表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
96/113

第95話:約束の色


 夜が、静かに世界を包んでいた。

 雲の上を渡るイルクアスターは音もなく滑っていく。

 星明かりが木肌を淡く照らし、甲板を銀に染めていた。

 影たちは持ち場で揺れ、無言のまま荷を整えている。


 風は冷たいが、胸の奥にはまだ熱が残っていた。


 ――その夜、夢を見た。


 光も影もない場所。

 白い霧と静寂だけが続いている。


「……ここは」


 声に応えるように霧の中から光が現れた。

 形を取り、ひとりの女が立つ。


 ――アーリア。


「久しいね、コール、元気?」


 その声は風よりも柔らかく、少しだけ悲しげだった。


「夢の中まで押しかけるとはな。……どうした?」


「……救ってほしい子がいるの」


 アーリアの言葉に、眉が動く。

 嫌な予感だ……。


「ある国で、ひとりの巫女が“封印”に捧げられようとしている。

 彼女の命をもって、地下に眠る“厄災”を縛り直そうとしている」


 俺は腕を組む。


「つまり、国はその子を人柱で蓋をするつもりってわけか」


 アーリアは静かに頷いた。

「そう。“必要な犠牲”という言葉のもとに」


 アーリアの瞳が俺を見据える。


「だから、止めて。あの子を救って。

 彼女は、…あの子に似ているから……すこし辛いかもしれないけど」


「……似ている?」


 問い返したが、霧は淡くほどけていく。

 アーリアの輪郭が光に溶け、声だけが残った。


「――お願い、コール。」


 白い光が遠ざかり、波のような音が耳に残る。

 次の瞬間、視界が暗転した。


 ――妙に現実味のある夢だった。


 目を開けると、自室のベッドの上。

 ランプの明かりが壁に影を落とす。


「……夢、か」


 掌を見つめる。何もない。

 だが、確かに何かを掴んでいた感触だけが残っていた。


 コートからコンパスを取り出し、蓋を開く。

 針がわずかに震え――

 ゆっくりと北ではない方角を指した。


「……はぁ、分かったよ」


 ベッドを出て机の航海図を広げる。

 羊皮紙の上に描かれた大陸の線が淡く光を帯び、

 旅の航路は海の中央で途切れていた。


 針はその先――白い空白を指している。


「……まだ描いてない場所か」


 指で地図をなぞる。ざらついた紙の感触が伝わる。


 窓の外、遠くの雲の切れ間に淡い光。


「行くしかないな」


 コンパスをポケットに入れ、甲板へ出た。

 星の残光が空を漂い、風は澄んでいた。

 その向こう、水平線がかすかに白んでいる。


「さて、どんな景色が待ってるか」


ーーーーー2日後


 机の上の地図を風がめくる。

 羊皮紙に淡い光の線が走り、

 これまで空白だった東の海に新しい陸の輪郭が浮かび上がった。


 風を味方にしたイルクアスターは雲を裂き、追い風を掴んで進む。


「……見えてきたな」


 遠く、海霧の向こうに影。

 朝焼けが照らし、金の線のように大陸が輝いた。


 舵に手をかける。


「大海の果て、か……」


「やっと見えたのかよ〜……!」


 甲板の方でリュカの声が上がる。

 影の間を駆け抜け、身を乗り出した。


「この二日、ずっと空と海ばっかりだったものね」


 シアが隣で目を細める。風に髪をなびかせながら、遠くの影を見つめた。


「ようやく“次”が見えてきました」


「……そうだな」


 舵から手を離し、軽く伸びをした。

 潮の匂いが混じった風が頬をかすめる。


「退屈だったろ、シア」

「コール様がいるのに退屈なんてありません」


 俺の隣でシアは微笑みながら船の先を眺める。


「ったく、シアは相変わらずだな」

「リュカが落ち着きがなさすぎなのよ」


 リュカが笑いながら、舵の横に腰を下ろす。


「けどさ、なんかワクワクすんだよな。

 地図のない場所ってやつ、ほんとにあるんだな!」


「この船があれば、誰も行ったことのない場所なんてすぐそこにあるようなもんさ」


 朝の光が帆を照らし、風がまた一段と強くなる。

 新しい大陸はまだ霞の向こう。

 けれど確かにそこにあった。


 イルクアスターは速度を上げ、

 雲を裂きながら、初めての空へと突き進んでいった。


 目の前にちょうどよさそうな港があった。

 まず船を休ませるのと補給をするため、イルクアスターを海におろす。


 普通の船に混ざり港へと入っていく。

 港の喧騒は想像以上だった。

 停泊と同時に見物人が集まり、行商人や荷車が行き交う。

