第22話 錫心<ブリキの心臓>
二人の初対面は最悪だった。しんたろうにとっては間違いなく。
えいじに激しい暴行を受けたしんたろうは、手術台の上で目を覚ました。
手足を抑制帯で固定されており、これから手術が始まるのかと、しんたろうはぎこちなく周りを見回した。
初めて見る医師らしき男が、メスを持ってしんたろうを見下ろしている。
「……あ、なたは誰、だ…まさか、俺のせいで、拉致…されて」
「ボクは關鍵。キミはしんたろうダっけ。別に気にしなくていいネ。じゃ、手術始めるヨ」
「──え、っぐ、ああああァ!!!」
そもそも手術前に目が覚めること自体がおかしかったのだと、メスで腹を裂かれる激痛に絶叫したしんたろうは気づいた。
麻酔もろくに使われないまま行われる手術に、しんたろうは失神するまで叫び続けた。
──その後關鍵は、しんたろうの長すぎる絶叫に辟易したえいじに殴られる。
手術の際はイドラの麻酔科医がつくことになった。
***
あれからしんたろうと一緒にいたくない寿は、その日からずっと關鍵の部屋にこもりがちになっていた。
關鍵の自室にはしんたろうの医師であり、化学者でもある異色の経歴を持つ彼の蔵書がズラリと並んでいる。
これまで化学者は身近にいなかったため、寿の興味はそちらにシフトしていた。
「こ、寿…? あの…」
「…知らないっ!」
何か言いたげに呼び止めようとするしんたろうから、寿はずっと逃げ続けている。
その度にしんたろうは泣きそうな顔で關鍵にしがみつく。どうしたらいいのか分からなすぎて、情けないにもほどがある表情で項垂れていた。
「…關鍵〜〜! 俺どうしたらいいの? なんで關鍵には懐いてんの!?」
「懐いてるわけじゃないと思うけド。しかしあの子知識欲凄いネ、ボクの知識ほとんどモノにしちゃったヨ」
「やっぱ懐いてるじゃん!!」
しんたろうと寿が出会ってから、既に五日が経とうというのに、ろくに会話もできてない。
逆に關鍵とは化学の知識を聞くのに会話が増えていた。
「しんたろう、寿と話したがってるネ」
「……知らない」
最初は關鍵の少し冷たい目が怖かった寿だが、話を聞くうちに慣れて、今となっては会話が楽しくなっていた。
關鍵も知識を求める寿を追い出すでもなく、質問に答えながらのんびりとベッドで体を伸ばしていた。
「復讐のために造ったなんて、誰が言ったネ?」
「しんたろうがそう言ったもん」
ベッドに腰をかけて本を読んでいた寿は、關鍵からの質問に本を閉じて振り返った。
頬をふくらませながら、拗ねたように答える。
「ん? 今回初めて会ったんじゃないノ? 知らないうちに会話してたカ?」
「…夢の中で、しんたろうの記憶を見たんだ」
「……記憶?」
ぽかんと口を開いた關鍵を見て、寿は急に恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「それ確認しないで鵜呑みにしてるカ? 記憶よりしんたろうに聞いた方が確実ネ?」
「記憶が嘘だっていうの?! 關鍵もしんたろうの味方するの!?」
「んー味方とかよく分かんないネ。でも寿の敵じゃないよボクは」
關鍵の独特な言い回しは、寿には難解すぎて要領を得ない。
苛立ってきた寿を見ながら、關鍵はのそりと身を起こした。
「ボクはしんたろうの医者として拉致されたネ。まあ特に困らなかったネ」
「え…なんで?」
「親は殺されたし元々友人はいない。それに自分の命もどうでもいいネ」
緩くあぐらをかいた關鍵は、ぽつりぽつりと昔話を始める。
寿は興味津々で本をサイドボードに置くと、体ごと關鍵に向き直った。
「最初はしんたろうのことモ、どうでもよかったネ」
それは拉致されて間も無く、自分がしんたろうに興味を抱いていなかった頃の話。
拉致されたとはいえ、關鍵の扱いは特殊だった。
「逃げないってわかってるから、枷もされてないネ」
「…自分も大事じゃないの?」
「そうネ、どこかおかしかったネ」
關鍵は香港にかつてあった、有名な城塞跡の片隅にあった医院の息子として生まれた。
無法地帯を絵に描いたようなそこは、様々なものがあり活気に満ち溢れていた。
關鍵の世界はいつも薄いベールに覆われたように実感がなく、どこまでも他人事だった。
化学や医術への関心と、それに応える頭脳があるため、生きていく上で困ることはなかった。
