禊の肩を借りながら非常口への扉を開けかけたしんたろうは、背後に気配を感じて振り返った。
そこには、息絶えたえいじを見つめるしんじがいた。
「…しんじ」
「えいじを殺したんだな」
「…ああ」
「…俺がすべきことだった……最後まですまなかった」
苦々しげに顔を歪めるしんじに、しんたろうは無言で首を振った。
「俺はまだ後始末がある。全て終わらせるための」
「……俺は…」
「お前は真一郎の息子だろう。失った時間を取り戻してくれ」
「…分かった……ありがとう」
崩壊は激しさを増していく。
禊はしんたろうを抱え非常階段を降り始めた。