 潮と香辛料の匂いが入り混じり、人の熱が波のように押し寄せる。


 検問所では陽焼けした兵士が数名待っていた。

 銀の槍を持ち、肩章が風に揺れる。


「……船舶手帳を」


 無言で手帳を見せると、兵士は頷き札を渡す。


「アガレア大陸? ずいぶん遠くから来たな……。許可証だ。札をなくすなよ」


 門を抜けると、さらに熱気が強くなった。

 白い石畳の通りには露店が並び、果物、香草、金属細工、布――

 まるで世界の色が溢れ出しているようだった。


「すごい……こんなに賑やかな街、王都でも見たことないです」


 シアが目を輝かせる。


「食い物の匂いがヤバいな、腹減ってきた」


 リュカはあちこち見渡しながら笑った。


 俺は二人を少し離れた場所で見ていた。

 人のざわめきと眩しい太陽の中で、

 いつのまにか懐かしさがこみ上げていた。


 ふと、ガラス細工の露店の前で足が止まる。

 小さなガラス片が風を受けて陽光を反射し、

 虹のような光が道に散っていた。


「……あ」


 思わず声が漏れた。

 並んでいたイヤリングのひとつ――

 色も形も違うのに、なぜか記憶を引きずり出す。


 ――シャンディ。

 旅の最初、露店で渡された小さな飾り。

 あのイヤリングを、エレナに砕かれて。


 (……修理に出したままだったな)


 今さら思い出して、苦笑がこぼれた。

 戦も王国も過ぎていく中で、

 そんな小さなことを完全に忘れていた自分に気づく。


「コール様?」


 シアが覗き込んでくる。


「どうかされました?」


「いや、ちょっと昔のことを思い出しただけだ」


「……昔?」

「まぁ、悪い夢じゃない」


 シアは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。

 代わりにリュカが屋台の串焼きを片手に近づく。


「なに見てんだ? ん? これ女に贈るやつだろ? お前にゃ似合わねぇ」


「うるせぇ」


「冗談だよ冗談!」


 そう言いながらも、露店の光が妙に眩しく見えた。

 俺は小さく息をつき、手を伸ばした。


「……これを、二つくれ。それと、留め具はそっちの髪留めに変えられるか?」


 露店の店主から二つの髪飾りを受け取る。

 留め具はイヤリングのものから、髪に付けられるものに変えてもらった。


「なんだよ、柄にもなく気が利くじゃん。

 これ、なんか意味あんのか?」


 リュカが青い雫を光にかざす。

 シアは手のひらの上で、大事そうにそれを見つめていた。


「……昔、似たものをもらったことがある」


 俺はゆっくり口を開いた。


「俺がつけてたイヤリング……修理に出して忘れてきちまったが。潮の約束って呼ばれてたな」


 リュカが眉を上げる。


「潮の約束?」


「ああ。再会を祈るとか、帰りを願うとか……そんな意味だ。

 家族とか、仲間とか、そういう連中に贈るもんだ」


 言葉にすると、少しの気恥ずかしさと、温かいものを感じた。


 リュカが口元を緩め、シアは目を丸くして――次の瞬間、弾けるように飛びついてきた。


「こ、コール様ぁぁぁぁぁ!!!」

「ぐっほっ!? ちょ、おい!?」


 シアが勢いよく抱きつき、青い雫の反射が目に揺れる。


「コール様が……私たちを、家族だって……!」


「そ、そこまで言ってねぇ……」

「言いましたっ!!!」


 リュカは腹を抱えて笑った。


「ははっ、だよな。だけどこれ、そういうことだろ?

  ……でも、コールが昔話なんてするの初めてだな」


「ん?」


 俺は首を傾げる。


「そういうの、聞いたことねぇよ」


「……俺の過去は、苦い話が多いからな」


 軽く笑いながら、遠くを見た。


 そのとき、シアがふっと顔を上げ、目を輝かせた。

 そして――勢いのまま、もう一度抱きついてくる。


「私たちがいますから!」

「お、おいっ!?…ったく」


 胸に顔をうずめたまま、シアは小さく笑った。

 リュカは頭を掻きながら苦笑する。


「お前らなぁ……、そのなんだ……」


 耳の後ろをかきながら、視線を逸らす。


「こういうのは、もっと静かにやれ……」


「無理です!」

「お? なんだお前〜……照れてんのか?」


「な!?、う、うっせぇ! いらねえなら返せ!」

「へへ〜ん、やーだよ」


 港の喧騒の中、三人の笑い声が石畳に響いた。

 潮風が通りを抜け、青い護符が陽光に揺れる。


 ――その空の下、

 俺は久しぶりに、肩の力を抜いて笑えた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