「しんたろうの第一印象、面倒だなって思っただけネ」
「…」
「麻酔テキトーに手術とかやってたネ、最初は嫌われてたカも」
事も無げに關鍵は語る。
他者に興味がない關鍵は、面倒だという理由でロクに麻酔もせず、しんたろうを治療していた。
他人の苦痛など意に介すことではなかった。
「今は…...?」
「多分好いてくれてるネ…すごい嬉しイ」
無表情な關鍵の顔がわずかに綻ぶのを見て、寿は少し驚く。
ここ五日過ごしていて、初めて見る柔らかい笑みだった。
「しんたろう、ボロボロにされても絶対諦めないネ」
「…うん」
「ボクはそれを、死んでるからだと思ってたネ」
「しんたろうは生きてるじゃない」
「んーちょっと違うネ。頹咗…日本語だと何て言うカ…」
頭をぽりぽりと掻きながら、關鍵は言葉を探しているようだったが、面倒になったのか考えるのを止めて話を戻した。
「まあいいネ、しんたろうは覚えてないだろうけド」
「…?」
「一度だけ泣いてるのを見たネ。誰かにごめんって言いながラ」
少しだけ表情を曇らせて、關鍵は答えた。
しんたろうが何に謝っているのか、何度も見た過去を思い出し、寿はぎゅっと手を握りしめた。
拉致されてどれほどの時が過ぎたか、何度しんたろうを治療したかは最早覚えていない。
ただその日、しんたろうは暴行による負傷ではなく、体調を崩して医務室にいた。
高熱に侵されて意識はない状態だったが、苦しげにうなされていたことを覚えている。
「多分、悪い夢…昔のことを夢で見てたんじゃないかネ」
「……」
「その時分かったネ。この人は死んでないってこト」
イドラの歪んだ思想のために、彼の大事なものは全て奪われた。
それでもしんたろうは、痛みを抱いたまま絶望しかない状態で、生き続けることを選んだ。
頻度は下がったとは言え、地獄のような暴行にも耐えながら。
「そう思ったらなんカ、涙がね止まらないネ。びっくりしたネ、自分に」
「なんで急に泣いちゃったの?」
他者に興味が無いと言い切った關鍵の変貌に、寿は驚いて尋ねた。
關鍵は、泥の中を這いずるように、それでも力強く生きるしんたろうを脳裏に浮かべる。
「しんたろうがボクにないものを持ってて、それがすごく綺麗だったからだネ」
「ないもの…?」
「うん。ボクは今もまだ持ってなイ」
なぞなぞのようで寿は首を傾げる。
關鍵は顔を上げて天を仰ぐ。あの涙を見た衝撃を思い出しながら。
「もうなんカ、なんとかしたいなって思ったネ」
一言呟いて、しんたろうの瞑ったままの目から、一度だけ零れ落ちた涙。
それによって色を得た自分の世界。
しんたろうの生き方が情動を強く動かし、關鍵は感情を知った。
「しんたろうが生きることを選ぶなラ、ボクもそれを選ぶ」
しんたろうの望むことを叶えてやろう。彼が光の中に再び戻り、浮かべるであろう笑顔が見たい。
關鍵はしんたろうの生き方を、しんたろう自身をもっともっと知りたいと願った。
「完全に自己満足ってやつだけどネ。ボク自分勝手だかラ」
「…ううん! 關鍵もすごいよ!」
「啊啊、いっぱい喋ったら疲れたネ。寝るカ」
「ええっ!?」
一方的に話を終わらせると、關鍵は返事も待たず電気を落とした。
呆然と座り込んだままの寿を放置して、關鍵は早々にベッドに潜り込む。
「あ、の…」
「しんたろうはそんな人だかラ、多分キミのことそんな風に見てないネ」
背を向けたまま、關鍵は呟くように言った。關鍵の言葉は、寿の心を大きく揺さぶっていた。
まだ真実を知るのは怖い。それでも今の話を聞いて、寿もしんたろうと話をしたい気持ちが沸き上がってくる。
「…でも…」
「ちゃんと話せば? しんたろう、ちゃんと答えてくれるネ」
「……怖いよ」
「ボクは知らないほうが怖いネ」
一言そう言うと、關鍵は寝てしまった。
一人残された寿は横になると、暗闇の中目を閉じてみたが、到底寝る気分にはなれない。
ただこれからどうやっていくか、その指針を得た気がしていた。
「…明日起きたらしんたろうに聞く。あと謝ってくる。ありがとう、關鍵」
寝てしまった關鍵に小さく告げると、寿も隣に潜り込んだ。
(寿も持ってるんだネ…ちょっとうらやましイ)
心のなかで小さく呟くと、關鍵は毛布を頭までかぶった。




