第67話:塔上の再会
王城の大広間は、葬儀の余韻をまだ引きずっていた。
燭台の火は細く、香が立ちのぼる空気には冷えた鉄の匂いが混じる。
王座の前には長卓が置かれ、議会の面々が並んでいた。
ざわめきはない。沈黙だけが、この場の重みを語っていた。
俺とエレナは、赤い絨毯の上をまっすぐ進む。
鎧の金具が一つ鳴るたび、やけに音が大きく響いた。
視線が、刺さる。
敵意じゃない――“確認”だ。
「こいつが本当に、剣を抜いたのか」という目。
王座の前に立つと、リュリシアがゆっくりと振り向いた。
喪の黒衣に王冠をかけ、まだ幼い輪郭に、決意の色を浮かべていた。
あの日より、ずっと大人びて見えた。
「――冒険者アーク」
澄んだ声が、静寂を裂いた。
「汝、王剣〈ヴァルセリクス〉に選ばれし者。
女神と剣がその魂を認めし者として、ここに“守り手”の位を授く」
兵が金の台座を運び、封印を解かれた王剣が現れる。
刃は光を吸うように沈黙していたが、
リュリシアの手が触れると、淡く青い光を放った。
「第零位――〈剣の守り手〉。
その責は、王家の盾にして楔。
汝の剣、我が命に代えても、この国を護れ」
王女の声が、少しだけ震えた。
それでも、しっかりと俺を見ていた。
逃げ場を許さない、真っ直ぐな眼。
俺は膝をつき、右手を胸に当てた。リュリシアの顔を見る。
「……はぁ、正直、柄じゃねぇな」
「「「「!?」」」」
建前のない言葉に、議場が一瞬ざわめいた。
リュリシアも目を瞬かせたが――次の言葉で、ふっと笑う。
「だが、守り通そう……この身にかけて」
金属の音が、響いた。
それで“式”は終わった――はずだった。
けれど、背後で椅子を引く音がした。
試練派のバルデスが立ち上がり、冷たい声を放つ。
「女王陛下――この任命、我らの同意を得ずに行うのですか?
そもそも、その男は何者だ。血も名も明かさぬ外の者を、
“王の象徴”とするなど前代未聞!」
空気が一瞬で張り詰めた。
エレナが半歩前に出て、手を剣の柄にかける。
だがリュリシアは首を振り、静かに答えた。
「同意は求めません――王剣が選んだのです」
淡い光が、王座の剣に走った。
ヴァルセリクスの刃が、かすかに鳴いた。
その音だけで、誰も言葉を継げなかった。
バルデスが唇を噛み、椅子に沈む。
その向こうで慈悲派のリシアンが目を閉じ、
「剣の意志に異を唱える者なし」と、祈りの印を結んだ。
その瞬間――
俺は、ようやく気づいた。
この“式”は叙任でも祝福でもない。
これは、本当に“楔を打ち込む儀式”だと。
俺は鎧の内で拳を握る。
荷物にしちゃ重すぎだぜ。
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その夜。
誰もが眠りについた頃、俺はひとり、見張り塔の上にいた。
王城の屋根を見下ろすこの場所は、昼間なら警備兵が交代で立つ場所だ。
けれど今は誰もいない。
鐘も鳴らず、街の灯も遠い。
風の音だけが、夜を引き裂いていた。
石の欄干にもたれ、ようやく息ができる気がした。
下ではまだ、葬儀の片付けをする兵たちの松明がちらほら見える。
人の手で燃える火が、やけに頼もしく見えた。
「はぁ〜……」
そのとき、夜空の雲が裂けた。
黒い影が二つ、一直線にこちらへ落ちてくる。
雷でも、鳥でもない――人影だ。
「……来たな」
コンパスを握り直した瞬間、影が塔の真上で弾けた。
地面に触れると同時に、煙のような影が半径数メートルに広がる。
風も砂も揺れない。衝撃も音も、まるで“無かったこと”になったようだった。
煙の中から姿を現したのは、見慣れた二つの影。
その腕の中には、リュカとシアが抱えられていた。
彼女たちを抱えていたのは、ウィンスキーとハイポールだ。
騒がしかったせいか……もう何年も会ってないように感じた。
「コール様ぁぁあ〜!」
「よっ」
「「ッザッ!(敬礼)」」
リュカが軽やかに片手を上げ、その隣でシアは勢いよく俺に飛びついてきた。
「コール様ぁ! コール様ぁ〜!」
「お、おい、落ち着けって……!」
反射的に抱きとめながら、いつもなら引き剥がすはずの腕を、そのまま背中に回す。
あれから、どれだけの時間が経ったのか。
