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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第57話:風の人


執務室。

アドリアンが封蝋の押された書簡を机に置いた。


「改めて――これが王都アルシェルからの正式な召喚だ。

 “平和祈念舞踏会”。だが、実際は派閥同士の探り合いになるだろう。

 当然だが今回は、いつもと違う。

 この屋敷からは私が出る。同行人はセラ、リュリシア、エレナ、そしてアーク。

 この四名のみが同行する。」


俺は思わず眉を上げる。

「四人? ……え、護衛それだけ?」


エレナが横目で睨む。

「不服か?」


「いや、別に。ただ王都行きってのはもっと大所帯かと思ってたんでね。

 だって王都だろ?」


その時、アドリアンがほんの少しばつの悪そうな表情を見せた。


「……“人数が少なすぎる”――か。

 かつて、私自身が同じことを言ったのを覚えているよ。」


リュリシアが静かに頷いた。

「……あの日のことですね。」


アドリアンは低く続けた。

「リシェリアは縁談を断るため自ら隣国に、その帰途だった。私は最初“安全のために護衛を増やせ”と命じた。

 だが、その中に……“魔族”が紛れていた。」

「面目ごぜいません…」

エレナが深々と頭を下げるがアドリアンはそれを制して続けた。

「君だけのせいではない、私は招いたことでもあるのだから…」


沈黙。

重く響く言葉。


リュリシアが、少し遠い目で語る。

「あの時は…護衛隊は全滅し、馬も倒れて……。

 かなり危なかったの。でも――空から“船”が降りてきたの」


俺はわざと首を傾げた。

何となくもう分かるんだが…。


「船?」


「黒い外套の男が、風と共に現れて、魔族を一瞬で払ったのです。

 ……まるで、嵐のように」

エレナが短く言葉を添える。


「銀を使わずに魔族を吹き飛ばすなど、あれは始めてみました」


俺はすぐに作り笑いをして笑いながら平静を装った。

「ず、ずいぶんできすぎた話だな。空から男が落ちてくるなんて、はは、は」


その瞬間――

リュリシアの呼吸が止まった。


(……あれ?なにかしら?)


胸の奥で何かが弾けた。

目の前のアークの顔が、一瞬……記憶の中の“黒衣の男”と重なった。


――風の中、青い光が空を飛ぶ船の上で揺れていた。

エレナとアークの訓練で砕けてしまった、小さく光っていた青いイヤリング。


その光だけが鮮やかに残っていた。


(え?…あれ?、でも…え!?)


手が震える。

喉の奥がひゅっと鳴る。

気づいた瞬間、リュリシアの口から無意識に声が漏れた。


「あ、ああああああああっ!!!」


全員が振り向く。


エレナが怪訝そうに眉をひそめる。

「……どうしました!?リュリシア様!?」


リュリシアは両手を口に当て、慌てて立ち上がった。

「い、いえっ! な、なんでもないですっ!!!」


アドリアンが目を細める。

「何でもない声ではなかったが?……」


「本当になんでもないですっ!!」

リュリシアは椅子に座り直すが、顔が真っ赤だ。


視線はまっすぐこっちの顔を目を見つめ続けている。

俺はわけも分からず少し引き気味に肩を竦めた。

「……え、俺、なんかしたか?」


「っ……い、いえ……その……!何でも…」

「「「「?」」」」


エレナがため息をつく。

「リュリシア様、また夜更かしですか?」


「えと…はい、気をつけます」


場に微妙な空気が漂う。

アドリアンは喉を鳴らし、咳払いで仕切り直した。


「……ええと。とにかく、出立は三日後だ。解散」


ーーーーーーーーー


一同がそれぞれ返事をしてその場を離れていく。

リュリシアはうつむき、心臓を押さえた。


(間違いない……。あの時の“空の男”は――アーク。

 でも、どうして……何も言わないの?)


エレナはすぐに訓練場の方へ、セラはメイドたちに指示を出しに去っていく。


アークは気楽そうに肩を回しながらぼやいた。

「……王都か。めんどくせぇけど、まぁ旅気分ってことで我慢するか」


軽口にリュリシアが苦笑しかけ――

その瞬間、ふと彼の横顔を見た。


ほんの一瞬で、時間が止まったように感じた。


(……この顔……この横顔……)


視界の奥に、別の光景が蘇る。

焦げた馬車、土煙。

敵の前に立ち塞がった黒衣の男。

そして――耳元で、青く光っていた小さなイヤリング。


(……やっぱりあの時の……!)


リュリシアの脳裏に、訓練場での出来事が重なった。

エレナの一撃の風圧で砕け、

アークが悲しそうに拾い集めていた“あの青いガラス”。


落ち込む彼を見て、自分が思い出した――

「硝星工房なら、直せるかもしれないわ」と言って連れていったあの日。


胸が強く鳴った。

(あれと、あの時の青……同じ。)


息が止まり、口が勝手に動いた。


「あ、ああああああああっ!!」


全員が振り向く。


エレナは全速力で戻ってきた。

「リュリシア様!?どうされました!?」


リュリシアは真っ赤になって両手を口に当てた。

「い、いえっ!なんでもないですっ!!!」


執務室から顔を出し、アドリアンが怪訝そうに目を細める。

「何でもない声ではなかったが……?」


「ほ、本当にっ!!!」

リュリシアは慌てて取り繕い、無理に笑って誤魔化した。


アークは首をかしげる。

「……なんか変なもんでも食ったか?」


「いっ……いえ!なんでもないです!、ほんとに!」


エレナがため息をつく。

「寝不足ですね、きっと…」


「……はい……そうかも…です」


気まずい空気の中、アドリアンが話を締めた。

「とにかく支度を進めろ。以上」


それぞれが返事をして再び散っていく。


ーーーーーーーーーーー


陽の光が差し込む回廊を、気の抜けた足取りで歩いていく。


リュリシアは少し離れた位置からその背を追っていた。

足音を忍ばせるつもりだったが、靴音がやけに響く。

胸の鼓動まで、周りに聞こえてしまいそうだった。


(間違いない……。あの時の“風の人”は――彼。)


心臓が痛いほど打っている。

頬がまだ熱い。さっきの二度の叫びが耳の奥で反響していた。


(落ち着いて……。確認すればいいだけ……それだけ……)


そう思っても、脚が思うように前に出ない。

手が震える。

まるで、目の前にいるのが“助けてくれた人”じゃなく――“別の何か”のようで。


アークが廊下の角を曲がる。

リュリシアは思わず早足になった。

石畳を踏む靴音が、心臓の鼓動と混ざって速くなる。


「……アーク、さん……」

声をかけようとした瞬間――振り返られた。


「さん? どうした?」


一歩も動けなかった。

その何気ない笑顔が、あの日、風の中で見た“黒衣の男”と重なって見える。

まるで、世界が一瞬にして入れ替わったみたいに。


「……い、いえ! なんでもないです!」

慌てて頭を下げ、裾をつまむ。


アークは首をかしげる。

「……そっか? まあ、無理すんなよ。王都行き、けっこう疲れると思うし」

「……はい……ありがとうございます。」


彼が再び前を向いて歩き出す。

その背を見送りながら、リュリシアは立ち尽くした。


(――あの時と同じ。

 何も言わず、ただ去っていく。

 でも、今度は……私が追わなきゃ。)


風が、廊下の窓から吹き抜けた。

髪がそっと揺れ、日差しが床を金色に照らす。

光の粒が踊る中、リュリシアは小さく息を呑んだ。

その背を追う足が、ほんのわずかに震えていた。

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