第1話 Early bird
めぼしい島影もなく、ただ大海が広がる青空を、一機の白いヘリが進んでいた。
乗員は二人。白髪の操縦士と、肩まで伸びた金髪に碧眼を持つ男。その男の左眼の下には二本の爪痕を模した赤い刺青があった。
金髪の男はタブレットを確認し、口角を上げた。
「ナンバリングなし、恐らく二十年代式。個体名は寿──十六歳。ヒトに近すぎて誤動作が多い、ソフィアと同じ初期型だな」
画面には白髪の少年の写真が表示されている。切り揃えたボブに赤い瞳、色素の薄い肌は傷ひとつない。
笑みを浮かべているその顔は年齢より幼く見え、金髪の男はそれを鼻で笑う。
「今さらイチから育てるなんざ、酔狂なことで」
***
その島は世間には無人島とされていた。
島の縁は荒波のため抉れ、鼠返しのような形をしており船での上陸を阻む。
森に覆われ外部からは見えない場所に、巨大な白磁のビルが二棟そびえていた。古びたその建物は、所々外壁の塗装が剥げかけているが、そこが唯一、人が住む場所だった。
屋上では、白髪の男女が洗濯物を干している。ごくありふれた光景だ。女が洗濯かごをふわふわと浮かべながら干しているのでなければ、の話だが。
男もふわりと浮かび上がり、背の丈を優に超える物干し竿に布団をかけていく。
「久々に晴れたね。すぐ乾くかな」
「ああ、そっちも終わったか。そろそろ戻るか」
そう言い合ったとき、屋上の入り口が勢いよく開き、少年が一人飛び込んできた。
淡い桃色に桜の刺繍された着物を素肌に羽織り、下はジーンズに素足。
珍妙な格好だが少年は満面の笑みを浮かべている。
「にーに、ねーね! 岬に遊びに行ってきまーす!」
「寿! 洗い物は済ませたのか?」
「うん! スルにも言ってきたよ!」
かけられた声に寿はにぱりと笑って答える。
その場でふわりと浮き上がる寿に、女も微笑み声をかけた。
「あんま遅くならないようにねー」
「はーい!」
にこやかに返すと寿は一気に空を駆ける。
二人はそれを見送ると、洗濯かごを持ち屋上を後にした。
島に暮らすのは七人のみ。
白髪と赤い目を持つ二人の男女と寿は、様々な超能力を使うことができた。
残る四人は普通の人間で、髪も肌の色もばらばらだった。
ウミネコの群れを横目に飛び、寿はお気に入りの岬に降り立つ。
崖に腰掛け果てなく広がる青空と海を眺めながら、寿はぼんやりと最近繰り返し見る夢の事を考えていた。
──暗闇の中に一筋の光。
その前に立つ男は、ゆっくりと振り返り寿の名を呼ぶ。
少し掠れた、けれどとても優しい声で。
『寿。ずっと待ってるよ。君が会いに来る日を』
顔は逆光で見えないが、寿は直感する。
彼はきっと自分の父親だ。
寿の母親は亡くなり、父親は遠くにいるとスルから聞かされていた。会うためには島を出なければならない。
親代わりのスルたちも兄姉も大好きだった寿は、みんなを置いて行くことに二の足を踏んでいた。
会ったらまた島に戻ればいい──そう思っていた。
「一度くらいは……会ってみたいな」
その時だった。寿の背後に影が落ちる。
振り返ると見知らぬ金髪の男がふわりと降り立ち、にこりと微笑んだ。
「初めまして。寿くん、でいいかな?」
「あなたは誰? なんで僕を知ってるの?」
「俺はえいじ。君の父…しんたろうの知り合いさ」
その少し掠れた声は低く、耳に響いた。
寿は思わず目を瞬かせる。
「えいじ......さん?」
「俺のことは、えいじでいいよ」
初めて聞く名前のはずなのに、既視感が胸をかすめる。
だがすぐに、続くえいじの言葉で霧散した。
「しんたろうに頼まれてね。君を迎えにきたんだ」
「お父さんが!? 本当に会えるの?」
優しく告げられて寿の胸がどきりと高鳴る。
えいじは右手を差し出した。
「ああ。しんたろうは君を待っている」
「ほんとに!? 僕も会いたい!」
嬉しさに寿は頬を紅潮させ、優しい笑みを浮かべるえいじの手を取った。
少し冷たいがしっかり握られた手に安心し、彼と共に行く決意を固める。
「あ、スルに伝えないと──」
「心配いらない。スルたちにはもう話してある。ヘリも待たせてるから行こうか」
「…うん! えいじも飛べるんだね!」
スルの名が出てきたことで、安堵してほっと息を吐いた。
えいじは寿の手を掴んだまま空を一気に駆けると、ヘリへと向かう。
二人が近づくとプロペラが回り出し、寿の瞳が好奇心で輝いた。
「わぁ! 本物のヘリだ! 本でしか見た事ないよ!!」
「はは、二時間もすれば着く。暫く空の旅を楽しむといい」
えいじは寿の手を引き席へと案内した。
思ったより広い機内を忙しなく見回す寿に目をやると、えいじは操縦士に目で合図した。
こくりと頷きヘリは空へと浮上する。
「あれは──えいじ!? なんで寿と一緒に……!?」
ヘリポートに降りてきた白いヘリに気づき、スルは屋上へ駆け上がった。
そこにいるはずのないえいじの姿に息を飲む。
えいじに連れられた寿は、何も知らずに意気揚々とヘリコプターに乗り込んでしまった。
「バカね、スル。えいじが気づいていないとでも思ったの?」
「イツメ……! えいじと来たのか!?」
「私は今回はメッセンジャーよ。あなたに絶望を届けに来たわ」
黒髪の女がニヤニヤと笑いながら歩み寄る。ざっくりと胸元が開いた黒いドレスを翻し、スルの顔を掴んだ。
「全部知ってるわよえいじは。あの子が何なのかもね」
「──っ」
歯噛みするスルを嘲るように、イツメはにやりと口の端を吊り上げた。
「寿だっけ? あの子が苦しむ顔を見て、あの男がどんな顔をするか愉しみだわ」
スルを突き放すと、イツメは笑い声を残して姿を消した。
「寿……! クソ、俺達しかいないと油断した…!」
人の少ないこの島で生まれ育った寿は、人を疑うことを知らない。人の持つ悪意を想像したことすらない。
父親の名を出されれば、疑うことなくついていく──スルはそれが安易に想像できた。
遠ざかって行くヘリを、ただ祈りながら見送るしかなかった。
「しんたろう……どうか寿を……!」




