表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
79/109

第78話:霧の中で


 白布の下で、微かな震えがもう一度走った。

 指が、まつ毛が、息が――うつつへ戻ってくる。


 「……っ」


 エレナが先に目を開けた。

 眠気の膜を殴り破るように上体を起こし、周囲を一瞥。

 即座に状況が眼に収束する。


 次の刹那、彼女は転がしてあった自分の剣をつかみ、地を蹴った。


 「アーク!」


 エレナは俺の背へと並び立つ。刃は低く、間合いは深く、いつでも踏み込める位置。


 半歩遅れて、アドリアンがうめき声を漏らし、額に手を当てながら身を起こす。


 「……ここは……リシアン……貴様ッ」


 声は掠れているが、怒りがすでにその底で熱を帯びていた。


 布がもうひとつ、かすかに脈打つ。


 「……アーク……?」


 リュリシアの囁きが、霧の白に滲む。

 俺は振り返らない。ただ、背で守る位置を一歩だけ広げた。


 リシアンの顎がわずかに強張る。


「……目覚めが早い。薬量を抑えたのが裏目に出たか」


 「言い訳は聴かない」


 エレナが切っ先を上げる。


「そこから一歩でも近づけば、敵とみなし…切る」


 セラ1・2が左右に散り、弧を描いて包囲を撫でる。

 小ネリスは布の傍でしゃがみ込み、短剣を逆手に構えた。

 アイリスは無感情に一歩前へ、視線だけで神官列を凍らせる。


 俺はヴァルセリクスを斜めに構え、朝光を刃に乗せてリシアンの眼を射た。


 風が霧を裂き、遠くでかすかに鐘の音が鳴った。

 空の向こう、城都の方角で煙が上がっている。

 試錬派の攻撃は本格化し、もう誰にも止められない。


 リシアンはそれを見据えながら言った。


 「……戦は避けられません。慈悲も試錬も、互いに“正義”を名乗り剣を抜いた。

  均衡は沈黙し、もはや王都は統制を失っている」


 こいつの言うことは理解できる、だが感情はそれを許さない。

 俺はリシアンに剣を向けたまま口を開く。


 「なら、ここにいる全員を敵にしなきゃなんねぇわけか」


「そうなるでしょう…。今やこの国の誰もが、リュリシア殿下の血を求める。

  試錬は“偽りの王”を討つために、慈悲は“真の王”を守るために」


 リシアンの声には疲れが滲んでいた。


「ゆえに、だからこそ彼女をこの争いから遠ざけねばならない。

 女神祝福を受けた王の血…。

 それが再び燃え上がれば、この国は二度と立ち直れないでしょう」


 俺は苛立ちまじりにヴァルセリクスを地に突き立てた。


 「……遠ざける、ってのはつまり、また眠らせるって話か」


「命を守るためです」


 リシアンは断言した。


「生きていれば、いつか希望は戻る。

  だが彼女がこの戦に巻き込まれれば、誰も救われぬ」


 背後でリュリシアの唇がわずかに動いた。


「……アーク……」


 その声に、俺は振り返った。

 彼女はゆっくりと目を開け、薄く白い霧の光を受けていた。

 その瞳の奥にはまだ夢の残滓がある――けれど、状況を理解する速さは異常だった。


「ここ……どこなの……?」


「墓地だ。リシアンが、お前を守るために隠そうとした」


 リュリシアのまつ毛が揺れ、沈黙が落ちる。

 彼女はあたりを見渡し、地に伏した兵の亡骸と血の跡を見た。

 その小さな指が、無意識に震えた。


「……これ……みんな、わたしの……せい?」


「違うッ!---」


 だがリュリシアは首を振った。


「ううん……違わない。わたしが“王家の血”だからでしょ?

