第88話:誓いの剣
力が抜け、膝が土に沈む。
魔導銃が手から滑り落ち、赤く染まった銃身が乾いた音を立てて転がった。
もう――撃てない。
指先まで痺れて、魔力の残り香すら感じられなかった。
「アーク!」
リュリシアが駆け寄り、肩を支える。
小さな腕が震えながら必死に俺を支える。
「……平気だ。ただ、ちょっと限界なだけだ」
周囲ではまだ戦いが続いていた。
影たちが刻印者の動きを押さえ込み、シアとリュカが防衛線を維持している。
それでも――押しきれない。
「数が多すぎる…」
「……くそっ、これじゃきりがねぇ」
リュカの声に苛立ちが混じる。
「どうすりゃいい、コール!」
その叫びに、俺は顔を上げた。
その瞬間、俺の膝が完全に崩れる。
(まずい…マジで動けねぇ…)
「アーク!」
彼女の声が揺れる。
遠くで、エレナの剣が火花を散らす音が聞こえる。
刻印者たちがまだ倒れず、呻きながらこちらに迫ってくる。
試練派の兵がその背後で号令をかける声。
「進め、器どもを使え。逆賊の王を殺せ!」
その冷たい声を聞いたとき、俺の中で何かが弾けた。
「てめぇら……ッ!」
だが身体はもう動かない。
血も魔力も使い果たしていた。
俺はただ、唇を噛み、歯の間から息を吐く。
「……止められねぇなら、あとは――」
リュリシアの瞳が俺を見つめた。
彼女の表情は恐れではなく、決意の色を帯びている。
「アーク、方法はないのですか……?」
「……あるにはある。だが、人間がやることじゃねぇ」
俺はどうにか視線を前に向ける。
ヴァルセリクスの鞘が、刻印の列に反応して微かに震えていた。
まるで“待っている”ように。
「……エレナ」
声を出した瞬間、喉が焼けるように痛んだ。
何かを言いかけたが、言葉が途切れる。
その代わりに、俺は影たちへ視線を向け手を伸ばす。
「――殺せ」
影たちは肩を震わせ、空気が、一瞬止まった。
リュカとシアの動きが止まり、影たちが揺れるように顔を上げる。
その場にいた誰もが、聞き間違いじゃないかと疑った。
「……アーク?」
リュリシアの声は震えていた。
「もう時間がねぇ。…これ以上、動きを止めても意味がねぇ。
――殺してでも止めるしかねぇ!」
自分でもわかっていた。
怒鳴っているのは理屈じゃなく、焦燥そのものだ。
それでも、止めなきゃ誰かが死ぬ。それだけは確かだった。
「…やれ!」
影たちが動こうとした、その瞬間。
「やめなさい!!」
リュリシアの声が、雷のように響いた。
影たちが即座に動きを止める。
彼女は荒い息を吐きながら、俺をにらみつけた。
「……アーク。あなたは“何か”を知っている。
それを隠している顔です。そうでしょう?」
その声は怒りというより、哀しみに近かった。
俺は思わず目をそらす。
「……今はそんな話してる場合じゃ――」
「あるのです!」
彼女は俺の襟をつかんだ。
震える手で、必死に。
「あなたが何を恐れていようと、民を見捨てる理由にはなりません!」
その瞳の奥に、まっすぐな光が宿っていた。
俺の言葉が、喉の奥で詰まる。
リュリシアの声はさらに強くなる。
「もし、それが“救える力”なら――どんなものでも使いなさい!
