第08話:港の風、潮の約束
頭が割れそうに痛い……。
その上、平衡感覚が掴めないほど気持ちが悪い……。
完全に飲みすぎちまった……。
シャドーズや港の連中に負けてたまるかと思い、飲み続けたのが運の尽き。
「うぅ……み、水……」
「はい、どうぞ」
ひんやりとしたカップが手に触れる。
見ると、そばにいたのはシャンディだった。
「いつも、すまないねぇ〜」
「……いつも?」
ニコリと首をかしげる彼女に、この冗談は通じなかったらしい。
船の縁にうつ伏せたままの状態で、視界が回る。
俺がこうしてダウンしている間に、ヴァックスはもう商談を終えていたらしい。
港の塩の在庫を積む段取りまで組み、船に運び込む作業に入っている。
……とはいえ俺は今、このザマだ。
シャドーズたちに任せて好きにやらせている。
荷運び、積み込み、連絡、確認――すべて無言で完璧にこなしてくれている。
…さすがは我が船の船員。
昼頃、ようやくまともに起き上がれるようになった。
「はぁ……ったく……」
自分に呆れながら空を見上げてそう呟くと、ちょうどカモメが鳴いた。
だが、今日中に街まで戻るのはもう無理だ。
今から出ても夜になる。そのころには街門が閉まる。
それを考えると、もう一泊だな。
「……もう一日、この港で骨休めか」
それも悪くない。
昨日の夜の騒ぎを思い出すたびに頭が痛いのも気になるが……今は静かな海風が気持ちよかった。
風を浴びていると、下から俺の頭を割りにでも来たのかと言わんばかりのデカい声が響き渡る。
「おい!!! コールの旦那ぁ!!! ちょいと来な!!」
まだ二日酔いで頭が痛いんだ……勘弁してくれ。
俺は下にいるバルカディに手を上げ、桟橋に降りた。
近づくと、彼は肩にデカい袋を担いでいた。
その中には、小分けされた袋や箱が詰まっている。
「こいつはな、港を救ったあんたらへの報酬だ」
「報酬? いいのか?」
「当たり前だろうが。みんな出し合ったんだ。それと……ほれ!」
バルカディは大きめの皮でできた手帳を俺の胸に押しつけた。
ずっしりと重い。表紙には《船舶手帳》と記されている。
「……なんだこれ?」
「見てわかんだろ。この港の船長が持つ正式な手帳だよ。これでお前さんの船は、この町の船ってことだ」
「おいおい、俺は漁師になる気はないぜ」
「馬鹿野郎! いいか? 船ってのはな、好き勝手どこの港にも入れるわけじゃねぇんだぞ?
許可もねぇよそ者がいきなり入ってきたら、捕まっても文句は言えねぇ!」
「……なるほどな」
バルカディは呆れ顔をしながらも、真剣な目で一通りの説明をしてくれた。
「そいつがありゃ、ちゃんとした港で認められた船って証だ」
「だがいいのか? どこの馬の骨ともわからん船を、あんたのとこの船だと名乗っちまってもよ?」
「ヴァックスとは長い付き合いだ。それに、おめぇはこの港を救ってくれたからな」
バルカディは再び真剣な目でこちらを見ると、怖い顔を解いて笑い……一言。
「もうお前は“ただの通りすがり”じゃねぇってことだよ」
威圧でも説教でもない。ただ、当たり前のように。
「お前の船が命張って守った港だ。港ってのはそういうもんだ。恩があれば返す、顔が立てば名も残るってわけだ! 無くすんじゃねぇぞ!!」
バルカディは鼻で笑いながら、頭に響く声で振り返りもせず言い放ち、去っていった。
「ありがとよ……」
その背中に礼を言い、手帳を懐に入れ、袋を担ぐ。
受け取った袋は意外なほどずっしりと重い。
「……ありがたく頂戴」
船に戻ると、甲板の上にシャドーズたちが並んでいた。こんなのでも、わざわざ出迎えとはご苦労なこった。
テーブルを出させ、バルカディから預かった報酬の袋を開くと、思った以上に中身が詰まっていた。
金貨や銀貨、保存食や貴重そうな薬草、香辛料まで。
海の幸はすでに干物にされ、塩漬けの魚がいい香りを漂わせている。
「うわ……すごいですね……?」
甲板下の扉から現れたヴァックスが目を丸くする。
「おう、ちょうどいい。今、空いてるか?」
「はい、塩の積み込みも終わりましたので」
それから中にいるシャンディも呼んで、報酬を三人で分けた。
「これ、コールさんがもらったんですよね? 私たちが分けてもいいんですか……?」
シャンディが遠慮がちに聞いてくる。
「当たり前だ。お前らも戦ったし、ヴァックスもなかなか働いてくれたからな」
俺は短く言って、金貨をいくつか取り分けて二人に渡した。
ヴァックスは感動したように袋を胸に抱え、大事にしまい込む。
「ありがたく使わせてもらいます……」
