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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第97話:風籠の間へ


 高地の風が唸りを上げる。

 丘を越えた先、白銀の街が霞の向こうの湖に浮かんでいた。


 見張り台のゴーグルが覗く望遠鏡の映像が、コンパス盤に投影される。

 鏡のように輝く都市――風の都、セレスティア。


 街は巨大な渦のように広がっていた。

 七つの大橋が放射状に伸び、その中心には巨大な寺院のような建物。

 一見すると城にも見えるが、構造の線は柔らかく、宗教的な意匠が強い。


 そして何より目を引くのは、無数の風車だった。


 屋根に、壁に、谷に。


 まるで呼吸器官のように取り付けられ、それぞれが一定の速度で回っている。


 「なんだありゃ……飾りにしちゃ数が多くね?」


 リュカが呟く。

 シアが画面を覗き込み、指先で何かをなぞった。


 「風の力を……送ってますね。街全体に管が張り巡らされています」

「水の代わりに、風を通して動かしてるってわけか」


 三人で水晶盤を囲み、無言で観察を続けた。


 (街全体が“呼吸”しているみてぇだな…)


 風車が吐き、塔が吸う。

 屋根の上では風札が一斉に鳴り、その音が遠くまで響いていた。


 どの家も、まるで指揮者の指に合わせるように、同じ間隔で音を立てている。


 「……見事なもんだ」


 俺は小さく息を吐く。


 「人が生きてる街ってより、仕組みの中に生かされてるみてぇだ」


 リュカが映像を拡大する。


 塔の基部に金属の環――巨大な風門のような装置が見えた。

 そこから淡い光が漏れている。


 「コイツはすげぇ……」


 風で魔力まで作って送っているようだ。

 さながら発電炉。


 この街だけ、時代がひとつ先を行っているように見える。

 だが生活の気配は、なぜか追いついていない。


 ……奇妙な矛盾だ。

 一体あの魔力はどこへ使っている? 街の灯りにしては過剰すぎる。


 「観光なら楽しめそうだったな」


 俺が呟くと、誰も笑わなかった。

 船内が一瞬、静まり返る。


 風の音だけが甲板を打っていた。


「船じゃ正面からは入れねぇ。検問所が四つ、空も監視されてる。これ以上は近づけねぇ」

「コール、あそこの崖、船隠せそうじゃね?」

「だな。……ウィンスキー、操舵頼む」


 イルクアスターはゆっくりと高度を下げた。

 雲を割り、岩肌の谷へと潜る。

 白い砂が舞い上がり、船体が静かに滑空する。

 地上に着くと同時に帆がしゅっと畳まれた。


 「……よし。ここなら風の流れも弱い」


 ウィンスキーが頷く。

 俺たちは船を丘の影に隠した。


 コンパスの投影が消える直前、塔の上層が映る。

 金の輪がゆっくりと回転し、淡く光を放っていた。


 まるで街のすべての息を、そこへ吸い上げているようだった。


 「……何事もなく行けばいいが」


 風が頬をかすめた。

 息を飲むような静けさの中、街の鈴の音だけが遠くで響いていた。


 ―――


 丘を下りると、風の都がその全貌を現した。

 白壁の街は湖を囲むように築かれ、

 無数の橋と風車が風を受けて鳴っている。


 どこを歩いても、空気が淡く揺れた。

 ――まるで水面の上に立っているような錯覚だった。


 「……耳が痛ぇ」


 リュカが顔をしかめる。

 シアも耳をたたんでいる。

 この国の風の音は、獣族の耳には合わないらしい。


 門の前では白衣の衛兵が立っていた。

 額に青い布、胸元には風の紋。

 近づくと、彼らは穏やかな笑みで頭を下げた。


 「旅の方々ですね。――ようこそ、母の息の庇護の下へ」


