第64話:血の舞踏会
舞踏会の喧噪が遠くに響く。
王城の裏手、護衛待機の小部屋。
壁には王家の紋章旗、だが灯りは抑えられ、空気はやけに静かだった。
俺は壁際の椅子に腰を落とし、腕を組んでふてくされたように唸った。
ちょっとばかしご馳走を期待していたのに…。
「なんでだ! なんで俺だけ武器預けなきゃならねぇ!」
机に腰かけていたエレナが、書簡をたたみながら冷たく答える。
「規則だ。正規の騎士でもないお前は、城内で武装できん」
「正規じゃない? おいおい、命張って護衛してんのは俺だぞ?」
「だからこそだ。お前のようなのが暴れたときのために、規則がある。現にさっきも暴れかけただろう?」
「……っけ」
鼻を鳴らし、天井を見上げる。
耳の奥で舞踏会の音楽が聞こえるが…それ以外ほぼ無音。
退屈だ……。
「はぁ……お貴族様ってのは、ほんと融通がきかねぇな。
……つーか、なんでさっき腕にあんなもん押し当てられたんだ?」
「……あれは“銀試棒”だ」
「ぎんしぼう?」
エレナが横目で俺を見る。
「入城者全員に行う。魔族を見つけるための検査だ。
銀は奴らの弱点。触れれば皮膚が焼ける。あれで判別する」
「へぇ……だからお前は剣を二本持ってんのか?」
「あぁ、これのことか…」
「一本は人間用、もう一本は……魔族用、ってわけだろ?」
沈黙。
エレナの指が、わずかに剣の柄をなぞる。
微かな金属音。
「……そういうことだ。銀一本では脆すぎて役に立たん」
俺はその様子に口元を歪め、椅子の背にもたれた。
「なるほどな。もう少しロマンチックなもんかと思ってたぜ……男とか」
エレナが一瞬だけ動きを止める。
顔は無表情だが、わずかに瞳が揺れた。
「……そんなもの、とうに捨てた」
「は?」
「戦場で“女”でいる余地などない。
誰かを想う暇があれば、刃を研ぐ。
――それが、私の贖いだ」
言いながら、エレナは少しだけ目を伏せた。
光が頬を照らして、影がゆらりと動く。
俺はその姿を見て、息を吐く。
「……またそれかよ」
肩をすくめ、ため息まじりに――思わず本音が漏れた。
「綺麗なのにな……」
俺も一瞬固まったが……視線の先。
エレナの動きが、ぴたりと止まっていた。
少し間を置いてから、返事があった。
「……くだらん」
そう言いながらも、声はどこか掠れていた。
視線を逸らし、無理に平静を装っている。
「ならお前…一生一人でいるのか?」
エレナはしばらく何も言わなかった。
指先が机を軽く叩く音だけが響く。
やがて、かすかに笑った。
けれどその笑みには、どこか痛みが混じっていた。
「……そうだな。きっと、そうなる」
「なら、さ……」
俺は天井を見上げたまま、ぽつりと呟いた。
「もし、俺が――旅に出なかったら?」
その声に、エレナの指が完全に止まった。
紙を擦る音すら消える。
静寂。
「……何の話だ」
「さぁな。ただの…もしもだよ」
俺は笑って誤魔化すつもりだった。
けど――その笑いが、やけに喉の奥で重かった。
「お前はいつも通り、堅苦しいままリュリシアのそばにいて…、
俺がたまに息抜きにあいつ連れ出したりしてさ……それで、お前に怒られて」
そんな日常を思い浮かべてみる。
きっとリュカとシアもいたら、リュリシアにはいい友達になるし、
今以上に騒がしくなるだろうが……それはそれで楽しいだろうな。
そんなことを片隅で思いながら、柄にもなく、重い口をこじ開けてみる。
「ここでずっと、お前の横にいたら………どうなるんだろうなって」
エレナの呼吸が一瞬止まる。
見れば、彼女の視線が俺のほうを向いていた。
暗い部屋の灯りの中で、瞳だけがわずかに揺れている。
「……そんなこと、考えるな」
低く、抑えた声。
けれど、いつもの冷たさじゃない。
まるで、自分に言い聞かせるようだった。
「なんでだ?」
俺は、わざと軽く返した。
けど、心のどこかで――本気で答えを求めてた。
エレナは唇を結び、目を逸らさない。
けれどその瞳の奥で、何かが揺れていた。
「……お前が、ここにいたら……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
沈黙。
蝋燭の灯が、彼女の横顔を柔らかく照らした。
「……きっと、私はまた間違える」
「間違える?」
「誰かを守ろうとして、壊す。……そういうことだ」
声が震えていた。
それを見た瞬間、俺はたまらず立ち上がった。
気づけば距離が近い。
机を挟んで、ほんの半歩。
エレナの指先が揺れる。
「お前、それ……俺のこと言ってるのか?」
「ちがう……違うけど……」
彼女は否定しながら、なぜか下を向いた。
「……ほんとに、そう思うか?」
俺はそっと手を伸ばした。
触れるか触れないかの距離で、エレナの頬に影が落ちる。
「お前のせいで壊れたなんて、誰も思ってねぇよ」
「……お前は、いつも」
