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僕の願いが世界を変える──泥より出でて、泥に染まらぬもの  作者: 露隠とかず
メインストーリー

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22/45

第22話 錫心<ブリキの心臓>

 二人の初対面は最悪だった。しんたろうにとっては間違いなく。


 えいじに激しい暴行を受けたしんたろうは、手術台の上で目を覚ました。

 手足を抑制帯で固定されており、これから手術が始まるのかと、しんたろうはぎこちなく周りを見回した。

 初めて見る医師らしき男が、メスを持ってしんたろうを見下ろしている。


「……あ、なたは誰、だ…まさか、俺のせいで、拉致…されて」

「ボクは關鍵(カンジェン)。キミはしんたろうダっけ。別に気にしなくていいネ。じゃ、手術始めるヨ」

「──え、っぐ、ああああァ!!!」


 そもそも手術前に目が覚めること自体がおかしかったのだと、メスで腹を裂かれる激痛に絶叫したしんたろうは気づいた。

 麻酔もろくに使われないまま行われる手術に、しんたろうは失神するまで叫び続けた。


 ──その後關鍵は、しんたろうの長すぎる絶叫に辟易したえいじに殴られる。

 手術の際はイドラの麻酔科医がつくことになった。



 ***



 あれからしんたろうと一緒にいたくない寿は、その日からずっと關鍵の部屋にこもりがちになっていた。

 關鍵の自室にはしんたろうの医師であり、化学者でもある異色の経歴を持つ彼の蔵書がズラリと並んでいる。

 これまで化学者は身近にいなかったため、寿の興味はそちらにシフトしていた。


「こ、寿…? あの…」

「…知らないっ!」


 何か言いたげに呼び止めようとするしんたろうから、寿はずっと逃げ続けている。

 その度にしんたろうは泣きそうな顔で關鍵にしがみつく。どうしたらいいのか分からなすぎて、情けないにもほどがある表情で項垂れていた。


「…關鍵〜〜! 俺どうしたらいいの? なんで關鍵には懐いてんの!?」

「懐いてるわけじゃないと思うけド。しかしあの子知識欲凄いネ、ボクの知識ほとんどモノにしちゃったヨ」

「やっぱ懐いてるじゃん!!」


 しんたろうと寿が出会ってから、既に五日が経とうというのに、ろくに会話もできてない。

 逆に關鍵とは化学の知識を聞くのに会話が増えていた。



「しんたろう、寿と話したがってるネ」

「……知らない」


 最初は關鍵の少し冷たい目が怖かった寿だが、話を聞くうちに慣れて、今となっては会話が楽しくなっていた。

 關鍵も知識を求める寿を追い出すでもなく、質問に答えながらのんびりとベッドで体を伸ばしていた。


「復讐のために造ったなんて、誰が言ったネ?」

「しんたろうがそう言ったもん」


 ベッドに腰をかけて本を読んでいた寿は、關鍵からの質問に本を閉じて振り返った。

 頬をふくらませながら、拗ねたように答える。


「ん? 今回初めて会ったんじゃないノ? 知らないうちに会話してたカ?」

「…夢の中で、しんたろうの記憶を見たんだ」

「……記憶?」


 ぽかんと口を開いた關鍵を見て、寿は急に恥ずかしくなって顔を赤らめた。


「それ確認しないで鵜呑みにしてるカ? 記憶よりしんたろうに聞いた方が確実ネ?」

「記憶が嘘だっていうの?! 關鍵もしんたろうの味方するの!?」

「んー味方とかよく分かんないネ。でも寿の敵じゃないよボクは」


 關鍵の独特な言い回しは、寿には難解すぎて要領を得ない。

 苛立ってきた寿を見ながら、關鍵はのそりと身を起こした。


「ボクはしんたろうの医者として拉致されたネ。まあ特に困らなかったネ」

「え…なんで?」

「親は殺されたし元々友人はいない。それに自分の命もどうでもいいネ」


 緩くあぐらをかいた關鍵は、ぽつりぽつりと昔話を始める。

 寿は興味津々で本をサイドボードに置くと、体ごと關鍵に向き直った。


「最初はしんたろうのことモ、どうでもよかったネ」



 それは拉致されて間も無く、自分がしんたろうに興味を抱いていなかった頃の話。

 拉致されたとはいえ、關鍵の扱いは特殊だった。


「逃げないってわかってるから、枷もされてないネ」

「…自分も大事じゃないの?」

「そうネ、どこかおかしかったネ」


 關鍵は香港にかつてあった、有名な城塞跡の片隅にあった医院の息子として生まれた。

 無法地帯を絵に描いたようなそこは、様々なものがあり活気に満ち溢れていた。


 關鍵の世界はいつも薄いベールに覆われたように実感がなく、どこまでも他人事だった。