 声は柔らかく、どこか同じ調子だった。


 「めぐりの祭を見に来た」


 俺は即答した。


 「セレスティアで行われる儀式を一目見たくてな」


 「それは光栄なことです。

  明日より三日間、“祝風しゅくふうの祭”がございます。

  巫女ルミナ様が風籠ふうろうを終えられた後、最終の“めぐり”が執り行われます。

  まずは中央の祈風院で案内をお受けください」


 通行札を受け取り、街へ足を踏み入れる。

 湖面を渡る風が頬を撫で、鈴の音が絶えずどこかで響く。

 風が流れるたび、祈りの札が微かに揺れた。


 祈風院は塔の根元にあった。

 白石の柱が並び、天井には螺旋の文様。

 垂れた薄布のあいだに無数の風車が吊るされていて、

 人の通るたびに淡い羽音が生まれる。


 「参拝の方々ですか?」


 現れた神官が、丁寧に頭を下げた。

 声もまた先ほどの衛兵と同じ調子だった。


 「残念ですが、巫女ルミナ様はまだ“風籠”の中におられます。

  儀式前は沈黙に入り、母の息だけを聴かれるのです」


 「母の息を聴く?」


 「はい。ルミナ様は“風読かぜよみの眼”をお持ちです。

  風の流れに人の想いや行く末を映し、母の囁きを受け取られる。

  ですがその眼は、自らの意志では開けぬもの。

  母が語るときのみ、風が視を許すのです」


 リュカが問う。


 「今は会えないってことか?」

 

 「はい。祭の最終日、“めぐり”の前夜に謁見の時がございます。

  直接お話はできませんが、供物を捧げればお姿を拝することが叶います」


 「……それは、帰らないという意味か?」


 一人の若い神官が小さく眉を動かした。


 隣の者がその手を静かに押さえる。

 答えの代わりに、年長の神官が胸の前で風印を結び、目を閉じた。

 その姿が、あまりにも自然で――ぞっとするほど整っていた。


 寺院を出ると、湖面を渡る風が夕陽を散らしていた。

 街の屋根に吊るされた風車が赤く染まり、

 祈りの鈴がいっせいに鳴る。


 通りには祭の露店が並び始めていた。


 風灯と呼ばれる小さな灯が、ゆらめく風に浮かび上がる。


 子どもたちはそれを追いかけ、大人たちは淡々と祈りを唱える。

 祝祭のざわめきと整った祈りが、奇妙に調和していた。


 「明日から祭か」

「ええ。巫女が風と還るまでの三日間は、街全体が眠らないそうです」


 神官の言葉が思い出される。

 眠らぬ街――その響きに、なぜか嫌な胸騒ぎがした。


 夜、宿の窓から塔を見上げた。

 金の輪が淡く光り、遠くで鈴が鳴っている。


 風が、塔を巡りながら何かを囁いていた。

 ――呼ばれているような気がした。


 この街の風は、あまりにも静かすぎる。


 ーーーーー


 祭の一日目は、風と音に満ちていた。

 街中の屋根から風灯が浮かび上がり、橋の上では笛や太鼓が鳴っている。


 だが、歓声も笑い声も、どこか抑えられているように感じた。

 まるで決められた拍子の中で、誰もが同じ息をしている。


 シアとリュカは屋台を歩きながら、人々から情報を集めていた。

 

 「ルミナ様はね、風読の眼で私たちを見てくださるの」

 「去年のめぐりでは、嵐が一度も来なかったんですよ」「だから今年も……」

 

 人々の声は、感謝よりも“安堵”に近かった。


 リュカが戻ってくる。


 「なんつーか……、全員信じてるっつーより、もう“従ってる”感じだな」

「ええ。信仰というより、依存ですね」


 シアの言葉に、俺は無言で頷いた。


 ーーーーー翌朝。


 祭の二日目。

 街はさらに浮き立ち、風車には花が飾られ、子どもたちは布の翼を背に走り回っていた。

 だが、俺の胸にはどうにも重いものが残っていた。


 「……待つのは性に合わねぇな」

 

