第05話:港とクラーケン
夜のうちに海へ着水し、何食わぬ顔で目立たず港に入った――はずだった。
……はずだったのだが!
港に着くやいなや、港町の連中がこぞって集まり、大騒ぎに。
……また俺、なんかやっちまったかな……。
ひとまず船を停泊させ、桟橋に降りると、屈強な男たちが詰め寄ってきた。
「おい! おめぇいったいどこの船だ!!」
うわ~絡まれた~。どうしよう……揉め事はごめんだが…一応俺も船長だしなぁ。
「いきなり詰め寄って名前も名乗らないのが、ここの挨拶なのか?」
「んだとぉ!?」
黒く日焼けした大男はさらに怖い顔になり、殴り合いでも始まるかと思いきや――鼓膜が破れそうな大声で名乗りを上げた。
「俺はここを取り仕切ってるバルカディだ! お前はどこから来た! なんで一隻だ!! どうやって来たんだ!!!」
「イルクアスター船長のコールだ。雇われの身で、ねぐらはその日その日さ」
手を差し出して握手をしようとしたが、バルカディは鼻息を荒くし、腕を組んだまま俺の手を睨む。
「雇われだと? 一体誰に雇われたってんだ!!」
「ご無沙汰しています! バルカディさん!」
強面の漁師がさらに詰め寄ってきて危ない雰囲気になったところで、
ヴァックスが船から降りてきた。
「お? ヴァックスの坊主じゃねぇか! どうしたい? この間来たばっかじゃねぇか!」
「実は――」
ヴァックスが事情を説明し始め、ほどなくしてバルカディと二人、倉庫で交渉に入った。
俺は船の上からその様子を眺める。港には町の人々や子どもたちが集まり、船を見物している。
この辺りでは俺の船の形が珍しいらしい。他の桟橋についている舟はどれも平たい船ばかりで、うちの一隻が余計に目立つ。
「ねぇおじちゃーん!!」
「お!?、おじちゃん!?」
桟橋の下から、子どもが声をかけてきた。
「海のかいぶつはもういないのー?」
「怪物? 怪物ってなんだー?」
俺が首を傾げると、周囲がざわついた。漁師たちは顔を見合わせ、子どもは目を輝かせる。
「でぇっっかい海のかいぶつだよ~! この前、となりの村の船がぜんぶぐしゃぐしゃにされちゃったんだ! 海のそこから、どでかい足がにょろにょろ~って!」
子どもの一言を皮切りに、隣の漁師が怒鳴るように聞いてきた。
「あんたら一体どの航路通ってきたんだ! 今はクラーケンのせいで港が塞がれてるはずだぞ! もういねぇのか!?」
海の魔物――クラーケン。船を丸ごと呑み込むと言われる災厄。
無数の触腕で海中へと引きずり込む。主に深海に潜み、浅瀬に出ることは滅多にないはずだが……
漁師の話では、数日前の嵐でクラーケンが沖に流れ着き、居座って被害が続いているらしい。しかもこの港町は入り江の内側にあるため、今は船を出せずお手上げだという。
「なるほどなぁ」
前の世界じゃ伝説の魔物でも、ここではれっきとした“災害”の一つ、ってわけか。
欄干に肘をついて海を眺めていると、ヴァックスが再び絶望的な顔で戻ってきた。
「……コールさん」
「お、おう?」
「だずげでくだざいいいいいい!!! コールざぁああん!!」
人に泣きつく、ってのはこういうことを言うんだろう。
――どうやら塩の買い付けは失敗らしい。
バルカディもヴァックスと馴染みで何とかしてやりたいようだが、今は塩を売る余裕がない。原因はクラーケン。
いつ動くかも分からず船は一隻も出せない。他の漁師や町の連中を食わせるために売れるものは限られ、旅商人一人分ならともかく、荷馬車一杯の塩は到底用意できないという。
「ここで身を隠して漁師になれ」とも誘われたらしいが、ヴァルドンへの恩義があるため断ったそうだ。
「はぁ……それで? 俺にどうしろと?」
「お願いします! この船ならクラーケンをなんとかできませんか!?」
「まぁ、できなくはねぇだろうが」
「本当ですか!!」
俺の一言に、ヴァックスは間髪入れずに詰め寄り、手を握りしめてくる。いったん振りほどいて距離を取った。
「俺は“塩の輸送”、足として雇われたわけだが? この件は別に報酬が出るのか?」
「それは……たしかに、あなたの仰るとおり今は輸送費しか出せません。しかも、それは塩があればの話……厚かましいのは承知しています。……でも、どうか……」
「……甘えんな」
ぽつりと吐き捨てるように言い、ヴァックスを見下ろす。
「情にすがるな。頭を使え。お前は商人だろ?」
声は荒げない。ただ静かに、突き放しはしない。
「なら、最後まで“商人らしく、俺と交渉してみな」
ヴァックスは困ったように、それでも覚悟を決めた顔で頷いた。
「……条件を、お聞かせください」
「別に難しい話じゃねぇ」
俺は指を一本立て、少し身を乗り出す。
「この件が全部うまく収まって、お前が出世したとき――俺の名を忘れんな。それだけでいい」
「えっ……」
「街でデカい顔できるようになったら、声ひとつで荷を融通できる人間になれ。できるか?」
「……なります。必ず」
「なら、取引成立だな」
差し出した手を、ヴァックスは固く握り返し、深々と頭を下げた。
−−−
啖呵切ったのはいいものの、倒せるかねぇ? …。
この船には一応、魔導砲がついてる。
だが、これが効かなきゃちょっと困る。
しかも――
「こ、コールさん! 本当に倒せますよね? ね?」
(俺一人にだけ命を預けるのは悪いと思ったのか、ヴァックスまでついてきた)
「だ、大丈夫ですよ。コールさんがいるわけですし、ね?」
(シャンディまで“恩返ししたい”と言い出して、結局二人とも同行だ)
「ヴァックスはともかく、シャンディはまだ病み上がりだろ」
「大丈夫です! 頑丈なのだけが取り柄ですから!」
そんなやりとりをしながら、クラーケンの出るという海域へ向かう。海は不気味なほど静かだ。
「あれ?」
シャンディが小さく声を上げる。視線の先、海面がわずかに波打った。
「なにか、動きました!」
シャンディの声と同時に、胸のコンパスが振動。見張り台のゴーグルが慌てふためく。
次の瞬間、船体が揺れた。バランスを崩しかけたシャンディを抱え、舵に掴まる。
「い、今のって!?」
「ッチ、やられた」
言い終えるか終えないかで――
ドン!
さらに船底から何かがぶつかったような、重く鈍い衝撃が船全体を走る。
「コールさん!」
「ゴンザ、ザンザ! お前らはヴァックスを守れ! 戦闘態勢!!」
周囲の海面が一気に泡立ちはじめる。
ボコッ、ボコボコボコッ!
巨大な空気の泡が海中から立ち昇る。泡の中に潜む黒い影は、みるみる大きく――
まるで“海そのもの”がうねるように、突如、姿を現した。
ゴボォッ!!! と水柱。
巨大な触腕。一本、また一本。
生き物のようにゆっくりと、船のすぐ傍らから大樹のように伸び、取り囲む。
「お……おおきい……」
「うそ……こんなの、無理……」
ヴァックスとシャンディは触腕に完全に萎縮していた。
だが俺は――自分でも不思議なほどに…。
「ようこそ、化物野郎。てめぇはここで――」
海から、山のような頭が姿を現した。




