第25話 【過去編】再会
それは全くの偶然だった。
ある日、夕陽が傾きかけた時間に《大直毘機構》ではない、別棟の研究チームで事故が起こった。
あっという間に燃え広がった炎は、しんたろうのいる施設にも移り勢いを増していく。
「ハァッ…ハァッ…」
扉の傍まで炎は迫り、自室にいたしんたろうは完全に追い込まれてしまった。背にあったガラス窓は一部壊れ、外からの風が容赦なく吹き付けている。
しんたろうが今いる部屋は三階で、落ちたら怪我で済むか分からない。しんたろうは唇を引き結んだ。
俺はまだここで、やらなければならないことがある。
まだ死ねない…!
「あっ……!」
入口付近で爆発が起こり、伏せていたしんたろうの体が吹き飛ばされる。
瓦礫がゆっくり落ちてくるようにみえるのは、自分の体も一緒に落下しているからだろうか。
意識が遠のいていく。
駐車場を挟んで隣にある工場から、青い作業着の男二人は延焼してこないかヒヤヒヤしながら、火事を見ていた。
時折大きな爆発音が響き、びくりと肩を揺らす。
「隣の会社、すごい爆発してんな。うちのワイヤー溶けたらヤバいな」
「あそこ製薬会社じゃなかったっスか」
その時工場のトタン屋根を突き破り、何かがワイヤー置き場に落ちてきた。年嵩の男が恐る恐る近づいていくと、そこには男が一人、ワイヤーの上に気を失って倒れていた。
「隣から落ちてきたのか!? 生きてるみたいだがこれ…」
「なんかこの怪我…変じゃねっスか?」
爆発で負ったとひと目で分かる、火傷などの負傷。
だがそれ以外の服の裾から覗く痛々しい痣や包帯は、明らかに今回負ったものではなかった。
「絶対変だろこれ! 救急車と警察呼ぼう!!」
「あ、はいっス!」
若い男は道路にいる警察の元へ、慌てて走っていく。年嵩の男は、しんたろうを軽々と持ち上げると、床に横たえた。
燃え盛る施設の影から、えいじは忌々しげにその様子を見ていた。
人目に触れてしまっては全てが台無しだ。だが火事の騒ぎで、周囲には大勢の野次馬がいる。
流石にこの状況で事を起こすことはできない。
「病院からもう一度拉致するか…手段はいくらでもある」
《イツメ》は既に移送されており、警察が入ろうともただの事故として揉み消せる。
燃え盛る施設を後目に、えいじは姿を消した。
「急患だ急げ!」
「手術室は確保しました!」
しんたろうをストレッチャーに乗せ、集中治療室へ運びながら、医者はその様子を見て訝しんだ。
「なんだこの患者。この怪我、火事だけじゃない…?」
爆発で負った怪我より酷い、数多くの傷跡を見て、救急救命医の大国は戦慄した。
レントゲンに写った骨折などの治療痕も、高い技術で治療されたとわかるが、数が尋常ではない。更に包帯を取ると、真新しい痣やどす黒く変色している痣が、体の至る所にあった。
それらは明らかに、火災とは無関係の怪我だった。
現時点では想像の域を出ない。だがこの患者が事故とは無関係な場所で、長期間にわたり凄惨な暴行を受けていたことは、ほぼ間違いないだろう。
「麻酔で明日まで意識は戻んないだろうけど。警察もういる?」
「ええ、どうします?」
「…万が一目覚めても無理させたくないし、明日以降にしてくれって伝えて」
「分かりました」
大国はその言葉を聞くと無言で頷き、手術を始めた。
(バイタルサインの音が聞こえる……)
しんたろうは暗闇の中目を覚ました。
傍には誰もいないと気配で探るも、自分の置かれている状況が理解できず目を瞬かせる。ゆっくり体を動かすと、体は全て治療が施されていた。
窓から外を見るとそこには見知らぬ風景が広がり、不意にここが施設ではなく民間の病院だと気づく。
ずっと夢に見ていた施設からの脱出。思いがけない偶然が重なり、それが叶ったのだと理解したが、しんたろうの心は重い。
「…まだ……何も、終わってない…」
やけどで引き攣る体を引きずりながら、しんたろうは体を起こした。
一階だと確認し窓枠に手をかけ、音を立てないように注意しながら、しんたろうはその身を躍らせた。
地面に着地した途端、傷口が開きかけて激痛がしんたろうを襲うが、よろけながら歩み始めた。
(ここにいたら、他人を巻き込んでしまう…!)
