第16話 Communication Breakdown
イドラの社長室で、パソコンを打っていたソフィアは、キーボードを叩く指を止めて目を瞑る。
大きな超能力を使った際に揺らぐ、見えない乱れを感じたためだ。それはイドラの本社から逃げた寿の波と同じだった。
少し離れたソファで銃を手入れしていたえいじは、ソフィアにちらりと視線を向ける。
「──寿の気配を探知しました。ここから十キロ離れた廃工場ですね」
「ようやくか、おいイツメ。《人型》を何体か連れてお前が行け」
「はぁい。帰ってきたらたぁっぷりちょうだいね?」
「…ああ、分かった分かった。いいからとっとと行け」
艶然と笑みを浮かべるイツメにうんざりしながら、えいじは追い払うように手を振った。
浮足立つ様子を隠しもせず、イツメは姿を消した。
「私は超能力制御装置《御鏡》の最終整備に入ります」
「ああ。ソフィア、そろそろ結果出せよ?」
えいじは一言言うと、社長室を後にした。
残されたソフィアはデスクに置いた資料を確認しながら、制御装置の調整を始めた。
ソフィアはイドラの社長を務める《人型》だ。
始祖イツメの次世代、現在は初期型とも呼ばれる二十年代に生まれた型だった。
二十を超えた個体は、島の兄姉を除けばもうソフィアしか残っていない。
初期型は外見こそ現行型と同じ白髪・赤目の特徴を持つ。しかし内面は思考が可能で人間に限りなく近い。
だが急成長させて時間を圧縮することが困難で、初期型の開発は早々に終了された。
超能力を使えるようになったためか、恐怖などの感情を発生させる扁桃体とそれを制御する前頭葉が、身体を急成長させると高確率で異常を発生させてしてしまう。それが初期型に言われる「誤動作」だ。
そのため人間なら問題にならないレベルの精神的負荷でさえ耐えきれず、命を絶つ者や発狂する者が続出した。
「感情があるからこそ、諜報に使えるんだがな。人形じゃ意味がねえ」
「…感情があるから耐えられないのは当然だ。人間と同じなんだから」
「私は《人型》です。人間ではありません。えいじ様、しんたろう」
不満げに話す二人に割って入ったのは、当時名はなく九号と呼ばれていたソフィアだった。
この時点で初期型はソフィアを含み数体しか残っていなかった。辛うじて精神の均衡を保っていた初期型は、ほぼ全てが異常を発生しており、開発終了間際のタイミングだった。
「九号くん、君だけは異常が出てないね。何が君の精神を安定させているか、何か思い当たる事はある?」
「私はなぜ他の個体に異常があるのか知りたいです。合理的に考えれば、精神的負荷など発生しないのではないですか?」
「……へえ? お前の言う“合理的”ってのは?」
「殺人や諜報など任務であり、そこに個人の感傷は必要ないかと。自身の存在と切り離せばいい」
ソフィアの回答に、えいじは愉しそうに目を細めた。
その目は人形を見る目ではなく、興味深そうな笑みを浮かべていた。
「数字は呼びにくい。お前、今から名はフィロソフィア…いや長いな、”ソフィア”だ。理屈っぽいからな」
「ありがとうございます。ただお言葉ですがソフィアは女性名かと。私は男性です」
「はははは! 《人型》がそこに拘るのかよ。いいからそう名乗れ…ククッ、お前いいな。俺を呼ぶ時も”えいじ”でいい」
心底可笑しそうにえいじは笑った。ソフィアはえいじが何を考えているのかさっぱり分からなかった。
そのためそんなえいじの様子に、しんたろうが目を丸くしている理由も分からなかった。
だがまだ人の心がどういうものか、当時のソフィアは分かっていなかった。
ソフィアは激昂したえいじに、半殺しにされたことを思い出していた。
「えいじに質問があります。何故あなたはしんたろうに執着を?」
「……あァ?」
聞いたこともないえいじの低い声音に、ソフィアは根源的な恐怖を覚え硬直した。
イツメが偶然部屋を訪れなかったら、あのまま殺されていたかもしれない。
今なら気づいてしまったえいじの心の機微を読まず、ストレートに尋ねることなどしない。
だがその時のソフィアは、知識はあってもどう尋ねたらいいのか分からなかった。