シャンディは受け取った袋を抱きかかえながら、ふと顔を上げた。
「……コールさん」
「ん? 何だ?」
「少しだけ、街を歩いてみませんか?」
「街を?」
「……はい。実は港町って初めてで、その……」
「あぁ、それならヴァックスが詳しいだろ?」
「「え?」」
ヴァックスがそれを聞いて、船縁にもたれながら苦笑する。
「俺はちょっとここで休んでます……二日酔いっていうか、内臓が逆流しそうなので……」
「……はは、だろうな。とはいえ俺も――」
「あ! そういえば!!」
まだ二日酔いがあると言おうとすると、ヴァックスは食い気味に話を続ける。
「コールさん、この港は行商人の他にも渡りの船が来るもんで、露天がいろいろありますよ? せっかくですし、お二人で見てこられたらどうですかい?」
「露天か?」
「食い物だけじゃなく、珍しいものもあります。ここの港はガラス工芸もありますんで、見るだけでもきっと楽しいはずですぜ?」
「なるほどな……よし、なら少し見てくるかね。行くか、シャンディ?」
「はい!」
そう言うとシャンディは嬉しそうに立ち上がり、俺の手を引いて船を降りた。
「やれやれ」
ヴァックスがなにか呟いた気がしたが、気のせいか…。
港の通りには、最初によった街とはまた雰囲気の違う露天が並んでいる。
干した魚やスパイスの香りが潮風に混ざり、いい匂いがして――どこか懐かしい気分だ。
シャンディは目を輝かせながら、露天をひとつひとつ見て回っていた。
焼きたての菓子パンをひと口だけもらって頬をほころばせ、民芸品の屋台では不思議そうに木彫りの仮面を眺めている。
「すごいですね! 初めて見るものばかりです!」
「ここは渡りの船が多いからだろうな。物も人も、いろんなのが混ざってる」
そう話していると、通りの端に小さな屋根付きの露店が目に入った。
年老いた女性が、布に包まれた何かをひとつひとつ丁寧に並べている。
「これは……ガラスか?」
「ガラスの工芸品さねぇ。おや? あんたは……クラーケンを倒してくれた船長さんじゃないかい?」
「知ってるのか?」
「ここじゃもう、あんたを知らないやつはいないさね。あんたのお陰であたしも食いっぱぐれずに済みそうだよ。
どうだい? そっちのお嬢さんへの贈り物に、お一つ差し上げよう」
「え!? いいんですか!?」
せっかくの厚意だし、一つもらうことにした。
この露天はガラス職人の店らしく、いろいろなガラス細工の置物やアクセサリーが並んでいる。
その中で、太陽に照らされ青く輝くイヤリングが目に留まった。
鮮やかで、けれど澄んだような色のガラス――どこか、夜明けの空みたいな色だった。
「きれい……!」
シャンディが声を漏らす。視線の先には、俺が見ていたのと同じイヤリング。
どうやら、同じものを見ていたらしい。
「ふふ、それは縁起物でね、“潮の約束”さね」
婆さんが微笑みながら言った。
「漁師の夫婦や、出航する家族同士が一個ずつ着けるんだよ。どんな波にさらわれても、潮がまた二人を繋げてくれるってね」
「……へぇ、ロマンチックですね」
「ま、迷信かもしれないけどね。潮風にさらわれても、また会える。互いの無事を祈って渡すんだよ。……旅人さんがよく買っていったりもするね」
「また会える……か。いい言葉だな」
「これください! ……あ、いいですかコールさん?」
「あぁ、せっかくだし、プレゼントってことで」
「ありがとうございます!」
婆さんはそっと小さな袋にそのイヤリングをふたつ入れて差し出してきた。
シャンディはそれを大事そうに受け取ると、そっと袖を引いた。
「……あの、コールさん?」
「ん?」
彼女は少しだけ俯いて、言った。
「これ、私から……お礼です」
「……助けてくれて、色々教えてくれて。
私、コールさんに出会えてよかったと思ってます。 それに……」
そう言って、シャンディはイヤリングの片方を俺に差し出した。
さっきはイヤリングをもらって嬉しそうだったのに、なぜかその顔は少し浮かない……。
「……もし……いえ、あの、私、またコールさんに会いたいなって」
照れくさそうに笑った彼女に、俺は何も言わずに受け取る。
手のひらの中で、青いガラスがやさしく光った。
「そうか……ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
そのイヤリングは、港の風と共に、確かな記憶として俺の中に刻まれた。
――また会えるか。
街に戻ったら、シャンディの仲間が見つかるといいな。