ほんの数日なのに――。
「ったく……何やってんだ、お前。そんな鎧まで着こんで」
リュカがため息を吐き、俺の胸のあたりをコンコンと叩く。
「意外と似合ってるだろ?」
「全・然・似合ってない!」
「おいおい、そこは少しは褒めろよ」
「コール様ぁ〜! 一体いつ戻られるんですかぁぁあ!」
シアは涙目のまま抱きつきっぱなしだ。
リュカが呆れたように眉をひそめる。
「シア、ちょっと落ち着けっての。こっちまで恥ずかしいわ」
「だってぇぇ……!」
「はぁ〜……よしよし」
俺は苦笑しながら、シアの頭を軽く撫でる。
ついでにリュカの頭も撫でると、「やめろ」と言いながらも、こいつ避けねぇもんなぁ……。
二人の髪からは、草原のような香りがした。
リュカが肩をすくめ、俺を見上げる。
「……ま、泣くのも無理ねぇか。国がひっくり返る騒ぎだったしな」
「そ、そうだ! 護衛がなんでこんな大事になってんだよ!?」
――俺はそれから、これまでの事のあらましを話した。
「……で、そんなわけだ」
話し終えると、塔の上に一瞬だけ沈黙が落ちた。
夜風が鎧の隙間を抜ける。
「……マジで? 王剣を抜いたって?」
リュカが額を押さえてため息をつく。
「こりゃ、しばらく“街歩き”もできねぇな。見つかったら生ける伝説扱いだ」
シアは目をまん丸にして俺を見上げ、涙の名残もそのままに大袈裟に両手を合わせた。
「さすがコール様ぁぁ! 本当に伝説を超える存在ですね!」
「いやいや、やめろ。あの式の時点で胃がひっくり返ってんだ」
「ぷっ、似合うじゃん。胃痛持ちの伝説」
「うるせぇ」
思わず笑ってしまう。
リュカの軽口に、シアの無邪気な声。
「っと、まぁそんな感じでな、まだしばらくは戻れねぇ」
抱きついていた腕がそっと解け、彼女は少しだけ俺から離れた。
夜風が髪を揺らし、瞳の奥が静かに光っていた。
――もう泣いてはいなかった。
「……このまま、ここに残るおつもりですか?」
さっきまで泣きじゃくっていた声じゃない。
まるで別人みたいに落ち着いた響きだった。
俺は少し間をおいて、壁にもたれたまま答えた。
「……今はまだな」
「“まだ”……」
シアはその言葉をゆっくり反芻した。
その耳がわずかに動き、尻尾の先が静かに揺れる。
風の匂いを嗅ぐように、彼女は目を細めた。
「……わかります。
ここ、空気が違います。
コール様の匂いも、少しだけ――変わりました」
「は?」
思わず間抜けな声が出た。
シアは微笑んだ。けれど、それはどこか寂しげだった。
「前は、もっと“外の風”の匂いがしていました。
今は、少し……この城の匂い。
鉄と香の混ざった、閉じた場所の匂いです」
「……嗅覚で言うなよ」
「ふふ。獣族ですから」
シアはふと、夜空を見上げる。
星明かりが雲の切れ間からこぼれ、彼女の横顔を照らした。
「エレナ……でしたか?」
俺は反射的に顔を上げた。
シアの後ろでは、リュカが「マジか!?」って顔でこっちを見ている。
「な、なんだ?」
「んー……わかりません。ただ、感じるんです。
あの人を思い出す時のコール様の息が、少しだけあたたかくなる」
言葉を失った。
否定するのも違う。
ただ沈黙のまま、息を飲む音だけが夜に混ざった。
シアはゆっくりとこちらを振り返り、微笑んだ。
「だから、聞いたんです。
コール様は――このままここに残るのかって」
俺はその問いに目を閉じた。そして、答えを告げる。
「残るのは……それが理由じゃない。
お前らを助けたときと一緒だ。
まだ――ついててやらねぇといけない小娘がいるんだよ」
シアは一瞬だけ目を伏せ、耳がわずかに動く。
そして小さく息を吐いた。
「……そう、ですか」
彼女の瞳が、夜の灯りを映す。
「コール様がそう言うなら、きっとそれが“正しい”のでしょう」
リュカが頭の後ろで手を組み、また呆れたようにため息をついて俺を見る。
「お人好しっつうか、面倒見がいいっていうか……なぁ、シア?」
「そうね。でも……だから、好きになっちゃうんです」
シアは恥ずかしげもなく、俺の顔をまっすぐ見てそう言った。
俺は少し気恥ずかしくて頬をかきながら、なるべく早く済ませるようにすると言って、二人の頭を撫でてから、城の中に戻った。