それから数十年が過ぎ、えいじやしんたろう、諜報で人の感情を数多に知った。
《人型》たちに感情を知る心がないことが、今となっては良い事とも哀れな事とも思う。
それがある故に、人が憎み合い傷つけ合うのを知ってしまったから。
だがそれがあるからこそ、人は互いを思い合う事も知っている。
「……あなたの本当の望みはなんですか。えいじ」
***
白髪と赤目が目立つため、寿が安定するまでしばらくは外には出ずに過ごすことになった。
「…迷惑かけてごめんなさい」
「気にするな、俺に原因があるんだから。そんな気落ちしなくても大丈夫だ」
肩を落とす寿を、荘助は不器用ながらも慰める。少しだけ気持ちが安定した寿の手で治療は多少進んでいたが、まだ完治はしていない。
未だにあの時の光景を思い出すたび、寿は手が震えてしまう。
仁は誠と食事の支度をしていたが、そのやり取りを見ながらやはり仁の表情は硬い。
「…寿さぁ」
「え?」
仁が尋ねかけた時、ベランダ付近で何かが爆発する音が響き、荘助は咄嗟に防壁を張った。飛んできた瓦礫が不可視の壁に阻まれ床に散らばる。
立ち上る煙の向こう側から、《人型》が複数現れた。
「《人型》…ここがバレたか…」
「あの人達全員、俺と同じ…?」
「…アレはえいじに造られた《人型》だ。えいじの命令だけを聞く。お前とは違う」
困惑する寿の言葉に、荘助は強く言い切った。
《人型》の中には、超能力を使う時に生じる空間の歪みを検知する者がいる。
できる限り出力を抑えれば気づかれにくいが、寿の暴走した力の威力で気づかれてしまったのだろう。
「いいから、お前たちは下がってろ!!」
「で、でも…っ」
「俺達だって超能力者の端くれ…こいつらぐらいなら問題ない!!」
寿を少しでも安心させるため荘助は叫んだが、人間と《人型》は力が拮抗していることを、自身が一番分かっている。
防壁を一旦消すと、荘助は懐からハンドガンを取り出し構えた。痛みで超能力の出力が安定しないため、荘助は武器を使用することを選んだ。
このセーフハウスがあるマンションは、直樹所有物件の一つで、他のフロアに住人はいないことを聞いている。
「荘助さんっオレも手伝う!!」
「仁! すまん、頼む!」
仁は咄嗟に荘助の横に立つと、赤く輝く矢の形にエネルギーを固めると、弓を引くように両腕をつがえた。
誠は寿を抱えるように、アイランドキッチンの影に隠れる。向かいの洗面所からは、信乃と安曇が様子を窺っていた。
「大丈夫、あの二人は強いからね」
「う、うん、ごめんなさい。僕全然力が使えなくなってて」
誠は、髪の色すら変えられない状態の寿を、矢面に立たせる気はなかった。
荘助を傷つけてしまったことで、ここまで心に傷を負ってしまった寿を、誠は悲しそうに抱きしめる。
「さ、狩りの時間だっ!!」
抱いている苛立ちをぶつけるように、仁が放った矢は複数に分裂し、《人型》の体を貫いていく。
赤い血飛沫が飛び散って、寿は小さく悲鳴を上げた。
「あまり気を抜くなよっ仁!」
横から飛びかかってきた《人型》をハンドガンで撃ち落とし、荘助は嗜めるように怒鳴った。
仁は舌を出しながらニヤリと笑う。このメンバーの中で一番若く、村襲撃の際はまだ生まれていなかったため、仁にイドラに対する憎しみはあまりない。
だが、群を抜く《人型》への憎悪を持っているため、荘助や誠に度々注意されていた。
「あんたたち本当に駄目ね。人間相手に手こずるなんて」
「イツメ…!!」
「黒い髪…《人型》じゃない?」
「あいつは《人型》の始祖だ。だからか知らんがあいつだけ髪も目も黒い」
荘助はぎり、と拳を握りしめる。通常の《人型》相手ならまだ力は拮抗しているが、イツメだけは格上と言い切れる。
何度か交戦した事があったが、基本的に出会ったら逃げるのが最上の選択だった。
仲間の中で一番攻撃力の高い安曇がいなければ、逃げることさえ難しい相手だ。
「ひっ、あの子また…やだぁ!!」
「! 全員伏せろ!!!」
イツメの姿を視認するや否、恐怖に引きつった悲鳴を上げた安曇が、両手をイツメに向けた。
安曇から放たれた爆発のような火柱が、轟音を立ててイツメを襲う。