「言うさ……それが俺の思ったことなら……」
言葉が落ちて、沈黙。
蝋燭の火がわずかに揺れる。
お互いに目を逸らせず、時間だけが伸びていく。
――その時だった。
「警報! 警報を出せ!!」
遠くの廊下から、怒号が響いた。
「誰も――城の外に出すな!!」
空気が一瞬で凍りつく。
エレナの肩が微かに動く。
ただならぬ気配が、壁の向こうを這ってくる。
バンッ、と扉が開いた。
光とともに飛び込んできた兵士の顔は、蒼白だった。
目が血走り、唇が震えている。
「……会場で……!」
喉の奥で、言葉が千切れた。
兵士は振り絞るように叫ぶ。
「――魔族だ!! 陛下が……っ、殺された!!!」
声が壁を震わせた。
蝋燭の火が風で揺らぎ、部屋の影が一斉に跳ねる。
一瞬、世界が止まった。
次の瞬間――椅子が倒れる音。
俺とエレナは言葉もなく同時に動き出していた。
廊下へ飛び出す。
通路の先から、悲鳴と怒号が雪崩のように押し寄せてくる。
王城の石壁が反響し、騒乱の音が何倍にも増幅していた。
「おいおいおいおい!! 本丸に魔族ってどうなってんだよ警備は!!」
「黙れ、走れ!」
「黙れじゃねぇ! 舞踏会の真っ只中だぞ!?」
「分からん! ――だが、もし王剣が狙いなら!!」
「リュリシア!!??」
視線を交わす。言葉はいらなかった。
一直線に風を切る勢いのまま会場に向かう。
廊下の突き当たり――
舞踏会場の大扉の前には、すでに王城兵の部隊が数名集まっていた。
重厚な木扉は閉ざされ、内側から鈍い衝撃音と悲鳴が響いてくる。
「中の様子が分かりません! 扉が……開かない!!」
「押せ!押し破れ!!」
兵が号令をかけ、肩で扉を押す。
だが分厚い扉はびくともしない。
金具が軋む音だけが虚しく響いた。
俺はすぐにその列に加わり、肩を並べて体当たりする。
「くそっ……中で何が起きてやがる!!」
「もっと力を入れ――」
その瞬間。
後ろから冷たい声が飛んだ。
「全員、退け!!」
鋭い気配に、兵士たちが一斉に振り向く。
エレナだった。
腰の剣を抜き放ち、凄まじい覇気をまとい前に出る。
「邪魔だ。どけ!!!」
振り下ろされた一閃。
空気が爆ぜ、轟音が城を震わせた。
厚い扉の中央が砕け、木片が飛散する。
熱風のような衝撃が廊下を吹き抜け、兵士たちが思わず身を伏せた。
「開いた!? 突入!!」
俺は先頭を追い抜いて駆け込む。
中は――地獄だった。
割れたシャンデリア、倒れた卓上の皿とワイン。
逃げ惑う貴族たちの悲鳴。
そして、黒い影。
赤い瞳の魔族が複数体、
貴族と兵士たちを弄ぶように切り裂いていた。
銀の武器を持たぬ兵士たちは歯が立たず、
ただ抵抗も虚しく倒れていく。
「……チッ、最悪なパーティーだな」
床に転がっていた剣を拾い、切っ先を構える。
ーーーーーその頃
扉が爆音と共に破られた瞬間、
リュリシアはセラを抱きかかえるように伏せていた。
視界の先では、リシアンとアドリアンが剣を構え、
魔族の爪撃を必死に受け止めている。
「下がれ、リュリシア!!」
「来るな! ふたりとも私達の後ろにいなさい!!」
アドリアンとリシアンの声。
「お嬢様! こちらに!」
「でも!…っ!?お父様!!」
アドリアンのほうの魔族は素早く、一瞬の隙を突き、アドリアンの剣が弾ける。
魔族の鋭い爪が唸りを上げる。
「アドリアンッ!?」
リシアンが叫び、
爪が首を裂かんとしたその瞬間――
轟音。
横から飛び込んだ影が、魔族の胴を蹴り飛ばしていた。
椅子が弾け飛び、血煙が舞う。
「おっさん、立て! まだ死ぬには早ぇだろ!」
「アーク!!」
包帯に隠れた顔――アークだった。
拾った剣を逆手に構え、
地を蹴って魔族に斬りかかる。
だが、斬ったはずの傷が――塞がる。
「また再生か!?……面倒だな!」
アークが舌打ちする。
背後で、もうひとつの閃光。
エレナが入ってきていた。
銀の剣が月光のように光り、
彼女は一瞬で一体の首を断ち切る。
「リュリシア様! ご無事で!?」
「エレナ! なんとか……!」
しかし、まだ魔族の数は多く、しぶとく、
傷口が煙を立てながら再生していく。
アークが間に入り、挑発するように叫ぶ。
「おいこら、こっちだ雑魚の化けモン!」
その声に反応した魔族の腕が振り下ろされる。
アークがギリギリでかわし、腹を蹴り飛ばす。
「エレナ!!」
アークが横に飛び、
その一瞬の隙を――銀閃が貫く。
エレナの剣が弧を描き、
二体目の首が宙に舞った。
残る一体も、アークの刃で動きを止められ、
再び銀剣の一閃が喉を裂いた。
静寂。
黒い血が床に滴る音だけが響く。
アークは息を吐き、剣を地に突き立てた。
「……まったく。舞踏会ってのは静かに踊るもんだろ」
エレナが横目で睨む。
「口を閉じろ。まだ終わっていない」
その言葉に、アークの笑みが薄れた。