「チッ、ひと足遅かったか…」
病室を突き止めて部屋の扉を開けた時、そこはもぬけの殻だった。
ベッドにはまだ体温が残っており、えいじは開け放されたままの窓を見て舌打ちする。
鳴り止まないバイタルチェックの警報に、バタバタと看護師が駆けつけてきた。
「なんですかあなたは! この部屋の患者さんは、面会謝絶ですよ!?」
「……知人が入院したと伺いまして。どうやら病室を間違えたようです。失礼しました」
えいじはすまなそうに看護師に告げると、部屋を出た。
居なくなったしんたろうを探すために、看護室はパニックになっていた。えいじはその脇を無言で通り過ぎる。
大した時間は経っていないだろう。
すぐ傍にある繁華街に目を向けると、えいじは闇に紛れるように消えた。
***
街の喧騒に紛れ人目につかぬよう、しんたろうは薄暗い路地をおぼつかない足取りで歩く。
巻き込めば必ず災いをもたらしてしまうと、分かりきっている状態で誰かを頼るつもりはなかった。
(どうやってあの場所に戻る?)
拉致された時は意識がなく、今回も気を失っていたため正確な道など分からない。分かることはあの施設が、イドラの持つ建物の一つだということだけ。
拉致しに来るであろうえいじを待つ事も考えたが、病院で襲われた場合、無関係な人間を巻き込む可能性がある。それだけは絶対に避けたかった。
体が痛み、しんたろうは壁にもたれ掛かる。
その時、急に後ろから肩を捕まれ、体を強かに地面に打ち付けられた。
間髪をいれずに体を押さえつけられ、しんたろうは鈍い痛みに顔を歪める。
「病院から脱走とはなぁ…面倒な真似しやがって」
「う……っ、えいじ…!」
嗤いながらしんたろうを見下ろしていたのは、えいじだった。
しんたろうが重傷だと分かってなお、えいじの手に加減はない。
「くそ、離せ…っ」
「暴れるなら肩を撃つ」
「んぐっ」
しんたろうの口を塞ぎながら、えいじは薄く笑った。銃口が熱を持った体に冷たく押し付けられる。
これ以上負傷するわけにはいかない。火災のせいで多少警備が緩んでいるであろう今しか、反撃のチャンスはないのだから。
***
「俺が治療した患者がいなくなった…? 一体何が…」
「分かりません…窓が開いていたので恐らくそこから。ただあの重体で歩けるかと」
しんたろうを治療した医師・大国は、報告を受けて看護師と首を捻る。
まだ残っている警察に相談してみるかと思った時、すれ違った後輩がひらりと何かを落とした。
「禊、写真落としたぞ」
「あっすみません! ありがとうございます」
慌てて写真を受け取ったのは、しんたろうの恋人・禊だった。彼女は現在研修医としてこの病院で働いていたのだ。
大きな枝垂れ桜を背景にしたその写真には、まだ幼さの残る禊と男が二人写っていた。
「若いなあ〜高校生くらい?」
「そうなんですよ。お花見に行った時の写真で」
「へえ〜もしかしてこっちの奴は、恋人だったりする?」
優しげな男を指差しながら、冗談半分で尋ねる大国に禊は少しはにかみながら頷いた。
地味に動揺する気持ちをなんとか堪え、自分で話を振ってしまった手前、大国はもう少し聞いてみることにした。
「へ、へえ…今度の夏休みどっか行くの?」
「三人で海に行こうって約束してたんですけど…もう何年も経っちゃいました」
「何年も…?」
「…ずっと行方不明なんです。死んだ事にされてるんですけど、絶対違うんです…」
「…!」
思いがけない言葉に男は言葉に詰まった。真っ直ぐ自分を見つめる禊の目に、それ以上は語ろうとしない禊に。
「いきなりすみません」
「何か確信があるんだろ? 詮索は止めとくよ」
「ありがとうございます…」
「そうだな…もし何かに巻き込まれてこの病院に運ばれてくる事があったら、俺が絶対助けてやるよ」
全ての話を信じられる訳ではなかったが、禊の目に嘘や妄言は感じられなかった。
まさかの恋敵とあって心中穏やかではないが、大国の先輩として、男としての矜持がそう言わせたのだろう。
「はい…! 私大国先輩の事信じてます」
「……複雑…」
「? ではお先に失礼します!」
確信はないけれど、しんたろうがいる場所はそう遠くではない感覚がある。
禊は写真を鞄にしっかりしまうと、身支度を整えロッカールームを出た。
翌日が休みの日は、帰宅する時も必ず街を探し歩くと決めている。
直樹さえ見つけられないしんたろうを、素人の自分が探すのは無理だろうと分かっている。
それでも何かしないと、気持ちが落ち着かなかった。
しんたろう。あなたはどこにいるの?