 化学や医術への関心と、それに応える頭脳があるため、生きていく上で困ることはなかった。


「しんたろうの第一印象、面倒だなって思っただけネ」

「…」

「麻酔テキトーに手術とかやってたネ、最初は嫌われてたカも」


 事も無げに關鍵は語る。

 他者に興味がない關鍵は、面倒だという理由でロクに麻酔もせず、しんたろうを治療していた。

 他人の苦痛など意に介すことではなかった。


「今は…...?」

「多分好いてくれてるネ…すごい嬉しイ」


 無表情な關鍵の顔がわずかに綻ぶのを見て、寿は少し驚く。

 ここ五日過ごしていて、初めて見る柔らかい笑みだった。


「しんたろう、ボロボロにされても絶対諦めないネ」

「…うん」

「ボクはそれを、死んでるからだと思ってたネ」

「しんたろうは生きてるじゃない」

「んーちょっと違うネ。頹咗(トゥイゾー)…日本語だと何て言うカ…」


 頭をぽりぽりと掻きながら、關鍵は言葉を探しているようだったが、面倒になったのか考えるのを止めて話を戻した。


「まあいいネ、しんたろうは覚えてないだろうけド」

「…?」

「一度だけ泣いてるのを見たネ。誰かにごめんって言いながラ」


 少しだけ表情を曇らせて、關鍵は答えた。

 しんたろうが何に謝っているのか、何度も見た過去を思い出し、寿はぎゅっと手を握りしめた。



 拉致されてどれほどの時が過ぎたか、何度しんたろうを治療したかは最早覚えていない。

 ただその日、しんたろうは暴行による負傷ではなく、体調を崩して医務室にいた。

 高熱に侵されて意識はない状態だったが、苦しげにうなされていたことを覚えている。


「多分、悪い夢…昔のことを夢で見てたんじゃないかネ」

「……」

「その時分かったネ。この人は死んでないってこト」


 イドラの歪んだ思想のために、彼の大事なものは全て奪われた。

 それでもしんたろうは、痛みを抱いたまま絶望しかない状態で、生き続けることを選んだ。

 頻度は下がったとは言え、地獄のような暴行にも耐えながら。



「そう思ったらなんカ、涙がね止まらないネ。びっくりしたネ、自分に」

「なんで急に泣いちゃったの?」


 他者に興味が無いと言い切った關鍵の変貌に、寿は驚いて尋ねた。

 關鍵は、泥の中を這いずるように、それでも力強く生きるしんたろうを脳裏に浮かべる。


「しんたろうがボクにないものを持ってて、それがすごく綺麗だったからだネ」

「ないもの…?」

「うん。ボクは今もまだ持ってなイ」


 なぞなぞのようで寿は首を傾げる。

 關鍵は顔を上げて天を仰ぐ。あの涙を見た衝撃を思い出しながら。


「もうなんカ、なんとかしたいなって思ったネ」


 一言呟いて、しんたろうの瞑ったままの目から、一度だけ零れ落ちた涙。

 それによって色を得た自分の世界。

 しんたろうの生き方が情動を強く動かし、關鍵は感情を知った。


「しんたろうが生きることを選ぶなラ、ボクもそれを選ぶ」


 しんたろうの望むことを叶えてやろう。彼が光の中に再び戻り、浮かべるであろう笑顔が見たい。

 關鍵はしんたろうの生き方を、しんたろう自身をもっともっと知りたいと願った。


「完全に自己満足ってやつだけどネ。ボク自分勝手だかラ」

「…ううん! 關鍵もすごいよ!」

「啊啊、いっぱい喋ったら疲れたネ。寝るカ」

「ええっ!?」


 一方的に話を終わらせると、關鍵は返事も待たず電気を落とした。

 呆然と座り込んだままの寿を放置して、關鍵は早々にベッドに潜り込む。


「あ、の…」

「しんたろうはそんな人だかラ、多分キミのことそんな風に見てないネ」


 背を向けたまま、關鍵は呟くように言った。關鍵の言葉は、寿の心を大きく揺さぶっていた。

 まだ真実を知るのは怖い。それでも今の話を聞いて、寿もしんたろうと話をしたい気持ちが沸き上がってくる。


「…でも…」

「ちゃんと話せば? しんたろう、ちゃんと答えてくれるネ」

「……怖いよ」

「ボクは知らないほうが怖いネ」


 一言そう言うと、關鍵は寝てしまった。

 一人残された寿は横になると、暗闇の中目を閉じてみたが、到底寝る気分にはなれない。

 ただこれからどうやっていくか、その指針を得た気がしていた。


「…明日起きたらしんたろうに聞く。あと謝ってくる。ありがとう、關鍵」


 寝てしまった關鍵に小さく告げると、寿も隣に潜り込んだ。



(寿も持ってるんだネ…ちょっとうらやましイ)


 心のなかで小さく呟くと、關鍵は毛布を頭までかぶった。

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