荘助に抱きすくめられる形で地面に転がった寿は、そのあまりの威力に目を見開いた。
「あずみ凄い…あんな火柱見たことないよ!」
「安曇ねーちゃんは、攻撃力がめっちゃ高いんだよ。まあちょっと、ビビりすぎて不発も多いけど」
寿の近くに転がってきた仁が説明する。力の制御が下手なせいで今回の戦闘は不安だったが、これならなんとかなる。そう仁が考えた瞬間、キッチンを飛び越えて《人型》が襲いかかってきた。
誠は咄嗟に右手をかざしたが、一瞬ためらってしまい衝撃波をまともに食らって吹き飛ばされた。
「うっ!!」
「なにやってんだよ親父!!」
「げほっ、ごめ、ん!」
誠は何とか立ち上がると、再度《人型》に向けて手をかざす。
その途端《人型》はその場に崩れ落ちた。口の端から夥しい血が溢れていく。
誠の力は外傷こそないものの、主要な臓器を直接破壊するという、普段の穏やかさとはかけ離れた力だった。
「危なかった…ごめん仁」
「大体親父は気にし過ぎなんだよ。あんな心もない《人型》殺すのに、躊躇ってる場合じゃないだろ!?」
「……仁?」
寿は思わぬ仁の言葉に、動揺したように名前を呼んだ。
仁はしまったと感じたが既に遅く、寿と目を合わせる事ができずに気まずげに俯いた。
「仁も俺を《人型》だと…心なんてないと思ってる?」
「……いや、オレは」
口ごもる仁だったが、衝撃波が飛んでくる気配に慌ててその場を飛び退いた。
火柱に包まれたはずのイツメは、無傷の状態で荘助たちに嘲笑を向ける。
「こんな力で、始祖たる私を斃せるとでも思ってるの?」
「うへぇあのおばさん、相変わらず規格外だな」
顔を顰めながら仁が思わず呟くと、イツメは目を吊り上げて仁を睨んだ。
「誰がおばさんよ、このクソガキがっ!!!」
「仁っ! 寿っ!!」
二人を庇った荘助の背から、夥しい出血が上がる。自身に張る障壁が間に合わず二人の周囲のみに張ったため、荘助自身は完全に無防備だった。
「…しんたろう…俺はあんたの、子を守る…」
「そっ……荘助…!」
「荘助さんっ! 逃げて!!」
「アハハハ!! そんな脆弱な力で守れると思ってるの!?」
イツメは全て分かった上で、避けようとしない荘助に再び衝撃波をぶつけた。
襲いかかる衝撃波を前に、荘助は二人を守る障壁を更に強化して構える。
その瞬間、寿の脳裏を過ぎったのは、しんたろうを守ろうとして命を落とした真一郎の姿だった。
(誰も……誰も死なせたくない…!!)
「うわぁあああ!!!!」
衝撃波を一気に消失させ、寿は荘助を抱きしめながら後ろに飛び上がった。
血に塗れた荘助の回復を必死に試みると、その傷はあっという間に塞がっていく。
「…ことぶ、き…? お前…力が…」
「荘助…死んじゃやだよ…誰も死んじゃダメだよ…!」
寿はイツメを睨むと、荘助の血に濡れた両手を翳した。
一瞬でそこにいた全員の姿が掻き消え、イツメは目を見張る。
「あいつ…っ、この人数を一瞬で…!?」
悔しげに気配を追おうとしたが、完全に隠蔽されてしまい、イツメは爪を強く噛んだ。
***
少し乱暴に落とされたそこは、初日に寿が紹介された地下のバーだった。
何が起こったのか分からず、周りを見回しながら全員がいることにほっと息を吐いた。
「……ここ、地下のバー?」
「いたた、寿くん、一瞬でここに皆を飛ばしたの?」
「はぁっ、はぁ…僕、他の場所知らないから…」
大人数を連れて空間を飛び越えたため、流石の寿も精神を削られて荒い呼吸を繰り返す。
立て続けに大きな力を使ったため、頭の奥がずきずきと痛み、寿は少しずつ気が遠くなるのを感じていた。
よろけて座り込んだ寿を、仁がしっかりと抱きとめる。
「オレはお前のこと、嫌いじゃないし! 心がないなんて思ってないから」
「……僕と友達のままでいてくれる?」
「当たり前だろ!!」
強くはっきり言い切る仁の言葉に、寿は安心したように微笑んだ。
自分より泣きそうな仁の顔を見ながら、いよいよ意識が遠のいてく。
「よかったぁ......」
「寿? 寿!!」
驚いて叫ぶ仁の声を聞きながら、寿は気を失った。




