第59話:影のメイド
まだ日の昇りきらぬ頃。
屋敷の中庭には、馬車と少数の従者だけが並んでいた。
風は冷たく、出立の鐘が一度だけ鳴る。
アドリアンが外套を整え、短く言う。
「王都までは二日。途中の宿で一泊する。――各自、気を引き締めろ。」
「了解です、公爵閣下」
エレナの返答は端的で、この間よりも固い響きだった。
アークは一瞬だけ彼女を見たが、すぐに視線を逸らし、軽く頷く。
「……どうした、そんなに張りつめた顔して」
「任務中です。私情は挟みません」
「そりゃ結構で」
乾いたやり取りに、リュリシアは思わず二人の間を見比べた。
(……エレナ、やっぱり少し様子が違う)
彼女自身もまた、胸の奥に、路地で見た光景を抱えたまま言葉を失っていた。
――“コール様”と呼ばれていた彼。
――路地裏で見た、あの穏やかな笑顔。
問いただしたい。
でも、今ここで口にすれば、すべてが壊れてしまいそうな気がした。
「リュリシア様、お乗りください。」
セラがそっと声をかけ、手を差し伸べる。
「……ありがとう、セラ。」
馬車に乗り込むと、エレナとアークがそれぞれの持ち場に着いた
セラは窓の外を見ながら、静かに微笑む。
「……春の風は優しいようで、どこか落ち着きませんね。」
アドリアンは窓の外を見ながら低く呟いた。
「――王都は、表も裏も騒がしくなる。決して気を緩めるな。」
「了解。」
エレナの声。
アークは軽く片手を挙げるだけだった。
リュリシアは膝の上で手を握りしめる。
外の景色が流れていくのに、胸の奥のざわめきは消えない。
(彼が“コール”なら……なぜ、何も言わないの?どうして――)
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二人を載せた馬車の隣、俺は今馬に乗って並走している。
隣のエレナは終始無言。
一昨日からこんな感じだ。
「なぁ」
「…なんだ?」
「俺なんかしちゃった?」
その問いに返事がないまま、
陽が昇り、道が森へ続く。
どこかで鳥が鳴いた。
だが誰も、その音に気づかなかった。
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昼下がりの丘。
馬車が止まり、一同が休憩に入る。
俺は木陰で腰を下ろし、ポーチからコンパスを取り出した。
古い真鍮の蓋を開けると、中央のガラス面に淡い光が滲む。
――“ゴーグル”が映像を送ってきている。
「……映ってるな。上は異常なし、ただ……」
光の中に、小さく揺れる黒い影。
馬車の後を遠巻きに追う、二つの気配。
(あれは……尾行か。どうするかなぁ……森の中で潰すには人目が多すぎる)
俺は短く舌打ちし、蓋を閉じる。
「……出発前からこれとは、ついてねぇな」
「アーク様?」
背後から声。セラが湯を注いだ木杯を持って立っていた。
「皆さまにお茶をと思いまして。……疲れは?」
「いや、大丈夫。ちょっと“風向き”を見てただけだ」
「……そうですか」
セラは静かに微笑み、俺の胸元を一瞬だけ見やった。
その視線の意味は分からない。
だが、懐の中のコンパスを無意識に押さえた。
(まさか……あいつ、気づいたか?)
どうにもあのセラもアイリスも普通のメイドとは思えない気配がする時があるんだよな…。
まさか…魔族?ってやつか?……。
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夕刻。
空は群青に沈み、街道の先に灯が一つ、また一つと揺れ始めていた。
「ここがローデンの宿場町か……」
俺は手綱を軽く引きながら呟く。
王都へ向かう中継地としては古くから栄えた街だが、
今はどこか閉ざされた空気を感じた。
木柵の門を抜けると、石畳の通りに明かりが点々と続く。
馬の吐息が白く揺れ、宿の看板に灯がともった。
アドリアンが馬車の窓から顔を出す。
「今夜はここで休む。明け方には再出立だ。」
「ッハ」
エレナが馬を降りて周囲を確認する。
彼女の声は依然として硬く、
俺もそのまま軽く頷いて手綱を引いた。
宿「ライネル亭」は二階建ての古い石造りだった。
暖炉の火がちらつき、扉を開けると香ばしいスープの匂いが漂う。
セラが軽く会釈する。
「お部屋の手配は済ませております。公爵閣下、こちらへ。」
「助かる。」
アドリアンとリュリシアは二階へ。
エレナはその後を静かに追う。
俺は一人、馬を馬屋へと預けに向かった。
――そこからが本題だった。
荷を下ろすふりをしながら、
俺は外套の下の懐中コンパスを開く。
中のガラス面が、青白く微光を放つ。
「……ゴーグル、いるな?」
