第18話 【過去編】”Cry More.”
燈火はその夜、いつものようにいつもの道を歩いていた。
時間が遅いため人影が一切ないこともいつも通りで、燈火はネクタイを弛めながら雑木林の間を足早に歩く。生憎の大雨で視界がだいぶ悪い。
明日は朝一で会議か、と思案を巡らせていると暗闇に金色の影が過った。
長い金髪の男が一人こちらへ向かってきている。そう認識した瞬間、男は一気に間合いを詰めてきた。
動きの速さに何が起きたのか理解するより先に、痛みと共に意識が捥ぎ取られた。
「…う」
「ようやっと起きたな。燈火…だったか?」
腹がズキズキと痛み、目がぼんやりと霞む。
目の前に見覚えのない金髪の男が、しゃがみこんで燈火を覗いていた。
「誰……だ…お前…」
「えいじ。しんたろうを拉致して、父親を殺したのは俺だ」
「…な…!」
一気に頭へ血が登り掴みかかろうとしたが、後ろ手に拘束され動かせないことに初めて気づいた。
起き上がることも出来ず、床に肩を打ちつけた燈火は痛みに呻く。
目に映る部屋は、ベッドが置かれているだけの無機質な部屋だった。どこにいるのかも分からず、燈火はえいじを睨むことしかできない。
「これは昨日の動画だ」
「……!?」
突きつけられた携帯が再生した動画は、何度も殴られ意識を失うしんたろうだった。
意識を失いぐったりしたしんたろうの胸ぐらを掴みあげ、えいじはスタンガンを押し付けた。
もう言葉も出ないのか、掠れた悲鳴が上がる。えいじは痛みに震えるしんたろう床に落とすと、笑いながら再び腹を蹴り始めた。
「やめろ!!」
「あいつは学習しねえな。逃げられるわけねえのに」
「なんでこんな事を…! お前一体何なんだ!?」
えいじを睨みながら叫ぶ燈火に、えいじは楽しそうに言った。
「答える気はないが、やめてやってもいい。お前が身代わり出来るなら」
「何だと…」
「お前があいつの代わりに殴られるなら、その間は手を出さないでいてやるってことだ」
燈火は驚きえいじを見た。
この五年間ずっと信じていた。しんたろうと再会出来る日を。
自分の知らなかった空白の五年間。生きていたことは嬉しかったが、拷問に近しい暴行を受けていたと知って燈火の怒りが烈しく燃え上がった。
だがここまで拉致された時の事を思い出し、自身の力では何もできないと悟る。人目など一切なかったために、自分が拉致されたことに、しんたろう同様誰も気づいていないだろうから。
そして格闘技を直樹から習い、それなりに強いはずのしんたろうが五年も逃げられずにいる事実がある。
残された道は一つ。
しんたろうの脱出というあまりにも分の悪い賭けに、自分の全てを賭けるしかない。
「…約束は」
「ん?」
「俺を好きにすればいい。約束は守れよ…!」
「……約束は守るさ。お前が耐えられるならなァ」
睨みつける燈火の言葉に、えいじは殊更嬉しそうに嗤った。
「ぐっ! がっ、ぁっ…!」
「この程度で音を上げるようじゃ、代わりにもならねえなあ!」
腹に何度も拳がめり込み、その度に走る激痛に燈火は苦悶の声を上げた。
だが痛み以上に、この暴力をしんたろうが受け続けていたのかと思うと、自分の無力さに絶望的な気持ちになる。
脇腹を蹴り飛ばされて体が床を転がった。
「げほっ! ぐ、っ…」
「あんま大声で喚くなよ。隣のしんたろうに聞こえるぜ?」
「…っ!」
強い痛みに咳き込んだ燈火は、しんたろうが隣にいると知って驚愕に目を見開いた。
悟られてはならない。しんたろうが知ってしまったら、自分を庇うため身を晒すと分かりきっているから。
燈火は唇を強く噛んで、漏れる悲鳴を必死で堪える。
「っ…う…」
「そうそう。さあまだ始まったばかりだろ。立てよ」
言われるままによろよろと立ち上がった燈火の肩を掴むと、えいじは膝で深く腹を抉った。あまりの激痛に意識が捥ぎ取られる。
意識を失い床に頽れた燈火に、えいじはスタンガンを躊躇いなく押し当てた。
「ぁ…っ!」
「一度や二度、気絶したくらいで終わると思うな」
燈火の髪を掴み上げ、えいじは嗤いながら耳元で囁いた。
ぼやける視界に、金色の髪が滲んで見えた。
(…しん、たろうは、いつ、もこんな……目に…)
「…う、」
「きついだろお坊ちゃん? 命乞いするなら助けてやろうか」
にやにやと愉しそうにえいじは燈火に持ちかけた。
平凡な人生を歩んできた燈火は、ここまで酷い暴行を受けた事などなく、体は既に悲鳴を上げている。
だが唇をにやりと歪ませ、燈火は笑った。
「……俺を、舐めんな」
「…そうかよ。折角のチャンスなのになぁ!」
命乞いを受け入れると思っていたえいじは、燈火の言葉に苛立ちながらその腹を踏みつけた。
痛みに意識が溶けていく。それでも燈火は、歯を食い縛り──声を上げなかった。
「寝てんじゃねえぞクズが!」
「ぅ、っ…」
苛立ったまま暴行し続けるえいじを見ながら、遂に燈火の意識は完全に途絶えた。
痙攣している身体を踏みつけると、えいじは忌々しげに舌打ちする。
「チッ、馬鹿じゃねえのか…!」
床に倒れ臥したままの燈火に吐き捨てるように呟くと、えいじは部屋を後にした。
──契約を交わした日から、一体何日が過ぎたのか。
はじめのうちは軋む体を引きずりながらも、なんとかベットで寝ていた。治療を受けることもあり、出される食事も辛うじて食べることができた。
だがここ数日は気を失ったまま、床から動けずにいた。痛みに咳き込んで吐く血の量も増えている。
気温は変わっていないはずなのに、寒くて仕方なかった。
「…く、そ…」
震える手からスプーンが転がり落ちる。胃が痙攣し、こみ上げてきた胃液をなんとか飲み下す。体はもう食べ物も受け付けようとしなかった。
そのまま床に倒れ込むと、激痛に震える両手を強く握りしめた。
「…しんた、ろ…う…」
それでも。親友が五年もの間受け続けていた暴力を止めることができていると思うと、少しだけ心が軽くなる。
この痛みから、しんたろうを守り切る事が出来るなら。
視界が闇に閉ざされていく。燈火はそのまま意識を失った。
「…そろそろ頃合いか」
自分が部屋に入っても目を覚まさない燈火を見やりながら、えいじはひとりごちた。
部屋も燈火自身も凄惨なまでに血にまみれ、赤黒くこびりついている。
ろくな治療も施さずこの一カ月の間、毎日のように暴行し続けた。どんなに精神力が強くとも、肉体的なダメージは誤魔化しきれるものではなくなっている。
「あいつがどんな顔をするか…愉しみだな」
約束通りえいじは先日まで、しんたろうに指一つ触れていない。その意味することを知った時、しんたろうがどんな表情を浮かべるのか。想像するだけで嗤いが込み上げてくる。
気を失ったままの燈火を後ろ手に拘束し掴み上げると、えいじは彼を引きずりながら部屋を出た。