  わたしがいるから、みんな争ってる……」


 その声は泣き出す寸前のように震えていた。

 俺は言葉を詰まらせたまま、拳を握るしかできない。


 リシアンが静かに口を開いた。


「陛下……あなたの存在は希望でもあり、呪いでもある。

  だからこそ、我らは“眠り”を選んだ。

  この争いから、あなたを遠ざけるために」


 リュリシアの肩がぴくりと動く。


「……眠らされて、何も知らないまま、

  気づいたら誰かが死んで……それで守られたって言えるの?」


 リシアンは返せなかった。

 その沈黙の中で、リュリシアは息を吸い込み、わずかに笑った。

 その笑みは儚く、それでもまっすぐだった。


「……でも、ここに残ったら――アークも、エレナも、きっと死んでしまう」


「陛下!私はあなたの剣であり盾です!決して折れません!これまでも、これからも!」


「そんなの…いや」


 エレナが目を見開く。


「エレナは強い…それに皆も守ってくれる、でももう嫌なの、

  私のせいで…私の大切な人たちがきずつくのはもっと嫌…」


 リュリシアの声は震えていた。


「――あーもう! 面倒くせえ!」


 俺は堪えきれずに声を上げた。

 霧の中、ヴァルセリクスの柄が掌に食い込む。


「おい、リシアン!!てめぇ、まじでこんな子供を眠らせて守るだのほざいてんのか?!

  ふざけんな!」


 その一言に聖堂外の静けさが鋭く震えた。

 アドリアンが目を見開き、エレナは一瞬口を開く。

 リシアンの顔に、一瞬だけ鋭い光が走るが

 ──やがてそれは曇った海のように引いていった。


「落ち着きなさい、アーク」


 リシアンは冷静に諭すように続ける。


「剣で語りすぎるな。君は感情で動きすぎる」


「上等だ……だがな!おれは現実を見てるだけだ。

  均衡だの慈悲だの理屈はいい。今は目の前の現実だ!」


 俺は一歩前に出て、周りの視線を一身に受ける。

 リュリシアは震えながらも俺を見上げる。

 彼女の瞳に恐怖と決意が混じっているのが分かる。


「早い話だ、聞け!」


 俺は頭の中でキレながらも伝えることを短くまとめて、

 大砲のように口から放つ。


「俺が連れて行く! 

  ここに置いとけば、いつまでも刃が向けられるだけだ。

  俺ならてめぇら全員、均衡も試錬も追えねぇところまで連れていける!。


  俺にはそこへ護る手段がある──確実だ」


 その言葉にリシアンは目を開き、

 その背後の慈悲派の兵士達もざわつく。


「だからお前らは──さっき言ってたとおり全力で“死んだ”って形を作れ。

  式でも追悼でも何でもいい。

  国中が“王は戦で死んだ”と信じるようにしろ。

  最後の判断は、リュリシア本人にさせる。

  これが俺の守る、俺の手段だ」


 言葉は粗く、だが一つ一つが設計図のように並んでいた。

 周囲の空気がそれを受け止める。

 リシアンの顎が引かれ、彼の指先が祭壇の縁を押し込むように白く震えた。


「なにを――無茶だ。

  国外に出して君一人、君たちだけで守れるのか?」


「守る。俺はこの剣に選ばれた。…なら剣が証明だ」


 俺は短く答えた。


 リシアンはゆっくりと目を閉じ、重い息を吐く。

 周囲の神官や兵の顔が一斉に固まった。

 慈悲派の誇りと、血の記憶がそこにある。


 彼が口を開くと、声は揺るぎなかった。


「アーク…今の話、ただの勢い任せではないと証明できるか?」


 リシアンの言葉に、俺は鎧の内側へ手を入れた。





 金属の冷たさが指に触れる。





 懐から抜いたものを空に向け、三度引き金を引いた。


 乾いた破裂音が、霧を切り裂いて空に散る。

 雷でも、魔法でもない――この世界のどの技でもない音。



 パン、パン、パン


 リュリシアの肩がびくりと震えた。

 エレナが息を詰め、アドリアンが顔を上げる。

 誰も、言葉を出せなかった。


「……この音……」


 リュリシアが震える声でつぶやいた。

その瞳が霧の奥を見ている。


「それ…あの時の」


 俺は返事をしなかった。


 代わりに、霧の向こうから低い軋みが返ってきた。


 風に押されるように、雲の上から木造の船が姿を現す。


 その巨体は水を滑るように進んでくる。

 船体の灯りが霧をかすめ、影の乗員たちが音もなく錨を降ろした。


 リュリシアは唇を震わせた。


「……やっぱり、アークがあの時の」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