呟いた瞬間、針が微かに揺れ、
映し出された映像が視界に広がる。
上空から見た街。
通りの外れ、路地の影を移動する黒い影が二つ。
(まだつけてやがる……)
風向きが変わる。
街灯の炎がわずかに揺れた。
(タイミング的に、今動くのは得策じゃねぇが、
……ただ、放っとくのも気持ち悪い)
俺は蓋を閉じ、腰の剣を確かめる。
「……夜警の名目で少し歩くか。」
宿の裏口を抜け、人気のない裏通りへ。
石壁の向こうに、どこか見覚えのある影が二つ――。
「……っよ」
低い声に振り向く。
そこに立っていたのは、銀と黄の毛並みを持つ二人。
リュカとシアだった。
「やっぱり……来てたか」
「コール様!」
シアの後にリュカが肩を竦める。
「お前の後ろにくっついてる“尾”を先に見つけたんだよ」
「尾?」
俺は眉をひそめる。
シアが頷き、声を潜めた。
「はい。……怪しい影です。以前逃がしたもののたぐいかと。ですが…気配が薄すぎて、普通の人間じゃありません」
(やっぱりか……)
ゴーグルの映像で見た二つの黒影。
今、確かにこの街にも入り込んでいる。
「位置は?」
「先程まではコール様たちの後をつけていましたが、今は辺りを探るように走り回っているようです」
「なるほど……よし、行くぞ」
俺たちは三人、音を殺して石畳を走った。
夜の街路を渡る風が、ひどく冷たく感じられた。
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夜気が冷え始めた頃、街はほとんど寝静まっていた。
店先の灯が消え、遠くで犬の遠吠えが響く。
リュカが立ち止まる。
「こっちだ。こっちに回ってる」
シアが小さく頷き、耳を立てた。
「……息がない。歩いてるのに、まるで“生きてない影”みたいです」
「生きてない、ね…案外オレと同類かもな?」
「コール様?同類とは?」
「影の首領ってな…」
俺は腰の剣に手をやりながら、目を細めた。
ゴーグルの投影をもう一度確認する。
視界の隅で、二つの影が分裂し、屋根の上と地面を這うように移動していた。
(動きが軽い。……やっぱり、ただの尾行じゃねぇな)
リュカが低く唸る。
「まるでうちらみたいだ、早ぇ……」
「おいリュカ、お前はシアと片割れ追え、俺はこっちだ」
俺は短く息を吐き、剣を抜く。
「わかった!」
「コール様、お気おつけて」
二人の足音が遠のくのと同時に、俺は懐のコンパスを弾いた。
真鍮の蓋が跳ね、ガラス面いっぱいに薄青い投影が咲く。
上空――“ゴーグル”の眼で見たものが映される。
屋根の列、曲がり角、灯りの死角。そこを一つの影が一定の速度で進んでくる。
(なるほど、そう行くなら……ここだな)
蓋を指先で半閉じにして、映像の端と現実の角を重ね、最短ルートを走り続ける。
怪しい影が通る場所に先回りし、屋根下で待ち構えた。
「…来てるな」
半開きにしたコンパスから敵の位置を確かめ…
(……今だ)
指で剣のトリガーを弾く。
低い唸り――刃が射出され、屋根の角に突き刺さる。
そして今度は鎖を巻き取り一気に屋根の上に跳躍。
眼の前にはちょうど、黒ずくめの謎の人物が眼前に現れた。
「ッ!?」
「よう…こんばんわ」
相手はすぐに後ろに飛び退き、腕が腰に向かう。――抜く気だ。
だがそれよりも早く俺の左手が魔導銃を抜き、銃口が足元を捉える。
引き金。閃光と衝撃。
屋根の破片が弾け、標的の足元に砂煙の輪が咲いた。
「これでわかるな。
お前が何か出すより先に――風穴が開く」
相手の呼吸が乱れる。
けれど、返事はない。
風が一瞬だけ吹き抜け、瓦の上で灰が舞った。
「両手を――上げろ。」
一拍、沈黙。
やがて、ゆっくりと黒影の両腕が上がる。
掌が月光を受け、白く光った。
(……素直に従うタイプじゃなさそうだが、少なくとも言葉は通じるか)
俺は一歩、足を滑らせながら距離を詰める。
靴底が瓦を鳴らし、マスクを剥がす為近寄る。
銃口を相手の胸元へ押し付け、とっさに撃っても当たるようにしたのだが…。
その瞬間――
“ムニュッ”と、指先に妙な感触が返ってきた。
「あ…いやん…」
(……ん?女?)
月明かりの角度が変わり、月光が明るく照らす
黒いフードとマスクで顔が隠れているが、目元は隠しきれない。
俺はその目の形をつい最近見たばかりだった。
「おまえ!っセラ!?」
警戒が緩む――いつもの穏やかな微笑みを見せる、あのメイド姿の彼女だった。
ただし今は黒衣のまま、肩を上下させ、薄く息を吐いている。
俺が銃を引くと彼女は少し考えるように俺を見つめ、ため息を吐きながら手をおろした。
「はぁ〜、バレちゃいましたか....」