 言って、腰の袋を叩く。

 中には、あのクラーケンの牙が入っている。


 ――リュカとシアを拾った時のことを思い出す。


 『……まさか、これは……もしや』

 『仕留めたクラーケンの牙。根元まで折れていない、良質な一本だ』


沈黙。

 商人キーカクは喉を鳴らし、言葉を整えてから続けた。


 『こ、これは……銀貨百どころではございません。素材としての価値、調度品、護符、王族の贈答品にすら使われる……まさに逸品!』


 ――あのときの牙が、今も手元にある。


 貴金属よりも硬く、牙自体にも力を宿す。

 この街でも通じるはずだ。


 最悪……暴れることも考え、俺は一人で集風の寺院へ向かった。

 合図があれば船を突撃させてかっぱらう予定だ。


 白布の垂れる回廊を抜け、静かな空気の中を進む。

 応対に出た神官たちは、揃って同じ笑みを浮かべた。


 「申し訳ありません。巫女様はまだ“風籠ふうろう”の中にございます」

 「知ってる。だが、これを見ろ」


 俺は牙を取り出し、卓の上に置いた。


 白い牙が鈍く光を返す。

 その形だけで、神官たちの表情がわずかに揺らいだ。


 「……これは、海獣の牙……? いや、まさか“深海の主”の……」


 「そうだ。クラーケンの牙だ。根まで残ったやつは二つとねぇ。

  これだけの物を持ってきて、三日も待てってのは筋が通らねぇだろ」


 神官は一瞬ためらい、だがすぐに表情を整えた。


 「確かに……貴重なお品。しかし、いかに献上品といえど、

  風籠の規則は破れません。巫女様は沈黙の中におられる。

  “母の息”に触れられるのは、定められた刻のみ」


 「定めだぁ?」


 思わず声が荒くなる。

 神官は微笑んだまま、目だけが冷たい。


 「はい。風は、選ばれた者にしか応えません。

  ……どうか、ご理解を」


 「そうは言ってもな」


 俺は身を乗り出し、牙を指で叩いた。


 「明日になりゃ、この街には信者だけじゃなく、物見遊山の連中や別の国の使いも押し寄せるんだろ?

  ごった返した挙げ句、せっかくの献上品を渡す暇がありませんでした、

  なんてことになったら――母様とやらの顔、潰れねぇか?」


 神官たちの喉が、同時に小さく鳴った。


 「勘違いされちゃ困るが、献上品はこれだけじゃねぇ」


 さらに畳みかける。


 「牙は看板だ。荷馬車一台分の品も待たせてある。

  海の向こうから、航海を抜けてここまで運んできた。

  明日中に、ちゃんとここまで辿り着ける保証なんざどこにもねぇ。

  せめて一目だけでも、巫女様に“見る価値がある”って伝えちゃくれねぇか?」


 しばしの沈黙。

 神官のひとりが、ぎゅっと指を握りしめたのが見えた。


 「……お気持ちは、痛いほどわかります」


 それでも、口調は崩れない。


 「ですが、巫女様のお側にお仕えする者として申し上げねばなりません。

  風籠は、誰の願いでも開けてはならぬ扉なのです。

  たとえ王の使いであろうと」


 「王より、神が上ってわけか」


 「はい。それが、この国です」


 完全な拒絶。

 だが、牙から視線を外せない神官たちの喉は、まだ乾いているように見えた。


 「……そうかよ」


 俺は牙を掴み上げ、懐に戻す。


「じゃあせいぜい、明日まで落とさねぇよう祈ってな。

  風の機嫌が悪くなって、献上品ごとどっかへ飛んでかねぇようにさ」


 踵を返しかけた、その時だった。


 奥の布幕が、ばさりと揺れた。

 中から若い神官がひとり、息を切らして駆け込んでくる。


 「――失礼いたしますっ!」


 神官は俺には目もくれず、交渉役の男のもとへ駆け寄ると、耳元で何かを囁いた。


 わずかに顔色が変わる。

 交渉役は俺を一度だけ見て、また神官に小声で問い返した。


 「……本当か?」

 「はい。巫女様から直々に。“今、来ている男を通せ”と」


 その言葉に、場の空気が一変した。

 奥の風鈴が、ひとつ鳴った。

 風が回廊を抜け、布が揺れる。


 「……何の話だ?」


 俺が眉をひそめると、交渉役は深く頭を下げた。


 「先ほどは、無礼をいたしました。巫女ルミナ様よりお告げがありました。

  “今、訪れし旅の男を通せ”と――理由は……申し訳ありません、我々にもわかりかねます」


 「……急に風向きが変わったな」


 俺は鼻で笑う。


 「さっきまで“誰の願いでも開けぬ扉”って言ってたのは、どこのどいつだ?」


 神官は苦い笑みを浮かべた。


 「風は、我らの理を超えて流れます。……母の息の導きに従うほかございません」


 都合のいい言い分だ。

 だが、その目は恐れと敬意で震えていた。


 「……いいぜ」


 俺は肩をすくめる。


 「どうせ、待ってろって言われても性に合わねぇ。行こうじゃねぇか」


 神官は深く頭を垂れ、白布の奥へと導く。

 回廊の奥は、ひどく静かだった。

 風の音も鈴の響きも消え、ただ衣擦れの音だけが続く。


 「この先が、風籠の間です」


 神官が立ち止まる。


 「巫女様は沈黙の中におられます。ですが……あなたを“見たい”とお告げになりました」


 「見たい、ねぇ……」


 俺はぼそりと呟く。

 何を見た? どんな風が、俺を呼んだ?


 扉の前で神官が印を結ぶ。

 重い扉が静かに開いた。


 中から、冷たい風が流れ出す。

 鈴の音が遠くで震え、淡い光が回廊に差し込む。


 俺は一度だけ息を整え、足を踏み入れた。

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