私は、あなたがどうなっても見捨てません! だから、今だけは……!」
胸の奥が痛んだ。
まるで心臓を掴まれたような、どうしようもない痛み。
「……やだ」
自分でも驚くほど、子どものような声が漏れた。
リュリシアの目が一瞬、揺れる。
「アーク?」
「嫌だ……あいつ…にやらせたくねぇ。
そんなもん背負わせたくねぇんだよ……!」
握りしめた拳が震える。
言葉を吐き出すたびに、喉の奥が焼けた。
「人間が魂ごと繋がれるなんて、普通じゃねぇ。
それをやったら――もう普通の人間じゃなくなるんだ」
リュリシアは黙って俺を見ていた。
少しの沈黙のあと、そっと目を閉じる。
ーーーーー
(やっぱり……ヴァルセリクス……)
アークの言葉の端に出た“繋がれる”という表現。
そのとき一瞬だけ彼が見せた視線の動き――
エレナの腰の剣へ向けられた、それだけで十分だった。
私は静かに息を吸い、そして小さく呟いた。
「……なら、私がやります」
「は?」
アークはその声に顔を上げた。
私は彼に自分の決意を…彼からもらった今の私を言葉にする…。
「アークが動けないなら、私が戦います。
この国の王として、民を救うために」
「な……何言ってんだ、バカかお前! そんな――!」
アークの傍らに転がる剣を持つ…重い…。
両手で柄を掴み、なんとか持ち上げられるぐらいの重さ‥。
「アーク、あなたが拒むのなら……私が代わりにやります」
「やめろ! お前じゃ持てねぇ! その剣は!」
「うるさいです!」
雷鳴のように声が響いた。
「……私は、あなたから“優しさ”を学びました。でもその優しさが、今は民を殺す。
私は違う優しさを目指します!」
アークは目を見開き瞳を震わせている、海のように深くて優しい瞳…。
でもいつもどこか寂しそうな…そんな目…。
「……すぐに回復しなさい、アーク」
私は剣を引きずり振り向かないまま言った。
「あなたが立ち上がるまで、私がこの場を守ります」
「バカ言うな……お前がそんなもん持って戦えるわけ――」
「戦えます…カッコ悪い戦い方でも生き残ればいいんです!!」
その瞬間、影たちがざわめいた。
命令もされていないのに、彼女を守るように自然に並ぶ。
ーーーーー
俺はその光景を見ながら、喉の奥でかすれた笑いを漏らした。
本当に…王様になるんだな‥お前は…。
「……バカ……が……」
剣を引きずるリュリシアの奥…。
刻印を焼かれた人々が、泣きながら剣を振り上げていた。
地面に倒れた体を起こし、息を吸い込む‥。
痛いほど喉が焼けるような感覚。
目から血が流れそうな気分だ…。
それでも、声を絞り出す。
「――エレナァッ!!!」
叫びは、風を裂いた。
血混じりの声が空を震わせる。
その響きに、遠くで剣を振るっていたエレナが振り向いた。
「アーク!? ……ッ!」
次の瞬間、彼女は駆け出していた。
炎の残る斜面を蹴り、瓦礫を飛び越え、
風を切る音が連続して響く。
「リュリシア様? !なぜアークの剣を?」
焦げた風を切り裂きながら、彼女の声が近づく。
その姿が見えたとき、
俺は微かに笑って、唇を動かした。
「……遅ぇよ、バカ……」
息が途切れる。
目の前に、エレナの影が膝をついた。
リュリシアが振り向き、息を呑む。
「どうした? 何があった?」
「……エレナ……」
掠れた声で名を呼ぶ。
「剣を……ヴァルセリクスを構えろ」
「な、何を言ってるの……今はそんな」
「いいから……聞け……」
血が喉を上ってくる。
息が切れ、言葉が途切れそうになる。
それでも、伝えなきゃならなかった。
「その剣には……意思がある。
意識を傾けて、そいつに誓え。
契約すれば……もう…」
言葉が血溜まりのように詰まる、だがそれでも言わなきゃならない。
「契約をすれば…もう普通の人間には戻れねぇ…けど……そうすればあいつらは、救えるはずだ」
エレナの目が大きく揺れる。
理解できない――そんな顔をしている。
だが、リュリシアだけは違った。
その瞳が一瞬、震え、何かを悟ったように細められる。
「……まさか」
エレナはまだ状況を飲み込めないまま、
血に濡れた俺の手を強く握った。
「アーク……」
「……行け。お前の心で決めろ……
ヴァルセリクスは……“自分の声を持つ剣”だ。
聞こえたなら――それに従え」
言葉の最後が、血と一緒に途切れた。
エレナは、何も言わず立ち上がる。
背中でリュリシアが震える息を呑んだ。
その瞬間、空を裂くような音が響いた――
ヴァルセリクスの鞘が、低く、まるで呼吸するように鳴った。
彼女は剣の柄に触れたまま、ほんの一瞬、目を閉じた。
胸の奥に、あの日の声が蘇る。
『だまれ! だまれだまれ! たとえ、どう思われようとも、お守りすると!』
怒りと悲しみの中で叫んだ、あの誓い。
それは誰かを救うためではなく、
――自分が罪から逃れたくて縋った“贖罪の言葉”だった。
(でも今は違う……)
守りたいのは、過去じゃない。
償いでもない――今ここで生きている、この命と、その笑顔だ。
エレナはヴァルセリクスを抜き放った。
刃が空気を切り裂き、光を反射して戦場を照らす。
その声はどこまでも響き渡る。
「我が名はエレナ=シルヴァ!
リュリシア=アルトリウス様に仕え、
その命と笑顔を、この剣にかけて守り通す!
怒りではなく、愛で。悲しみではなく、祈りで。
――それが、私の剣の意味であると、ここに誓いを立てる!!」
その声は、炎の喧騒を突き抜けて届いた。
それは、かつてのような贖罪のための叫びではない。
ただ、“これからの生と、ささやかな幸せ”を願う、まっすぐな誓いだった。
その瞬間、ヴァルセリクスの刃が青白く光を放ち、
空気そのものが震えた――。




