第11話 【過去編】Vermelho Do Sol
(……どいつも狂ってる)
久是の一族が真一郎に強要した研究は、遺伝子を操作し手足となる最強の兵を造ること、そして最高の頭脳を得ることだった。
それを使い世界を牛耳ることが正しい事だと、今の世界は間違っているというのが、久是の一族の主張だ。
そして久是が自らの道具とするため、真一郎に無理やり作らせた子どもが自分だということ、えいじ・しんじの双子は自分と父親が違う弟だということを知る。
えいじはそれを嗤いながら告げてきたが、しんたろうの心はむしろ父の深い愛情を感じていた。そんな壮絶な出来事があったことを、父は自分に微塵も感じさせることはなかった。
(こんなところで、父さんの凄さを知ることになるなんて)
しんたろうが引き継いだその研究は、真一郎が全ての基礎を作り上げていた。そしてそれは、今の技術すら遥かに凌いでいる。
その凄まじさを知れば知るほど、心優しかった父がこんな狂った研究を強いられ、どれほど心を痛めたか理解してしまい、しんたろうは苦しさに胸を掴んだ。
二年経つ頃、研究は成功し、最初の人造生命が生まれてしまった。
人造生命体は《人型》と呼ばれ、個体名はイツメとされた。それら全てにまつわる研究は《大直毘機構》と称された。
日本神話で伊耶那岐神が黄泉の国から戻った際に、穢れから生まれた神を直すべく生まれた神の名だ。
自らを世界を正す者と妄言を吐く、久是が考えそうな名だった。
何度目か分からない脱走はまた失敗に終わり、施設を警護する黒服の男たちに身体を掴まれていた。
えいじの前に引き出されたしんたろうは、不快そうに自分を見るえいじを強く睨む。
「いっ…うっ!」
「また逃げようとしたらしいなァ?」
髪を掴まれたまま体を壁に叩きつけられ、しんたろうは痛みに呻く。髪が引き千切られた頭より、打ちつけた肩が鈍く痛んだ。
黒服の男たちは後ろに引くと、何かするでもなく直立不動で壁の前に並び立った。彼らもまた、イドラの狂人の一人であり、久是の目的を遂行するえいじに付き従う者たちだった。
「……」
「てめえの立場を、まだ理解できねえのか」
「…俺がどこで何をしようと、俺の」
言い終えるより先に振り下ろされたえいじの脚が壁を蹴った。咄嗟に躱すとしんたろうはえいじを強く睨みつける。
「俺の勝手だ!」
「懲りねえな…」
心底苛立ったように、えいじの目が細められる。
えいじは壁から足を引くと、しんたろうの肩口を狙って振り下ろした。右腕でそれを防ぎえいじの足元を狙うが、読まれていたのかかすりもせずかわされる。
不安定な姿勢を襲う拳をなんとか避けるも、しんたろうはそのまま床に倒れこんだ。
横腹を踏みつけられ、呻き声が漏れる。再度踏みつけられそうになるが、なんとか体を捩りかわした。えいじの舌打ちが聞こえ、しんたろうはえいじを睨みつけた。
「いつまでも…っお前の思う通りに行くと思うなよ…!」
「虫ケラごときが。夢見やがって」
跳ねるように起き上がり蹴りを打ち込むが、紙一重でまた避けられてしまう。一方的に蓄積していくダメージに、疲労感が増して体の動きが鈍くなってゆく。
一瞬バランスを崩したように見えたえいじに、しんたろうは気力を振り絞り、大きく右腕を振り下ろした。その瞬間えいじの顔が愉悦に満ちた。
「ハッ、馬鹿が」
「!」
バランスを崩したように見えたのは、誘い水だったのだと気付いたが遅かった。振り抜いた拳はえいじの肩の際で空を切り、しんたろうはがら空きになった体勢を晒していた。
伸び切ったしんたろうの腕を掴み、えいじは鳩尾を抉るように拳を打ち込んだ。腹の奥に響く打撃の衝撃と鈍痛に、捥ぎ取られるように意識が霞んでいく。
崩折れるしんたろうの胸倉を掴むと、えいじは傾ぐ顔を拳で殴りつけた。
伸びきった髪の合間に、切れた唇から飛び散った血が微かに光を跳ね返した。
「…っゔ、えっ…」
「まだ始まったばかりだろ。——寝てんじゃねえ」
強引に引き寄せると、脚に体重を乗せて腹を蹴り倒した。派手に床に叩きつけられ、痛みに呻くしんたろうに追い打ちをかけるように、えいじは執拗に蹴りを重ねる。
繰り返される暴行に耐えきれず、しんたろうの悲鳴は意識と共に唐突に途絶えた。
踏み付けても意識は回復しなかったが、えいじはスタンガンを取り出し、しんたろうの肩口に押し付ける。
「あぁ! …ぁ、う…ゔ…っ」
「まだ寝るなっつってんだろ」
痛みと痺れにしんたろうの体が痙攣する。
蹴られ踏み躙られるたびに上がる悲鳴は、少しずつ掠れていく。体を庇うことも出来ず、だらりと投げ出されたままの腕を踏みつけながら、えいじは息一つ乱さずせせら嗤った。
「ざまあねえ。一度くらい俺に当ててみろよ」
「…っ」
嘲笑に言葉を返すことも叶わず、しんたろうは激痛に顔を歪める。身体中が熱を持ち、呼吸するだけで身体中が軋むようだった。霞む視界の中、えいじの輪郭がぼやけて映る。それでもしんたろうはえいじを睨んだ。
何とか立ち上がろうともがくが、腕が震えるばかりで体を持ち上げるほどの力が出ない。
「や……め、っ……折れ……」
「俺に命令すんな」
肘をついたままの腕を踏み躙り、じわじわと体重を乗せる。
みしみしと重い音をたて、遂に限界を迎えた橈骨が鈍い音を立てて圧し折れた。
「っぅ、う…っ」
圧し折れた音と共に走る激痛に気を失うまいと、しんたろうは歯を食いしばったが、視界は再びぼやけていく。
意識が落ちかけた瞬間、再びしんたろうにスタンガンが押し当てられた。引き攣る喉は掠声も上げられず、ただ激痛に目を見開く。体が痛みと血の気が引く寒さに痙攣し始める。
「…ぁ、が…」
「何回もつか試してやるよ」
最早指一つ動かすことも叶わず、嬲られる体をかばう術もなかった。激しい暴力に意識は混濁し、思考は霧散した。
痛みに上がる掠声が途切れる度に、スタンガンを無慈悲に押し当てられる。その痛みさえ、少しずつ遠のいていく。
「っあ……ぁ、う……」
「虫かよ、てめえは」
「っ!! う、う……っ……!」
ふん、と鼻を鳴らしながら腹を穿った爪先は当たりどころが悪かったのか、鈍くなっていた痛みが激痛となってしんたろうを襲う。
腹腔内出血を起こしているであろうことは容易に予想がつく。
しんたろうの意識は、いよいよ醒めない深淵へと落ちていく。
「…チッ。おい、寛之に治療の準備しとくように言ってこい」
面倒臭そうに指示を出す声が、最後に聞いた言葉だった。
冷たい暗闇に呑み込まれながら、しんたろうは——ようやく意識を手放した。