また会える日まで、私は絶対に諦めない。
繁華街の横道を通り過ぎようとした時、暗闇から何かが倒れる音が聞こえた。
咄嗟に壁に身を寄せてそっと路地を覗き込むと、仄暗い街灯の下で二つの人影が、何やら争っているのが見える。
地面に押し付けられた者が、ぼんやりと明かりに照らされ、露わになったその顔に愕然とした。
声を上げないように、口を覆う両手は震えている。ずっと探していた男に会えた喜びに。
「しんたろう…!?」
***
「キャー火事よー! ゴミ箱が燃えてるー!!」
「!?」
急に上がった女の声に、えいじとしんたろうは驚いて路地の入り口を見た。
「なんだ? 火事??」
「ちょっと誰か消防車呼べよ!」
「あ、誰か倒れてるぞ!?」
喧嘩といっても人は関わろうとしないが、火事となっては話が別だ。
逆光で分からないが、誰かがしんたろうを助けようとしている。
「チッ」
人目についてはまずい。えいじは咄嗟にしんたろうを開放し姿を消した。
「…大丈夫?」
よろよろと身を起こそうとするしんたろうを助け起こし、声の主は心配そうに尋ねた。
「助けて…くれて、ありが、とう…でも俺は…」
「……やっぱり…しんたろうだ…」
「…え…?」
急に名前を呼ばれながら抱きしめられて、しんたろうの頭に疑問符が浮ぶ。
だが記憶より少しだけ大人びているが、この声を知っている。知らないわけがない。
「しんたろう…六年ずっと、探してた…!」
「み、そぎ…?」
泣きそうな顔をぱっと上げると、しんたろうの顔に触れながら、禊はその存在を何度も確認した。
「…生きてる。しんたろうはやっぱり生きてた…!」
「え、何で……う、ぅっ」
「! ちょっと待ってて。タクシー呼んでくる」
傷を押さえて蹲るしんたろうを一旦路地に置くと、禊はすぐにタクシーを呼び戻ってきた。
「わたつみ五丁目まで!」
観衆の視線を物ともせず、禊はタクシーにしんたろうを押し込むと、運転手に早口に告げた。
「おや、その人病院行かなくていいのかい?」
「大丈夫です。治療が終わって帰るところでしたので」
「そうかい」
静かに強く返す禊にそれ以上言うでもなく、運転手は車を出した。
「歩ける?」
「なんと、か…」
タクシーを少し離れた路地で降り、禊はしんたろうに肩を貸しながら自宅を目指す。
「ごめんね…でも、どこから漏れるか分かんないから」
禊が何を言っているのか分からなかったが、それを考えるだけの余裕もなかった。
知らないマンションの自動ドアを抜け、禊はエレベーターで五階を押す。
最後に自宅へ遊びに行った時と違い、禊は一人暮らしをしているらしい。そこにも時の流れを感じて、しんたろうはなんとも言えない気持ちになる。
禊の家は2LDKで、寝室に通されたしんたろうは、そのまベッドに座るよう促された。
「体辛いよね? 横になっていいから。水持ってくるね」
「うん、ごめん。布団汚れるかも」
「気にしないで、いいから休んでね」
禊の背中を見送りながら、しんたろうは血で汚してしまうことを詫びる。しかし疲労と痛みには抗えず、そのまま横になった。
無理に動いたせいで体中が痛み、傷口はいくつか開いてしまっているようだった。体が燃えるように熱く、頭がぼうっとする。視界が歪みしんたろうは目を閉じた。
キッチンで流れる水の音を聞きながら、しんたろうの意識は闇に飲まれていった。
「しんたろ…? 無理ないか…」
コップを持って寝室に戻ると、しんたろうは静かに寝息を立てていた。
サイドボードにコップを置き、血に染まる包帯を替えようと、入院着を脱がせた禊は思わず手を止めた。
治療されたばかりの怪我の下に、尋常ではない数の傷跡や痣があった。他にも骨折や刃傷、火傷の痕…服を握る禊の手に力が篭る。
「……っ」
怒りで叫びたい気持ちを必死で抑え、禊は唇を噛み締める。何が起きているのか全く分からない。
何でこんな目に遭わされているのか、誰がこんな目に遭わせたのか、今までどこにいたのか。
聞きたいことは山ほどあった。
だがこの六年で禊は思い知っている。何もかも宛てに出来ないということを。だからこそ勤務先の病院にすら行かずに、自宅へ連れ帰ったのだから。
溢れる涙を強引に拭うと、禊は包帯を巻き直した。




