第24話 【過去編】Sleepin’ Bird<希求>
医務室でコーヒーを飲んでいた寛之に、イドラの黒服の男から治療の準備をするよう連絡が入った。
慌ててカップを置くと、寛之は即座に手術の準備を始める。
どれほど酷く暴行されたのかは分からないが、緊急度が高いことだけは把握していた。
だが、いつものように医務室に運び込まれたしんたろうは、いつもと様子が違っていた。
「…な、何故こんな傷を…?」
しんたろうがこの部屋に来る原因は、えいじによる暴行か、ストレスや過酷な研究による体調不良だけだった。
だが今目の前にいるしんたろうは、首を応急処置されて襟元を真っ赤に染めていた。
「見りゃわかんだろ。自分で首を掻っ切ったんだよ」
「!?」
「いいからとっとと治せ。頸動脈の手術は、臨床経験が腐るほどあるだろ」
チアノーゼが出始めたしんたろうの様子に、寛之は一旦疑問を抑え手術の支度を始めた。
手術を終え、なんとか呼吸を安定させたしんたろうを見ながら、寛之は眉根を寄せた。
首の切創はどう見てもしんたろうが自分でやった怪我だった。相当な力で切り裂かれた頸動脈は、ほぼ千切れかけていた。
どんな事があっても、君は生きてここを出ると言っていたのではないのか。
一体何が彼をこうさせたのか、寛之には見当もつかなかった。
「寛之、治療は終わったか。回復にはどれぐらいかかる?」
「……傷がかなり深い。少なくともひと月は安静が必要だ」
こんな状態のしんたろうを目の前にしても、えいじは意に介する事はない。
苛立ちまじりに答える寛之には何も思わないらしく、えいじはにやりと嗤った。
「前にお前に治療させた男…燈火っつたか。あいつは、しんたろうの友人だったんだよ」
「まさか……」
嫌な予感が脳裏を過ぎり、寛之は言葉を詰まらせた。
「目の前で嬲り殺してやったらこのザマだ」
「…なぜだ…」
嗤いながら話すえいじに、震えながら寛之は疑問をぶつけた。
えいじは鼻を鳴らしながら、冷ややかな目を寛之に向ける。
「見せしめだよ。これで逃げようなんざ考えなくなる」
「それだけじゃない!」
「ああ?」
「なぜしんたろう君の手が届くところに刃物があったんだ!? まさかあんた…」
凶器となるものが、しんたろうの手が届くところに置かれていることはあり得ない。
それは抵抗を防ぐ事と衝動的な自殺を防ぐための、この施設では当然の処置だった。
──わざと置かれたのでなければ。
「……なんでだろうなァ」
えいじは心底愉しそうに唇の端を吊り上げながら、寛之の目を射るように見た。
その顔に自分の考えが当たっているのだと確信し、寛之は恐ろしさと怒りでその場に崩折れた。
「あんたは…! なぜそこまで、しんたろう君を憎むんだ!!」
「憎む? 妙な事言うんじゃねえ。俺が自分の道具をどう扱おうと、どうでもいいだろ?」
えいじは鼻で笑うと、怒りに震える寛之を後目に部屋を出て行ってしまった。
残された寛之は、昏睡したままのしんたろうを見つめた。涙が溢れて寛之の頬を濡らしていく。
寛之が燈火と言う男性を治療したのは、半月程前の事だった。彼はまるでしんたろうのように、惨い暴行を受けていた。
だが、しんたろうに負けない、強い目だった事を憶えている。
もしかしたら彼は、しんたろうの代わりに暴行されていたのではないのか。現に数日前の脱走未遂で運び込まれるまで、一ヶ月近くしんたろうは医務室を訪れていなかった。
そして、しんたろうは彼が暴行されていた事を知らず、目の前で殺された時にえいじの手で知ってしまったのではないか。
しんたろうは、自分を庇う者が傷つく事を何より恐れる。
友人が自分を庇い暴行の果てに殺された事は、自殺に走る理由として十分過ぎた。
「……しんたろう君。それでも君には、生きて…ほしい……!」
自身が縫合した首を見つめ、寛之は拳を握りしめた。
きっと、燈火という青年もそう願ったはずだ。だから理不尽を受け入れ命を落とした。
「……っ」
瞑ったままのしんたろうの目から、涙が一筋零れた。
唇が微かに動く。声にならないその言葉は、謝罪の言葉だった。
何の非もないのに何度も繰り返す謝罪に、寛之は両手で顔を覆った。
「…神がもし在るなら、なぜこんな惨いことを…!」
その問いに応える者はいなかった。
ただ、モニターの心拍音だけが──冷たく、一定のリズムを刻み続けていた。




